2014年8月24日 日曜礼拝説教
「詩篇を読む? ああ主よ、われ深き淵の底より
汝(なんじ)を呼べり」
詩篇130篇1~8節 旧約聖書口語訳866p
はじめに
マイナスに働く力の代表は何と言いましても「不信感」でしょう。不信感は対象によって、「人間不信」「自己不信」そして「神不信」として表れます。
とりわけそれが自分自身に向かう「自己不信」は特に警戒要、といえます。
「自己嫌悪」という感情を生みだし、それはしばしば「自己抹殺」に至るからです。
この夏の最大のニュースは、過去、「朝鮮半島において多数の朝鮮人女性を慰安婦とするために強制的に連行した」とする「吉田清治証言」なるものをついに、朝日新聞が虚偽であったと告白した八月五日の同紙朝刊記事でしょう。
朝日新聞がこの三十二年間に掲載をした十六本の記事はすべて、「吉田清治証言」が史実であるとの認識に立って書かれたものですから、今さらそれが虚偽だったと言われて一番戸惑ったのは、朝日新聞の読者であったことと思います。
私は先週、「十年前まで五十年間、朝日新聞の読者であった」と申しましたが、私が子供の頃、我が家では朝日新聞と産業経済新聞(産経)の二祇を購読しておりました。
産経は当時は名称の通り、産業経済を中心とした新聞で、まあ、現在の日本経済新聞みたいなものでして、これは父親が通勤途上、電車の中で読むためのものでしたから、家族は専ら、朝日の方を読んでおりました。
神学校ではなぜか女子寮が読売新聞で、男子寮が朝日新聞でした。卒業して当地に来てからも当然のように朝日を購読しておりました。
やがて子供が小学校の高学年になったとき、新聞を読む習慣を持たせようと考え、朝日は理屈っぽいので子供にも読みやすい(と思った)M新聞に切り替えたのですが、これが京都の吸い物みたいに薄味で何とも頼りない紙面で、それでも二年間、我慢をしたのですが耐えきれずにまた朝日に戻しました。
以来、朝日一筋で二〇〇一年を迎えた九月、米国でイスラム過激派による同時多発テロが起こったのですが、朝日の祇面にはテロにやられた側の米国にも非があるかのような論調の記事が見受けられ、「どうもおかしい」と思いつつ、自宅から教会への途中にある、S新聞の販売店で毎朝、朝刊を購入するようになりました。
それから一年後の二〇〇二年九月、小泉訪朝の結果、北朝鮮が国家としての日本人拉致に関与していたことを初めて認めたことから、それまで頑なに北朝鮮の関与を否定してきた朝日が観念して、北朝鮮による拉致を渋々感いっぱいに報道する記事を読んで限界を感じ、正式に朝日の購読を止めてS新聞に切り替えたのでした。
二〇〇三年春のことです。
その朝日が、「吉田清治証言」が虚偽であり、勤労奉仕である「挺身隊」と職業売春婦である「慰安婦」とを混同していたという発表を行ったのです。
では、朝日新聞は「吉田証言」をどのような記事にまとめたのかということですが、二十三年前、一九九一(平成3)年五月二十二日の記事は以下のようなものでした。
韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、私たち実行者が10人から15人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道(どう)の警察部を中心にして総督府の警察官50人から100人を動員します。
そして警察官の護送トラック5台から10台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。
そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、 というか事実は、皆、木剣を持っていましたから殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、1つの村から3人、5人、あるいは10人と連行していきます(1991年5月22日朝日新聞朝刊「従軍慰安婦 加害者側の証言)。
「加害者側」とは吉田清治のことです。読むだにおぞましいこの証言が実は真っ赤な嘘であって、吉田清治という詐話師の作り話であるということが、翌一九九二年の四月に、秦郁彦という現代史家の現地調査によって明らかにされたということもあってか、吉田証言を元にした記事の掲載はその後、下火になります。しかし、問題はそこでした。
朝日は一九九七年三月三十一日、吉田清治について「著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」とする曖昧模糊とした記事を掲載したものの、訂正記事は出さないままに、十七年が経ったわけです。
なお、朝日新聞社が一九九一年十一月二十五日に発行した、副題を「敵は日本人だった」とする「女たちの太平洋戦争」の第二巻には、吉田清治の証言が「木剣ふるい無理やり動員 ― 加害者として〈千葉県我孫子市〉吉田清治」として、歴史的出来事として転載されていますが(129、130p)、朝日新聞社として、どう対応するつもりなのでしょうか。
この「女たちの太平洋戦争」第二巻の副題を朝日新聞社は、「敵は日本人だった」としましたが、ほんとうの「敵は朝日新聞だった」ということが、この夏、日本中に暴露されたわけです。
そしてもう一つの、「挺身隊」を「慰安婦」としたことにより、日本軍が「数十万人の女性を性奴隷とした」という、大いなる誤解の基となった記事の一つが以下です。
元軍人や軍医などの証言によると、開設当時から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身(ていしん)隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる(1992(平成4)年1月11日朝日新聞「用語解説『従軍慰安婦』」)
今回の特集記事が出て以来、朝日に購読打ち切りの申し出が相次いでいるようですが、報道の信頼性が根本から崩れたわけですから無理もないことです。
そして、私どもが他人事ながら案じるのは、これまで自社を「日本の良心」と信じ込み、真実を報道してきたと思い込んできた真面目な記者たちや一般社員の中に、これによって自社への不信感を通り越して、自らの無知に対する自己不信に悩む者が出てこないかということです。
尤も、見方を変えればショックを受けることの方が正常であって、「そんなことはわかっていたよ」と歯牙にもかけずに平然として仕事を続けている社員の方がおかしいのですが。
かつて五十年間、同紙を読んできた元読者の一人として、朝日新聞が外部からの批判と共に、社内の「良心」的な声にも謙虚に耳を傾けて、信頼される報道機関への道を歩んでもらいたいと思うのです。
さて、今週の「詩篇を読む」はこの、「自己不信」に陥った者がどのようにしてその深い穴から抜け出るかということが主題です。
1.深き淵の底からひたすらに主を呼ぶ、「主よ、我が声に耳を傾け給え」と
長い人生、「もう、だめだ」というあきらめの気持ちになることが誰にでもあると思いますが、たといそのような場合であっても、置かれている状況が単なる八方塞がりという場合は、「まあ、何とかなるさ」と、却って闘志を燃やすこともあります。
しかし、その「もう、だめだ」という気持ちの原因が、自分自身の無知や愚かさ、罪深さにある場合は深刻です。
以前、「主よ、深き淵の底より」という聖歌を歌ったことがあります(二二八番)が、この荘重な聖歌は宗教改革者マルティン・ルターが詩篇一三〇篇に基づいて作詞したものとして有名です(なお、作曲はバッハです)。また折をみて歌いたいと思います。
詩篇一三〇篇の背景にあるものは、作者自身が神から遠く離れた所にいるという自覚です。そしてその自覚が「深い淵(の底)から」という言葉になったのだと思われます。
「主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる」(詩篇130篇1節 旧約聖書口語訳954p)。
「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます」(同 新共同訳)。
「深い淵」(1節)は原語では、「深い」または「深い所」を意味する言葉ですが、それは詩の作者自身がいま、確かに落ち込んでしまっている現実、すなわち神から遠く離れた現実を指したものである、という理解から、新共同訳はこれを「深い淵の底」と訳し、旧約学者として名高かった、故左近 叔(さこんきよし)元東京神学大学教授はこれを、「底なしの深み」と訳しました。
人が祈る場合、そこにはさまざまの事情や局面があります。
乏しさに苦しんでいるから、必要なものを与えて欲しいという願い、病気で苦しんでいるから、その病を治して欲しいという祈り、攻撃を受けているから、味方になってもらいたい、という祈願など、それはそれで切実な願いですが、自分自身、神から遠く離れているという意識のゆえに、だからこそ今、自分は神の許へと戻るべきであるという思いをもって、作者は神に祈り、神に呼ばわるのです、深い淵の底から。
これこそが真の祈り、神が求めている祈り、神に喜ばれる祈りなのです。
2.深き淵の底から主に呼ばわるのは、主には赦しがあることを知っているから
詩篇の作者は「深い淵(の底)」(1節)、すなわち神から遠い所にいるという自覚があるにも関わらず、その遠い所から神に向かってなぜ、「呼ばわ」(同)ったのでしょうか。
考えられる理由は三つです。
一つは、作者が、自分がいるところがまさに、神から遠く離れた所であることに気づいたからであって、自分が神から遠く離れていることに気づいた時、彼の心には表現のしようのない不安感と恐怖感とが心に忍び込んできたのでしょう。
それは喩えていえば、親から逸(はぐ)れた迷子の幼子が抱く感覚に似ているといえます。
でも、大多数の者は創造主である神の存在を信じてはいないし、その神から離れてしまっていると指摘されてもピンと来ないというのが現実です。そしてそれはなぜかと言いますと、神を意識する感覚が麻痺してしまっているからではないかと思われます。
逆に、今、神から遠く離れているにも関わらず、神を求めて神に呼ばわるのは、神を思う感覚が正常に戻ってきているしるしです。
二つ目の理由、それは主なる神に背いたという背信の意識があり、その意識から生じる神と関係者への加害、謝罪の気持ちがあるからだと思われます。
人が心理的な意味における深き穴に落ち込んだ場合、境遇が良くなかったからだの、親が悪いの、社会のせいだの、政治のせいだのと、責任を自分以外のものになすりつけて、勝手に人間不信に陥り、その揚げ句に神を恨む人がいます。つまり、神不信です。
しかし、まともな感覚に戻った人は、「こうなったのは誰のせいでもない、もちろん、神のせいでもなく、自分のせいだ」と、自らの愚かさを認め、神への謝罪の気持ちを表明するようになります。
その代表的な人物が、ゴルゴタの丘で十字架に架けられたも「もうひとり」の方のテロリストでした。
「十字架にかけられた犯罪人のひとりが、『あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ』とイエスに悪口(わるくち)を言いつづけた。もうひとりは、それをたしなめて言った、『おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。お互いは自分のやったことのむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない』」(ルカによる福音書23章30~41節 新約聖書口語訳132p)。
感覚が正常に戻ると、ケースによっては、自分が加害者であり、神こそが被害者であるという事実認識が生まれる場合があります。
そしてその認識が神への罪意識を生みだし、更にその罪意識が観への謝罪の気持ちとなって、神を呼ぶ叫びとなるのです。
そして、神から遠く離れているにも関わらず、この詩の作者が神に呼ばわることができた三つ目の理由、それは主なる神には大いなる赦しがあるということを知っていたからでした。
「主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか。しかしあなたにはゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう」(130篇3、4節)。
主なる神の許には「ゆるしがある」(4節)、だからこそ、人は罪意識を持ちつつも、いえ、罪意識を持つからこそ、恐れおののきながらでも主なる神に向かって大胆に、そして身の程も弁えずに呼ばわることができるのです。
「あなたにはゆるしがある」(同)、これが詩篇のみならず、聖書全体を貫くメッセージであり、音楽で言えば曲の全体を流れる主旋律です。
この「ゆるし」(同)を作者は別の言葉で「いつくしみ」と表現し、それを「あがない」として説明します。
「主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです。主はイスラエルをもろもろの不義からあがなわれます」(130篇7節後半、8節)。
「あがない」(7節)とは奴隷状態に陥って自由を奪われている者を、犠牲や代償を払って自由へと解き放つことを意味します。それは主なる神だけができる行為であり、その「あがない」(同)という主なる神独自の行為の動機が「いつくしみ」(同)です。
そしてこの「いつくしみ」(同)とそれに基ずく行為である「あがない」(同)を総称して、主には「ゆるしがある」(4節)、だから、とりわけ罪意識の強いタイプの「人に恐れかしこまれるでしょう」(4節)と、「深い淵」(1節)から告白するのです。
神から遠く離れた所である「深い淵」「深い淵の底」(新共同訳)「底なしの深み」(左近 叔)からでも大胆に主なる神に呼ばわることができるのは、主には人知を遥かに超えた大いなる赦しがあるからだということを、主の言葉を通して作者が知っていたからでした。
3.主には赦しがあるからこそ、人は主に望みを置いて主の御言葉を待つ
そして、この大いなる赦し、確かな赦しを知る時、人は赦しそのものを超えて、赦し給う主なる神に向かって目が開かれます。
作者は単なる赦しを求めているのではありません。作者は赦しではなく、主なる神自身を求め、神ご自身に望みを抱きます。
「わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。わが魂は夜回りが暁(あかつき)を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます」(5、6節)。
詩篇の作者が深き淵の底で待つもの、それが主なる神ご自身であり、主のお言葉でした。
「そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます」(5節)は、直訳をしますと「私は待つ、主の言葉を」となります。
作者は深い淵の底から主を呼んでいますが、よくよく読むと、深い淵からの救出を求めてはいません。「あなたにはゆるしがある」(4節)と告白しますが、赦されることを求めてはいません。
また、「主には…豊かなあがないがある」(7節後半)と告白はしますが、その「あがない」(同)を求めてもいません。なぜでしょうか。
それは、赦す、赦さないは主なる神の裁量の範囲のことであり、あがなう、あがなわないもまた、主なる神の自由であることを知っていたからでしょう。
この詩篇百三十篇の作者と共通するような人物が福音書に登場します。神の御子イエス・キリストによって語られた譬え話に出てくる、いわゆる放蕩息子です。
父を嫌って家出した弟息子が故郷の父の許に帰ろうという気になったのは、彼が都会で落魄の身となって食うに困ったからではありません。見栄があればどんなに落ちぶれても恰好が悪くて、知人が大勢いる故郷になど、帰ることなど出来なかった筈です。
彼が帰ろうとしたのは良心が疼いたからです。自分は父親に対してとんでもないことをした、ほんとうに申し訳けないことをした、父に対するこれまでの罪を詫び、自分の残りの生涯を父の傍らで下僕となって仕え、一生かけてそれまでの罪を償おうと思ったからこそ、恥も外聞もなく故郷を目指したのでした。
赦してもらってあわよくば元の息子の身分に戻してもらって安楽に暮そうなどという気持ちは、彼には寸毫もなかった筈です。
厳しい叱責の言葉も当然のこととして受けよう、しかし先ず、父の心を踏み躙(にじ)ってきた過去を心から詫びて自分の気持ちを表し、次に父の言葉を待とうと思ったその時、彼の謝罪の言葉を途中で遮って語られた父の言葉が、期待もしなかった言葉、思いもかけない赦しの言葉であったのでした。
「しかし父は僕(しもべ)たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものをはかせなさい。また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』」(ルカによる福音書15章22~24節 116p)。
「最上の着物」(22節)も「指輪」(同)も「はきもの」(同)も、それらはすべて正規の息子のしるしです。
つまり、「息子としてではなく、下僕として側に置いてほしい」と願った弟息子に対し、彼が求めもしなかった「ゆるし」と「あがない」が「いつくしみ」として与えられることとなったのでした。
父はいつ、弟息子を赦したのでしょうか。故郷に帰ってきて罪を詫びたからでしょうか、いいえ、そうではありません。父の赦しは弟息子が故郷を出た時から変わらずに有り、それどころか、故郷にいた時から既に有ったのでした。
主なる神の赦しは十字架の出来事以前から備えられていたのでした。
そしてその赦しは神から遠く離れている筈の「深き淵の底」(1節)にも存在していたのでした。赦しが既に備えられていたからこそ、そして詩篇の作者が今いる「底なしの深み」(同)にも赦しの主が共におられたのです。
そして神がおられたからこそ、作者はその主なる神に向かって「わが声を聞き、あなたの耳をわが願いの声に傾けてください」(2節)と呼ばわることができたのであり、その「深い淵」(1節)から主を呼ぶ自らの傍らに、主が共にいてくださっていることを、彼は感謝に満ちて知るに至るのでした。
底なしの深い淵にも神はいます。独り子を十字架にかけてまで、その深き愛を示してくださった父なる神と、身代わりとなってくださった御子を覚えて、讃美「愛の絆」を御一同で歌い、その後、祈りを共に捧げることとします。
愛の絆
聞こえてくる 子の叫びが 十字架から父のもとに
血と涙 流しながら 孤独に闘う子の姿
永遠の命 与えるために 泥沼の中から救うために
何よりも愛する独り子 犠牲にしても与え続けた
独り叫ぶ我が子の姿に目を閉じても 捧げた父の愛
嘲られ 裏切られても 父の心に身を委ねた
溢れ 流れ 滴り落ちる血と涙は 捧げた御子の愛
私たちに与えられた 永遠の命と罪の赦しは
父と御子のかけがえのない 愛の絆がもたらしたもの
結び合う愛の絆
(詞 曲 長沢崇史)