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2014年7月20日日曜礼拝説教「詩篇を読む? 涙の谷を過ぎるときも、其処(そこ)を泉の湧くところとする」詩篇84篇5~7節

14年7月20日 日曜礼拝説教

「詩篇を読む? 涙の谷を過ぎる時も、其処(そ      こ)を泉の湧く所とする」

詩篇84篇5~7節 旧約聖書口語訳822p

 
はじめに
 
わたしたちの教会のエネルギー源は専ら、電気と都市ガスですが、原発停止と関連して、電気料金もガス料金も確実に値上がりをしております。
 
電気の場合は原発が停止していることから、化石燃料を使う火力発電の比重が上がっているからで、ガスの方も、足元を見られて高価な液化天然ガスを輸入せざるを得ないという事情によるそうです。
 
エネルギーをどのように確保するかという問題は、一般家庭はもとより、中小企業、とりわけ零細企業にとっては死活的に重要です。
そういう中で、鹿児島県の九州電力川内(せんだい)原発の一号機と二号機について、原子力規制委員会が「新規制規準に合格している」との審査事案を了承しました。
これによってこの秋にも川内原発の再稼働が可能となるかも知れません。
 
では関西の場合はどうかと言いますと、先ごろ行われた滋賀県知事選において、「卒原発」を主張する候補者が当選したこともあって、停止している関西電力の原発が再稼働する見込みは当面、ないようです。 
 
原発を巡っては様々な意見がありますが、エネルギーをどのように確保するかという問題が我が国にとって喫緊の課題であるということは、反対派も推進派も等しく共有している筈です。
 
エネルギーは産業の発展のため、そして国民の日常生活の維持のために必要不可欠なものですが、一方、人というものが精神的に力強く生きるためにも、力、とりわけ心的エネルギーというものが必要です。
 
先週の礼拝では、幸いな人とは神のすまいにおいて、神を誉め称える人であること(詩篇84篇4節)、また神に信頼する人であるということを確認しましたが(13節)、今週は更に、幸いな人とは、神との交わりを以て生きる力の源泉とする者であるということを確かめたいと思います。
そのような人は人生の途上、涙の谷、嘆きの谷を通る時にも、そこを命の泉、喜びの泉の湧く所とすることが出来るからです。
 
 
1.主なる神との不断の繋がりを以て生きる力の源とする人は、幸いな者と称(とな)えられる
 
 詩篇八十四篇の作者は、遠い異郷の地から遥かにエルサレムを思いながら、「神のすまい」の慕わしさを詠みましたが、五節からは自らをエルサレムの都を目指す巡礼に置き換え、そのエネルギーの源を神に据えて、その神との交わりの中を生きる者の幸いを強調します。
 
「その力があなたにあり、その心がシオンの大路(おおじ)にある人はさいわいです」(詩篇84篇5節)。
 
情景としては、地方からエルサレムの都を目指す巡礼の姿が想像されます。
古代イスラエルでは、民は年に三度、エルサレム神殿を中心として行われる祭に参加することが義務付けられておりました。
 
「あなたは年に三度、わたしのために祭を行わなければならない。…男子はみな、年に三度、主なる神の前に出なければならない」(出エジプト記23章14、17節)。
 
義務と言いますとすぐに強制、という言葉を頭に浮かべる人がおりますが、イスラエルの場合、祭への参加という義務は、民にとっては、自分たちが神の民であり、神から特別な愛顧を受けている民であるという喜びを噛みしめる機会であり、大いなる神を礼拝し讃美することが許されている特権と名誉を確認する行為であったのです。
 
それが五節の告白でした。「その力があなたにあり」(5節)とは、その力の源泉を無限の力を持った神に置くということです。
 
本格的な暑さが日本列島を襲っています。どなたも熱中症対策には万全を期してください。
二、三日前の新聞の連載マンガが秀逸でした。幼稚園児の孫が祖父母に向かって「ちっちゃいおまめとすいぶん、えんぶん、とってくださいね」と言うのですが、二人は「ちっちゃいおまめ?」といぶかしげな顔。
そこで孫が二人に説明をします、「ねっちゅーしょーよぼうですよ。幼稚園のもも先生が言ってました」
 
これを聞いた祖父は「新情報かな?」、祖母は「初耳ですね」とますます困惑状態なのですが、実は園児たちにもも先生が言ったのは、「こまめに水分と塩分を」でした。それを孫が「こまめ? ちっちゃいおまめですね」と思い込んだというわけです。何ともほほえましいマンガでした。
 
皆さま方もどうぞこの夏も、水分と塩分とを「こまめ」に摂って、熱中症予防に努めてください。
 
酷暑の夏を乗り越えるためには、エアコンが欠かせません。近年、エアコンの普及でお年寄の熱中症による死亡率が下がっているそうですが、その文明の利器であるエアコンがきちんと作動するのは、エネルギーがそこまで来ている差し込み口にプラグを差し込むからです。
 
神との関係も同様です。私たちは信仰によって神と繋がっているからこそ、神の力を受けることができるのです。その辺の消息を述べているのが五節の後半「シオンの大路にある人はさいわいです」という告白です。
 
口語訳と新改訳の五節には「シオンの」とありますが、新共同訳にはありません。原文は「大路」だけです。
「大路」とは障害物のない広い道を意味します。
 
神殿への巡礼という背景から想像すると、この「大路」は巡礼がエルサレム神殿に詣でるための道、礼拝の道を意味すると考えられます。そこで聖書の訳者たちは「シオンの」(口語訳)、「シオンへの」(新改訳)という言葉を補ったのでしょう。
 
そもそも要害を意味する「シオン」とは、ソロモンの神殿が建てられた丘の名称だったのですが、次第に神殿すなわち「神のすまい」そのものを指すようになりました。
ですから「シオンの大路」とは主なる神にお目通りをするために往く道、礼拝の道、祈りの道、讃美の道を意味するようになったのでした。
 
実はこの詩篇八十四篇は、七年前にも礼拝説教で取り上げた箇所なのですが、その際、二十九歳という若さで亡くなったクリスチャン詩人の八木重吉が作った「祈(いのり)」という短い詩を、七年前にはここにいらっしゃらなかった方々のために、改めてご紹介したいと思います。
 
 八木重吉は現在の筑波大学に在学中に洗礼を受け、卒業後、英語の教師をしながらキリストへの信仰を中心とした詩作を次々に発表するのですが、体が病魔に蝕まれて、二十九歳と八カ月で妻と幼い二人の子供を残して、天へと召された人でした。
 
           祈(いのり)
 
       ゆきなれた路(みち)の
       なつかしくて耐(た)えられぬように
       わたしの祈りの道をつくりたい 
わがよろこびの頌歌(うた)はきえず 
八木重吉の詩と信仰 14 いのちのことば社
 
 「シオンの大路」(5節)は、八木重吉にとって彼がつくりたいと願った「わたしの祈りの道」と重なります。
神との交わり、神との会話という「祈りの道」がとにかく「なつかしくて耐えられぬよう」な、そんな「ゆきなれた路」となることを願った詩が、この「祈(いのり)」というタイトルの詩だったのでしょう。
 
詩篇の作者を思い、そして八木重吉に倣いながら、楽しい時もつらい時も神に祈ったという思い出の詰まった祈りの道を、私たちもまた、朝ごとに夕ごとにつくり続けていきたいものです。
 
昔も今も、生ける神との不断の交わりを以て、それを生きる力の源とする者は、幸いな者と称えられるのです。
 
 
2.主なる神を力の源泉とする人は、涙の谷を通る時にも其処(そこ)を泉の湧く所とする
 
旅行が趣味、という人が増えてきました。実際、国内旅行に限っていえば、日本ほど安全な旅行環境が保持されている国はありません。
 
旅行には危険がいっぱいです。旅客機がミサイルで撃墜されるような事態も決して他人事ではありません。旅は危険に満ちていますので、自分の子供が国外で旅行をしている間、親は気が休まらないものです。況してや凶悪な事件の続発が報道されている地域などを旅している場合には気が気でありません。
女性の方がインドや韓国に行く場合は特に気をつけてもらいたいと思います。
 
二十一世紀の現代でもそうなのですから、古代イスラエルにおいては、旅は危険や不便と隣り合わせでした。
シオンという神の住まいを目指す心躍るような旅であっても、旅の苦労は付きものでした。とりわけ、旅には渇きが難敵であったようです。
水は通常、谷を流れています。そこで旅人は水を求めて谷に降ります。
 
しかし、やっとの思いで谷底に下っても、水を見い出せない事もしばしばであったようです。
詩人はそのような体験から巡礼たちについて、通常であるならば、「神はどこにいますのか」と嘆きたくなるような水なき谷をも、彼らはそこを泉の湧く所とする、と言い切ります。
 
「彼らはバカの谷を通っても、そこを泉のあるところをします。また前の雨は池をもってそこをおおいます」(84篇6節)。
 
 「バカの谷」(6節)とありますが、これは正確には「バーカーの谷」です。「バーカー」とはバルサムの木のことだそうで、この木が乾燥した所にしか生えないということから、「バーカーの谷」という表現によって、水のない乾き切った所、誰もが涙を流して嘆きながら通らざるを得ない、言うなれば人生の難所とでもいうべき状況を指し示したものだと思われます。
 
しかし、そのような「涙の谷」(文語訳、新改訳)、「嘆きの谷」(新共同訳)であっても、人と同行してくださる主なる神により、乾いた魂を根底から潤し生かす命の泉の湧く所に変えられるのだと詩人は告白をします。
 
それはすぐにではないかも知れません。忍耐の時が必要かも知れません。
 しかし、「涙の谷」、「嘆きの谷」は「泉」がこんこんと湧くところとなる、それは詩人の体験でもありました。
なぜならば、「前の雨は池をもってそこをおお」(6節後半)うからでした。
 
それは具体的には「前の雨」といわれる雨によってでした。パレスチナは雨がまったく降らない乾季という時期を経て、十月の末から十一月にかけて秋の雨が降りました。この秋に降る雨が「前の雨」です。
この雨が降ることによって干乾びていた土地は、種まきの準備をすることができるようになるのでした。
 
巡礼の旅はまさに人生を表し、私たちの信仰生活を象徴しているといえます。
人生には問題のない快適な日々だけがある、というわけではありません。
行き詰まる時があり、自分は神に見捨てられたのではないかと思いたくなるような気分になる日もあります。「もう駄目だ」と降参して人生を投げ出したくなるような局面に遭遇する場合もあります。
 しかし、詩人は告白します。「嘆きの谷」は「泉の」湧く所となる、なぜならば、「前の雨」が池のようにそこを覆うからである、と。
 
クリスチャン新聞福音版の八月号「ひと そのあしあと」に、向日(むかひ)かおりさんというゴスペルシンガーの証しが掲載されております。
この人は日本を代表するゴスペルシンガーだそうですが、心理的には波乱万丈の歩みであったようです。
 
彼女が小学校に上がる頃、一家は鳥取から大阪に引っ越しますが、父親が「巨人の星」の星一徹みたいな人で、常に「人を信じるな、蹴落とせ」と言い続ける人だったそうです(因みに「巨人の星」の原作漫画は「週刊少年マガジン」で1966年から連載が開始されました。私は当時、聖書学校に在学中でしたが、欠かさず読んでおりました。アニメの放映は1968年からで、星一徹の頑固一徹ぶりは卓袱台返しで有名です。しかし一徹が息子に向かって「人を信じるな、蹴落とせ」と言ったという記憶はありません。でも、向日さんにとってはお父さんのイメージが星一徹と重なったのでしょう)。
 
この父親の強烈な言動のために、彼女の心も荒み、そして徐々に壊れて殺伐としていき、高校生の時には摂食障害に苦しむようになったようで、ついには、大阪教育大学特設音楽課程を卒えて入団した合唱団で行ったヨーロッパ演奏旅行において、死ぬ決意をするに至ります。
  
彼女は、登ったスイスの山において自殺を決行すべく、その山の上の崖から身を乗り出したその時に、背負っていたリュックが木の枝に引っかかり、その瞬間、「神さまが『行くな』って言ってる」と思って、我に返り、恐怖が突きあげてきて、「神さま、助けて! 死にたいと言ったのはうそです! ごめんなさい! 私は生きたいです!」と叫んで山を一気に駆け下ってきたそうですが、この時が「神の存在が心底わかったとき」であって、それは「死のベール」が破れて、闇から光に方向転換した体験であったとのことでした。
 
向日さんはこのことがきっかけで、「人は生きたい存在だから、希望を与えてくださる神がそこにいることを肌で感じられる歌を歌いたい」と思うようになり、それもあって、クラシックからゴスペルシンガーに転身をした、ということでした。
 
この人はまさに人生の「涙の谷」において神と出会い、そこを泉の湧く所に変えられた人であり、だからこそ、今、「嘆きの谷」を歩いている人に、ゴスペルで神を伝えることを使命としているのでしょう。
彼女にとって「『歌う』ことのスピリット」とは「愛の神さまを礼拝すること」なのだそうです。
 
 愛の神を礼拝すること、それが私たちにとっても力の源です。
 
 
3.主なる神を力の源泉とする人は、主なる神から勇気と力を注がれながら人生の最終ゴールへと向かう
 
 目的地のない旅行というものもあるかも知れません。しかし、通常、旅行には目的地があり、ゴールがあります。
そして信仰の旅路にもゴールがあります。シオンに向かう旅人の場合も最終ゴールは神の住まいである「主の大庭」(1節、10節)において、神に見(まみ)えることでした。
 
「彼らは力から力に進み、シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう」(84篇7節)。
 
 古代ヘブライの宗教の喜びは神殿における礼拝と祭儀にありました。すなわち、生贄(いけにえ)を捧げて神を礼拝すること、具体的には捧げた生贄の一部を下げ渡されて神殿の大庭で会食をすることでした。
そしてそこに目に見えない神が臨在して、礼拝者と食を共にしてくれると考えられていました。
 
 しかし、ソロモンの神殿は破壊炎上してしまいました。紀元前五八七(六?)年のことです。その後、バビロン捕囚から帰国した帰還民によってシオンの丘に神殿が再建されました。紀元前五一五年のことで、ゼルバベルの神殿、第二神殿と呼ばれるものです。
それは往時を知る者にとっては何ともみすぼらしい神殿でしたが、とにかく、そこで礼拝と生贄の奉献は再開されました。ヘブライの宗教がユダヤ教として再編されるのもこの時期からです。
 
そして時代が過ぎて、紀元前一世紀の終わり、ローマ帝国からユダヤ王の称号を授けられたヘロデ大王が、神殿の修復に乗り出しました。ユダヤ人とイドマヤ人のハーフであったヘロデ王の動機には、ユダヤ人の歓心を買おうとする計算があったとのことです。
 
ヘロデ王によって改修された神殿は、イエスの時代にはソロモンの神殿をしのぐような豪華絢爛たる神殿として再生しました。しかし、その神殿も西暦七十年、ローマ軍によって破壊され、燃やされてしまい、以後、神殿は無いままです。
 
 ではどうしたら人は神殿の無い状態で「神々の神にまみえる」(7節)ことができるのでしょうか。また、礼拝の必需品である罪の赦しのための生贄はどうしたらよいのでしょうか。
 
 西暦三〇年四月、イエス・キリストがユダヤ当局との軋轢の末に、不法な裁判により十字架に架けられて殺されました。しかし、その死こそが神への礼拝を完成させる生贄であったのです。
 
「だから、イエスもまた、ご自分の血で民をきよめるために、門の外で苦難を受けられたのである」(ヘブル人への手紙13章12節 新約聖書口語訳358p)。
 
 「門の外」(12節)とはエルサレム郊外のゴルゴタの丘にある刑場を意味します。
 
そこでイエスは人類の罪のための身代わりの犠牲となられたのでした。ですから、永遠の効力を持つ生贄はすでに捧げられているのです。
では、今日、私たちが礼拝において捧げるべきものは何か。罪の赦しのための生贄はもはや必要ありません。では何をもって神の前に出るべきかと言いいますと、それは「イエスは私の主である」という告白であって、それをヘブル人への著者は「さんびのいけにえ」であるとしました。
 
「だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか」(13章15節)。
 
 「さんびのいけにえ」(15節)とは、単に口先で讃美歌やワーシップソング、ゴスペルなどを歌うことを意味するものではありません。後に続く「すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を」(同)という著者の説明が重要です。
 
「彼の御名をたたえるくちびるの実」とは、「イエスは私の主である」「イエスこそ我が贖い主である」という信仰告白のことです。ですから、「さんびのいけにえ」とは、この告白を内容としたものであることになります。
 
そういう意味において、ゴスペルや教会音楽が一般の音楽活動と違うところは、「イエスは主である」という告白の有無にかかっているといえます。
向日かおりというゴスペルシンガーさんがゴスペルを歌う意味は、そこにあるといっても過言ではないでしょう。
 
しかし、「さんびのいけにえ」とは音楽だけを意味するのではありません。ヘブル人への手紙の著者は、それは「善を行うことであり、それを具体的に言えば、自分の持ち物を、恵まれていない人に役立てることである」と言います。
 
「そして、善を行うことと施しをすることを、忘れてはいけない。神は、このようないけにえを喜ばれる」(13章16節)。
 
 前半を直訳すれば「善行と施しを」ですが、接続詞の「と」を「すなわち」として、「善を行うこと、すなわち施しをすること」と読むこともできます。 
「施し」とは「自分が持っているものを持っていない人に分かち与えること」を意味します。
 
 話は変わりますが、ブラジルにおけるサッカーワールドカップ決勝を、十四日月曜の早朝、眠い目を擦りながら四時に起きてテレビで観戦しました。私は心中、メッシが率いるアルゼンチンを応援していたのですが、勢いのあるドイツの勝ちで終わりました。
 
 それはそれでよいのですが、その数日後、ドイツ国内で行われた優勝セレモニーで、選手たちがした「ガウチョ・ダンス」なるものが人種差別ダンスとして非難されました。
  「ガウチョ」とはアルゼンチンのカウボーイという意味だそうで、ベテランのクローゼや決勝点をあげたテッツェなど六人の選手たちがまず、肩を組んで腰を屈めた姿勢で「ガウチョはこう歩く」と歌い、次に背を伸ばして「ドイツ人はこう歩く」と歌うこと、数度に及んだ、それが人種差別パフォーマンスだというわけです。
 
 しかし、この歌とダンスは、ヨーロッパのサッカー界では勝者がよくやるパフォーマンスで、人種差別を意図したものではないようです。ただ、敗者をバカにしていることは事実で、負けた側はいい気がしないことは確かでしょう。
 
 そう考えますと、日本の大相撲では勝った力士がガッツポーズをしないのは負けた力士への配慮からであると聞いたことがありますが、敗者の健闘を称えることを伝統とする国民性の違いと言えるかもしれません。
それにしてもサッカーの試合におけるゴールのあとの選手の大仰な喜びようは、私だけかも知れませんが見るたびに不快で、何とかならないものかと思ってしまいます。
 
 メッシの話です。メッシはその佇まいが常に物静かで、ひょっとするとメッシは日本人なのでは?と思ってしまうくらいで、それもメッシを贔屓する理由の一つなのですが、もっと大きな理由は、メッシが難病の人々を救済する目的で「レオ・メッシ財団」という財団を設立したことを知ったからです。
 
 彼自身、成長ホルモンの異常という難病に悩まされていた少年時代に、彼のサッカーの特別な才能を認めたスペインのサッカークラブ、「FCバルセロナ」が、難病のための治療費と、彼の家族のスペイン移住の費用を全額負担して彼を受け入れてくれたという事実があり、その後、治療の効果が出て、彼は一流の選手に成長していくわけですが、その経験が難病で苦しむ人々の救済を目的とした財団の設立となったようです。
 
 つまり、「自分が持っているものを、それを持っていない人々のために役立てる」という「施し」(16節)を、メッシは実践しているというわけです。
 
 メッシが「FCバルセロナ」から他のクラブに一度も移籍していないのも、「涙の谷」を通った苦難の時期に彼を丸ごと引き受けてくれた「FCバルセロナ」に恩義を感じてのことであるのであれば、ますます、日本人的であると言えるかも知れません。
 
何はともあれ、私たちの巡礼の旅は、神を力の源泉としつつ、その神から力と勇気をもらいながら、確実に最終のゴールへと向かいます。
生贄はすでに捧げられているのですから、後は感謝に満ちて「力から力に進み」(7節)、すなわち力の限りを尽くして「シオンにおいて神々の神にまみえる」日を目指して前進すればよいのです。
 
そして、感謝なことにその過程においても、キリストの仲立ちで、そして聖霊なる神の働きにおいて「神々の神にまみえる」ことは、今日、いつでもどこででも私たちには可能となっているのです。