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2014年7月13日日曜礼拝説教「詩篇を読む? 神の大庭にいる一日は、他所(よそ)にいる千日にもまさる」詩篇84篇1~4、10~13節

14年7月13日 日曜礼拝説教

「詩篇を読む? 神の大庭にいる一日は、他所(よそ)にいる千日にもまさる」

詩篇84篇1~4、10~13節旧約聖書口語訳822p

 
はじめに
 
四月に韓国で起きた旅客船の痛ましくもおぞましい転覆事故(事件?)から、間もなく三カ月が経とうとしています。
 
三百人を超える犠牲者を出したこの人災あるいは官災とも称される悲惨な事故と、事故への対応へのひどさを目の当たりにした彼の国の多くの人が、出来ればこの国から脱出をしたいという気持ちになったのではないかと、礼拝説教の中で言いましたが(4月27日 日曜礼拝説教「最重要事項として伝えられたもう一つのこと、それはキリストが予告通り、三日目によみがえること(後)霊魂の不滅か、死者の復活か」)、その推測が当たっていることを、毎日経済新聞という韓国の報道機関が今月の一日に報じたとのことです。
 
 中国関連の時事を日本語で日本国内向けに発信している「レコードチャイナ」というニュースサイトが七月十日に配信した記事です。
タイトルは「韓国でも嫌韓ブーム?10人に6人が『国を出たい』=韓国ネット『呪われた国』『金さえあれば韓国が最高』」です。
 
2014年7月9日、日本ではかつて一世を風靡した「韓流ブーム」から一転、今や連日のように日韓の関係悪化がメディアをにぎわしており、「嫌韓」の流れが強くなっている。しかし、これは日本だけの現象ではない。なんと、韓国国内では自国を嫌う国民が増加しているという。
1日、韓国・毎日経済新聞は『10人中6人が韓国を出たいと思っている』という記事を掲載した。これが先週1週間にSNS上で最も話題になったニュースだという(2014年7月10日配信「レコードチャイナ」)。
 
記事があげている、韓国の人々の多くが国を出たいと思っている主な理由は四つです。
 
(韓国民が)韓国を出たいと考える理由としては、「貧富の格差の深刻化(14、2%)」「政治家・官僚の非道(10、1%)」「競争・序列社会の激化(6%)」「所得の低さ(5、7%)」が挙げられている(上掲)。
 
 国民の六割もの人々が「国を出たい」と願っている国は、まさに異常な国といえますが、この記事に対するネットユーザーの反応も紹介されています。
 
「韓国のような国には住みたくない。正義が無視される国に希望なんてない」
「簡単に言えば、呪われた国ということだろ。この腐った国にこれ以上何かを望むのはぜいたくなことだ。本当にどこか静かに暮らせる所はないのか?汚い国、もううんざりだ」
「本当に移民したい。国民を捨てた国なんて。これ以上ぶざまな(政治や国の)姿を見る前に、自分から国を捨てたい」
「韓国ほど金持ちが住みやすい国はないでしょ。ただ、(自分は)金がないから(外国に)出ることもできないんだけどね」
 
そこには悲しい本音が溢れていて、改めて今の韓国の現実を見る思いがします。特に最後の反応は「この国にはいたくない、出来れば外国に移住したい、でも先立つものがない、だからこの国にとどまるしかない」という嘆きと諦めです。
 
 もっとも、いち早く国外脱出をした幸運?な人も多くおります。ただ、そのような人たちは国を捨てたという負い目、あるいは喪失感を、虚構のいわゆる「従軍慰安婦」なるものの像を米国各地に建てるなどの反日活動を行うことによってカバーしようとしている、あるいはそれによって自分たちの愛国心の存在を母国の人々に証明しようとしているのだという見方もあるのですが。
 
でも、もしも他国に移住をするにしても、出来れば日本以外の国を移住先に選んでほしいものです。と言いますのも、自国を嫌うような人が外国に行ったとしても、自分を受け入れてくれた国に何やかやとケチをつける、あるいは迷惑行為を行うに違いないからです。
 
はっきり言って、日本ほど住みやすい国はありません。
第一、日本人の場合、「日本が嫌だ、外国に移住したい」という人は幼児から高齢者まで皆無といっていいくらいです。
 
その日本の憲法には国民がどこに住むか、という「居住、移転の自由」が保証されていると共に、「外国移住、国籍離脱の自由」も保証されています。
 
第二二条〔居住・移転・職業選択の自由、外国移住、国籍離脱の自由〕何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
?何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない(「日本国憲法」昭和二十一年十一月三日公布 昭和二十二年五月三日施行)。
 
でも、人がいくら頑張っても勝手に移住することができないところがあります。それがどこかと言いますと、聖なる神が住むところの「神のすまい」です。そこは高慢な人は住むことができず、ただただ心の低い者だけが住むことのできる所です。
 
ところで、人間のがんばりだけでは移住不可能の、その「神のすまい」にかつて住んでいて、今は心ならずも異国の地に居住している、しかし、出来得るならば「神のすまい」にもう一度住むことができればと、その「神のすまい」を懐かしむ気持ちを切々と詠んだ詩篇があります。八十四篇です。
 
先週、沖縄の先島、本島、九州そして列島各地に甚大な被害をもたらした台風八号が過ぎ去って、一転、猛暑となっている大阪です。この暑さは今年も夏中続くことと思います。そこでこの暑い夏も昨年に続いて「詩篇を読む」ことによって、心に清涼感を得たいと思います。
 
昨年の「詩篇を読む」は四回でしたが、通算五回目となる今週は、詩篇八十四篇を取り上げます。タイトルは「神の大庭にいる一日は、他所(よそ)にいる千日にもまさる」です。
 
 
1.神の宮に住まうこと、それこそが人生最大にしてかつ最重要の願いごとである
 
 詩人は自分が神の宮に住まうことを切に願って、詩を詠みます。
 
「万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心と我が身は生ける神にむかって喜び歌います。すずめがすみかを得、つばめがそのひなを入れる巣を得るように、万軍の主、わが王、わが神よ、あなたの祭壇のかたわらにわがすまいを得させてください。あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです」(詩篇84篇1~4節 旧約聖書口語訳822p)。
 
 詩人が言う「あなたのすまい」(1節)とは、イスラエルの二代目の王であったソロモンが建てたエルサレム神殿のことであろうと思われます。
 
「主の大庭」(2節)とは、直接には神殿の庭のことでしょう。エルサレム神殿は犠牲を奉献する「祭壇」(3節)のある本殿を囲んで内庭があり、さらにその内庭を囲んで外庭があったようです。
「主の大庭」(2節)とは一般のイスラエル人が礼拝を捧げるために入ることが出来るこれらの庭を指したものと思われますが、この詩における「主の大庭」(同)とは単に場所を指すだけでなく、神に礼拝と讃美を捧げ、親しく神に祈り、その神からの応答を得た場でもあったわけです。
 
つまり詩人が懐かしんでいる「主の大庭」あるいは「あなたの祭壇」(3節)そして「あなたのすまい」(1節)とは、生ける神との不断のそして自由で密接な交流を指すものと思われます。
 
では詩人はどこでこの詩を詠んだのかと言いますと、おそらくは捕囚として連行されたバビロニアの地であって、時期としてはエルサレム神殿が破壊される前の、紀元前六世紀の初期ではないかと思われます。
 
ソロモンの神殿はソロモン王の治世の第四年(紀元前952年)に着工し(列王紀上6章1節)、七年の歳月を経て竣工します(同6章38節)が、前五八七年(五八六年?)に、バビロン軍の攻撃によって破壊、炎上し、灰燼に帰してしまいます。
 
ですから、詩人がこの詩を詠んだ時には、神殿はまだ存在していたか、少なくとも破壊されたという知らせが彼には届いていない時期であって、そこで彼は、いつの日にか捕囚状態からの自由を得て、以前のように礼拝を楽しむ日がくることを期待して八十四篇を詠んだのかも知れません。
 
つまり、今は捕囚の身となってはいる、しかし、かつて、自由に神殿に詣でて神を礼拝讃美していた頃を思い出し、出来ればもう一度、神殿において、以前にもまして神との親しい交わりを楽しみたいと願う、湧き上がる思いを詠ったもの、それが詩篇八十四篇であったというわけです。
 
 詩人は神殿のあるエルサレムから遠く離れたバビロンの地で、エルサレムを想いながら神に向かい、「あなたの(神殿の中心にある)祭壇のかたわらにわがすまいを得させてください」(3節)と祈るのですが、神殿における昔日の自分を思い出し、「さいわい」(4節)なのは神よ、「あなたの家に住」(同)んでいるかのように、神を「ほめたたえる人」(同)であると、告白します。
 
詩人は失ってみて改めて、失ったものの重要さに気づき、「神の宮に住まうこと、自由に神を礼拝讃美し、祈りを捧げるという立場に還ることこそが、今の自分の人生において最大かつ最重要の願いであることを再認識するに至ったようです。
 
 二十一世紀の今の日本は、信教の自由が保証されているだけでなく、また、教会に通っていることが奇異な目で見られないというだけでなく、むしろ、キリスト教の教会に出席していることが、周囲から感心されるような時代環境に私たちは生きています。
だからこそ、この恵みの立場を当然のことと思わず、大切にしながら、神を崇める歩みを続けて行きたいと思います。
 
 「神の住まい」、それは建物としての教会のことではありません。「神のすまい」とは神との関係性、神との繋がりを意味します。
ですから、人が神と出会い、神を礼拝し、神と交わる「神の住まい」は日常の生活を営む家庭の中にあり、居間や台所、寝室、勉強部屋にあると言えるでしょう。
 
それは、ある人にとっては汗水流して働く工場にあり、あるいは事務所にあり、通勤電車の中、教室にあるかも知れません。
もちろん、日曜日、地域で開かれる教会における公同の礼拝もまた、人が神と出会い、神の言葉を聴く「神のすまい」です。
 
 目にこそ見えませんが、神がいます所、そこが「神のすまい」です。神の宮に住まうこと、それこそが最大の願い、最重要の願いとする者こそが幸いな人なのです。もう一度、四節を読みましょう。
 
「あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです」(84篇4節)。
 
 
2.それは「神の大庭にいる一日が、他所(よそ)にいる千日にもまさる」ほどのものである
 
詩人は八十四篇の後半では、「自分にとって神の宮の大庭にいる一日が、他所(よそ)にいる千日にもまさるのだということを痛感している」と告白します。
 
「あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるのです。わたしは悪の天幕にいるよりは、むしろ、わが神の家の門守(かどもり)となることを願います」(84篇10節)。
 
 詩人はこの詩篇では「あなたのすまい」(1節)、「あなたの祭壇」(3節)、「あなたの家」(4節)、「あなたの大庭」(10節)と、神に対して個人的に語りかけています。
 
 最近、来月(8月)の日曜特別礼拝のための備えとして、日本神話の原点である「古事記」を読み直しているのですが、「古事記」にはとにかく、神様が無数に出てきます。
それらの神様はみな、人間的であって、その人物像?は非常に興味深いのですが、一体全体、どの神様を拝み、どの神様に祈ったらよいのかがさっぱりわかりません。
 
 いっとき、一神教と多神教が比較対照され、「排他的で非寛容な一神教」に対して、「多神教には他者との併存を認める寛容性がある」とする、多神教優位の評論がメディアを賑わしたことがありました。
 
確かに現代の中東における紛争の背景には一神教のユダヤ教とイスラム教、特にイスラム原理主義がありますし、近、現代、西欧による南米・アフリカ・中東・アジアにおける植民地支配の先兵となったのも一神教であるキリスト教でした。
 
ブラジルにおけるサッカーワールドカップの決勝戦は、日本時間で明日14日の早朝、ドイツとアルゼンチンの間で行われることになりました。
ご承知のように南米の言語はブラジルのみがポルトガル語、その他の国々はすべてスペイン語です。なぜかと言いますと、南米大陸は近代になってから、ポルトガルとスペインによって侵略され、固有の文化、言語、伝統すべてが破壊し尽くされてしまったからです。
 
先ず、キリスト教宣教師が来ます。そしてその後に軍隊がやって来て、根こそぎに占領し、蹂躙し、搾取をするという構図です。
戦国時代の日本が伴天連追放令を出し、その後、徳川幕府が鎖国政策を取ったのは、国家の独立を保持するための賢明な政策でした。
もしも禁教令を発布していなければ、日本はスペインやポルトガルの植民地になって、今頃、南米のようにスペイン語かポルトガル語を話す国になっていたかも知れません。
 
しかし、私見では一神教の特徴とされる排他性、非寛容性は、一神教の宗教的特徴というよりも、たまたま一神教を保持したそれぞれの民族特有の民族性、文化的特性に起因するのではないかと思うのです。それは世界史を学ぶとよくわかります。
 
たとえば、日本がキリスト教国になったとしても、「和を以て尊しとなす」という日本人の国民性が、残虐な性質に変貌するとは思えませんし、どことは言いませんが、領土、領海の拡張を「核心的利益」とする侵略的な国家が仮に多神教の国になったとしても、それでその国が平和で寛容な国家になるとは、到底思えないからです。
 
 多神教か一神教かという優劣の論議よりも更に重要なことは、礼拝の対象である神との個人的な関係の構築にあります。
実はヘブライの宗教の特質は「唯一の神対イスラエル」という関係でした。つまり、「あなた対我ら」でした。
 
しかし、詩篇八十四篇はその関係が「あなた対わたし」へと昇華しています。「わが魂は」(2節)、「わが心とわが身は」(同)、「わが王、わが神よ」(3節)、「わがすまいを」(同)、「わたしは」(10節)、「わが神の」(同)と、第一人称単数であること、つまり「あなたとわたし」という個人的関係が特徴です。
 
時代が進んで神の独り子が歴史に登場します。イエス・キリストです。古代、キリストの神性をめぐってキリスト教会に大議論が巻き起こりました。つまり、「イエスが神であるならば、神は二人になる、そうなれば神は唯一である、という聖書の基本的、絶対的信条はどうなってしまうのか」という論争でした。
 
この議論に関しましてはいつか機会を見てご一緒に学びたいと思いますが、今日は、キリストは父なる神と同等、同質、同格の神であるという、古代教会で確立をした基本信条を前提にして、話を進めたいと思います。
父なる神がキリストの死を人類の身代わりの死、人類の贖いとして認証したことにより、キリストが神の御子であることが証明されたとパウロは言いました。
 
「御子は肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力(みちから)をもって神の御子に定められた」(ローマ人への手紙1章3、4節 新約聖書口語訳233p)。
 
 この「神の御子に定められた」(4節)は、キリストが人間から神に昇格をした、という意味ではなく、「もともと、そうであったものが明らかにされた」という意味です。つまり、パウロはここで、「キリストがもともと、神の御子であったことが明らかになった」ということを言っているわけです。
 
 まことに勿体ないことに、神はこの「わたし」を極めて大切な存在と思うがゆえに、この「わたし」一人のために尊い神の独り子を世に遣わし、十字架にはりつけにしてくださったのでした。
 
 その結果、人間の努力では移住不可能の「神のすまい」に、つまり神との個人的な関係の中に、「イエスは主なり」と告白をするだけで移り住むことができるようにされているのあり、だからこそ、このキリストを礼拝する場、あるいは機会である「神の大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさる」(詩篇84篇10節)のです。
 
、日曜ごとに教会に出かけて行って、信仰を共にする方々と神への礼拝を捧げるということは、決して義務ではありません。しなくても罰則があるわけでもありません。
 
しかし、この「わたし」、取るに足りないこの「わたし」のために払われたキリストの尊い犠牲を思ったならば、何はさて措いても神への礼拝を優先したくなる、それが八十四篇の作者から伝わってくる精神であり、熱い心です。
 
 
3.神の宮に住まうことを切望する者には、思いもかけぬ恵みが神より注がれる
 
 韓国のキリスト教人口が総人口の四割になったそうです。まことにご同慶の至りです。しかし、別に驚嘆するようなことでもありません。なぜならば、その中身が問題だからです。つまり、どのようなキリスト教が宣べ伝えられ、信じられているのか、ということです。
 
半島のキリスト教には三つの特徴があるとされています。
 
一つは儒教、それも親孝行に特化した儒教的教えがキリスト教の中に摂取されていて、そのため、親孝行が倫理を通り越してあたかも教理のように扱われているのではないか、また、その影響もあって教会では、牧師が家父長的存在として信徒に君臨し、上意下達的な関係が形成されがちになっているのではないかという分析があります。
 
二つ目は、「巫堂(ムーダン)」といいまして、固有の巫術(ふじゅつ)、つまりシャーマニズムが取り込まれているのではないかという指摘です。
 「ムーダン」というのは「シャーマン」のことで、「シャーマン」とは巫女(みこ)、つまり超自然の世界や霊界の声、意向を人間に取り次ぐ力があるとされる存在です。韓国のキリスト教にはシャーマニズム的要素が取り込まれているという見方があることを、研究者は指摘します(浅見雅一・安廷苑著「韓国とキリスト教」中公新書132、3p)。
 
 そしてもう一つの特徴が御利益を売りにすることです(上掲書154,5p)
宗教に御利益が付随することは事実です。しかし、御利益は信仰に伴う結果であって、御利益の獲得を第一の目的とした信仰は健全な信仰とは言えません。
 
 
確かに詩篇八十四篇の作者も、礼拝にはご利益があることを認めます。
 
「主なる神は日です、盾です。主は恵みと誉とを与え、直(なお)く歩む者に良い物を拒まれることはありません」(84篇12節)。
 
 しかし、詩人の指摘は、御利益というものが、人が神にささげる純粋な礼拝と感謝に伴う思いもかけぬ神の恵みを意味するものであって、それ自体が目的ではないことは明らかです。
 
 そして、韓国にも御利益信仰とは無縁の、というよりもその対極を生きた牧師さんがいたようです。韓国有数のメガチャーチとして知られている永楽教会を創設した韓景職(ハン・ギョンジク)という牧師さんです。
 上掲の「韓国とキリスト教」の二人の著者も、韓牧師については高く評価をしております。
 
著者はいずれも永楽教会とは無関係であるが、韓の生き方には尊敬を禁じ得ない。彼は多くを成し遂げた人であったが、社会的弱者のために生きた人でもあった(上掲書168p)。
 
 同書は韓牧師の業績と人となりについても紹介しています。
 
韓の業績は海外でも評価され、一九九二年には宗教分野のノーベル賞とも言われるテンプルトン賞を受賞した。現在、韓国人としては唯一の受賞者である。…韓牧師は賞金一〇二万ドルを受け取ると、すぐに北朝鮮宣教のために全額を献金した。彼が「一分間、百万長者になった」と言って笑ったという有名な逸話がある(同168、9p)。
 
 テンプルトン賞について言えば、最近ではダライ・ラマ一四世が受賞している、世界的権威のある賞です
 
 特に韓牧師の晩年については感動を禁じ得ません。
 
韓は清貧な生涯を送った。自身の名義で所有した不動産もなく、預金通帳ひとつなかった。貧しい人々にすべてを分け与えたのである。七〇歳になったのを契機に自ら設立した永楽教会から退いた。その際に永楽教会から家を与えられたが、自分には大きくて贅沢すぎると辞退している。余生は韓国教会と海外布教のために働き、二〇〇〇年四月にソウルの小さな住まいで、九八歳で亡くなった。彼の遺したものは、数着の衣類の他は、四〇年余り使用した一人用のベッドとメガネ、そして愛用の聖書だけだったという(同169p)
 
 韓国の教会にも韓牧師のような、あたかもイエスのみ足の跡を踏んだかのような、そんな感動的な生き方をした人物がいたという事実には強い感銘を受けるものです。
 
 しかし、同国のキリスト教の多くが聖書の教えとは異質の要素を取り入れることによって勢力を拡大してきているとするならば、私たちには参考にはなりませんし、気にすることはありません。
 
本当の信仰は礼拝の対象である神、あるいは御子なるキリストと礼拝者との個人的、直接的な人格的繋がりにあり、礼拝すること自体、讃美すること自体が目的であって、もしも御利益があったならば、それはそれで、神からの賜物として有り難く感謝して受ければよいのです。
 
ですから詩人は最後に、神に向かって思いのたけを告白します、「あなたに信頼を寄せる者こそが、幸いな人である」と。
 
「万軍の主よ、あなたに信頼する人はさいわいです」(84章13節)。