ご先祖様は大切です
暑くなってきました。エルニーニョがどうとかこうとかで、今年は冷夏になるという予報がありましたが、少なくとも西日本は今年も高温の夏になると思われます。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、秋のお彼岸はずっと先のことです。さて、そのお彼岸になぜ墓参りをするのでしょうか。それは、死の向こう側にある悟りの世界を彼岸(ひがん)といい、迷いや煩悩に満ちたこの世を此岸(しがん)という考えから、子や孫を慈しんでこの世の生を終えて、彼岸に渡ったご先祖が葬られているお墓に参ることによって、ご先祖様を偲ぶためです。
御先祖様は敬うべきものです
春のお彼岸の中日である「春分の日」と、秋のお彼岸の中日である「秋分の日」は法律によって国民の祝日となっていますが、祝日法の趣旨では「春分の日」が「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」とされているのに対し、「秋分の日」は「祖先をうやまい、なくなった人をしのぶ日」となっています。つまり、御先祖様は敬い、かつ偲ぶ対象です。
「御先祖の霊が怒って子孫に祟(たた)ることがないように先祖供養を」という考えは、御先祖を尊んでいない考えです。御先祖は子孫の幸せを願っても、不幸をもたらしたり、禍を下すことはあり得ません。御先祖ががんばってくれたからこそ、私たち子孫の今があると思い、感謝の気持ちで御先祖を想うのが正しい先祖供養というものです。
御先祖様は天の神様が与えてくれた
御先祖がいなければ、子孫も生まれませんし、私たちの存在もなかったのです。そしてその御先祖を与え、御先祖を生かしてくれたのが、天地万物を創造し、人類をこの地に住まわせてくれた天の神様です。
ですから、御先祖を想う時、御先祖様に恥じることのない生き方をしようと思うと共に、私たちのために御先祖を与えてくださった天の神様に対して感謝の気持ちを持つ、それが人間の本分であり、正しい道です。
さて、私どもの教会では、今年も六月から十一月までの第一日曜日に、はじめての方々を対象に、「日本人とキリスト教」という題で日曜特別礼拝を行い、講話で聖書の神さまを分かり易くご紹介しております。
第一回目の六月は、「日本の神々とキリスト教の神」でしたが、二回目の七月は「祖先崇拝とキリスト教の考え」です。
七月六日の日曜日、寝屋川の街角の小さな教会にぜひお越しくださって、分かり易い講話と心を癒すゴスペルの歌声に耳を傾けてください。
ご来会を心よりお待ちしております。