2014年7月6日 七月日曜特別礼拝説教
「日本人とキリスト教? 日本における先祖崇拝とキリスト教の考え」
創世記5章3~5節 旧約聖書口語訳6p
伝道の書12章1、2、13、14節 932p
はじめに
この五月、祝日法が改正されて、八月十一日が「山の日」という祝日になったそうです。但し、施行は二年後だとのこと。祝日が増えるのはいいことだと思いますが、何で八月十一日かといいますと、盆休みと重なりやすいということがその理由だとか。
ところでその盆休みですが、地方によっては八月ではなく七月というところもあるようです。
子供の頃、夏になると、家の庭に置かれた素焼きのお盆の上の、燃える苧殻(おがら)を跨いだり、割箸で作った足をつけた胡瓜や茄子を並べたりなどする行事が我が家にありました。
それは亡くなった御先祖が帰ってくるのを迎えるためだ、などと聞いたように記憶しています。
日本人にとって、亡くなった御先祖はその存在が消滅してしまっているのではなく、この世ならぬところにいて、子孫を見守っているという観念があり、それが先祖供養、盆の行事、春夏の彼岸の日の墓参り、仏壇への線香やお供えなどといったものに現われているようです。
では、日本における先祖供養、先祖崇拝とは何なのか、そしてこれに対し、キリスト教ではどのように考えているのか、ということについて今日、ご一緒に考えてみたいと思います。
1.日本における先祖崇拝の心理
先祖崇拝の心理、動機あるいは理由は三つあるようです。一つは追善という目的、二つ目は追慕や謝恩の気持ちの表明、そして三つ目が恐怖の軽減です。
「仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)」という、中国でできた偽経に、お盆の行事が出来た謂われが記されています。
お釈迦様の高弟に目連という人がいました。その目連が神通力で見たのは、餓鬼道に落ちて食事を摂ることが出来ず、骨と皮ばかりになっている実の母親でした。
それを見て心を痛めた目連はすぐにご飯を入れた鉢を持って母の許に行き、ご飯を食べさせようとするのですが、それは母親の口に入る前に炭に変わってしまい、食べることができません。
そこでお釈迦さまに縋ったところ、釈迦が教えたそうです、「お前の母親の生前の罪が重かったからだ、そこで、僧侶たちが夏の修行を終える七月十五日に、それらの僧侶たちにご馳走を供えて供養をすれば、その功徳によって、父母をはじめとする過去七代の祖先が、餓鬼の世界から救済されるだろう」と。
そしてこの、餓鬼道からの母親救済のために目連が行った追善供養という習慣が、盆の行事の由来であった、というわけです。
なお、仏教の様々の法事の多くは、意識しているしていないは別にして、この死者への追善を目的として定められたようです。
また、亡くなった父母や祖父母を追慕する本能的な気持ち、その恩に報いたいという謝恩の気持ちが、先祖祭を発達させたとも言えます。
でも、残念なことに、人は失ってみないと、そこにある存在の有り難さに気づかないということもあります。
「孝行をしたい時には親はなし」「墓に布団はかけられない」とも言います。「親孝行をするなら親が元気なうちに」とは、体験から生まれた古人の言葉です。
こんな話があります。老いた親を世話することが厄介になった父親が、老親を山に捨てにいくことにしました。
そうすると、子供が「お父さん、僕も一緒に行くよ」というので、「感心な子だ、さすが我が子だ」と満足しつつ、何気なく「どうして?」と聞いいたところ、子供が言うには、「お父さんが年を取ったときに、お父さんをどうやって捨てるのか、今から見て参考にしたいと思うから」。
そこで父親が愕然となり、自分の行為を反省した、とか。
もちろん、この話は実話ではないとは思いますが、我が国には古来「姥(うば)捨て山」の伝説があり、「楢山節考(ならやまぶしこう)」の話も決して単なるフィクションではなかったようです。そういう意味では似たようなことはあったのでしょう。だからこそ、余計に謝恩としての先祖崇拝が強調されたのかも知れません。
そしてもう一つがよく言えば畏怖感、実際は恐怖感というものも動機の一つのようです。
先月の「日本の神々とキリスト教の神」でも少し触れましたが、日本には死者、それも怨みを残して亡くなった者たちの魂魄(こんぱく)が怨霊(おんりょう)となって、生きている者に禍をもたらすという信仰あるいは思い込みがありました。
その典型的な例が承久(じょうきゅう)の乱を起こして失敗し、鎌倉幕府によって隠岐の島(現在の島根県)に流され、配所で崩御した後鳥羽天皇(上皇)であり、驚異的な立身出世を遂げたため、周囲の妬みにより、謀反の疑いというあらぬ濡れ衣を着せられて九州の大宰府に左遷され、京都に戻れぬまま左遷先で死去した菅原道真(すがわらのみちざね)です。
特に道真の場合、道真の死後、彼を大宰府に追い遣った人々が次々に怪死し、しかも京都には天変地異、国内には旱魃と、大きな禍が起きたのは道真の怨みと怒りによる祟りが原因と考えられたため、大宰府に道真の霊を鎮めるための神社、大宰府天満宮が建立されることとなります。
死者への追悼行事が追慕と謝恩を理由としているうちはよいのですが、それが、恐怖が動機となるのは、実は人の潜在意識の中に、何ものかが自分の隠れた行為を見ているという観念があるからです。
つまり、人というものが本能的に神のさばきを意識する存在であるからなのです。
「神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである」(伝道の書12章14節 旧約聖書口語訳932p)。
隠れたことをも神に見られているという知識は、実は人が人であることのしるしです。追慕や謝恩の気持ちで亡き親や先祖を想う気持ちは人にだけ備わった美徳ですが、死者の祟りを恐れる心理、怨霊への恐怖心も、実は人が天地万物の創造者である唯一の神によって、人間特有の良心というものを持って創造されたしるしでもあるのです。
2.日本における先祖崇拝の是非
先祖は敬うべきものであって、礼拝の対象にすべきものではありません。なぜならば、亡くなったご先祖は霊力を持った神ではないからです。
残念なことですが、地上を生きる子孫の祈りは、あの世の先祖には届きませんし、死者との交流もできません。
なぜならば、亡くなった人は、遠いご先祖さまも含めて、すべて眠っている状態にあるからです。
「わたしが先祖たちと共に眠るときには、わたしをエジプトから運び出して先祖たちの墓に葬ってください」(創世記47章30節前半 69p)。
これは寄留先のエジプトにおいて、ヤコブ(イスラエル)がヨセフに託した遺言です。
聖書は人の死を「眠る」と表現しています。日本でも永眠という言い方をします。これは冷厳な死というものを婉曲に表現する修辞的表現であるとも言えますが、しかし、それだけでなく人の死は消滅ではなく意識を失っている状態、文字通り眠っているような状態にあることを意味します。
ですから、「ご先祖があの世から見守ってくれている」という言い方、あるいは思いは、「そうであって欲しい」という願望の表れであり、自然の感情の発露とでもいうべき、亡くなった人たちに語りかけるという行為もまた、願望の表現といえます。
この世を生きる者とあの世へと逝った者との間では、会話は無論のこと、往き来そのものもできません。最近、だれそれの「霊言」なるものが発刊されていますが、はっきり言います、インチキです。
地上を生きる者と死者との交流はあり得ません。
ある人は、旧約聖書には口寄せという霊媒師によって預言者が呼び出されたという記述があるではないかと言うでしょう。
確かに記述はあります。切羽詰まったサウル王が禁止されている「口寄せ」を通して預言者サムエルを呼び出したという記述です。
「サウルは姿を変えてほかの着物をまとい、ふたりの従者を伴なって行き、夜の間に、その女の所にきた。そしてサウルは言った、『わたしのために口寄せの術を行って、わたしが告げる人を呼び起こしてください』。…女は言った、『あなたのためにだれを呼び起こしましょうか』。サウルは言った、『サムエルを呼び起こしてください』。…サムエルはサウルに言った、『なぜ、わたしを呼び起こして、わたしを煩わすのか』」(サムエル記上28章8、11、15節前半 427p)。
でも、この記述を実際の出来ごとの記述と考える必要はありません。精神的に追い込まれたサウルという小心な王様の脳が事実と思い込んだ妄想をそのまま、記録したもの、あるいは伝説が事実であるかのように伝えられて記録となったものと考えて差し支えないと思います。
聖書に書かれていることがすべて歴史的出来ごととは限りません。死者との交流はあり得ません。
子孫たる者は先祖があって、しかも先祖の労苦があってこそ、今の自分があるのだという思いを忘れずに、先祖を追慕し、感謝の気持ちを表すこと、それこそが、いわゆる先祖供養となると考えて、墓参をしたり、記念行事を行ってはどうかと思うのです。
もちろん、忙しさにかまけて墓参や記念行事を怠ったとしても、ご先祖が怒って禍をもたらすなどということは決してありません。ご先祖というものは子孫の幸福を願うことはあっても、子孫を呪い、祟りをもたらすなどということはしないからです。
それは自分自身を先祖と置き換えたらわかります。子孫が先祖の自分を蔑(ないがし)ろにしたからといって、「懲らしめのために不幸な目に遭わせてやろう」などと思うでしょうか。
況してや、眠りについている先祖には、地上の子孫に幸をもたらすことも禍を下すこともできないのです。
先祖の祟りなどを売り物にして勧誘する新興宗教の類に、耳を傾ける必要は全くありません。
しかし、一つの望みはあります。それは眠っている者は、決して永遠の眠りについたままなのではなく、いつか目覚める日があるということです。
「兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。…わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう」(テサロニケ人への第一の手紙4章13節前半、14節 新約聖書口語訳322p)。
地上の生を終えて眠りについているご先祖もまた、いつの日か、その眠りから目覚めて、キリストを裁判長とする法廷、すなわち最後の審判の場に出ます。そこでは、ある人にはさばきが下され、ある人には褒賞が与えられます。
判断をするのはキリストですので、誤審はあり得ません。FIFA(国際サッカー連盟)が公認したとされる「ワールドカップにおける十大誤審」のうち、四つまでが二〇〇二年の日韓大会で起きたもので、六位から九位までが韓国絡みのゲームで、しかも中には贈収賄疑惑もあるとのことです。
しかし、キリストには賄賂は通用しませんし、その判定には万に一つの不正もありません。キリストの下すジャッジは正確無比の審判です。
では亡くなった人の極楽往生を願っての子孫による追善供養はどうなのかということですが、これも残念なことに、効果は期待できません。なぜならば、キリストの審判は個々人の行為に対してくだされるからです。
「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです」(コリント人への第二の手紙6章10節 新改訳)。
審判の対象は「各自その肉体にあってした行為」に限られます。つまりこの世の人が行う「追善」は、亡くなった人のその後の運命には効果がないのです。
でも、その時に、眠りから目覚めた者同士、再会の喜びを満喫することができると聖書は約束します。
大事なことは先祖の労苦を覚えつつ、今をよく生きること、しかも先祖というものを媒介してこの世へと生みだしてくれた自らの創造主なる神を意識して生きることです。
そこで伝道の書の十二章の冒頭の言葉を、分かり易く翻訳してある新共同訳(コヘレトの言葉)で読むことにしたいと思います。
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々は来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』という年齢にならないうちに。太陽が闇に変わらないうちに。月や星の光がうせないうちに。雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。…すべて耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、その戒めを守れ。』これこそ、人間のすべて」(コヘレトの言葉12章1、2.13節 新共同訳1048p)。
コヘレトの言葉が言う、「青春の日々にこそ、お前の創造者を心に留めよ」(1節)、「これこそ、人間のすべて」(13節)というこのコヘレトの言葉は、人生を終えたご先祖さまたちがそれぞれの子孫に対して言いたいことのすべてであると思います。
3.先祖崇敬の適切な在り方
先祖に対して持つ、追慕と謝恩の気持ちを更にもう一歩進めて大事にしたいこと、それは先祖との繋がりを意識し、繋がりを感謝することです。
そしてそれはとりもなおさず、ご先祖を与えてくれた創造者に思いを向けることでもあります。
では、私たちの先祖とは誰でしょうか。人によっては家系図によって自分の先祖を遡ることができる場合もあるでしょう。
私の家の場合、先祖が江戸で代々「熊野屋安兵衛」を屋号とする木材問屋を営んでいたとのことです。十八代続いたそうですが、残念ながら次男であった私の父親の兄の代で倒産、没落をしてしまったようですが。
十八代続いたといっても、その前は分かりません。「熊野屋」という屋号から、先祖は三重県か和歌山県の熊野の出身かも知れませんが、先祖が江戸で木材業を始める以前が、山賊だったのか海賊だったのか、はたまた漁師であったのか百姓であったのかは、まったく不明です。
でもそれはどうでもいいのです。明らかな先祖がいます。「アダム」という人です。その「アダムの系図」が創世記の五章にあります。
「アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。アダムはセツを生んだ後、生きた年は八百年であって、ほかに男子と女子を生んだ。アダムの生きた年は合わせて九百三十歳であった。そして彼は死んだ」(創世記5章3~5節 6p)。
アダムの「生きた年」が「九百三十歳」(5節)などは、現代では俄かには信じられませんが、取り敢えず、古代の人は驚くほど長命、長寿であったということを強調している記述ということでで理解をしておきたいと思います。
この記述で大切なことは人類はすべて、この「アダム」(3節)の子孫であるということです。
それが長男の「セツ」(3節)の子孫か、「ほかに」(4節)生まれた名も無き「男子」(同)あるいは「女子」(同)の子孫かはわかりませんが、「アダム」を共通の先祖としていることには変わりはありません。
ある人は先祖をはるかなる過去にまで遡ることのできる家系に生まれたかも知れません。しかし、ある人は三代前はどこの馬の骨なのかもわからない、場合によっては父親もわからず、生みの母親の顔も知らないということもあるかも知れません。
でも、明らかなことは二つあります。
一つは、たといそうであったとしても、先祖は神によって特別に創造された「アダム」であるということ、そしてもう一つは、その「アダム」の子孫として選んで、この世に生み出してくれたのが、天地万物を創造した天地の神であるという事実です。
これが日本における先祖崇拝に対する、キリスト教の考えです。
十五歳までの私の心を覆っていた暗雲の一つが、虚無感というものでした。つまり、自分はこの世に人の営みにより、偶然の産物として生まれてきた、だから人生には生きる意味もなければ目的もなく、また理由もない、という虚無感でした。
しかし、この虚無感は虚無主義、ニヒリズムという確固たる否定的信念に育つ前に、神との出会い、聖書との出会いによって雲散霧消し、代りに、「神が自分を選んでこの世に送り出してくれたのだ、人生には生きる目的がある」という肯定的な考えに変わって行き、更に良い意味での「人は人、自分は自分だ、自分は神の造りを感謝して生きよう」というポジティブな人生観へと変えられていったのでした。
先祖の祟りなどは恐れず、一方、先祖の恩には感謝をしつつ、この世へと呼び出してくれた私たちひとりひとりの「創造主に心を留め」(コヘレトの言葉12章1節)ながら、今を「青春の日々」(同)としてくださるお方と共に、未来に向かって前進する者でありたいと思います。
ある人は、「自分は老いた、青春は過ぎ去った、『青春の日々』は過去のものだ」と嘆くかも知れません。しかし、「青春」は年齢や世代を超越した心の様相であると喝破したのはサミュエル・ウルマンでした。
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた想像力、逞しき意志、燃ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、安易を振り棄てる冒険心、こういう様相を青春というのだ。年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く 失望と共に老ゆる。
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。
(サミュエル・ウルマン著 岡田義夫訳「青春の詩」)。
そこでもう一度、「コヘレトの言葉」の十二章を、ご先祖からの呼び掛け、神からの言葉として、声を合わせて読むことに致しましょう。
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」(コヘレトの言葉12章1節前半)。