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2014年6月29日日曜礼拝説教「ローマ人への手紙八章? いかなるものもキリストの愛から引き離すことはできない」ローマ人への手紙8章29、30、35~39節

14年6月29日 日曜礼拝説教

「ローマ人への手紙八章? いかなるものも
キリストの愛から引き離すことはできない」
 
ローマ人への手紙8章29、30、35~3節 新約聖書口語訳244p
 
 
はじめに
 
「愛」という言葉は、今は若い人も普通に使うと思いますし、歌の歌詞にも、そしてテレビドラマや映画の台詞にも頻繁に使われているのですが、それはどうもキリスト教の影響のようです。
 
実際、五十数年前に私が行った教会では聖書や聖歌はもちろん、説教や祈りの中にも「愛」は神の無償の愛を示す用語として頻繁に使用されていたのですが、実はこの「愛」という概念は、日本の文化的土壌では別の言葉で表現されておりました。
その一例が浄瑠璃の「観音霊場記」を基にした浪曲、「壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)」でした。
 
戦後の昭和二十年代の終わりから三十年代はじめにかけては、まだ家庭にはテレビはほとんど普及をしていませんでした。
そのテレビが我が家に導入されたのは、昭和三十年か三十一年頃だったと思います。もちろんブラウン管の、それも白黒テレビであって、記憶では値段も当時の相場は確か一インチ一万円で、家庭用の十四インチテレビが十四万円と、かなり高価でした。なにしろ、当時の大卒の初任給が一万二、三千円くらいでしたから、小さな白黒テレビでも、一般家庭には高値の花でした。
 
私もテレビが家に入ってくるまでは専ら、ラジオを聞いておりました。
そのラジオで人気だったのが「浪曲天狗道場」という、浪曲の物まね専門の番組でした。
当時、浪曲と言えば広沢虎造(ひろさわとらぞう)の「清水次郎長伝」で、特に有名なのが「食いねえ食いねえ、鮨食いねえ」「江戸っ子だってね」「神田の生まれよ」の、森の石松の「三十石船」ですが、その広沢虎造と並んで人気だったのが、浪花亭綾太郎(なにわていあやたろう)が演じる「壺坂霊験記」で、その出だしの「妻は夫を労わりつ、夫は妻に慕いつつゥゥゥ」という浪花節は絶えずラジオから流れてきておりました。
 
妻は夫を労(いた)わりつ 夫は妻に慕いつつ
頃は六月中(なか)の頃 夏とはいえど片田舎
木立の森もいと涼し(浪花亭綾太郎「壺坂霊験記」)
 
でも、小学校の高学年あるいは中学一年当時の私には、この浪花節がラジオから流れてくるたびに、二つの疑問が心に浮かんできたものでした。
 
一つは「夫は妻に慕いつつ」の助詞の使い方で、「夫は妻に」ではなく、「夫は妻を」ではないのかという文法上の疑問で、そしてもう一つが、本来、夫が妻を労わるのであって、妻が夫を労わるというのはおかしくはないか、それは逆じゃあないかという、素朴な疑問でした。
 
しかし、二つ目の疑問は物語自体を知ることによって氷解しました。壺坂霊験記」がどういう話かと申しますと、浪曲では、盲目のために按摩を生業とする沢市とその妻お里の物語であって、感動的な話が展開されます。
 
あるとき、毎日のように夜半から明け方にかけて妻のお里が出かけていくのに気づいた按摩の沢市が、女房お里の浮気を疑って問い詰めるのですが、実はお里は沢市の目が治るようにと、三年の間、毎朝、観音信仰で名高い壺坂寺に願掛けに行っていたのでした。
 
結局、お里への疑いはきれいに晴れるのですが、目が不自由な自分がお里にとっては足でまといになっているのではないかと考えた沢市は、妻を自分から解放するため、満願の日に滝壺に身を投げてしまいます。そしてそれを知ったお里がどうしたかと言いますと、彼女は夫の後を追ってやはり入水自殺を図ってしまいます。
 
ところがそこに奇跡が起こります。沢市とお里の情愛を見た観音様が二人を生き返らせてくれ、しかも沢市の目を見えるようにしてくれた、有り難や有り難や、まことにもって目出度し目出度し、という結末に至る物語です。
 
これを演じた綾太郎自身、麻疹(はしか)で二歳の時に視力を失っていることもあってか、大当たりとなるのですが、「壺坂霊験記」の出だしの「妻は夫を労わりつ、夫は妻に慕いつつ」には、「愛」という言葉は使われていません。
しかし、この物語の底に流れているものは、お互いがお互いを慮るという利他の愛情、そして報いを求めない無償の愛でした。それが当時の日本人の心を打ち、共感を呼び起こしたのだと思います。
 
もちろん、無償の愛を生きた二人に施された観音様の御利益も人気を博した一つの要素ですが、昔の日本人は「愛」という用語を敢えて使わないで、たとえば「労わる」「慕う」というような言葉で互いの情愛や相手への感謝の気持ちを表現したようなのです。
 
そして、「愛」という言葉を口にすることに抵抗のある世代もまた、神の想像を絶するような無償の愛で愛されている事実に変りはありません。
 
そこで「ローマ人への手紙八章」の最後の今週は、類い希な無償の愛である「キリストの愛」について教えられたいと思います。
 
 
1.キリストの愛は、愛されるに値しない者への至れり尽くせりの特段の選びとして現わされた
 
 最初に、キリストの愛は愛されるに値しない者への、それこそ至れり尽くせりの特別の愛、特段の愛として示されていたということについて確認したいと思います。
 
 八章の三十五節前半のそのまた前半に注目したいと思います。
 
「だれが、キリストの愛から離れさせるのか」(ローマ人への手紙8章35節前半 新約聖書口語訳244p)。
 
 著者のパウロはここで「キリストの愛から」(35節)と、キリストが払った愛について言及するのですが、「キリストの愛」は特別なかたちで示されたとパウロは言います。
それが八章の二十九節と三十節です。
 
「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めてくださった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えてくださたのである」(8章29、30節)。
 
 「あらかじめ知」(29節)るとは予知ということで、「あらかじめ定め」(同)るとは、予定ということです。
 
つまり、私たちがキリストを信じる信仰に導かれたのは、偶然ではなく、神のその場での思いつきなどでもなく、神自身の予知と予定に基ずくものであった、そして神は予(あらかじ)め選んでいた者を時が来た時に救いへと「召し」(30節)つまり招き、その招いた者をキリストの十字架の身代わりによって「義」(同)なる者と認定し、更に「栄光を与えて下さった」(同)、すなわち、「御子のかたちに似たものとしようとし」(29節)てくださっている、というのです。
 
「栄光を与えて下さった」(30節)は、神学的には「栄化」と言いまして、身分として与えられている「神の子」(14節)である信者が、世の終わりに至ってキリストと同じよみがえりの体を与えられる救いの完成、すなわち、からだのあがないを意味すると解釈することもできます。
 
「それだけでなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」(8章23節)。
 
 しかし、ここでパウロは神学の教科書を書こうなどとは思っていなかったと思うのです。この時のパウロの脳裏に去来した思いは二つであって、一つは、かつて、律法学者、パリサイ人のサウロとしてキリスト教会への弾圧、クリスチャンの捜索、捕縛に明け暮れていたころの、言うなれば罰あたりの自分自身の姿であったと思います。
 
「ところがサウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒らし回った」(使徒行伝8章3節 193p)。
 
「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛り上げて、エルサレムにひっぱって来るためであった」(使徒行伝)9章1,2節)。
 
「実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さいものであって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである(コリント人への第一の手紙15章9、10節前半 274p)。
 
 「しかし、神の」(10節)特段の憐れみ、そして「恵みによって」(同)パウロは「今日あるを得ている」(同)、それがパウロの実感でした。
その「今日あるを得ている」とは具体的にはパウロが使徒という立場に召されているということだけでなく、むしろ、もったいないことに、この自分を神が「御子のかたちに似たものとしようとし」(ローマ8章29節)ているという恵みの立場だったのではないでしょうか。
 
パウロにとって「キリストの愛」は抽象的、観念的なものではなく日々、彼の心に迫っている体験的感覚であったと思われます。それが彼の活動の主要な動機だったのです。
 
「なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである」(コリント人への第二の手紙5章14節前半 283p)。
 
 キリストの愛は何よりも、愛されるに値しない者への至れり尽くせりの愛として、特段の選びとして現わされたことを常に意識し続けたいと思います。
 
 
2.そのキリストの愛から離れさせるものは何もない、それが艱難であろうと霊的諸力であろうと
 
パウロは、そのキリストの愛から私たちを離れさせるもの、引き離すものは何もない、と断言します。
 
「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか」(8章35節前半 244p)。
 
 パウロは言います、たといそれが絶え間なく続く狂瀾怒濤の艱難であろうとも、と。
 
「患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か」(8章35節後半)。
 
 ここに挙げられている八つの艱難はすべて外側から襲来して来るもので、パウロ自身がかつて経験し、今も経験をしている苦難でもありました。
なお、二つ目の「苦脳」(35節)は言葉自体は内心の苦しみを表すものですが、この場合は外から来る苦難、あるいはその苦難が生み出す苦しみそのものを意味すると思われます。
それは誰よりもパウロ自身が嘗めてきた苦しみでした。
 
「彼らはキリストの僕なのか。わたしは気が狂ったようになって言う、わたしは彼ら以上にそうである。苦労したことはもっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、そして一昼夜、海の上を漂ったこともある。幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった」(コリント人への第二の手紙11章23~27節 290p)。
 
でも、それらの苦難はわたしをキリストの愛から離れさせるものではなかった、あなたがたもそうだ、なぜならば、キリスト自身があなた方を掴んで離さないからだとパウロは励ますのでした。
 
もう一つ、信者を「キリストの愛」から引き離す危険性を秘めた力としてパウロが挙げたものが、霊的諸力でした。
 
「わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである」(8章38、39節)。
 
ここに挙げられているものは、霊的諸力とでも呼ぶべき霊的、神秘的な諸力あるいは魔力を意味します。実はパウロの時代、神が完全支配をしている天と、人が命を紡ぐ地上の他に、ある種の天界とでもいうべき世界があって、そこには種々の天使がいて、そこから人は常に種々の影響を受けていると信じられていたようです。
 
古代においては天と言いましても、天には下層から上層まで七層もあって、最上層こそ「諸天の天」と言われて、そこに神が住み、その他の天を各種の天使が治めているとある者は信じ、またある者は天は三層であって、「第三の天」が神の住む最高天と考えていたようです。
 
「わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前(ぜん)に第三の天にまで引き上げられた」(コリント人への第二の手紙12章2節前半)。
 
ユダヤ人をはじめ、地中海世界に住む古代の人々は、人はすべて数多の天使や、魔力を持った星などの支配、影響を受けていると考え、怯えて暮らしていたのです。
 
科学文明の進んだ現代でも、テレビのワイドショーの終わりに、今日の運勢などといって、星座がどうとかやっています。星座と人間の運命とは何の関係もないにも関わらず、です。
 
また、心霊現象なるものを信じる人が多いのですから、古代の人々を笑うことはできません。はっきり言います、霊の祟りなどはありません。
心霊スポットやパワースポットなどは思い込みの結果ですし、いわゆる金縛りなどの現象も、霊の働きとは何の関係もありません。私も何度か経験していますが、体の方が疲労困憊していて、気持ちが高揚しているというコンディションのときに限って経験をしたものでした。つまり、体と気持ちがアンバランスな状態になると金縛りになることがありました。繰り返します。霊とは何の関係もありません。
 
心霊写真なるものも撮影に伴う機械の作用によるものか、あるいはフィルムについた傷か何かでしょう。
ある時、近所の子供が公園のフェンスから落ちて頭を打って入院しました。主治医として治療に当たったのは、大学病院から出向している医師でした。その医師の手当ての結果、完治ということになり、退院の許可がおりました。ところが退院手続きという段になって院長さんがレントゲンを撮り直したところ、「傷が写っている、退院なんてとんでもない」ということで入院継続となりました。
一週間後、主治医が病室に来てびっくりしました。とっくに退院している筈の患者がまだいたからです。
主治医「退院していなかったのですか」「いえ、これこれこういうことで、院長先生が…」と家族。
そこで主治医が件(くだん)のフィルムを見て、呆れて言ったのが、「これはフィルムの傷ですよ」。
即座に退院となりました。
 
心霊写真なんて、みんなそんなもんです。しかし、人間世界に影響を与えると信じられていた天使や星の存在は、ユダヤ教徒のみならず、地中海世界に住む当時の人々の共通観念であったようです。
ですからパウロは断言をしたのでしょう。たといそのような天使がいるとしても、また星が作用するとしても「被造物」(39節)に過ぎないそれらが、「わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである」(同)、と。
 
私たちをキリストの愛から離れさせるものは何一つないのです。それが空前絶後の患難であろうと、運命を掌っているかに見える霊的諸力であろうとも、恐れることはない、それがパウロの主張でした。
 
 
3.なぜならば、愛に溢れたキリストの守りにより圧倒的な勝ちを約束されているのだから
 
ではなぜ、恐れる必要がないのでしょうか。それはキリストイエスに信仰によって繋がっている者は、愛に溢れたキリストの堅固な守りによって圧倒的な勝利を約束されているからである、とパウロは言います。
 
「しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある」(8章37節)。
 
 口語訳が「勝ち得て余りがある」(37節)と訳した言葉について松木治三郎は、「『ヒュペルニコーメン』は新約聖書ではここだけに見られる特殊な表現である。それはあらゆる試みのただ中で、びくともしない、選ばれた信者の輝かしい勝利を言い表している」と解説しています(松木治三郎著「ローマ人への手紙 翻訳と解釈」337p 日本基督教団出版局)。
 
「ヒュペルニコーメン」は確かに「以上」と「勝利する」という二つの語句を合わせたものですので、「輝かしい勝利を収めています」(新共同訳)、「圧倒的な勝利者となるのです」(新改訳)という邦語の訳はどれもそれなりに適切だと思います。
 
しかし、勝利以上、余裕で勝利という原語の「勝ち得て余りがある」つまり、支払いをしても手許にはなお十分に残っているという意味から考えますと、「勝ち得て余りがある」という口語訳はとても魅力的です。
 
でもそれは私たち自身の能力ではありません。「わたしたちを愛してくださったかた」(37節)、すなわち常に共にいましたもう主なるキリストによって、なのです。
 
確かに困難と闘っているとき、見方によっては屠リ場に引かれていく羊のように見えることもあるかも知れません。
 
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」(8章36節)。
 
 パウロが引用した句は詩篇四十四篇二十二節のギリシャ語訳(セプチュアギンタ)から引用したものだそうです(松木治三郎)。
 
しかし、見かけはそうであったとしても、あるいは毎月毎月、支払いに追われてカッツカツの暮らしを送っていたとしても、信仰生活においては余裕の日々、勝ち得て余りある勝利の日々を、キリスト・イエスにあって約束されている、それが「キリストの愛」(35節)を生きる者たちです。
 
もう一度、三十七節を心を込めて読んでみましょう。勇気と意欲が内かわ湧いてくる筈です。 

「しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において、勝ち得て余りがある」(8章37節)。