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2014年3月30日日曜礼拝説教「叶えられる祈りとは? 背後には神の御子の執り成しの祈りがあることを覚える」ルカによる福音書22章31、32節

14年3月30日 日曜礼拝説教

「叶えられる祈りとは? 背後には常に神の
御子の執り成しの祈りがあることを覚える」
 
ルカによる福音書22章31、32節(新約聖書口語訳128p)
 
 
はじめに
 
小説には三つの要素があるそうです。「プロット」と「キャラクター」と「エピソード」です。福音書は小説ではなく、史実つまり歴史的事実をもとにして書かれたものですが、この三つの要素がしっかりと盛り込まれています。読ませる小説には、この三つの要素が際立ってあるのが特徴です。
映画にもなった「永遠の0」や、本屋大賞を獲得した「海賊と呼ばれた男」などの百田尚樹の小説は、この三つの要素が鮮やかに盛り込まれているようです。
 
ところで「プロット」とは構想とか構成などの意味で、物語の流れや筋、狙いのことです。「キャラクター」とは登場人物のことで、「エピソード」は物語の中に挟みこまれる具体的な出来ごとを指します。
 
スタートから始まってどういうゴールで締め括るかという「プロット」つまり構想を作者がしっかりと持っていないと、尻切れトンボ状態で終了となってしまいます。
NHKの朝のドラマが昨日で終了しましたが、物語としての三つの要素が入念に盛り込まれたドラマだと思いました。
但し、昨日の最終回はまことにあっけなく、奇妙な終わり方をしたと思いましたが、それも作者の計算のうちなのかも知れません。それは昨年、話題をさらった「あまちゃん」の場合など、見事なまでに計算し尽くされたドラマであったと思います。
その点、二つ前の「純と愛」というドラマは、出演者は熱演でしたが、最終回が尻切れトンボで視聴者にとってフラストレーションをもたらす作品となってしまいました。肝腎の「プロット」が定まらないまま、撮影が始まってしまったからでしょう。責任は脚本にあると思います。
 
ルカによる福音書の場合、著者のルカはしっかりとした「プロット」をもって書き始めます。
ルカはそのことを前書きで紹介します。
 
「わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人であって、御言葉に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手をつけましたが、テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を始めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。すでにお聞きになっていることを、これによって十分に知っていただきたいためであります」(ルカによる福音書1章1~4節 新約聖書口語訳82p)。
 
 ルカが献呈した「テオピロ閣下」とは、「テオピロ」が「神に愛された者」という意味であることから、キリスト教に興味を持っているローマ帝国の高級官僚ではないかと考えられています。
聖書学者の木下順治は「新聖書大辞典」(キリスト新聞社)において、テオピロが「ドミティアヌス帝(後81-96)」の甥の「フラビウス・クレメンス」ではないかと推測しています(942p)。
 
 ルカによる福音書の場合、「キャラクター」はもちろん、イエス・キリストであって、次いでイエスに従った弟子たちです。
 
「エピソード」は本当に盛り沢山です。特に圧巻はゲッセマネの園におけるイエスの苦悶の祈りであり、ユダヤ最高法院サンヒドリン、そしてピラトの法廷における裁判、そして十字架上の犯罪人に対する扱いでしょう。
エピソードは冒頭から豊富で、昨年十二月はキリスト生誕時のエピソードを中心にして、特色あるキャラクターにスポットをあてて待降節の説教としました。
 
私たちはこの三月、「主の祈り」の応用編として、ルカによる福音書を通し、主にイエスによる譬えと教えから、「叶えられる祈りとは」どのような祈りであるかについてご一緒に考えてきました。
そこで今週は、福音書の中心キャラクターであるイエスとその弟子との最後の晩餐時のエピソードを取り上げて、最終回としたいと思います。
 
 
1.神の御子は今も弟子たちの信仰が守られるようにと、神の御座の右で祈っている
 
教会に行くようになって、福音書を初めて読んだ時、そこに書かれているイエスの弟子たちの態度や言葉に、いらだちを覚えたものでした。何という無理解、何という臆病さ、何という鈍感さだろうと。
 
特に最後の晩餐の最も重要な最終場面における、弟子たちの中で誰が一番になるかという争論には、怒りをさえ感じたものでした。おのれのことを棚に上げての十五の春のことでした。今から思えば赤面ものですが。
 
しかし、エスはその愚かにも見える弟子たちの行く末を慮ると共に、彼らをイエスが見捨ててはいないどころか、大いなる期待を寄せているということを示します。それがペテロというニックネームをつけられていたシモンへの言葉でした。
 
「シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った」(22章31節前半 128p)。
 
 「サタン」とは誘惑する者、あるいは訴える者という意味の普通名詞ですが、やがて、固有名詞の悪魔そのものを意味するようにもなりました。しかし、この時点ではまだ普通名詞です。
 
「麦のようにふるいにかける」(31節前半)というのは農業用語です。古代のパレスチナでは脱穀した麦を粒と殻とに分別するため、それらを網目の篩(ふるい)に入れて空中に放り投げました。そうしますと、重さのある粒は下に落ちてきますが、軽いもみ殻は風で向こう側に飛んでいきます。
 
つまり、「ふるいにかける」というのは、本物かどうか、中身が詰まっているかどうかを検証することを意味したのでした。
「サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願ってゆるされた」(同)というのは、サタンに対して神が積極的に許可状を出したというよりも、黙認をした、という意味でしょう。
そして、激しくふるわれたのがシモン・ペテロを始めとする弟子たちだったのです。
 
私たちは「主の祈り」を通して、「我らを試みに遭わせず、悪より、悪しき者より、サタンの手より、救い出だし給え」と祈るのですが、それにも関わらず、「試みに遭」う場合があることは事実です。
しかし、まことに感謝なことに、弟子たちの背後には常にイエスがおられて、ご自分に従おうとする彼らの信仰の保持のため、日夜祈ってくれているのです。
 
試みはしばしば、驕り高ぶった者をターゲットにし、あるいは自信過剰に陥った時を狙って臨んでくるものです。
ペテロがまさにそのような状態にありました。その証拠が、イエスの言葉に対する彼の反応です。
 
「シモンが言った、『主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたと一緒に行く覚悟です』」(22章33節)。
 
 「獄にでも、また死に至るまでも」(33節)という「覚悟」(同)の披歴が、イエスを想うペテロの嘘偽りのない心情の発露であることは、疑いの余地のないものでした。
彼はその時点では本当に監獄でも死でもと思っていたのです。しかし、人というものは自分が考えているよりもはるかに弱い者であり、また脆い場合があるのです。
 
その夜半、逮捕されたイエスが大祭司の官邸で裁判を受けている時(実はこの真夜中に行われた裁判自体、律法に違反するものでしたが)、ペテロは官邸の使用人に向かって、自分とイエスとの関係を躍起になって打ち消します。
弟子であることが知られたならば、自分も逮捕されることを恐れたからでした。
 
「するとある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、『この人もイエスと一緒にいました』と言った。ペテロはそれを打ち消して、『わたしはその人を知らない』と言った」(22章56、57節)。
 
 しかし、イエスは知っていたのです、ペテロはどんな人間であるかということを。その優れた部分も弱い部分も含めてご存じであって、すべてを知った上で彼を弟子として選んで、だからこそ、「わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った」(32節)と言われたのでした。
 
そしてイエスの祈りは神に聴かれ、ペテロはその後、信仰を失うという危機を乗り越えて、神のしもべとして活躍します。背後にイエスの祈りがあったからでした。
 
 神の御子は復活、昇天後、神の御座の右に坐していますが、地上で信仰を生きる弟子たちに常に目を注いで、その「信仰がなくならないように」(32節)、信仰の危機を乗り越えて、神から与えられた折角の信仰を維持することができるようにと四六時中、「祈っ」(同)ていてくださるのです。
 
 人として地上を生きている限り、誘惑は絶えず、試練は続きます。しかし、人の必要を祈る第三の祈願、「我らを試みに遭わせず、悪より救い出だし給え」という祈りは、確実に神に届いているのです。
そのことを確信して、今後も祈り続けて行きたいものです。
 
 
2.だから弟子ちもまた御子にならって、神の家族、肉親、同胞のために執り成すことが求められている
 
イエスはシモン・ペテロに向かい、「私はあなたのために祈った、だからあなたは失敗をしても必ず立ち直る、そこで立ち直った時、試練の中にある仲間たちをあなた自身が力づけてやりなさい」と命じました。
 
「それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」(22章32節後半)。
 
 自信過剰であったその時のペテロには、イエスの言葉はピンと来なかったかも知れません。しかし、挫折を経験して自らに失望し、そして引きこもり状態になったペテロに復活のイエスがご自身を示されたことが、他の弟子たちの証言で明らかになりました。
 
「そして、すぐに立ってエルサレムに帰ってみると、十一弟子弟子とその仲間が集まっていて、『主は、ほんとうによみがえって、シモンに現われなさった』と言っていた」(23章33、34節)。
 
 「主は、…シモンに現われなさった」(34節)という弟子たちの証言は、シモン・ペテロがイエスを否認したという挫折者、失敗者であるにも関わらず、弟子たちの中では依然として、リーダーとしての立場を保っていたことを示します。
 
事実、その後ペテロはより謙遜になり、また変えられて、つまりもはや弟子たちの中で誰が偉いとか出世するとかいう世俗的な野心を克服して、イエスの真の意味での弟子として立ち続けます。
実際、「ルカによる福音書」の続編である「使徒行伝」によれば、イエスがオリブ山から昇天した後、ペテロは祈り会を主宰し、群れの中心となって弟子たちをまとめています。
 
「そのころ、百二十名ばかりの人々が、一段となって集まっていたが、ペテロはこれらの兄弟たちの中に立って言った、『兄弟たちよ、…』」(使徒行伝1章15、16節前半 180p)。
 
 ペテロの胸中には絶えず、「わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」(22節)というイエスの言葉があったのだと思います。
そういう意味で、彼のその後の生涯はイエスに倣って、信仰の仲間を慰め励まし力づける日々であったことと思われます。
 
ペテロがそうであったように、私たちもまた、イエスの祈りを受けて今を活かされている者として、「神の家族」のためにいつも心を燃やして執り成しの祈りを捧げる者でありたいと思います。
何よりも、信仰と集会を共にする兄弟姉妹の名を上げて、信仰の保持、信仰の成長を中心とした神による祝福と守りとを祈りたいと思います。また、各地にあって信仰の苦闘を続けている教会、信者さんたちを覚えて、主の助けと恵みを祈りたいと思います。
 
また、当然、「家族」「肉親」のためにも祈りの手を上げることが必要です。配偶者、子供、孫、両親、祖父母、兄弟姉妹をはじめとする親族、姻族のために、イエスの名によって神に向かい、神の祝福を祈願し、執り成しの祈りを捧げることは、神のみ心であると共に、特権でもあるのです。
 
更にまた、自らが生を受け、育まれてきたこの国の「同胞」のためにも祈る責務が与えられています。この国には近隣の反日国家に迎合して、口を開けば自国を誹謗する自称知識人が多くいます。また、戦後の自虐教育の影響で、自らの国を蔑み、古来の良き伝統を厭う人々が多数いることは事実です。
だからこそ、神は私たちに対し、それらの同胞の意識の目覚めのために祈るようにと願っているのです。
そして、この国にあって、真の神を知らぬまま、良心の促されて誠実に生き、その結果、世界の人々の称賛の的となっている同胞のため、とりわけ正しい信仰の浸透のために祈ること、それが神の御旨です。
 
 
3.それだけでなく、神から遥か遠い隣人のためにも執り成しの祈りを捧げるべく、イエスは模範を残された
 
神の家族、親族、同胞のためだけではなく、神から遥か遠く離れている隣人たちのために執り成すこともまた、神のみ心、すなわち意志でもあると思われます。なぜならば、イエスは十字架に架けられた後、自分を否認した弟子たちも含めて、卑しい保身のため、イエスが無実であることを知っていながら、イエスを十字架へと追い遣った人々のためにも、執り成しの祈りを父なる神に捧げたからでした。
 
「されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』」(23章33、34節前半)。
 
驚くべきことに、十字架の卒倒するような激痛の中でイエスは敵とも言うべき人々のため、神に向かって執り成しの祈りを捧げたのでした。「父よ、彼らをおゆるしください」(34節)と。
私たちもまた、師であるこのイエスに倣うことが求められていると思います。
では誰のために祈るべきか。
 
第一に、百人を超える日本人を拉致し、また十数カ国の人々を拉致したとして、国連からも非難決議をされている北朝鮮という異常な国のため、とりわけ独裁者によって自由を抑圧されている彼の国の国民の心情と暮らしを思って神への祈りを捧げたいと思います。
 
彼の国の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」ですが、民主主義など、影も形もありません。
人工衛星から見た半島の北は、明るく輝く南に比べると、首都を除く全体は真っ暗な闇に沈んでいます。しかし、そこに住む人々は私たちと同じく、神を喜ぶべくこの世に生み出された人々の筈なのです。
自由に国外に出ることもできず、言論の自由すらなく、異常な指導者を崇拝せざるを得ない環境にいる二千万の人々のために、私たちは祈りの手をあげて、神のわざを祈らなければなりません。
 
第二に、その南の国のためにも祈る必要があります。
一時期、同国の国策により、韓流ブームとやらが日本を席巻したと言われていましたが、徐々にその国の異常性が露わになるにつれて、一転、「嫌韓ムード」と言われるムードが日本中に広がり、ブームもすっかり下火になりました。催眠術が解けたともいえます。
 
実は、「嫌韓」という現象は日本だけで起こっているのではありません。中国、台湾、そして東南アジア、特にベトナム戦争において韓国軍によって無辜の女性や子供を多数虐殺され、村ごと焼き払われるという無残な仕打ちを受けたベトナムはもとより、欧米の国々も韓国は嫌いなのです。
欧米ではとりわけ、ドイツ人の65%が韓国をネガティブに見ている、つまり良く思っていないことが、昨年のBBC調査で明らかになりました。
 
そして何と、韓国人自らが韓国を嫌っているというのです。
 
少しデータは古いかも知れませんが、二〇〇六年の八月に韓国で行われたインタネットの調査によりますと、「生まれ変わっても韓国人に生まれたいですか?」という質問に対して、「嫌だ、他の先進国に生まれたい」と答えた人が67、2%にのぼり、「当然、韓国人に」と答えた人が24、2%、「わからない」が7、9%という衝撃的な結果が出たとのことでした。  
 
 理由に挙げられているものが、「地獄のような入試戦争」であり、「深刻な貧富の格差」でしたが、最近の調査ではこれに加えて、韓国社会に増大する暴力があげられています。
 実際、一昨年七月の韓国大手新聞、中央日報の報道によりますと、二〇一〇年の統計では暴力発生件数が人口比でいうと、あの犯罪多発国家である米国の2.4倍、そして日本の十二倍にものぼるということなのです。
 
 今年の二月十日の朝鮮日報には「韓国の国民幸福度指数 OECD加盟34カ国中33位」という記事が掲載されていました。
 OECD(経済協力開発機構)とは、三十四の先進国で構成されている国際機関ですが、韓国保健社会研究院という機関の研究委員が発表した論文によりますと、韓国人の幸福度は加盟国の下から二番目だということです。
 
一方、日本の場合、二〇〇七年の世論調査では「日本に生まれてよかった」と答えた人が94%(朝日新聞)であり、今年の年頭に、教育事業で知られる「ベネッセ」が発表した調査結果によりますと、96、9%の子供が「今の日本を好き」と答え、93%の子供が「幸せ」と回答したというのですから、彼と我との違いに驚かされます。
 
一九九〇年代以降、富裕層や知識層が韓国から国外、特に米国、カナダ、豪州等に移民するケースが多くなっていますが、その国外脱出の理由の多くが、「韓国で子供を育てたくないから」というのだそうです。
諸外国において、国を挙げて「ジャパン・ディスカウントキャンペーン」を展開している国ですが、だからこそ、この悲しい国のため、この国の構成員である人々の内心の変化のために執り成すことは、イエスのみ心でもあると思います。
 
そして大陸の共産主義国家です。
この国は全土が汚染されていて、到底、人が住める環境にありません。昔の麗しい国土全体が、「自分さえよければよい」という人生哲学の蔓延によって腐土と化しつつあります。
 
この二月、カナダ政府は、「多額の投資をカナダに行うのと引き替えに永住権を与える移民政策の廃止を決めた」そうです(msm 産経ニュース 2014.2.25 11:45)。
 
廃止された「投資家移民制度」とは「160万カナダドル(約1億5000万円)の資産があり、政府認可の投資案件に80万カナダドル(約7500万円)を無利子で5年間融資した外国人に永住権を付与するという」(同ニュース)ものでした。
 
この制度廃止によって、移住を待っていた中国の投資家4万6千人が影響を受けるようですが、カナダ政府の判断は、この制度がカナダに益をもたらすよりも、却ってマイナスとなるという結論に達したからだとのことです。
一説によれば、彼らの資産が詐欺と汚職で形成されたからという見方があることも一つの要因かも知れません。
実際、高級官僚や資産家などは家族と資産を国外に移していて、いざとなったら自分も国外脱出を、と考えているとのことです。そうなると、大陸に残る人々は繁栄から取り残され、為政者から見捨てられた国民ということになるのでしょうか。
 
人の生き方は早々変わるものではありませんから、移民先でも自己中心的な暮らし方をして、居住地域に迷惑をかけているということも、制度廃止理由の一つなのかも知れません。こういうことを古人は「身から出た錆び」と言いましたが。
しかし、一般の中国人民は犠牲者であるとも言えます。だからこそ、この「大国」が真っ当な国に生まれ変わるよう、為政者のためにも祈らなければならないのです。
 
二千年前の四月七日の金曜日、イエスは神から遠く離れた人々のために、十字架の上で激痛に苛まれながらも神に向かい、「父よ、彼らを赦し給え、その為すところを知らざればなり」と、執り成しの祈りを捧げました。
 
私たちもまた、イエスによって祈られ、祈られて今があるということを覚えてイエスに倣い、神から遥か遠く離れた隣人たちのために、イエスの御名によって祈る者、執り成す者でありたいと思うのです。