キリストは今日もあなたを訪れて心の扉を叩いている
倍返しとお礼参り―人が神さまに
TBSテレビのドラマ「半沢直樹」の最終回の視聴率が四十パーセントを超えたというので、評判になりました。そしてこのドラマで一躍有名になった行動が「土下座」で、流行語になったものが「倍返し」でした。
ただ、この「倍返し」はドラマの中では「やられたらやりかえす。倍返しだ!」というように、「仕返し」という意味で使われていたため、違和感を持つ方もいたのではないかと思います。
古くは一般には「不祝儀は半返し、祝儀は倍返し」というように、お礼の意味でするものが倍返しであったからです。しかし、いつの間にか、仕返しを意味する言葉になってしまったようで、寂しい限りです。
これと似たものが「お礼参り」でしょう。「お礼参り」も最近では暴力団などの仕返しを意味するようになってしまいましたが、本来は願いが叶えられたことや、日々の無事を感謝して行う宮参りを意味しました。
「お参り」「礼拝(らいはい)」と言いますと、「商売繁盛」「無病息災」「家内安全」などの個人的なお願いをするために行うことと思われていますが、日本人にとっての「お参り」や「礼拝」は本来、何事かを祈願するというよりも、日常生活の中で神さまから頂いている恩恵や庇護を感謝するために「人が神さまに」行う「お礼参り」であったのです。
神の訪れ―神さまが人の方に
ところで、日本は先進国の中では最も治安がよく、犯罪率の低い国ですが、それでもやっぱり、窓や玄関の戸締りはしっかりとしていなければ不安です。そこでホームセンターなどでは訪問客の顔が映るカメラ付き、録画機能付きのインターホンが売れているそうです。
通常、礼拝と言いますと、人が神のおられる所に詣でることを意味しますが、不思議なことに聖書においては、「人が神に」ではなく、最初に「神さまの方が人を」捜し求めて訪問して来る、ということを強調します。
十字架に架けられて墓に葬られたキリストは、「三日目に復活をした」と聖書は言います。では、復活をした神の子キリストは今どこにいるのでしょうか。
聖書によりますとキリストはエルサムの東側にあるオリブ山という山から昇天をしたとされています。そのキリストは天においてくつろいでいるのか、と言うと、そうではありません。日夜、弱い私たちのために神に対して執り成してくれているのです。
しかし、キリストの究極の願いは、自分が命を懸けてまで愛した人々と共にいて、苦楽を共有したいということです。そこでキリストはこの地上において、呻吟する私たちのところまで、天を駆け下って訪ねてきてくださり、心の扉を叩いているのです。人が神さまに、ではなく、「神さまが人の方に」来てくださるのです。
「ごらんなさい。わたしは戸の外で、しきりにたたいています。その呼びかけにこたえて戸を開ける人なら、だれとでも、わたしは中に入って、親しく語り合います。そして、お互いに楽しいときを過ごすのです」(ヨハネの黙示録3章20節)。
教会では、わたしたちの人生を訪れてきてくれるキリストとはどういう救い主であるか、また心の扉の開け方、キリストの受け入れ方をご紹介しております。
台風一過の十一月の最初の日曜日、一度、ぜひ教会へお出かけください。ご来会をお待ちしております。