キリストは一度は死んだが今も生きている救世主である
四十九年前と七年後、そして三十二年後
二〇二〇年のオリンピックが東京に決まりました。九月八日の日曜日早朝の五時二〇分、多くの日本人が固唾を飲んでテレビ画面を見つめる中、ロゲIOC会長が「トーキョー」と言った時、大袈裟に言えば日本中が歓喜に包まれました。
そしてこの時、日本人のほとんどが東京でオリンピックが開催される七年後に自分が何歳になっているかという計算をしたようです。その際、余裕しゃくしゃくで「○○歳になっている」と言える人もいれば、「その時もう自分は…」と心細い気持ちになった人もいたと思います。
でも、心細くなった方も今から四十九年前の一九六四年(昭和39年)に、アジアで初めて開催された最初の東京オリンピックは鮮明に覚えていることと思います。
一方、余裕しゃくしゃくで七年後を迎える方は、四十九年前にはおいくつだったでしょうか。「まだ生まれていなかった」「子供だったからよく覚えていない」と言われるかも知れません。
では、三十二年後はどうでしょうか。日本が誇る超電導リニア中央新幹線の品川―大阪間の開業は二〇四五年(平成57年)の三十二年後だそうです。四十九年前の東京オリンピックを若い頃に観ていて、三十二年後のリニアにも乗車をするという幸運な人は、流石に少ないのではないかと思います。
「四十九年」「七年」「三十二年」という数字は、時間というものが人に対して楽しくも懐かしい思い出というものを刻んでくれる反面、誰の人生にも必ず終焉が訪れるという非情な一面を実感させます。人は時の流れという制約の中にいる存在なのです。
B.C(紀元前)とA.D(紀元後)
ところで、時間というものに拘束されない存在がいます。イエス・キリストです。どういうことでしょうか。
世界史で「紀元前」を表わす記号が「B.C」、「紀元後」を示す表示記号が「A.D」であるということはどなたもご存知だと思います。
では、「B.C」とは何で、「A.D」とは何なのか、ですが、「B.C」は「Before(ビフォー 以前)」と「Christ(クライスト キリスト)」という英語の頭文字で、「キリスト以前」、つまり「キリストの誕生以前」という意味です。
それでは「A.D」は、と言いますと、これは「ANNO(アンノ 年)」と「DOMINI(ドミニ 主の)」というラテン語の頭文字で、「主の年(世界の主であるイエス・キリストの年)」を表わします。
つまり、世界の歴史はイエス・キリストの誕生を境にして、「キリスト以前」と「キリスト以後」に区分されているのです。この「A.D」は主に西洋で使用されてきましたので、一般的には西洋の暦(西暦)として知られています。
これだけでも驚きなのですが、もっとびっくりするのは、A.D(西暦)三十年四月九日に十字架に架けられて死に、確かに墓に葬られたイエス・キリストがその三日目に死者の世界から復活し、そして今も生きていると明確に聖書が告げていることです。
もちろん、俄かには信じられないことと思います。しかし、死者の世界からよみがえることによって、時間を超える永遠の存在となったイエス・キリストは、まことに有り難いことに、今日、ご自分を信じる者をキリストご自身と同様に、時間を超えた存在、永遠を生きる存在としてくださるのです。
酷暑の夏も過ぎて、爽やかな秋を迎えています。この秋の十月、教会の礼拝において、聖書の講話とゴスペルを通して、過ぎ去った日々を思いつつも、今を、そしてこれからの将来を見つめる機会となさっていただけましたら幸いです。
ぜひ、十月の日曜特別礼拝にご来会ください。お出でを心よりお待ち申し上げております。