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2013年10月6日十月日曜特別礼拝(第五回)説教「十字架の物語? キリストは一度は死んだが、死からよみがえって今も生きている救世主である」ルカによる福音書23章44節~24章7節

2013年10月6日 十月日曜特別礼拝説教(第五回) 

「十字架の物語? キリストは一度は死んだが、死からよみがえって今も生きている救世主である」
 
ルカによる福音書23章44~24章7節(新約聖書口語訳132p)
 
 
はじめに
 
「画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く」という言葉があります。
六世紀、中国の南北朝時代に江南、つまり長江という大河の南部地域に存在した王朝である梁の武帝は、仏教を厚く信仰する統治者で、その領土内に多くの寺院を建て、それらの寺の装飾画を張僧(ちょうそうよう)という画家に描かせておりました。
 
この張僧という画家は武帝に命じられて安楽寺という寺に四匹の龍を描いたのですが、どの龍にも瞳(ひとみ)が描かれていませんでした。
そこで人々が「なぜ瞳を描かないのか」と問うと、張は、「瞳を描くと龍が絵から飛び出してしまうから描かないのだ」と答えます。
 
しかし、人々は彼の言葉を端から信用せず、「では、この龍に瞳をこの場で描いてくれ」とせがみます。そこで張はやむなく二匹の龍に瞳を描き入れたのですが、すると突然、空に雷雲が立ちこめ、大きな雷鳴が轟いたかと思った次の瞬間、張によって瞳を描き入れられた二匹の龍が絵からそのまま飛び出して、天へと飛び去って行ったというのです。
 
これは唐の時代の歴史書「歴代名画記」にある故事なのですが、そこから、「物事がほぼ完成していたとしても、肝心な一点が欠けていると、それは未完成なままになる」という意味で使用されるようになりました。
 
ところで、キリスト教においても、これが抜けていれば結局のところ、「画竜点睛を欠く」ということになる、というものがあります。
 
その「瞳」に当たるものとは一体、何のことなのかということですが、実はキリスト教徒を自任する人であっても、この「瞳」にあたるものを実は信じていない、あるいはあえて無視しているという人が多くいるのです。
 
そこで「十字架の物語」の五回目である今回の説教では、「龍」にあたるキリスト信仰の全体において、もしもそれが無ければキリスト信仰が有名無実化する、あるいはキリスト教自体、多くの宗教の一つになってしまう恐れがあるもの、肝心要の「瞳」ともいうべき事柄について聖書からご紹介したいと思います。
 
 
1.確かにキリストは一度は死んだが、死の世界からからよみがえって今も生きている救世主である
 
イエス・キリストは最後まで立派でした。
十字架刑がもたらす絶え間なき激痛に耐えながら、呪っても当然の敵とも思える人々のために神に向かって罪の執り成しを祈った上、自らの罪深さをやっと自覚して心からなる悔い改めを示した隣の犯罪人に対し、赦しと救いを宣言するなど、キリストは最後の最後まで救世主として振る舞いました。
 
しかし、午後に至ってそのキリストに死が訪れました。
土壇場で神が御使いを遣わして救出を試みるのではないかと期待した者もいたと思われますが、奇跡は起こらず、イエスは十字架上で息を引き取ってしまいました。
 
「そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、『父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます』。こう言ってついに息を引きとられた」(ルカによる福音書23章46節 新約聖書口語訳132p)。
 
 日本語訳は日本人読者のため、「息を引きとられた」と訳しますが、原文は「息を吐き出された」です。ユダヤ人は肉体の死が、内なる命の息が体外に吐き出された時に訪れるものと考えていたからでした。イエスは完全に死んだのでした。
 
そしてその日の内にユダヤ最高法院サンヒドリンの議員であったヨセフという篤志の人物により、彼の墓に埋葬されました。
 
「この人がピラトのところへ行って、イエスのからだの引き取り方を願い出て、それを取りおろして亜麻布に包み、まだだれも葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた」(23章53節)。
 
 当時の墓は「岩を掘って造った」(53節)横穴式のものでした。
このヨセフにつきましては、私たちの見習うべき模範として今年の一月、マルコによる福音書の連続講解説教で取り上げました。
 
今から二千年前、負け戦になるかも知れない、しかし、今こそ、自らの旗幟(きし)を鮮明にすべき時、として、公然と「イエスは主なり」との信念に基づいて行動した人がおりました。私たちはその人物に倣う者でありたいと思うのですが、その人の名は「アリマタヤのヨセフ」、ユダヤ最高法院サンヒドリンの議員の一人でした(「旗幟(きし)を鮮明にするということ―アリマタヤのヨセフに倣(なら)う」(2013年1月13日礼拝説教)。
 
 それは、金曜日の夕方のことでした。正確に言えば西暦三十年四月七日金曜日の日没直前でした。
  
そして、それから三日目、正確に言えば三十七時間後の西暦三十年四月九日日曜日の夜明け、本格的な埋葬のための準備の品々を携えて墓を訪れた女性の弟子たちが見たもの、それはイエスの遺体のない空っぽの墓であり、彼女たちが聞いたもの、それは、墓の中にいた天の御使いの言葉、イエスは「よみがえられた」という信じ難いメッセージでした。
 
「女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、このふたりの者が言った、『あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ』」(24章5、6節前半)。
 
 昨年の九月はじめ、「再臨のキリスト」を自称していた人物が最高の治療を受けながら、韓国の病院で死去しました。九十二歳ということでしたが、この人物が主導した協会の活動はかつて日本においても霊感商法として社会問題にもなり、連日、ワイドショーが取りあげておりました。
 
この教祖の死後、息子たちによる後継者争いが激化しましたが、結局、自称「再臨のキリスト」の四番目の妻である七十歳の未亡人が後継者となったようです。
しかし、不思議なのは一年経ってもこの「再臨のキリスト」を自称していた人物がよみがえったという話が一向に聞こえてこないことです。
 
 でも、本物のキリストは死者の中から文字通り「よみがえられた」(6節)のです。そして、よみがえられたキリストは時間を超越した存在、永遠の存在となりました。
キリストは、一度は死にました。しかし、よみがえって、永遠を生きる者となられたのです。
 
人は時間に支配される存在です。
ところで中国人の中には、日本人は中国人の子孫だと大真面目に思い込んでいる人がいるそうです。その根拠は何かと言いますと、「徐福伝説」というものを史実と思い込んでいるからなのだそうです。
 
紀元前一世紀初めに司馬遷が編纂した「史記」に、「紀元前三世紀、徐福(じょふく)という人物が秦の始皇帝の命を受けて、不老不死の霊薬を捜すべく、三千人の青年男女と多くの技術者を連れて東方に船出し、着いた地で王となり、戻ることがなかった」という内容の記述があります。それが「徐福伝説」です。 
 
「伝説」が言うには、徐福が到着して支配をした地というのが日本であった、日本人は徐福が連れて行った三千人の若者たちの子孫である、それが「徐福伝説」という、何の根拠もない伝説なのですが、その伝説を歴史的事実と思い込んでいるところから生まれたあらぬ妄想、それが日本人は中国人の子孫である、という妄想です。
 
もっとも、誇るべき歴史がないため、「朱蒙(チュモン)」や「チャングム」など、歴史的証拠もなければ根拠もない、単なる想像の産物でしかない架空の時代劇ドラマを、恰も自国の真実の歴史、史実と思い込んでいる、あるいは思い込まされている隣国の哀れさに比べれば、中国人の思い違いは日本人にとっては迷惑ではあるけれど、無知は無知なりにまだまだ微笑ましいものなのかも知れませんが。
 
「徐福伝説」で興味深いのは、絶対権力者であった秦の始皇帝が徐福の口車に乗せられたとはいえ、彼に「不老不死の霊薬」を捜しに行かせたという、いかにも有りそうな話しが徐福派遣の動機になっていることです。
つまり、「不老不死」は生きとし生ける者の求めてやまない憧れなのでした。
 
神話、伝説には人間の願望や現実が反映されているといえます。
オリンピック発祥の地はギリシャのオリンポスですが、ギリシャ神話では、そのオリンポスを主神ゼウスが支配する前、世界を支配していた神はクロノスという名の怪物でした。
 
このクロノスに一つの心配事がありました。それは彼の父ウーラノスと母であるガイアから「お前の息子の一人がお前を倒して支配者になるであろう」という予言を受けていたことでした。
そこでクロノスは自らの地位を守るため、妻のレアが産む子供たちを次から次へと飲みこんでしまうのですが、ゼウスが産まれた時、ゼウスの母レアは石を産着で包んでクロノスに渡したため、クロノスはそれを赤ん坊と思い込んで飲みこみます。
 
そしてゼウスは地中海に浮かぶクレタ島で安全に育てられ、成人したのち、父であるクロノスを殺してオリンポスの支配者になった、というのですが、このクロノスから時間の流れを示す「クロノロジー(年代学)」や精巧な時計を意味する「クロノメーター」という言葉が生まれてきたことからもわかりますように、クロノスという神はどんなものでも飲みこんでしまう時間というものを神話化したものだったのです。
 
 全時代を通じて、クロノスの前ではどんな権力者も敗北するしかありませんでした。しかし、ただ一人、イエス・キリストのみ、時間という限界を超えて永遠を生きる存在となったのです。
 
死からよみがえったキリストは、自称「再臨のキリスト」のように、高齢になって死を迎えるということはありませんでした。なぜならば時間を超えた存在、永遠を生きる存在となったからです。
 
 キリスト教の希望はここにあります。キリスト教の独一性は、キリストは確かに一度は死んだ、非業の最期を遂げた、しかし、死後、死者の世界からよみがえって永遠の存在となった、しかもそれだけではありません。己を信じる者には永遠の生命を与えてくれる救世主となったのでした。
 
 
2.死んだ筈のキリストが死者の中からよみがえったのは、人類の罪の始末をつけるためであった
 
では、死んだ筈のキリストはなぜ死者の中からよみがえることができたのか、また、キリストがよみがえった目的は何だったのでしょうか。
それは人類の罪の始末をつけるためであったのでした。
             
そのヒントは、墓の中で女性の弟子たちに御使いたちが伝えた後半の言葉にあります。
 
「まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか」(24章6節後半、7節)。
 
 つまり、イエスの逮捕も裁判も十字架刑も、更には死からのよみがえりも行き当たりばったりの出来ごとではなく、想定の出来ごと、予定の行動であったのだということを、御使いは言っているのです。
 
 もしも時間を超えて永遠の存在になるのであるならば、何も十字架などに架かることなく、生きたままで永遠の存在になってしまえばよいのに、と思います。しかし、そうはいきません。なぜかといいますと、人類が原罪の影響下にあったからです。
 
 原罪とは何か、ということにつきましては、先月、罪には実としての罪と、根っこの罪とがあって、根っこの罪から個々の具体的な罪の実が結ばれる、とご説明しました。
根っこを処理しない限り、実はいくらでも生じます。そして根っこの罪をキリスト教神学では原罪と呼ぶのです。 
 
勿論、人にも善い人と悪い人とがおりますが、それは比較の問題です。絶対的に良い人という人は皆無です。なぜなら、原罪の正体とは、「神のようになりたい、神と肩を並べる存在になりたい」という欲望にあるからです。
 
これを難しい言葉で表すと「自己神化(じこしんか)」と言います。しかし、イエス・キリストは地上にあっては徹底的に謙って、自らを神の僕とし、また人の僕といたしました。そのしるしが自己犠牲としての十字架の死だったのです。
そして、十字架刑を受けるという行動をもって「自己神化」という原罪を克服したイエスのその死を、神は人類の原罪の償いの死として受け入れてくださいました。
 
イエスの死からのよみがえりは、神がイエスの死を、人類を縛っていた原罪という束縛を解くための身代わりの死として受け入れてくださったことを証しするものであったのです。
 
ですから聖書は、イエスは「よみがえられたのだ」(6節)と、イエスの復活の事実を客観的に告知しつつ、一方ではイエスは父なる神によってよみがえらされたのだ、ということを強調します。ルカによる福音書の続編である使徒行伝では、ペテロにより、そのことが何度も繰り返し、語られます。「神は」という主語に注目をしてください。
 
「神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである」(使徒行伝2章24節 182p)。
 
「このイエスを、神はよみがえらせた」(2章32節)。
 
「しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた」(3章15節)。
 
 死んだ筈のイエスが死者の中からよみがえったのは(正確に言えば神によってよみがえらされたのは)、原罪の影響下にある人類すべての個々の罪、そして何よりも個々の罪を生み出す元凶である原罪が完全に始末されたことを証明するものであったのでした。
 
 
3.よみがえったキリストは本来の住まいに戻ったが、今も神の右に坐して執り成してくれている
 
キリストの復活を事実として信じ受け入れるということに関しては、確かに理屈を超えた「飛躍」が必要かも知れません。しかし、キリストの復活というキリスト教教理は単なる信仰の所産などではなく、また古代の教会がつくり上げたファンタジーでもなく、事実に基づく最重要の教理なのです。
 
では、復活したキリストは復活後、どこで何をしているのか、という疑問が湧いてくるかと思います。実はキリストは復活後、数十日の間、たびたび弟子たちに現われて教えられた後、人が肉眼では見ることのできない本来の住まいに戻っていかれたのでした。
 
「それから、イエスは彼らをベタニヤの近くまで連れて行き、手をあげて彼らを祝福された。祝福しておられるうちに、彼らを離れて、〔天にあげられた。〕(24章50、51節)。
 
ここで「ベタニヤの近く」(50節)とありますのは、オリブ山のことです。
 
聖地旅行に参加した際、そのオリブ山に登りました。オリブ山の頂上に長さ約四十センチメートル、幅十五センチメートルくらいの窪みがありました。そしてガイドさんが言うには、「これはイエス・キリストが昇天する際に、ここで『トンッ』と弾みをつけて昇ったその時に出来た窪みとされています」と説明をしてくれた時には、「そんなバカな」と大笑いをした記憶があります。
 
 
 
もちろん、このガイドさん自身、この「キリストが『トンッ』」という話を本気で信じているわけではありませんでしたが。
なお、このガイドさんは牧師の資格も持っている日本人で、教職者を目指して日本の神学大学に在学している時、色々と行き詰まってイスラエルに行き、そこでキリストと出会ったという体験をした方です。
 
死からはよみがえられたけれど、昇天をしてしまったため、イエスを肉眼で視ることも、そしてその肉声を耳で聴くこともできないということは「何とももどかしい」、それが私たちの実感です。
 
しかし、かつては内なる罪悪感のゆえに却って敵にさえ思えた神が、今は味方となってくれているということを証しするもの、それがキリストの復活の事実なのです。
 
「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。…だれがわたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否(いな)、よみがえって、神の右に坐し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである」(ローマ人への手紙8章31、34、35節 244p)。
 
もしもキリスト教からキリストの復活を削ってしまうならば、キリスト教は「点睛」を欠いた「画龍」と同じ、不完全、未完成のものになってしまいます。
 
 葬られた「キリストは」パウロが書いているように、死の世界から「よみがえって」、今現在、弱い「わたしたちのためにとりなして下さ」っているのです。
 
しかも、それだけではありません。愛する者と共にいたいと願うイエス・キリストは、天を下って私たちの心の戸口に立ち、今も心の扉を叩いておられるのです。
そして、誰であっても心の扉をノックしてくれているイエスを心の中に迎えるなら、イエスは喜んで入ってきて、人生の苦楽を共にしてくださるという驚くべき出来事を経験することができる、それこそが、私たちの確かな希望です。
 
 次回、十一月三日の「十字架の物語」の最終回では、私たちの人生を訪れて心の戸を叩くイエスの迎え方についてご紹介したいと思います。