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2013年9月22日日曜礼拝説教「ルカによる福音書の譬え? 倒れなかった家と倒れてしまった家の譬え―倒れなかった家は、堅固な岩の上に土台を据えた家であった」ルカによる福音書6章46~49節

  13年9月22日 日曜礼拝説教 

ルカによる福音書の譬え話? 倒れなかった家と倒れてしまった家の譬え―倒れなかった家は、堅固な岩の上に土台を据えた家であった」
 
ルカによる福音書6章46~49節(新約聖書口語訳94p)
 
 
はじめに
 
日本を取り巻く気象環境が悪化、狂暴化してきました。
 
台風十八号が和歌山県沖に近づいた今月十五日日曜の夜中、バス通りが冠水した場合に備えて、教会の壁際に並べていたプランターをすべて、建物横の奥の方に移動させてしばらくたった夜半、雨音が強くなったので外を見ましたら、バス通りは冠水し、側溝は溢れていて、あたり一面が川のようになっていました。
 
このまま降り続いたら浸水した昨年八月十四日の二の舞になりかねません。ハラハラしながら十分おきに外を監視しておりましたら、幸運にも小降りとなり、側溝もバス通りも元の状態に戻ったため、夜明けにウトウトと少し睡眠をとり、風呂に入ってテレビを点けましたら、京都嵐山の桂川に架かる渡月橋を濁流が洗っている衝撃的な映像が映り、さらに福知山市の住宅街が、市内を流れる河の氾濫によって水没をし、まるで湖のようになっているという惨状が映し出されていました。
被災した方々の上に国や自治体からの手厚い支援がありますように。
 
今回の台風十八号の場合は想定外の気象状況が重なったこともあって、個々人が被災を避けるのは困難で不可抗的であったと思われます。
しかし、イエス時代のパレスチナの場合、思慮の深さと注意深さがあれば、災害を免れることは可能だったのです。
 
そこで今週は、気象状況は同じでも、洪水に耐えた家がある一方、激流に流されてしまった家があるのはなぜかということから、将来、必ず襲来するであろう「激流」に耐え抜く秘訣について、イエスの譬えから教えられたいと思います。
 
 
1.激流が来ても倒れない家と倒れてしまう家とがある
 
イエスの語る譬えを理解する秘訣は、対象者が誰であるかを考えることです。今週取り上げる譬えは弟子たちに向かって語られたものでした。
 
「そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた」(ルカによる福音書6章20節前半 新約聖書口語訳94p)。
 
 それらの説教の締め括りとして語られたものが「倒れなかった家と倒れてしまった家の譬え」だったのです。
 
「洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである」(6章48節後半)
 
「激流がその家に押し寄せてきたら、たちまち倒れてしまい、その被害は大きいのである」(6章49節後半)。
 
 この譬えにおける「家」(48節)とはイエスの弟子たち個々が営む人生のことです。 
では、「家に押し寄せて」来る「洪水」が譬えるものは何かと言いますと、それは二つあって、その一つは人が避けることのできないもの、どのような人にも襲来してくるもの、すなわち肉体の老い、そして老いに伴う死を意味しました。 
 
喜ばしいニュースとして、先々週はオリンピックの招致成功のニュースが日本列島を歓喜で包み、先週は超電導リニア中央新幹線の名古屋までのルートがJR東海によって発表されましたが、オリンピック招致成功のニュースが流れた際に交わされた国民の関心事が何であったのかと言いますと、オリンピックが東京で開催される七年後には、「自分は何歳になっているだろうか」ということだったそうです。
 
一方、品川―名古屋間のリニアの開通は十四年後の二〇二七年で、これはこれで随分と先の話しだなあと思っていましたら、大阪を終点とするリニア新幹線の全線開通は、何と三十二年後の二〇四五年なのだとか。
 
そうなりますと現在六十歳の人も全線開通時には九十二歳、いま七十歳の人は百二歳です。
その歳になっても超高速のリニアを体験したいと思っていたら、気は若い証拠でそれはそれで喜ばしい限りなのですが、その場合、その人は四十九年前の第一回オリンピックは何歳の時に観たのかなど、暦年齢というものを意識させられたニュースでした。
 
人はいつか、死という「洪水」の襲来を迎えます。それを避けることはできません。
しかし、死に飲み込まれて「たちまち倒れてしま」(49節)う人生もあれば、死にも「揺り動か」されることのない人生を生きることもできるということを、この譬えは教えるのです。
 
 そしてもう一つ、誰も免れることのできない「洪水」があります。神による最後の審判です。
最後の審判につきましては七月七日の日曜特別礼拝での説教「十字架の物語? キリストは罪びとを最後の審判から救うために到来した」で詳しくお話しましたが、最後の審判は死の次にくる、誰もが回避をすることのできない「洪水」なのです。
 
「一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっている」(ヘブル人への手紙9章27節 352p)。
 
 しかし、この「人間に定まっている」二つの洪水が襲来しても決して「揺り動かすことはできない」(48節)「家を建てる」(同)ことは可能であるということを、この譬えは強調します。では、それは一体どういう家なのでしょうか。
 
 
2.倒れる家と倒れない家の違いは土台の据え方にある
 
「洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない」(48節)という家はどういう家か。
 
それは地面を深く掘って岩の上に土台を据えた家であって、反対に激流に耐えられずに「倒れてしま」う家というのは、浅く「土台なしで」建てられた家だとイエスは語ります。
 
「それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている」(48節前半)。
 
「土台なしで、土の上に家を建てた人に似ている」(49節前半)。
 
 実はこの二軒は、同じ環境に、しかも隣り合わせに建てられた家だったのかも知れません。しかし、一方の家は押し寄せてくる激流に耐え、もう一方は倒壊してしまいます。
ところでパレスチナの土地の多くは、表面は砂地で、深い所に岩盤があるという地層なのだそうです。
 
当然、「「土台なしで、土の上に家を建て」(49節前半)れば工期も短くてすみますし、建築費も安くすることができます。反対に「地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる」(48節前半)場合、工期も長引く上、建築費も嵩みます。
 
しかし、パレスチナという地域では冬になると大雨が降って激流となりますので、「洪水が出て激流がその家に押し寄せてき」(48節)た時に「倒れ」ずに耐えることのできる家というは、当然、建築にあたり、費用と手間がより多くかかったとしても、「地を深く掘り、岩の上に土台をすえて」(同)建てられた家だったのでした。
 
両者は外側を見れば、違いを見出すことは困難であったかも知れません。
しかし、「よく建ててある」(48節)のは、費用と労とを惜しまずに堅固な「岩の上に土台をすえて」(同)建てられた家でした。
 
たとい面倒であっても、手間暇がかかったとしても、「地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる」(同)ことの重要性を確認させる譬え、それがこの譬えの意義でした。
 
 土台の有無のみならず、仮に土台を据えるにしてもどこに土台を据えるかが明暗を分けることとなります。
 どうぞ、人生という家を建てるにあたっては、地を深く掘って、土台を据えるための堅固な岩盤を探り当ててください。
 
 
3.倒れない家とは、主イエスの意志を優先させる生き方
 
では、この堅固なる「岩」あるいは「土台」とは何かということですが、パウロによれば教会という「家」の「土台」は「イエス・キリスト」である、ということでした。
 
「神から賜った恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。…そして、この土台はイエス・キリストである」(コリント人への第一の手紙3章10、11節 259p)。
 
 パウロは自らを「熟練した建築師」(10節)に譬える一方、自分の後任としてコリント教会を指導する指導者にも言及しつつ、たとい建て方には多少の違いはあったとしても、「土台」は同じであって、それは「イエス・キリストである」(11節)ことを強調します。
 
しかし、ルカによる福音書におけるこのイエスの譬えの場合、「家」は教会のことではなく、弟子たち個々人の人生であり、個々の弟子たちの信仰生活を意味していると思われます。
 
そしてその場合の「岩」あるいは「土台」とは、この譬えがイエスの言葉を聞いて行うということを強調していることから(もちろん、原理的にはキリストが岩であるということは当然のことなのですが)、神の御言葉、イエスの教えへの愛情と信頼というダイナミックな関係、それこそが「岩」であり「土台」なのだということを強調しているように思われるのです。
 
ところで物事を考える際の考え方、捉え方に、事物そのものに重点を置く「実態概念」的捉え方と、関係性に重点を置く「関係概念」的アプローチとがあります。
例えば神を説明するにあたって、「神は~である」と言いますが、実態概念的に説明すれば「神は霊である」となり、これを関係概念的に言えば「神は愛である」となります。
もう少し具体的な例をあげますと、子供にとって父親は、実態概念で言えば「父は公務員」あるいは「父は会社員」ということになりますが、関係論的に言えば「僕のお父さんは優しい」「お父さんはよく遊んでくれる」ということになります。
 
このイエスの譬えの場合、「岩」あるいは「土台」を、イエスとの個人的な関係、関係性という観点で捉えると、イエスの言いたいことがより深く理解できると思われます。
イエスに向かい、「主よ、主よ」と呼んでいるからといって、イエスを崇めているとは限らないのだ、とイエスは嘆きます。
 
「わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ているか、あなたがたに教えよう」(6章46、47節)。
 
 この譬えは弟子たちに対して語られたというかたちを取っていますが、実は当時の弟子たちのみならず、ルカがこの福音書を執筆した時代の教会指導者や一般信徒に向かっての勧告あるいは警告でもあったのです。
 
「主よ、主よ、と」(46節)いかにも敬虔そうに主の名を「呼びながら」(同)、イエスの意志を「行わない」(同)という風潮がルカの福音書が書かれた西暦一世紀の末に、教会の中に及んできていたのかも知れませんでした。
 
聖書に何が書かれているかについては精通している、キリスト教教理についても滔々と述べることができる、その学識で反対者を論破することもできる、病人に手を按いて祈れば、病気が治るという現象を起こすこともできる、しかし、イエスの「言うことを行わない」(46節)、つまり、自分の意志を優先させて、イエスの願いや意志を第二にするという習慣が、信仰生活の中に忍び込んでいないかどうかが問われるのです。
 
 また、熱心に断食祈祷もするし、徹夜祈祷も行う、日曜礼拝には欠かさず出席をする、しかし、その専らの目的が人よりも富むことであったり、我が子をいい学校に行かせて、高収入が期待できる財閥系の大企業に就職させ、その結果、一族がいい目を見ることを目指す、というようなご利益信仰丸出しで「主よ、主よ」と呼んでいるならば、その信仰は土台なしに「土の上に家を建てた人」(49節)のようなものであって、襲い来る激流には耐えられないということになります。
 
 一方、たといその教育あるいは政治環境から、キリスト教との接点がないままに成人したにも関わらず、河に流されて浮き沈みする子供を見て、我が身の危険も顧みずに濁流の河に飛び込んだ義侠の行為に、日本中が感激をし、母国でも国の誇りとして称賛された青年がいました。
厳 俊(げん しゅん)という名の二十六歳になる上海出身の中国人留学生です。
 
 先週の十六日月曜日、午後五時頃、台風が去り、雨が上がった淀川べりで、この厳 俊という青年が日課のジョギングをしていた時、淀川にかかる東海道線の陸橋付近を流れている子供を発見し、この子を救助しようとして、服のまま淀川に飛び込んだというのです。
 
子供を掴んで岸に上げようとしましたがいかんせん、増水のために切り立ったコンクリートの壁が邪魔をして、子供を押し上げること四度、ことごとく失敗してやむなく自身のみ岸に上がって、下流に流れていく子供を追い掛けながら走った先にロープを持った住民がいて、彼はそのロープを体に巻き付けて子供を救出しようと、今度は最初の地点から三百メートル下流の新御堂筋線の陸橋下附近の濁流の河に再び飛び込み、水中に沈んでいる子供を右手に掴んで左手で泳ぎながら、同時に三人の人が引っ張るロープに引き寄せられて岸に生還をした、という出来事が報道されました。
新聞に掲載された小さな記事を読んで、感動にうち震える思いになりました。
 
川で浮き沈みしている子供を見たとき、泳ぎに自信があれば、無我夢中で助けに飛び込む人もいるかも知れません。しかし、服を着たまま濁流を経験した場合、自らが死ぬかも知れないという中で、果たして二度目も飛び込むだろうか、恐怖に足がすくむのではないかと思うのですが、この青年はとりあえず自分のみ岸に上がったあと、再度子供を救うべく、濡れた服を脱ぎ捨てながら流れていく子供を追って岸辺を走り、わが身の命の危険も顧みず、ある意味では死ぬことも覚悟しながら、またもや敢然と濁流の中へと飛び込んだのでした。何という勇気、何という心意気でしょうか。
 
この中国人青年は上海の大学を出て来日三年目、ローソンというコンビニでバイトをしながら日本語学校に通い、来春、大阪市立大学の大学院に進む予定の留学生だということです。
 
 
彼はマスコミのインタヴュ―に対し、「恐ろしいなどと考える間もなく、とにかくこの子供を助けたいと考えて飛びこんだ、また、このような状況になれば躊躇することなく飛びこむと思う」という意味のことを日本語で訥々として語っていましたが、彼の姿を見ていて、その生育環境から、彼は恐らくは無神論者であって、神に祈ったことも聖書を読んだこともないかも知れない、しかし、論語の為政にある「義を見て為さざるは勇なきなり」という孔子の教えを無意識のうちに実行していると共に(もっとも、文脈から見ますと、孔子はこの言葉をそういう意味で言っているわけではないのですがが、それはともかく)、「あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことをさし控えてはならない」(箴言3章27節)という聖書の教えをも知らずに行動に移したのだといえます。そして彼の行動から改めて思わせられたのは、原罪によって破損されているとはいえ、人というものは本来、「神のかたちに創造」(創世記1章27節)されたものであるという事実でした。
 
口癖のように、「主よ、主よ、と」(46節)主を呼んでいるから神に嘉せられるのではありません。マタイの並行記事では、「主よ、主よ」と呼んできたカリスマ伝道者たち、大教会を形成してきた「大使徒」たちがイエスから、「あなたがたを全くしらない」と言われて天国の門から閉め出されています(マタイによる福音書7章21~23節)。
なぜか。イエスの言葉を「聞いても行わない人」(49節)と査定されたからでした。
 
そして、恐らくは聖書には無縁であったであろうと思われるこの中国人留学生の方が、神の国に近いと言われるに違いありません。 キリストはまだ福音を聞いたことがない、しかし、無意識のうちに、そして本能的に神の言葉、イエスの意志を実践したこの中国人留学生を、こよなく愛し慈しんでおられることと思います。「厳 俊青年に幸あれ」です。
 
さて、最近、百年以上も前にピアソンという人によって書かれ、またかつての日、私たちの教会で愛読されたジョージ・ミュラーの伝記「信仰に生き抜いた人」を読み直したいという思いが募ってきました。
 
ミュラーこそ、愚直なまでにイエスの「言葉を聞いて行う者」(47節)だったからです。いま、NHKの「八重の桜」に登場してきている同志社の創立者、新島 譲の招聘によって八十一歳のジョージ・ミュラーが講演のために来日したのが一八八六年の末で、そのミュラーの影響を受けたのが日本で最初に孤児院を設立した石井十次でした。
 
ミュラーの伝記の著者ピアソンによれば、そのジョ―ジ・ミュラーに多大な信仰的影響を及ぼしたのがホイットフィールドという説教者の「習慣」であって、特にホイットフィールドには、「ひざまずいて聖書を読む」という習慣があることを知ってから、ミュラーも「聖書をひざまずいて読むようになり」、それが彼をより敬虔にもし、「神に近づくための神聖な道すじを備えてくれ」るものとなった、と述べています。
 
もちろん、聖書を跪いて読む、というのは心の姿勢を意味するのであって、かたちではありません。要は、「神が今、ここでこの場で自分に語りかけていてくださっている」という思いで心を込めて聖書を読むことが大事なのだという意味でしょう。
 
なお、習慣についてのピアソンの言及は、傾聴に値する珠玉のような指摘です。
 
習慣というものは、その人の本来の姿を示し、またその人をつくり上げるものである。それは歴史的であり、また預言的である。その人のありのままを映す鏡であり、将来その人がどのようになるかを示す鋳型である(A.T.ピアソン著「信仰に生き抜いた人 ジョージ・ミュラー その生涯と事業」126p いのちのことば社)。
 
 現在のその人の「習慣」が「歴史的」であるというのは、今の習慣は実はその人のこれまでの生き方を示すものであって、「預言的」であるというのは、その人が将来、どのような生き方をしているかを預言している、ということです。
つまり、いまをダラダラと生きている人は十年前もきっとダラダラと生きていたのであろうし、そして十年後もきっと今のままだろう、という意味であって、しかし、現在の習慣が敬虔な習慣に変われば、その敬虔な習慣は十年後の将来の姿を予見させてくれる、というわけです。
 
 ですから、好ましくない習慣を良い習慣に変えれば、たとい過去を変えることは出来なくても、今から後の未来を変えることは可能だということです。
 
良い習慣は持続させる、しかし、良くないと思いつつ先延ばしにしてきた今の習慣は思い切って改めること、それが実は「地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人」(48節)になることであり、イエスの「言葉を聞いて行う者」(47節)となることへの近道なのだということを教えられます。
 
イエスが弟子たちにこの譬えをされたのは、私たち弟子の誰もが一人残らず、キリストとの生ける交わりを通して、喜んでキリストの「言葉を聞いて行う者」、神の思いと意志とを大切にする者であって欲しい、という思いが表れたものであることを覚えて、心を低くし、感謝をもってご一緒に主なる神を崇めたいと思います。