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2013年6月9日日曜礼拝説教「信仰の祖アブラハムの神は、理不尽な仕打ちに泣く者を見捨てぬ神であった」創世記21章8~21節

  20136月9日 日曜礼拝説教

「アブラハムの神は、理不尽な仕打ちに泣く者を見捨てぬ神であった」
     
  創世記21章8~21節(旧約聖書口語訳24p)
 
 
はじめに
 
お隣りの国に女性の大統領が誕生し、就任後四カ月、円安の影響をまともに受けて疲弊しつつある経済状況も何のその、強硬な反日姿勢を貫いて頑張っています。しかし、内外ともに難問山積のようです。
 
この大統領が昨年の大統領選挙で公約に掲げた「四大社会悪」の根絶について、就任翌月の三月、抜本的対策を講じるようにという指示を対策会議に出しましたが、その後どうなったのでしょうか。
 
この大統領が根絶対策を指示した「四大社会悪」とは何かと言いますと、一つ目が男性による女性への「性的暴力」、二つ目が妻に対する夫の「家庭内暴力」、三つ目が苛めを含む生徒同士の「学校内暴力」、そして四つ目が不衛生な食品、でたらめな賞味期限、原産地表示などの「不良食品」で、この四つはお隣りの国の宿ともいうべき病根であって、社会崩壊に繋がるような問題なのだそうです。
 
女性が受ける性的被害は近年特に増加していて、統計では人口比でいうと日本の十倍にもなるようですし、母親に従順な優しい夫として描かれる韓国ドラマを見ている人には信じられないと思いますが、家庭内のDV(ドメスティック・バイオレンス)も日常化しているとのことです。
 
これらに校内暴力と不良食品を加えた、四つの「社会悪」の特徴は、加害者と被害者がいることで、しかも被害者が受ける仕打ちは一方的な、理不尽極まりないものであるということです。
 
もっとも、DVはお隣りの国の専売特許ではありません。件数ではお隣りには遥かに及びませんが、我が国でも深刻な問題となっています。
先週も、有名な元サッカー日本代表選手が妻へのDVで逮捕されたというニュースがテレビのワイドショーを賑わしましたが、三年ほど前に亡くなった著名な劇作家にもその傾向があったようです。
 
このお方はいわゆる平和憲法、中でも第九条を護持する運動に熱心に尽力している人として有名でしたが、伝えられている一面が妻への日常的な暴力行為で、遅筆のために作品の仕上がりが遅れていると編集者が奥さんに向かい、「奥さん、申し訳ありません。もうリミットぎりぎり、今夜までに(原稿を)いただかないアウトなんですよ。お願いですから二、三発殴られてもらえませんか」と手を合わせて拝み込むこともあったそうです(西舘好子著「修羅の棲む家」64、5p 株式会社はまの出版)。
しかし、奥さんにとって、これ程理不尽なことはありません。
 
このお方が熱心に護持に取り組んできた憲法第九条は、「国際紛争を解決する手段として」の「武力による威嚇や武力の行使」を、「永久に放棄する」ことを高らかに謳い上げているのですが、ご自分の家庭内における「紛争を解決する手段」としての腕力の行使は、「永久に放棄」するどころか、日常的にしかも一方的に行使していたようです。
 
しかも、子供の頃には犬や猫の虐待の常習者であったようで、そのおぞましいまでの虐待の様子を随筆の中で悪びれることもなく記述しているのです。
 
「若干の悔悟の情をまじえながらわたしのやった犬猫の虐待法を思いおこしていると、たとえば小学五年のとき、近所の猫を煮干し用雑魚(じゃこ)でおびきよせ、とっ捕まえてやつの鼻の穴にわさびの塊を押し込んだことがある。例(くだん)の猫はぎゃ!と名状すべからざる悲鳴をあげて三十糎(せんち)もとびあがり、次の瞬間、時速百キロは優にあろうかと思われる速度で走り出し、そのまま行方不明になってしまった」
 
「友だちと猫の着地術を研究したことがある。やはり近所の猫を雑魚でおびきよせて捕え、(高さ三十メートルの)火の見櫓の天辺(てっぺん)から落としたのだ。猫はにゃんともいわずに即死した」
 
「高校時代、日向ぼっこをしていた猫にガソリンをかけ、マッチで火をつけたことがある。猫はあっという間に火の玉と燃えあがり、ひかり号なみの速度で西に向かって走り出し、これまた行方不明になった。…それ以後、彼の姿にはとんとお目にかからぬ。おそらくどこかで野垂れ死にしたのであろう」(河出文庫「巷談辞典」動物愛護376~8p)
 
この劇作家は自らが行ったというこれらの動物虐待について、弁明にもならぬ弁明をしています。
 
それにしても、わたしはなぜこのように猫につらく当たったのだろうか。盗人にも三分の理というが、まんざら理由はないこともないのである。…動物愛護家…は自分と同じ種族である人間が飢えているのを見すごすことはできても、自分の傍にいる犬猫が飢えているのは黙視できないのではないか。…わたしたちの動物虐待は、屁理屈をつければ、そういう人たちの〈動物愛護精神〉に対する無意識のからかいだったのだ。(とはちょっと恰好がよすぎるが)(378p)
 
わさびの塊を鼻の穴に押し込まれ、目も眩むような高さの火の見櫓から落され、日向ぼっこをしているところにガソリンをかけられて火をつけられた猫たちが哀れでなりません。 
 
「理不尽」とは何かと言いますと、「道理が尽くされていないこと、あるいはその状態」を意味します。では「道理」とは何かと言いますと、「筋が通っていること」です。
つまり理不尽な行為とは、「筋の通らない理屈や感情によって、納得の行かないような被害を与えること、あるいは受けること」を意味します。
 
そして理不尽といえば、我がアブラハムの物語にも、実は理不尽極まりない場面が出てきます。そして聖書が信頼できる文書であるのは、偉人として尊ばれる先達者の光の部分だけではなく、影の部分もそのまま記述していることにあるといえます。
 
今週の説教題は「アブラハムの神は、理不尽な仕打ちに泣く者の神であった」です。
 
 
1.信仰の祖アブラハムの妻サラは、本能の命じるまま理不尽極まる要求を夫に突き付けた
 
 高齢のサラが奇跡的に出産をした三年後、幼な子イサクが乳離れをする時期がきました。
 
「さて、おさなごは育って乳離れした」(創世記21章8節前半 旧約聖書口語訳24p)。
 
 そこで父アブラハムはイサクの乳離れを祝って祝宴を設けたのですが、一つの光景がサラの目にとまりました。それはハガルの子であるイシマエルが幼いイサクと遊んでいる光景でした。
イシマエルはこの時、十六歳、彼は幼い弟の面倒をよく見る兄だったのでしょう。その兄と弟の姿は、一般的には微笑ましい光景です。しかし、それが幼な子イサクの母親であるサラの目には、不吉な予感を覚えさせることとなったようです。
 
このあとサラは夫に要求します。ハガルとイシマエルを天幕から追放するようにと。理由は、イシマエルの存在が、イサクが族長アブラハムの跡継ぎとなることに障害となる危険性があるからだ、と。
 
「イサクが乳離れした日にアブラハムは盛んなふるまいを設けた。サラはエジプトの女ハガルのアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクと遊ぶのを見て、アブラハムに言った、『このはしためとその子を追い出してください。このはしための子はわたしの子イサクと共に、世継ぎとなるべきではありません』」(21章8節後半~10節)。
 
 腹違いとはいえ、兄と弟が「遊ぶのを見」たからといって、ハガルとその子イシマエルの追放をサラが要求するのはなぜか、ということですが、口語訳が「遊ぶ」(九節)と訳した言葉を新改訳と新共同訳は「からかっている」と訳しました。
しかし、たといそういう訳が正しい訳であったとしても、サラがそれで逆上して二人の追放という要求をしたとするのは短絡に過ぎます。
 
なお、パウロはこの場面を比喩的に解釈する方法を紹介して、肉の子(イシマエル)は霊の子(イサク)を迫害したとしていますが(ガラテヤ人への手紙4章29節)、ガラテヤ教会に宛てたパウロの書簡のこの部分は、聖書を比喩的に解釈するならばこうなるという、ユダヤ人が好んだ比喩的解釈の実例としてパウロがあげている箇所ですので、ここでは無視しておきたいと思います。
 
 推測できるのは、弟の相手をしているイシマエルを見て、母親としてのサラの脳内に、危険を告げる警報アラームが鳴ったのだということです。
 
考えてみれば、跡継ぎの子を得るために自分のつかえめハガルを夫に押し付けたのはサラです(16章1~4節)。
 
 また、ハガルがアブラハムによって身ごもったあと、増長したからとはいえ、ハガルを虐待して逃亡せざるを得なくさせたのもサラでした(16章6節)。
 
 しかも、イサクの誕生を告げられるまでは、いえ、サラに妊娠の兆候が見えるまでは、ハガルが産んだイシマエルを、曲がりなりにもアブラハムの跡継ぎとしてサラは認めていたのです。
 
 ところが神の言葉通り、アブラハムとサラとの間にイサクが誕生しました。この結果、イサクが第一後継、イシマエルが第二後継ということになり、そして三年が過ぎたのでした。
 
 普通に考えてイシマエルの身になれば、クサっても当然です。しかし彼は身の程を弁えて第一後継者に生まれた弟のイサクを受け入れ、そして彼の面倒を見るのですが、しかし、そういうイシマエルの存在がサラの不安を掻き立てたのです。
「邪魔者は消せ」です。それがアブラハムへの「二人を追い出してくれ」という要求になったのだと思われます。
 
 「女は弱し、されど母は強し」という慣用句は「レ・ミゼラブル」の作者として知られるヴィクトル・ユーゴーの言葉だそうですが、我が子のためにイサクの母サラは非情にもなったのでした。
 
ハガルとイシマエルから見ればまさに「レ・ミゼラブル(ああ、無情)」とでもいうべき掌返しの理不尽極まりない扱いです。
そして聖書は信仰の祖アブラハムの妻のサラを、美化することも弁護することもなく、この出来事を包み隠さず記述しているのです。
 
 
2.サラのつかえめハガルとその子イシマエルは、理不尽極まる処置によって絶望の荒野を彷徨った
 
 ハガルとイシマエルの追放に関し、サラには全くと言っていいほど迷いがありません。毅然としています。彼女の眼中にはイサクしかおりません。
しかし、イシマエルの父親として、アブラハムは苦悩します。
 
「この事で、アブラハムはその子のために非常に心配した」(21章11節)。
 
 そして、そこに神が登場します。神は苦悩するアブラハムに向かって、何と、「心配するな、サラの言う通りにせよ、イシマエルのことはわたしに任せよ」と言います。
 
「神はアブラハムに言われた、『あのわらべのため、またあなたのはしためのために心配することはない。サラがあなたに言うことはすべて聞きいれなさい。イサクに生まれる者が、あなたの子孫と唱えられるからです。しかし、はしための子もあなたの子ですから、これをも一つの国民とします』」(21章12、13節)。
 
 神の言葉を聞いて安心をしたアブラハムは、翌早朝、二人に因果を含め、食用としてのパンと、水を入れた水筒代わりの革袋を持たせて天幕を去らせます。
こうして二人はパレスチナの南部の砂漠地帯であるベエルシバを彷徨うこととなりました。
 
「そこでアブラハムは明くる朝はやく起きて、パンと水の皮袋とを取り、ハガルに与えて肩に負わせ、その子を連れて去らせた。ハガルは去ってベエルシバの荒野をさまよった」(21章14節)。
 
 神が保証したとはいえ、何とも非情な扱いです。アブラハムのこの時の心境はいかばかりだったでしょうか。
聖書の記述によれば、パンと水の皮袋を「ハガルに与えて肩に負わせ」ということですが、ということは、ロバなどの家畜も与えずに二人を徒歩で行かせたということを意味します。
 
 現代の日本ならば、追い出されたその足で家庭裁判所に駆け込んで、理不尽な扱いを糾弾して、養育費や慰謝料を請求することができるような案件かも知れません。
 
しかし、時代が古代で、しかも国家という保護も全くない環境です。そう考えますと、安定した国家の中にいて国籍を持ち、各種の法律に守られている現代の日本人は、現状を本気で感謝をしなければなりません。
 
 
3.アブラハムの神なる主は、理不尽な仕打ちに泣く者を見捨てぬ神であった
 
行くあてもなく荒野を彷徨っていた母子の皮袋の水も、やがて尽き果てる時がきました。
母ハガルは我が子が渇死するのを見るに忍びず、離れて座り、茫然と少年を見つめておりました。そして少年はついに堰を切ったように号泣し始めました。
 
「やがて皮袋の水が尽きたので、彼女はその子を木の下におき、わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない」と言って、矢の届くほど離れて行き、子供の方に向いてすわった。彼女が子供の方に向いてすわったとき、子供は声をあげて泣いた」(21章15、16節)。
 
 イシマエルから見れば、自分たち母と子とがこのような仕打ちを受けることには納得が行かなかったのでしょう。特にこの四年、見方によれば針の筵に座るようにして耐えてきた二人でした。
それがこの仕打ちです。でも二人の口から愚痴や恨みが漏れることはありませんでした。しかし、積もり積もった感情が内側から迸り出て、それは号泣となって四方に響いたのです。
 
 二人が彷徨ったベエルシバの荒れ野には人はおらず、少年の悲痛な泣き声を聞く者は一人としていない筈でした。
しかし、その泣き声を、そしてその泣き声の内に潜む数々の積もり積もった思いを正確に聞いているお方がいたのでした。
 
 突如、神の使いが顕現します。神の使いはハガルに言います、「恐れるな、神はお前の息子の声を、そしてその声に潜む呻きを聞いた」と。
 
「神はわらべの声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った、『ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた』」(21章17節)。
 
 そして重ねて言います、「この子の将来に関しては心配するな、かつて神なるわたしがアブラハムに約束したように(17章20節)、イシマエルは大いなる国民の祖となるのだ」と。
 
「立って行き、わらべを取り上げてあなたの手に抱きなさい。わたしは彼を大いなる国民とするであろう」(21章18節)。
 
 「捨てる神あれば、拾う神あり」と言いますが、捨てられて、野垂れ死に寸前であった親子を拾ったのは、理不尽極まる仕打ちによって泣くしかできない者を見捨てることのない神であったのです。
 
 ユダヤとイスラムの伝承によれば、イシマエルはアラビア人の先祖となったということです。
また、イスラム教の聖典であるクルアーン(コーラン)によれば、イスラムの最高の聖地として崇められているカアバ神殿は、アブラハムとイシマエルとが建設したことになっています。
 
それからイブラーヒーム(アブラハム)とイスマーイール(イシマエル)がその家の礎を定めた時のこと。(その時二人は言った)主よ、わたしたちから(この奉仕を)受け入れてください。本当にあなたは全聴にして全地であられる」(クルアーン 第二章雌牛篇125節 伊斯蘭文化のホームページより)
 
イサクとイシマエルとのその後の関係は、と言いますと、天寿を全うして亡くなったアブラハムの葬りは、イサクとイシマエルの二人によって行われたということが創世記に記録されています。
イシマエルが母親のハガルと共にアブラハムの天幕から追い出されて、七十二年後のことでした。
 
「アブラハムの生きながらえた年は百七十五年である。アブラハムは高齢に達し、老人となり、年が満ちて息絶え、死んでその民に加えられた。その子イサクとイシマエルは彼をヘテ人ゾハルの子エフロンの畑にあるマクぺラのほら穴に葬った」(25章7~9節)。
 
 このことは、イシマエルが自らの運命を甘受すると共に、そしてアブラハムの苦渋の決断を受け入れ、しかもおのれの分を知っていて、イサクが父アブラハムの正統の跡継ぎであるということを認識していたことを証しします。
 
つらい境遇に生まれて、生死を分かつほどの苦労を味わいながら、イシマエルはまっすぐに生き、そして円熟した人間性をも得ていたようです。
それは彼にとってはたとい人に捨てられることがあったとしても、神は見捨てることはないという信仰体験があったからだと思われます。
 
「神はわらべと共にいまし、わらべは成長した」(21章20節前半)。
 
 世を拗ねて、外れた道を歩んでもおかしくないような複雑な家庭生活の中にイシマエルはいました。しかし、アブラハムの神なる主がこの不遇の少年と共におられたので、彼はまっすぐに成長することができたのでした。
 
 己の不幸を環境のせいにする人がいます。しかし、たとい恵まれない境遇に育ったとしても、神が共におられるならばまっすぐに生きることができることをイシマエルの物語が証明します。
神は理不尽な仕打ちに泣く者を見捨てることのない神だからです。
 
まさに、聖歌三九三番の三節、「友、忘るる日ありとも、親も捨つる夜ありとも、必ず見捨てず顧み給うなり、いかに妙なる愛ぞや」を人なき荒れ野においてイシマエルは実体験したのでした。
彼は共にいます神に支えられながらたくましく成長して、神の言葉の通り、一国を形成する人物となっていきました。
 
「彼は荒野に住んで弓を射る者となった。彼はパランの荒野に住んだ。母は彼のためにエジプトの国から妻を迎えた」(21章20、21節)。