2013年3月31日 二〇一三年復活祭イースター礼拝説教
「人にとって死は、必ずしも終わりではない」
コリント人への第一の手紙15章54~57節(新約聖書口語訳276p)
はじめに
厚生労働省が五年ごとに調査している都道府県別の平均寿命が、二月の末に公表されました。それによりますと、全国平均は男性が七九、五九歳で、女性が八十六、三五歳とのことです。
そして、最も高かったのは前回と同じく、男女共に長野県で、そして最も低かった県が東北の青森県でした。 因みに大阪は男性が四十一位で下から七番目、女性が四十位で下から八番目でした。
平均寿命といいますのは、今年、誕生したゼロ歳の赤ん坊がそれくらい生きるだろうという余命を推定したものであって、大人の寿命を意味するものではないのですが、それにしましても日本は長寿の国になったものです。
そして、このような結果が生み出されるためには、安全な食品の確保、医療技術の進歩、国民皆保険制度の整備、そして介護をはじめとする各種の福祉政策等の絶えることのない向上の過程があり、そして何よりもそれぞれの事業に従事する人々の献身的な努力がその陰にあるということを、私たちは忘れてはならないと思います。
長寿はまさに、日本という国家が国民を大事にしている国であることを証明する一つの指標として誇るべきことだと思います。
ただし、どんなに長寿であることを誇っても、人というものはいつの日か、愛する者に別れを告げてこの世を去っていかなければならないという事実には変わりはありません。
紀元前六世紀の捕囚期に作られたとされる詩篇九十篇には、人の存在の脆さ、儚さをうたって、キリスト教葬儀においてしばしば読まれる一節があります。
「あなたは人をちりに帰らせて言われます、『人の子よ、帰れ』と」(詩篇90篇3節 旧約聖書口語訳829p)
しかし、詩篇九十篇が作られたその六百年後の西暦三十年四月九日の日曜日の早朝、人類に大いなる希望をもたらす出来事が生起したのでした。何かと言いますと、それがイエス・キリストの復活でした。
本日はそのキリストの復活を記念する復活日です。そこでこの礼拝ではキリストの復活によって、死は人にとって、必ずしも終わりではなくなったのだ、ということをご一緒に確認したいと思います。
1.人類にとり、死は常に最終、最大の敵であった
イエス・キリストが死者の世界から復活する以前、人類にとって死は常に最大かつ最終の敵でした。
私が人の死というものを意識したのは、母親の死に直面したことがきっかけでした。
小学校六年生の夏休み直前の終業式の日の早朝、母親の危篤という電話が入院先の病院から自宅にかかってきました。
その少し前に見舞いに行った時にはあんなに元気だったのにと、訝しく思いながら入院先の東京信濃町にある慶応大学付属病院に駆けつけた時には、母は既に意識はなく、数時間後、意識が戻らぬまま、息を引き取ってしまいました。肺癌でした。入院した時には転移が進んでいて、既に手遅れであったとのことでした。
病室で命の火が燃え尽きようとしている母親を目の前にしながら、その母親の死を受け入れることが出来ず、しかし同時に、自分もいつかはこのように死んでいくのだという死に対する恐怖感を感じていたことを思い出します。
自宅で行われた母の葬儀には沢山の人が会葬にきてくれました。火葬場に向かう霊柩車を道の両側で見送ってくれる会葬者の列が数百メートルも続くような、盛大な葬儀でしたが、以後、母親とは二度と会うことはありませんでした。死はまさに、人と人とを別れさせる冷徹な敵であったのでした。
西暦三十年四月七日の金曜日の夕方、ゴルゴダの丘で処刑されたイエスの遺体が納められた墓を、その目で確認した女性の弟子たちもまた、同じような気持ちであったと思います。
「そこで、ヨセフは亜麻布を買い求め、イエスをとりおろして、その亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納め、墓の入り口に石をころがしておいた。マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスが納められた場所を見とどけた」(マルコによる福音書15章46、47節 新約聖書口語訳80p)。
母の死をきっかけに、十一歳と五カ月の私にとって死は、恐怖の対象そのものとなりました。そのため、できるだけ、死というものを考えないようにしました。年を取るということも、いつの日にか、おのれを死に至らせるものの一つとして、恐怖の一つとなりました。ピーターパンとはまったく別の意味で、大人にはなりたくありませんでした。私にとって大人になるということは、その向こうに恐るべき死の影を見ることを意味したからでした。
死は人類にとって、常に最大かつ最終の敵です。そして、如何なる有力者も、そして権力者も、死という敵の前には敗北せざるを得ませんでした。死は人類が地上に存在するようになって以来、人類に対して常に勝者として君臨し続けてきました。それが否定しようのない冷厳なる現実でした。
2.しかし、キリストの復活によって死は敗北を喫した
しかし、死が敗北を喫する歴史的な日が到来したのでした。それは西暦三十年四月九日の日曜日、イエスが墓に葬られて三日目のことでした。イエスが死の世界から復活をしたのでした。
使徒パウロは旧約聖書を引用して、人類の敵である死の敗北を宣言します。
「この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてあることが成就するのである。『死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか』」(コリント人への第一の手紙15章54、55節 276p)。
「死は勝利にのまれてしまった」(55節)というパウロの言葉は、死という人類の敵に対する勝利の宣言でもあります。
それはイエスが死の支配を破って、死の世界からよみがえったという事実に基づいてなされた宣言でした。単なる思い込みや願望ではありません。
勿論、事実の宣言だけでは不十分です。罪びととして処刑され、遺体となって墓に葬られたイエスが、どうしてよみがえることができたのかという理由を説明する論理も必要であって、これは組織神学あるいはキリスト教弁証論として発達しました。
しかし、人というものは理屈だけで動くわけではなく、時と場合によっては、あるいは人の置かれている状態によっては事実そのものが、人の心にインパクトを与え、そして人の生き方そのものを変えることがあるようです。
私がこれまでに聞いた数多くの説教の中で最も感動したものは、ラジオ牧師として名高い羽鳥 明牧師により、昭和四十九年に九州・熊本の「九州総動員伝道クリスチャン修養会」で語られた「福音を恥としない」という説教でした。
この説教の中で、羽鳥牧師は弟さんの回心について語っています。
「弟は、社会の矛盾に悩んで、共産党に入党し、勤め先の大企業でオルグ活動を行って馘になり、地下に潜って活動を続け、音信不通になっていたが、その弟がどこで知ったのか、米国留学から帰ってきた自分を横浜港に迎えに来ていた、そこで弟に教会に行こうと言うと、行くという、そこで翌日、教会に連れて行った、その日は復活日であった、その教会には常任の牧師がいなくて、何人かの牧師が交代で説教を務めていた、その復活祭礼拝の説教者は福島から来た牧師で、釈迦も死んだ、マホメットも死んだ、しかし神の子キリストはあなたの罪のために十字架に架かって死んだが、墓からよみがって今も生きており、罪を悔い改めて信じるならばあなたは救われる、という説教を福島弁で語った、弟は東京大学で化学を専攻して、無神論の共産党の闘士で、機関紙である赤旗の編集員もしている、ああ、もう少しインテリ的な話をしてもらえればと思ったが、その説教が弟の心を打って、その弟が罪を悔い改めてイエス・キリストを救い主として信じる決心をした、というのです。
弟さんは言ったそうです、共産主義のイデオロギーこそ、世界を救うものと信じていたが、内部に入ってみると、中は汚なかった、そして自分もいつの間にか染まってしまっていた、僕が信奉したイデオロギーは僕一人を改革することができなかった、あの田舎の先生が、イースター礼拝において、ほんとうにイエス・キリストは神であって、あなたの罪のために死んでよみがえって、あなたを救うことのできる神です、と言ったときに、もしも僕のような罪びとを救うことができるとしたならば、それこそ本物の神に他ならないと思った、と告白をした」
この弟さんはその後献身をして、後にその教会の牧師に招聘されたそうですが、このエピソードは、事実そのものにも人を変える力があることを証明しているといえます。
長きにわたり人類に君臨してきた死は、イエス・キリストの復活によって敗北を喫することとなったのでした。
私の場合、十五歳の時に生まれて初めて教会に行った日はたまたま、復活祭の前日でしたが、続けて教会に通ううちに、キリストが墓から復活したことを教えられ、死はいのちの終わりなのではなく、死の向こうに新しい命があること、人にとっては死が必ずしも終わりではないということを知ったことは、大きな変化でした。
キリストの復活はフィクションでもなく、また伝説でもなく、歴史的事実なのです。キリスト教信仰は事実の上に成り立っているのです。
3.それはキリストが、死の棘である罪を清算したから
事実は力です。そして、その事実を確かな論理で説明をすることができるならば、事実はますますその力を発揮するものとなります。
なぜ、キリストはよみがえることができたのでしょうか。ある人は言います、キリストは神の子だったから、と。違います。
正確に言いますと、キリストは自分の力でよみがえったのではありません。ではどうしてよみがえることができたのかと申しますと、神がよみがえらせたから、なのです。
パウロの言葉を読みましょう。
「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、」(15章3、4節)。
口語訳で「よみがえった」(4節)と訳されている言葉は、「死んだ」(3節)、「葬られた」(4節)という動詞が、過去に一回起こった出来事を示す過去形であるのに対して、完了形の受動態です。つまり、ある動作が完了しているだけでなく、その状態が以後、継続をしているということを意味します。つまり、キリストはよみがえって、今も生きているということを示しているのです。
しかも受動態、つまり受身であるということは、正確には「よみがえった」ではなく、「よみがえらされた」あるいは「よみがえらされている」ということなのです。誰によって「よみがえらされた」のかと言いますと、父なる神によって、です。そこのところを、ルカは正確に述べています。
「しかし、神はこのイエスを死人の中からよみがえらせた」(使徒行伝3章15節)。
では神は如何なる権限によって、罪びととして処刑されたイエスをよみがえらせたのでしょうか。神と雖も、罪びとして処刑され、葬られた者を、恣意的によみがえらせることは出来ない筈だからです。
神が「イエスを死人の中からよみがえらせた」のは、イエスのみが人として、「律法」のことごとくを完全に遵守したからでした。
そもそも死とは罪の結果あるいは罪の報酬であって、罪は律法によって生じるものです。
「死のとげは罪である。罪の力は律法である」(15章56節)。
人を苦しめてやまない「死のとげ」(56節)とは「罪」のことであって、「罪」の結果が「死」なのです。
「罪」は「律法」違反によって生じますが、かつて「律法」を守り切ることのできた者は皆無でした。だから死は人類に等しく君臨してきたわけです。
しかし、ここにただ一人、「律法」を守り切った者が出現したのです。人となられたイエスです。
「律法」を守るということは、「律法」の精神を守るということです。では「律法」の精神とは何か、律法の精神とは、無条件で神を愛すること、そして無償の愛で人を愛することです。
そして、イエスは自らが殺されつつある十字架上において、律法を、すなわち律法の精神を実行していたのでした。
「そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』」(ルカによる福音書23章24節)。
イエスが苦しい息の下で赦しを祈った「彼ら」とは、イエスへの敵意からイエスをローマ総督に訴え出た大祭司、そしてサンヒドリン議会の構成議員たちであり、イエスに罪がないと知りながら自己保身のためにその処刑を命じたユダヤ総督ピラトであり、自暴自棄になってイエスを罵倒し続けた二人のテロリストたちであり、あなたと共に死にます、と言った舌の根も乾かないうちにイエスを見捨てて逃げ去った情けない弟子たちのことでした。
イエスは私たちであるならば当然呪ったであろう人々のために、何とゆるしを祈ったのです。この祈りこそ、イエスが律法の精神を実行しているしるし、罪がないことを証明するものでした。
だからこそ、神は罪のないこのイエスを死の世界から命へとよみがえらせることができたのでした。
また、神がイエスを死の世界からよみがえらせることができたのは、イエスの死が、人類の身代わりの死として有効であることを、神が承認したからでした。それを先週も触れましたように、「あがない」と言います。
神がイエスをよみがえらせたということは、イエスの死が人類の罪のあがない、つまり罪の清算金である身代金として、十分であるということを、正義の神が認めたことを意味したのです。
そしてもう一つ、神がイエスをよみがえらせたのは、長きにわたって人類を縛ってきた「罪と死の法則」が、イエスの身代わりの死によって無効となり、そしてその代わりに、「命」をもたらす「命の御霊の法則」が導入されたからでした。
「なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである」(ローマ人への手紙8章2節)。
イエスはこの「法則」の適用の第一号として、神によってよみがえらされたのでした。
罪という「死の棘」をご自分の生と死によって清算したのはイエス・キリストご自身です。しかし、人類の敵である死への勝利のために主体となって活動されたのは神です。パウロの言葉を少しだけ補足して読んでみましょう。
「しかし、感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリスト(をよみがえらせること)によって、わたしたち(キリストを信じる者たち)に(死に対する)勝利を賜ったのである」(15章57節)。
復活の希望についてはさまざまの説があることは事実です。しかし少なくとも、イエスを主と信じる信者は死後、必ずキリストと同じ姿に復活します。それは間違いのないことなのです。
説教のあと、聖歌一六八番「いざ人よ 誉め奉れ」を讃美したいと思います。これはヘンデル作曲のオラトリオ「ユダス・マカベウス」の中の「見よ 勇者は帰る」を復活の讃美としたものです。
この部分は表彰式のBGMで馴染みの曲ですが、ドイツではクリスマスに、そして讃美歌ではイエスのエルサレム入城の際の讃美として歌われます。
しかし今日、わたしたちはこの曲により、イエスのよみがえりを、そして死への勝利を万感の思いを込めて高らかに歌い上げたいと思うのです。
イェスはげに 死に勝ちて
払いませり 黒き闇
陰府(よみ)の勝利 今いずこ
死は毒針 捥(も)がれたり
いざ人よ 誉め奉れ よみがえりし勝利の主
(聖歌168番 2節)