2012年11月11日 日曜礼拝・子供祝福式説教
「天の神に向かって『父よ』と呼ぶことの出来る幸い」
ルカによる福音書11節1、2節(新約聖書口語訳106p)
はじめに
二十一世紀の十二年目が過ぎ去ろうとしています。政治の劣化もあって、まことに殺伐とした世の中ですが、それでも時々、スマップが歌った「世界で一つだけの花」(作詞・作曲 槇原敬之 2003年)のような、詞、曲共に心を打つ名曲が生まれます。
そのような、人の心に沁みる歌の一つが、シンガーソングライターのアンジェラ・アキが二〇〇八年に作詞、作曲して発表した「手紙~拝啓 十五の君へ」だと思います。
この歌は最近、中学の卒業式でよく歌われるそうですが、歌詞は「十五」歳の少年が「未来の自分」に向かって、「拝啓 この手紙を読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう」と問い掛ける出だしで始まり、手紙を書く自らの動機を、「十五の僕には誰にも話せない 悩みの種があるのです 未来の自分に宛てて書く手紙なら きっと素直に打ち明けられるだろう」と、「未来の自分に宛てて」であるなら、「悩みの種」を「素直に打ち明けられる」と考えて、自分の今の状態を正直に、「今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は 誰の言葉を信じて歩けばいいの?」と、頼りになるもの、縋るもののない孤独で心細い十五歳の今の心境を打ち明けます。
そして後半は「未来の自分」からの「拝啓 ありがとう」で始まる返事で、そこに励ましの言葉が紡がれています。
「拝啓 ありがとう 十五のあなたに伝えたい事があるのです 自分とは何でどこへ向かうべきか 問い続ければ見えてくる 今 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は 自分の声を信じて歩けばいいの(だ) いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど 笑顔を見せて 今を生きていこう」と。
「今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は 誰の言葉を
信じて歩けばいいの?」という問いに対し、未来の自分が答えるのは、
「誰の言葉」でもなく、「自分の声を信じて歩けばいい」というアドバイス
なのですが、それで「今 負けそうで 泣きそうで」今にも「消えてしま
いそうな」「十五の僕」は、果たして「笑顔を見せて 今を生きていこう」
という気持ちになったのでしょうか。
この歌の作り手であるアンジェラ・アキは日本人の父親とイタリア系アメリカ人の母親の間に、徳島県で生まれたとのことですが、この楽曲は彼女の三十歳の誕生日に、彼女が十五歳の時に書いたという手紙を彼女の母親が送ってくれたことがきっかけで作られたそうです。
「十五」は私にとって、特別な数字です。キリスト教に対するハリネズミのような敵意を学生服に包み、それこそ「誰にも話せない 悩みの種を」内に抱えたまま、生まれて初めて横浜、とはいっても横須賀に近い、横浜の外れにある小さな教会に行ったのが「十五」の春であり、そこで天地万物の創造者である神を知り、イエスを神の御子と認めてキリスト教の軍門に下り、全面降伏のしるし、信従のしるしとして洗礼を受けたのが「十五」の秋でした。
まさに「負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそう」で、「誰の言葉を信じて歩けばいいの」かがわからぬままに、暗中をもがいていた「十五」の「今」でしたが、年を重ねたとしても頼りにはなりそうにない「未来の自分」にではなく、「昔いまし、今もいまし、また永久(とわ)にます神に」(聖歌96番3節)向かって祈ることを知ったことは、何物にも替え難い幸いでした。
「誰にも話せない悩みの種」を抱え、「今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな」人は、「誰の言葉」でもなく、変わることのない神の言葉をこそ、教会で聞いていただきたいと思います。
そこで今週の礼拝説教は「天の神に向かって『父よ』と呼ぶことの出来る幸い」についてです。
1.イエスの弟子たるしるしとして信者に与えられたもの、それが「主の祈り」
「天にまします我らの父よ」で始まる「主の祈り」は、日曜礼拝の冒頭、聖歌三八四番、「全ての恵みの元なるみ神よ」の賛栄、そして「使徒信条」の告白に続いて共に祈る「祈り」です。
私たちの教会の日曜礼拝の順序は、最初に讃美、信仰告白そして主の祈り、さらにワーシップソング、開会祈祷という神への挨拶という縦の事柄のあとに、横の関係を示す来会者同士の互いの挨拶、そして讃美、神からの語りかけとしての説教、その語りかけに対する応答の祈りと讃美、さらに神の恵みへの感謝の表明としての礼拝献金、閉会の祈り、頌栄、祝祷となるのですが、特に不可欠のものの一つが「主の祈り」を共に祈るという要素です。
「主の祈り」とは何か、ということについての整理がついたのは、昔、廣瀬利男先生(尼崎神召キリスト教会牧師)から「これは読んでおくといいよ」と薦められた、ドイツの新約学者、ヨアヒム・エレミアスの書いた「新約聖書の中心的使信」(新教出版社 川村輝典訳)を読んだことによりました。
ルカの福音書によれば、「主の祈り」は弟子の要請によって与えられたとのことです。イエスが祈り終えた時、弟子のひとりが来て、「祈りを教えてください」と願ったので、「それではこう祈りなさい」と言って教えた祈りが「主の祈り」でした。
「また、イエスがある所で祈っておられたが、それが終わったとき、弟子のひとりが言った、『主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください』。そこで彼らに言われた、『祈るときには、こう言いなさい』」(ルカによる福音書11章1、2節前半 新約聖書口語訳106p)。
この箇所を読んで疑問に思うのは、弟子がイエスに「わたしたちにも祈ることを教えてください」(1節)と願ったということです。
神の存在や宗教を否定する無神論国家で育ったのならいざ知らず、信仰の本場のイスラエルで生を享け、濃厚な宗教的環境の中で育まれ、熱心な宗教教育そのものを受けて成人し、祈ることが幼いころからの常であった筈の者が何を今さら「祈ることを教えてください」なのだろうかと思ってしまうのですが、記憶を辿ると(実は「新約聖書の中心的使信」は誰かに貸してしまっていて、手許にはありません。そこで当時の記憶を頼りに話をしているのですが)、エレミアスはこれを、「私たちにイエスの弟子のしるしとしての祈りを与えてください」という意味の要請であったというのです。
エレミアスによれば、弟子の「ヨハネがその弟子たちに教えたように」(1節)という意味は、当時、バプテスマのヨハネをはじめとして、教えの集団というものはそれぞれ、その集団独自の祈りというものを持っており、そのため、祈りを聞けば誰が指導する集団に属しているかがわかった、だからイエスの弟子たちは、イエスに対して、自分たちがイエスの弟子であるというしるしとしての独自の祈りを自分たちにも与えてください、と願ったのだというわけです。
そしてその要請に応えて、イエスの弟子のしるしとしてイエスが与えた祈りが「主の祈り」であって、だから「主の祈り」とは単なる祈りではなく、イエスの弟子のみが祈ることをゆるされた特別な祈りであったというのです。
そうであるならば、「主の祈り」はイエスの弟子に対し、イエスから直接与えられた弟子としての祈りであり、これを祈ることができるということ自体がイエスとの特別な関係を示すものということになります。
そう考えますと「主の祈り」は由緒から言ってもただ有り難い、というだけでなく、何処の馬の骨とも分からぬ者にとっては、驚くべき恵みでもあるわけです。
教会の日曜礼拝で兄弟姉妹と共に祈る時、また床の上で朝ごとに、あるいは夕ごとにひとり祈るとき、イエスの弟子としての自覚、弟子とされた恵みを噛みしめながら、これからも「主の祈り」を祈ることができることを感謝しつつ、これを祈るものでありたいと思います。
2.驚くべき特権、それは神に向かって「父よ」と呼ぶことができる立場
「主の祈り」は他の集団の祈りとは決定的に違います。どこがどう違うかと言いますと、違いは祈りの対象である神への呼び掛けにあります。
イエスは弟子たちの要請に応じて、こう祈れ、と言ったあと、おもむろに、「父よ」で始まる祈りを教えられたのでした。
「そこで彼らに言われた、祈るときには、こう言いなさい、『父よ』」(11章2節前半)。
現代の私たちが祈る「主の祈り」の最初の呼び掛けは、教会歴史の中で少々典礼化されて、「天にまします我らの父よ」と重々しくなっていますが、原型は「父よ」(2節)でした。
エレミアスは、イエス時代のユダヤの文献を見ても、創造者である神に向かって第一人称で「父よ」と呼び掛けている例は皆無である、そして、それが出来るのはイエスのみであった、イエスのみ、天地万物の創造者に向かって「父よ」と呼び掛けることのできる身分であった、その神に向かって自分と同じように「父よ」と呼びかけることを、イエスは自分の信者に対してゆるしてくれた、それが「父よ」で始まる「主の祈り」であった、と説明していたように思います。
エレミアスはアラム語の専門家であって、アラム語では幼児の父親への呼び掛けの言葉が「アバ」であったことから、「父よ」は「アバ」であったのではないか、とも書いていたように思います。つまり「父よ」という呼び掛けは幼児が親密さと信頼感に満ちてその父親に呼び掛けるいわゆる「パパ」「ダディ」、日本語でいう「お父ちゃん」ということになります。
エレミアスはイエス時代のユダヤ人の言語はアラム語であった、という立場なのですが、一方、ユダヤ学の専門家の中には、パレスチナではアラム語ではなくヘブライ語が使用されていた、だからこそ福音書にはいくつかのアラム語が保存されていたのだと言う者もおり、現段階ではどちらとも言えません。
もしも「父よ」の原語が、子供が使う「アバ」であったのであれば、私たちは天地の神に向かい、親しみを込めて幼児のように呼び掛けることが可能なのだということになります。
確かにイエスは神に向かって「アバ」と呼び掛けていたようです。マルコの伝えるところによれば、イエスは最後の晩餐のあと、オリブ山において祈りの時を持つのですが、そこでは神に向かって「アバ」と呼び掛けています。
「そして少し進んで行き、地にひれ伏し、もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、そして言われた、『アバ、父よ』」(マルコによる福音書14章35、36節前半)。
マルコによる福音書もギリシャ語で書かれていますから、マルコは読者のためにあえて「『アバ』(すなわち)『父よ』」(36節前半)と、説明をしているわけです。
偉大な神をイエスのように身近な父のように呼ぶことができるのであれば、それは神を厳格なイメージで捉えていた人々にとってはまさに画期的なことでした。
しかし、もしもそうであるならばそうであるからこそ、一方では親しみを込めて「アバ、父よ」と呼んだとしても、他方、教師や親に対して友達に対するようなぞんざいな口のききかたをする最近の子供のように、神に向かって不遜な態度をとっていいわけではありません。
放映中のNHKの朝の連続ドラマの主人公は、困っている人を見ると放っておけない、人情に厚いという性格であることはいいのですが、とにかく非常識で、がさつ、おまけに登場人物がことごとく自己中心的な人物のため、耐えきれなくなって視聴をやめてしまったという人が増えているそうです。確かにまるでいつも喚いているか泣き叫んでいるかしている韓国ドラマを見ているようで、六週間を過ぎた今の段階では視聴率が下がるのも、無理からぬことかも知れません。
作者があの高視聴率ドラマの「家政婦はミタ」の脚本家ですから、今後の展開がどうなるかは誰にもわかりませんが。
これに対し、高い視聴率を保持したまま終わった前のドラマの主人公は、父親に対して他人行儀と思われるくらい、常に丁寧語、尊敬語を使っておりました。
それは「親しき仲にも礼儀あり」という行儀作法の教えが生きていた戦後の時代であったからかも知れませんが、その丁寧さ、父親との間に保たれていた一種の距離間あるいは距離感は、神と人との関係にも通じるものでもあるようです。
イエスが神に向かって「父よ」と呼び掛けることをゆるしてくださったからと言って、過度に馴れ馴れしくなってはならず、やはり畏敬の思い、上下の関係を保持しつつ神に向かうべきです。
それは礼拝や祈り、奉仕や捧げものにおいても、です。百十年以上前に新渡戸稲造が英文で書いた「武士道」の「礼」の章には、物の贈答における西洋と日本の習慣について論じている箇所があります。
アメリカでは贈り物をするとき、贈る側は受け取る人に向かってその品物をほめそやす。しかし日本では、その品物の値打ちを軽くいったり、悪くいいたてたりさえする(つまり、著者はここで、日本人の「つまらない物ですが」という贈答時における口上を言っているのでしょう)。
アメリカ人の心情はこのような場合『この品物は素晴らしいものです。これがよい品物でないとすると、あなたに差しあげようなどとは思いもよりません。よい品物でないものを差しあげることはあなたを侮辱することになります』ということになる。
これに対して日本人の論理はこうである。『あなたは立派な方です。どんな贈り物も立派なあなたにはふさわしくありません。私があなたの足許に置く品物は私からの感謝のしるしとしてしかお受け取りになれないでしょう。どうぞこの品をその物の価値ではなく、私の心からのしるしとしてお受け取りください。最上の品物でもあなたにふさわしい、といえばそれはあなたの品格を傷つける侮辱となるでしょう』。
この二つの考え方を並べてみると、つまるところの思想は同じである。どちらも非常に『おかしい』ことではない。アメリカ人は贈り物となる品物のことを述べ、日本人は贈り物をする気持ちのことを述べているのだ」(奈良本辰也訳 三笠書房)。
ここで新渡戸稲造が説く、贈答における「日本人の論理」は、私たちの神への姿勢にも通じるものがあると思います。
神の前に出る時、礼拝をし、祈るとき、また奉仕をし、捧げものを捧げるときに、それは神に向かって「父よ」と呼び掛けることができることは決して当然のことではなく、まさにあり得ないことであると言う理解に立って、すなわち新渡戸稲造が説く「日本人の論理」によって神を呼ぶものでありたいと思います。
なぜならば、「父」なる神はあくまでも下から上に仰ぐべきお方であるからなのです。
3.心に刻むべきこと、それは人を神の子とするため、神の子が人となった事実
ではなぜにイエスの弟子となった者のみが、天地の創造者である至高の神を「父」と呼ぶことができるのかと言いますと、それは神の子が人となったからです。
栄光に満ちた神の子が、天から降(くだ)ってきて人となったのは、私たち、滅びつつある人の子たちを神の子とするためであったのです。
使徒パウロは紀元五十年代のはじめ、ローマ帝国の属州、ガラテヤに建てたキリスト信徒の群れに書簡を送りました。ガラテヤ人への手紙です。パウロはその手紙の中で、人を神の子とするために神の子が人となったという事実とその理由とを簡潔に説明しております。
リビングバイブルで読むことにしましょう。
「しかし、ちょうどよい時が来ると、神様は自分のひとり息子を、女から生まれた者、ユダヤ人として生まれた者として、お遣わしになりました。それは、おきての奴隷となっていた私たちを買い戻して、自由の身とするためであり、神様の子供として迎えてくださるためなのです。このように神様は、子としての私たちの心に、神の子の御霊を送ってくださいました。それで今、神様を『お父さん』とお呼びできるのです」(ガラテヤ人への手紙4章4~6節 リビングバイブル294p)。
人となった神の子は、襲いかかる罪の誘惑の悉くを退(しりぞ)けながら清い生涯を送り、その清い体を十字架につけて人類の罪の身代わりとなってくれました。この事実を信じる者はたといどのような過去を生きてきた者であっても、天の神を「父」と呼ぶことのできる神の子となれるのです。
私たちが自らの心に刻むべきこと、それは尊い神の「ひとり息子」(4節)のイエスが、赤の他人の私に神の子という身分を授けるために、人の世に現われてくださったという事実です。
今日の礼拝では七五三に因んで幼い子供たちのために神の祝福を祈る子供祝福式をしましたが、日本の将来を担う幼子たち、子供たちにもこの事実が伝えられ、信じられ、受けいれられるならば、日本の荒廃にもまた、歯止めがかかることでしょう。
天の神に向かって、「父よ」と呼び掛けることが許されている幸いを自らが享受すると共に、この恵みを心燃やして伝える者でありたいと思います。