2012年9月9日 日曜礼拝説教
「予告された破滅の前兆としての災難(後編)」
マルコによる福音書13章9~13節(新約聖書口語訳74p)
はじめに
何が理不尽かと言って、日常生活を何気なく送っている時に、突如自由を奪われて、「地上の楽園」どころかこの世の地獄とも言うべき独裁国家に拉致されてしまった北朝鮮による拉致被害者ほど、理不尽な目にあった人たちもいないと思います。
明日の九月十七日は、小泉純一郎内閣総理大臣(当時)が訪朝して、北朝鮮の国防委員長金正日に北朝鮮という国家が日本人を拉致していたことを告白させて、丁度十年となる節目の日です。最初、金正日は拉致を認めようとはしませんでしたが、昼食休憩時に、日本側の休憩室に盗聴マイクが設置されていることを承知の上で、同行していた官房副長官安倍晋三(当時)と外務省審議官高野紀元(当時)が首相に向かって声高に、「拉致について金正日総書記の口から謝罪と経緯についての話しがない限り、日朝共同宣言に署名するわけには行きません。北朝鮮側が拉致を認めないならば、日朝共同宣言には署名せず、このまま帰国することにしましょう」と提言したそうです。
そして会談が再開した冒頭、金総書記は突然、「拉致は我が国の特殊部隊の一部妄動主義者がやった。関係者はすでに処分した」と、北朝鮮による拉致を認めたというのです。これに一番驚いたのは北朝鮮労働党の友党として、北による拉致を否定し続けていた日本の社会主義政党でしょう。特にその党首などは、被害者の有本恵子さんの両親の嘆願をけんもほろろに突っぱねたのみか、両親から得た情報を朝鮮総連に流すような有様でした。
また半島寄りの社論から「チョン(朝)イル(日)新聞」などと揶揄される某大手新聞がそれまでの「拉致疑惑」という表現をしぶしぶ「拉致事件」に変えたのは、拉致が明らかになった翌日の報道からでした。
金正日の側にとっては、もしも共同宣言が成立しなければ一兆円を超える筈の日本からの金が入ってこなくなります。そこで日本の金が欲しいために、なりふり構わずあわてて拉致を認めたというわけです。ですからもしもこの会談に安倍晋三官房副長官が同行していなかったならば、北朝鮮は拉致の事実を認めることはなかったかも知れません。危ないところでした。
そしてこの首脳交渉の結果、翌月、五人の被害者が夢にまで見た祖国日本の地を踏むことになります。
なお当時、帰国した五人の拉致被害者を、国同士が約束をしたのだから再度北朝鮮に戻すべきだと主張していた新聞記者の発言をテレビで聞いて、この人は正気かと唖然としたことを覚えています。交渉の末に誘拐犯から奪還した我が子をもう一度、誘拐犯の手に戻すべきだというのですから、開いた口が塞がりません。誘拐された人が、見張りにトイレに行くと言って逃げ出したら、約束を破ったことになるのかどうかは、子供でもわかる理屈なのに、です。
この記者は今も日曜日の朝のテレビ番組で、口癖の「ものすごく」を連発しながら元気でご活躍です。
そして十年後の今も、特定失踪者という人々を入れれば、四〇〇人を超える拉致被害者が北朝鮮の空の下、理不尽な状況の中で苦しみ悶えていることを私たち日本人は決して忘れてはならないと思います。
ところがその後、北朝鮮による拉致と、戦時中の慰安婦とを同一視する見解が日本にも現われました。七年前のことですが、フェミニストとして知られる元大学教授の評論家があるテレビ番組で、「北朝鮮の(日本人)拉致は、日本の従軍慰安婦のマネをしてやったんだよ」と言い放ったのを聞きました。同じ番組に出ていた高齢の政治評論家が「(それは)非常に不幸なことだけれど、当時は売春というのは公の職業だったのだ」と彼女を窘(たしな)めたのですが、この女性評論家は聞く耳を持ちませんでした。
最近、韓国政府が、日本軍は戦時中二十万人の韓国人女性を強制的に連行して従軍慰安婦としたと主張し、日本の謝罪と賠償を求めて本国にとどまらず米国等でも日本に対する賠償請求運動を展開しているのですが、実は韓国の主張を勢いづけたのが十九年前に出された日本の官房長官談話でした。
この官房長官(当時)は親中派の人で、その中国への傾倒ぶりから、当時中国の指導者の名をもじって「江之傭兵(こうのようへい)」と揶揄された人だったのですが、彼は軍による強制の証拠など何一つ見出せないにも関わらず、元慰安婦を自称する女性たちの言い分だけを聞いて談話をまとめ、これによって問題の鎮静化を図ろうとしたのでした。良くも悪くも日本的な解決法であったわけです。
しかし意図に反してこの談話がその後の日本政府を縛ると共に、韓国の主張を却って裏付ける根拠として利用されることとなってしまったのでした。
軍による強制という一方的主張は神話の類いであって、その主張を裏付ける文書や資料は今に至るまで一つも出てきません。反対に当時の新聞には「慰安婦募集 月給三百円」という求人広告が出ていたことが明らかとなっています。工場での労働者の月給が二十円であった時代に、です。
ただ、慰安婦の中には自ら応募した者だけではなく、家が貧しかったために親に売られて、しかも自分が金で売られたという事実を知らないまま慰安婦になった者も多数いたことは考えられます。そのような人々にとっては家の事情とはいえ、慰安婦とされたことはやはり理不尽なこととして、同情はしたいと思うのです。
しかし、日本軍が強制的に連行したという話は真っ赤な嘘です。ですから、この根も葉もない架空の話が事実とされて、国際社会で独り歩きしているという現実こそ、日本国および日本人にとって理不尽なことなのです。政府は全力で根拠のない汚名を晴らさなければなりません。
なお、「従軍慰安婦」なるものが何の根拠もない捏造であるということを、ひとりの日本人が英語で欧米に向かって解明しているyou tubeの画像を見つけました。「谷山雄二朗」か「トニー・ブレアーと慰安婦の不都合な真実」で検索すればヒットします。
五十三分と少し長いのですが、先週末、一気に視聴しました。論理性のあるバランスのとれた内容の弁論でした。この問題に関して、日本人による英語での弁論ははじめてではないかと思います。スピーカーの肩書は「アメリカ国務省 デモクラシーチャレンジファイナリスト」となっていました。
言い忘れましたが、日本語の字幕つきです。
さて、今週の礼拝説教は先週の続きで、「予告された破滅の前兆としての災難(後編)」です。前編で取りあげた「前兆」がユダヤ人あるいはエルサレムの住民一般を対象としたものであるのに対し、本日取り上げる「前兆」はイエスを主と仰ぐ者たちに降りかかる災難であって、その特徴は「理不尽」ということです。
1.理不尽な宗教的迫害という厄災の予告
オリブ山においてイエスがに予告した迫りくる破滅の前兆としての四つ目の災難は、弟子たちが受ける理不尽極まる信仰上の迫害でした。
「あなたがたは自分で気をつけなさい。あなたがたは、わたしのために、衆議所に引きわたされ、会堂で打たれ、長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対してあかしをさせられるであろう」(マルコによる福音書13章9節 新約聖書口語訳74p)。
イエスは弟子たちに対し、言葉を重ねてイエスの弟子たる者が受ける迫害と言う苦難について、それを空前の破滅の前の兆しとして予告されたのでした。
弟子たちが「引きわたされ」(9節)る「衆議所」(同)とは、イエスを裁いて死刑を宣告した大議会(大サンヒドリン)に対し、各地域にあって一般ユダヤ人住民を裁く役所、小サンヒドリンのことです。
また弟子たちが鞭で「打たれ」(同)ることになる「会堂」(同)、つまりシナゴグは、成人ユダヤ人が十人いる所に構えられていて、地域においてはユダヤ教の礼拝と生活、教育の拠点となっておりました。つまり最初の迫害は、共に旧約文書を聖書とし、同じ神を信じるユダヤ教から始まることが予告されたのです。
さらに迫害は同族からのそれを超えて、パレスチナの外の世界のローマ帝国の官僚である「長官たち」(同)、そしてローマから王に任命された諸国の「王たち」(同)の法廷に被告として立たされるというかたちに広がることも予告されたのでした。
しかしイエスは理不尽な迫害をむしろ宣教のチャンスであると考えていたようです。
「こうして、福音はまずすべての人に宣べ伝えられねばならない」(13章10節)。
そして、弟子たちが官憲に連行される時には、聖霊が語るべきことを示す、とも言いました。
「そして、人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて、聖霊である」(13章11節)。
事実、イエスの十字架の死からおそらくは六年後の紀元三十六年、十二使徒に続く「七人」(使徒行伝6章3節)の指導者のひとり、ステパノが大議会において死刑判決を受けて処刑されますが、処刑の直前に彼が議会で語った迫力ある証しは青年議員サウロ(後のパウロ)の心を激しく揺さぶり、結果として異邦人伝道の立役者、使徒パウロの誕生に大きな影響を与えることとなりました。
そして、ステパノへの迫害を契機にして、福音はエルサレムからサマリヤ地方、そして地中海世界へと広がっていったのでした。
この「迫害」というイエスの予告は、聖書解釈としてはあくまでも神殿崩壊前の時代に起こることを示唆したものとすべきですが、聖書解釈学の原則には「解釈は一つ、適用は複数」という原則があります。その原則に従えば、神殿崩壊後のキリスト教会にも起こる迫害についても、「解釈」とは別の「適用」のレベルで考えてみなければなりません。事実、信仰上の迫害は十六世紀以降の我が国のキリスト教歴史にも記録されているからです。
そこで昨年十一月二十日の礼拝説教「神の国の逆説的教えー放棄は獲得(マルコによる福音書8章41節~9章1節)」で挙げた殉教の事例を、改めてここにそのまま転載したいと思います。
「我が国でも徳川幕府の初期には、迫害は苛烈を極めました。十年ほど前、長崎県の島原半島にある雲仙を高口喜美男先生(熊本・川尻キリスト教会牧師)の案内で訪れましたが、雲仙は多くのキリシタン信徒が拷問されようとも棄教することを拒否したため、熱湯に投げ込まれて殺されるという出来事があった所です。
その中でもパウロ内堀作右衛門という信徒リーダーの三人の息子はそれぞれ指を切り落とされても神を讃美し続け、特に五歳の末の息子イグナチオは両手の人差し指を切られながら、泣きもせず、あたかも薔薇の花を眺めるようにして切られた両手を天にかざしたと言われています。彼らはその後、生きたまま有明の海に沈められ、父親のパウロ内堀をはじめとする十数人の信徒たちはその一週間後に、煮えたぎる雲仙地獄に投げ込まれたのでした」
長崎県の島原カトリック教会の入り口には、今を去る四百年前、苛酷な迫害により、切られて血の滴る両手の指を天にかざす五歳のイグナチオの像が立っています。韓国旅行も結構です。しかし、長崎の島原や雲仙への旅もまた味わい深いものがあると思います。
確かに私たちとローマ・カトリック教会とでは、教理の理解において多少の違いはあります。しかし、その違いを乗り越えて、雲仙の殉教者たちは私たちにとっても信仰の先祖、先人でもあり、また模範でもあるのです。
実は五年前、神学校の夜間校で「日本キリスト教史」という教科を担当しました。この科目は東京の神学校本校では実質、幕末以後のプロテスタント史でしたが、ザビエル以降のキリシタンの歴史もまた、日本のキリスト教の歴史であると考えて、十六世紀から取り上げることにしたその結果、迫害にも負けずに信仰を貫き通した数々の信仰者群像を知ることができたことはとても幸いなことでした。
2.思いもかけない者からの裏切りという悲劇の予告
エルサレムの破滅を前にした弟子たちへの五つ目の予告は、肉親の裏切りという思いもかけない悲劇の予告でした。
「また兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう」(13章12節)。
「兄弟は兄弟を、…殺すために(敵方に)渡」(12節)すという状況が来ると、イエスはここで予告をしました。「兄弟」とは何かと言いますと、困難な状況下で助け合うために生まれたもの、それが兄弟です。
「兄弟はなやみの時のために生まれる」(箴言17章17節後半 旧約聖書口語訳901p)。
しかし、「兄弟」が「兄弟」を、「父」親が我が「子」を、そして「子が両親に逆らって立」つ、つまり親が子を、子が親を、迫害をする側に引き渡すような事態が起こることもあるというのです。
論語の里仁篇に、「子曰く、父母の年、知らざるべからざるなり。一(いつ)は則(すなわ)ち以て喜び、一は則ち以て懼(おそ)る」とあります。要約すると、「先生は言われる、父母の年齢は記憶していなければならない。一つには長寿を喜ぶためであり、一つには老い先の短いことを案じるためである」ということになります。
つまり親孝行の勧めなのですが、このような親子関係を美徳とする日本人には考えられないような実例が、ウイリアム・バークレーの「マルコによる福音書註解(大島良雄訳)」にあります。
ヒットラー時代のドイツにおいて、ある人が自由のために戦って逮捕された。彼は入獄にも拷問にも不屈の闘志をもって抵抗した。しかし、釈放後間もなく彼は自死してしまう。人々は訝るが、実はこの不屈の闘士を当局に密告したのが彼の息子であったという事実を知ったとき、彼は生きる気力を失い、死を選んだのであった(377p)という話しです。
密告者が実の息子であった、信頼していた身内が敵と内通していた、という事実ほど、内的ダメージをもたらすものはありません。しかし、エルサレムの破滅の前にはこのようなこともまた家庭内に起こるとイエスは予告をしていたのです。そして、この予告通り、心から愛した者から裏切られたのが当のイエスだったのです。
ゲッセマネの園で、最終的に死ぬ覚悟を決めて立ち上がった自分に近づくユダを見つつ、イエスは何を思ったのでしょうか。
「『時がきた。見よ、人の子は罪人らの手に渡されるのだ。立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた』。そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二弟子のひとりのユダが進みよってきた。また祭司長、律法学者、長老たちから送られた群衆も、剣と棒を持って彼についてきた」(14章41~44節)。
イエスは自らを安全地帯に置いて号令をかけるような指揮官ではありませんでした。終末を前にして信徒が味わうであろう苦難を、イエスが身をもって体験しておられた方であったということを弟子たちは間もなく知ることになりますが、それは後代の信者たちにも適用される予告であったのかも知れません。
3.謂れなき憎悪の対象とされる苦難の予告
特に弟子たる者が嘗めるであろう三つ目の苦難は、謂れなき憎悪の対象とされる苦難でした。
「また、あなたがたはわたしの名のゆえに、すべての人に憎まれるであろう」(13章13節)。
バークレーに言わせますと、古代の教会が受けた「最もひどい中傷は、クリスチャンが人食いであるという告訴であった」(同378p)そうです。これは聖餐式におけるイエスの言葉、「私の肉を食べよ、私の血を飲め」という象徴的な言葉を文字通りに受け取られたことによるのですが、紀元六十四年のローマの大火に端を発したローマ皇帝ネロによる教会迫害の背景には、このような謂れなき憎悪があったとされています。
謂れなき攻撃に対して、古代の教会はどうしたかと言いますと、二世紀以降になってからは誤解されっぱなしではなく、弁明すべきことは弁明をしたようです。その結果、弁証学というものが発達しました。
冒頭にあげた従軍慰安婦の問題の場合、歴代の日本政府は韓国を慮って、反論したり、弁明したりすることを致しませんでした。その結果が官房長官談話となり、千載に禍根を残すこととなったのです。自らを、そして自らの群れを守るためにも、また間違った情報を受けた第三者を啓蒙するためにも、そして謂れなき憎悪を向ける相手を憎悪という破壊的エネルギーから救うためにも、ケースによっては誤解をしっかりと解く努力は必要です。
しかし、万策が尽きた場合、相手が頑迷である場合など、どうしようもない時には神を信じて試練を耐え忍ぶしかありません。古代の弟子たちは三つ目の予告のあとのイエスの言葉に大きな希望を抱いたのでした。
「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(13章13節後半)。
この励ましの言葉はエルサレムの破滅前の弟子たちだけでなく、破滅後のあとの教会の歩みを支える力となったのでした。