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2012年9月の日曜特別礼拝へのご招待

により、あるいはとして創造された
 
 テレビをつけると、化粧をして女性のかっこうをした「おじさん」が出演しているのをよく見かけます。
この人たちは女装趣味でそうしているのではなく、生物学的には男性であっても、脳、つまり意識においては自分が女性であると感じている人たちのようです。
 
このような人たちを医学的には「性同一性障害(せいどういつせいしょうがい)」というのですが、どのくらいの割合かというと、日本精神神経学会の発表によりますと、日本全体で二二〇〇人から七千人くらい、とのことです。彼ら、彼女らはそのような自分自身に違和感を覚えながら、人知れず苦悩してきたと思われます。決して差別の目で見てはなりません。
 そして圧倒的大多数の人は、生物学的にも自意識の面おいても自分が男あるいは女であることを疑うことなく生活をしているのですが、それは神が人というものを男あるいは女として創造したからです。
人というものは神の呼び掛けに応える、いわゆる応答性を持つ「神のかたち」に創造されると共に、具体的には男または女に創造されたのでした。
 
「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」(旧約聖書 創世記1章27節)。
 
 つまり、少数の方々を例外とすると、この社会には男と女しか存在しないわけですが、もう一つ、厳然たる事実があります。それは、人はみな、自らの性を自分自身で選択をすることなしにこの世に男あるいは女として誕生してきたという事実です。
男性には男性特有の、そして女性には女性特有の悩みがあることもまた一つの現実です。
 
しかし、それぞれの性は決して偶然の結果なのではなく、その誕生の際に創造者である神が介在して、ある人を男に、ある人を女に選んでこの世へと送り出してくれた、そしてそれは自らが幸いな人生を生きるだけではなく、出会う人たちを自らの存在を通じて幸せにするためだったのでした。
そしてそのことを教えてくれるのが「神は(人を)男と女とに創造された」という聖書の言葉です。
 
晩夏の九月二日の日曜日、街角の小さな教会で、ゴスペルの歌声で心を癒され、聖書の講話を通して人生を考えるひととときを是非持ってください。

あなたのご来会を心より歓迎致します。 

 

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