2012年5月20日 日曜礼拝説教
「救い主は、礼拝と社会そして人の心の刷新を求めている」
マルコによる福音書11章15~18節(新約聖書口語71p)
はじめに
昔も今も野心家によって利用されがちなのが「ポピュリズム」と呼ばれる現象です。
この用語の語源はラテン語の「ポプルス(民衆)」で、日本語では「大衆政治」「衆愚政治」とも訳さます。
最近では二〇〇五年の「郵政改革」選挙、二〇〇九年の「政権交代」選挙がまさにポピュリズム選挙であって、近々では昨年の「大阪市長」選挙がその例であるとされています。
この現象の特徴は対決すべき敵というものが明示されるところにあって、郵政選挙の場合、民営化に反対する者は守旧派と呼ばれましたし、三年前の政権交代選挙では政権与党が攻撃の対象とされて、その結果、有為の人材が大量に落選してしまったと評されています。
そして大阪のケースでは、民間に比べ、楽をして高給を食(は)んでいるとされる公務員と労働組合とが標的となりました。
確かに労組によるあからさまな政治介入、政治活動は問題でしたし、学校教師と雖も公務員である以上、教育委員会の出した業務命令には従う義務があります。また、児童福祉施設の市の職員が入れ墨を見せて児童を脅すなどということは論外です。
大阪の場合、一般大衆受けするような事柄を殊更に問題にして市役所改革を進めようとする手法には疑問を感じる、という声も起こっていますし、入れ墨問題の場合、個人的嗜好の事柄を普遍的価値観にすり変えているのではないかという批判もあります。
しかし、ニュースで伝えられる出来ごと以上に注視すべきことは何かというと、個別の事案の背後にある思惑であるという見方もあります。それはこの運動体が「維新」を名乗っているところにあるから、というわけです。
そもそも維新とは中国の古典の、孔子が編纂したとされる「詩経(しきょう)」の中の、「周雖旧邦 其名維新(周は旧邦なりと雖も、其の命これ新たなり)」が典拠で、維新は革命を意味する用語です。
「明治維新」の場合、幕藩体制から尊王体制への移行という出来事は、確かに維新という名称に相応しいものであったかも知れません。
明治維新によっていいことも沢山ありましたし、幕藩体制がそのまま続いていたならば、日本は欧米列強の植民地にされていた危険性もありました。
しかし、見方によっては明治維新とは下からの下剋上という権力奪取の運動であったとも言えます。それは維新の功績者が例外なく貴族(華族)になって、その後の日本の支配者階級を形成したことでも明らかです。
大阪の場合も、権力奪取のための大衆迎合的ポピュリズムなのか、それとも市民のための本当の維新活動なのかということを、私たちは冷静に見極めていく必要があるようです。
ところでエルサレム入城後のイエスの行動と説教の方向性は、まさに維新を主導するものであったと言えます。
しかしイエスの目指した維新は権力の奪取ではなく、神礼拝の維新であり、人と人との関係である社会の維新であり、さらには人の心の維新であったのです。
そのイエスの維新の意図が端的に現われた事件が、いわゆる「宮清め」の出来事でした。
今週は激しく語り、行動するイエスから、イエスが求めてやまなかった事柄に思いを向けて、いまも聞こえるその声に私たちの心の耳を傾けたいと思います。
1. 礼拝の刷新を求める救い主―神を神として崇めよ
エルサレム入城の翌日、イエスは神殿に入りましたが、そこでイエスが見たものは本来の神礼拝が醸し出すはずの静謐(せいひつ)さとは無縁の喧騒でした。
当時のエルサレム神殿は南北が約五百メートル、東西が約三百メートル、南の方がやや狭い長方形の敷地で、その中央に、神殿の本体がありました。
神殿本体は四重の庭で囲まれておりました。神殿のすぐ内側は祭司だけしか入れない「祭司の庭」で、その外側に「男子の庭」があり、さらのその外側が「婦人の庭」、そしてさらにその外側の広大な広がりが「異邦人の庭」で、そこでイエスが見たものは、神聖な礼拝の場所とは到底思えないような、商売人の呼び声と金銭のやりとりが喧(かまびす)しい、まるで市場のような状況だったのです。
この状態に憤ったイエスは、思いもかけない行動に出ました。なんと神殿の「庭で売り買いをしていた人々」つまり、「両替人の台」をひっくり返し、参拝者が供え物とする「はとを売る者の腰掛け」も蹴り飛ばし、神殿の庭を近道として通りぬける人々の通行をストップさせるという実力行使に出たのでした。
「それから、彼らはエルサレムにきた。イエスは宮に入(い)り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった」(マルコによる福音書11章15、16節 新約聖書口語訳71p)。
この出来事は「宮清め」として知られていますが、柔和なイエスがなぜこのような乱暴とも言える行為を行ったのかといいますと、聖なる神を礼拝し、感謝の祈りをささげるべき場所である神殿、つまり「祈りの家」が商売人たちにより、あたかも「強盗の巣」に変わってしまっていたように見えたからでした。
「そして、彼らに教えて言われた、『わたしの家は祈りの家ととなえられるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった」(11章17節)。
当時、ユダヤ人はだれでも十八歳からは毎年、神殿税という税金を納めなければならず、その税額は当時の労働者の日当の二日分程度でしたが、それは神殿のシケルという特別の貨幣で納めることになっていました。
そのため神殿には参詣人の手持ちのローマ貨幣やギリシャ貨幣をシケルに両替する両替人が出張っていたのです。問題は手数料です。両替には五割の手数料が必要とされていたとのことです。
ひどいのは犠牲として捧げられる「鳩」の場合でした。規定では鳩は傷のないものでなければなりませんが、検査官が何やかやと難癖をつけて外から持ち込まれたものを不合格にするものですから、参拝者は結局、鳩を神殿の庭で業者から購入することになり、しかも市価の十倍から十五倍という法外な価格で買うしかなかったそうです。
そして神殿における利権を一手に握って莫大な利益を上げていたのが祭司長アンナスと婿のカヤパの一族だったのです。
まさに「祈りの家」は神殿の特定の管理者たちによって「強盗の巣」となっていたのでした。
イエスの振る舞いは礼拝の刷新による正しい礼拝の回復を目的としたものでした。神が神として崇められる、それが「祈りの家」における正しい礼拝の姿でした。
「祈りの家」での礼拝は教会における日曜礼拝のことだけではありません。私たちの家庭、そして職場、さらには、教室もまた神を呼び求める「祈りの家」でもあるのです。
今もイエスは、それらの「祈りの家」における個々の礼拝の、一層の刷新を求めておられます。
2.社会の刷新を求める救い主―人を人として尊べ
さらにイエスはこの「宮清め」を通して、社会の仕組み、流行りの用語を使えば絆の結び方、とりわけ強者が弱者を食い物にするという在り方を一新するように求めていたのだとも考えられます。
祭司長一派とその関連企業、下請け業者にとって神殿における礼拝者たちは、彼らに利益をもたらす手段にしか過ぎませんでした。
巡礼の中には何年も倹約して貯金をし、苦労しながら長期休暇をとって遠い都へと上って来た人も大勢いたと思われます。
神は彼らの素朴な真情を喜ばれましたが、祭司長一族にとっては彼らの事情などは斟酌の外にありました。
鳩は高価な牛や羊を奉献することのできない低所得者がその代りに捧げることのできる唯一の犠牲でしたが、それすら市価の十数倍の値段で買うしかなかったのです。
多数の礼拝者が一部の特権階級の搾取の対象となっている現状に、イエスの怒りは爆発しました。イエスの憤りは人を人と思わず、己の利得の対象としか見ない者たちに向けられたのでした。
そしてこの結果、既存の莫大な利権の喪失を恐れる支配者層は、彼らの利権を守るためにイエスの抹殺計画を具体化するに至ります。
「祭司長、律法学者たちはこれを聞いて、どうかしてイエスを殺そうと計った。彼らは、群衆がみなその教えに感動していたので、イエスを恐れていたからである」(11章18節)。
神殿の状況に怒り心頭に発したイエスでしたが、その四日後、自身の体を丸ごと十字架につけて私たちの罪の償いのために犠牲となってくださいました。
それは、私たちひとりひとりの人生がイエスにとって自分を犠牲にする程の価値あるものと考えておられたからでした。まことに有り難いことです。
残念なことに現代日本、社会の仕組みというものをおのれの利害のために利用する人が増えてきているようです。
高収入を得ているお笑い芸人の母親が生活保護を受給しているという問題が浮上してきました。生活保護制度は身内からも経済的支援が受けられない者に適用される最後の救済手段であって、事情がある場合にこの制度を受けることは国民の権利ですが、このお笑い芸人は後輩の芸人たちに向かって、「ただでもらえるものはもらっておけばいい」と言い放ったとのことです。
日本社会も真面目な人が馬鹿を見る社会になってきたようです。
しかし、社会は人が人を搾取したり、利用したりする仕組みではなく、相互に扶助する仕組みとして成り立っているものです。まず自助があり、ついで共助、そして最後の手段が公助です。
人が人としての誇りを保ち、人が人として尊ばれるような社会となるよう、人と人との関係の刷新を、今も、イエスは求めておられると思います。
3.人の心の刷新を求める救い主―自らの心を広げよ
さらにもう一つ、イエスが求めた刷新は人の心の刷新、とりわけ狭量な心の刷新でした。
商売の場所となったところは神殿の敷地の中の一番外側の「異邦人の庭」と呼ばれるところでしたが、その内側の「婦人の庭」との境には低い塀があり、そこには「異邦人が入ったら死罪」と書かれた札がかかっていたと言われています。
この札が「隔ての中垣」といわれるものでした(エペソ人への手紙2章14節)。
イスラエル民族ではない異邦人で、ユダヤ教に改宗した者や唯一の神への信仰を告白した者は特別にこの異邦人の庭にまで入ることは許されていました。
しかしその異邦人礼拝者の唯一の礼拝の場所は商売人たちによって占拠され、礼拝どころではなかったのです。でも、一般のユダヤ人たちにとって異邦人などは眼中になかったようでした。それは彼らの心が自民族のことでいっぱいだったからでした。
大多数のユダヤ人にとってそうなのですから、況してや利権を一手に握っていた祭司長一族にとっては、それはなおさらのことであって、そのこともまた、イエスの怒りに火をつけることとなったのでした。イエスにとって神殿は、外国人をも対象とした、まさに「すべての」人のための礼拝の場所、祈りの家であるべきだったからです。
「そして、彼らに教えて言われた、『わたしの家は、すべての国民の祈りの家ととなえられるべきである』と書いてあるではないか」(10章17節前半)。
それはイエスだけの理解ではありません。ユダヤ人が神と崇める聖書の神の御心でもありました。
「わが契約を堅く守る異邦人は―わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈りの家のうちで楽しませる、彼らの燔祭(はんさい)と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の祈りの家ととなえられるからである」(イザヤ書56章6節後半、7節 旧約聖書口語訳1025p)
神の救いはユダヤ人だけのものではなく、世界万民を対象にしたものであることは、数百年も前の預言者イザヤによる預言でも告げられていたことでした。
そしてその神の豊かな救いはイエスにおいて具体的に現われたのでした。
「すべての人を救う神の恵みが現われた」(テトスへの手紙2章11節 新約聖書口語訳330p)。
宗教と宗教、民族と民族の衝突、文化と文化、価値観と価値観の摩擦が顕在化している時代ですが、イエスの願いは人の心が刷新されて、狭い料簡、狭隘な心が拡げられることにあります。
人がそれぞれの出自の違いを超えて、主イエスの心を我が心とすることができますようにと祈りたいと思います。
維新とはイエスの心が人の心の中においても実現されるべきものだからです。