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2012年2月26日日曜礼拝説教「キリストは今も弱者の側に立つ」マルコによる福音書10章1~12節

212年2月26日 日曜礼拝説教

「キリストは今も弱者の側に立つ」

マルコによる福音書10章1~12節(新約聖書口語訳314p)
 
はじめに
 
 昨日の朝、久しぶりに見たNHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」は短いスカートの時代の到来を描いて、主人公に「時代が変わった」と言わせていました。
 
思えば我が国では長い間、「女、三界(さんがい)に家なし」と言われ、孔子の弟子の子夏(しか)が「礼儀喪服伝(らいぎもふくでん)」で説いた、女性というものは「未(いま)だ嫁(とつ)がざれば父に従い、既に嫁いでは夫に従い、夫死しては子に従う」という「三従の道」を生きることが女性の生き方であるとされていたのです。
 
ところが時代が変わりました。ドラマが設定した昭和四十一年、確かにミニスカートの爆発的な流行を契機として、時代は女性を様々の抑圧から解放した、女性解放の時代へと突入していったと言えます。
そしてそれから五十年近くたち、女性の解放は著しく進み、昔のように、「女に生まれて損をした」「男に生まれたかった」と嘆く女性はほとんどいなくなりました。
 
しかし、そうはいっても現代がまだまだ男性優位の男社会であることには変わりありません。況(ま)してや二千年前の古代ユダヤ社会においてはいかばかりであったことかと思いますが、その古代社会において、イエスは社会的弱者であった女性の側に立って、敢然として女性擁護の論陣を張り続けられたのでした。
 
本日はユダヤ社会における結婚、離婚の問題を通して、「強きを挫き、弱きを助ける」イエスの発想と言動に注目をしたいと思います。
 
 
1.イエスは常に社会的弱者の側に立っていた
 
「スタンス」という言葉があります。立ち位置という意味ですが、イエスの立ち位置は常に生ける神の側にあり、そして神が弱き者の側に立つがゆえに、イエスもまた社会的弱者の側に立つのが常でした。
 
ガリラヤ地方での巡回活動を経て、イエスはついに最終目的地のエルサレムがある、南部のユダヤ地方にやってきました。そして集まってきた群衆に対し、いつものように教えを説き始められました。
 
「それから、イエスはそこを去って、ユダヤの地方とヨルダンの向こう側へ行かれたが、群衆がまた寄り集まったので、いつものように、また教えておられた」(マルコによる福音書10章1節 新約聖書口語訳67p)。
 
 そこに律法の実践を旨とするパリサイ人たちが近づいてきて、ラビ(律法の教師)であるイエスに質問を致しました。それは、夫は妻を離縁しても律法に違反しないのかどうか、という問いでした。
 
「そのとき、パリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして質問した、『夫はその妻を出しても差し支えないでしょうか』」(10章2節)。
 
 この質問が律法の問答の体裁を取りながらのひっかけ質問であることは「イエスを試みようとして」(1節)という注釈からも明らかですが、イエスが、律法の書においてモーセは何と言っているか、と聞き返したところ、パリサイ人らは待っていましたとばかりに、モーセは離縁状を書くことを条件に離縁することを許している、と答えたのでした。
 
「イエスは答えて言われた、『モーセはあなたがたになんと命じたか』。彼らは言った、『モーセは離縁状を書いて妻を出すことを許しました』」(10章3、4節)。
 
これはモーセ五書のひとつの申命記にある命令でした。
 
「人が妻をめとって、結婚したのちに、その女に恥ずべきことがあるのを見て、好まなくなったならば、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせなければならない」(申命記24章1節 旧約聖書口語訳280p)。
 
 これに対してイエスは、モーセが離縁状を書くようにと定めたわけは、あなたがた男たちが頑迷固陋(がんめいころう)であるからであると断定的に言いました。
 
「そこでイエスは言われた、『モーセはあなたがたの心が、かたくななので、あなたがたのためにこの定めを書いたのである』」(9章5節)。
 
 「心が、かたくななので」(5節)とは、男たちが自分勝手で自己中心だから、という意味です。実はユダヤ社会において離縁状は、女性の権利を守るための唯一の手段とも言えました。
男社会であるユダヤ社会では離縁状がなければ女性は離縁されても再婚をすることもできない中途半端な状態で放置されかねませんでした。
そのような中でイエスは社会的弱者であった女性の側に立ち、社会的強者で支配者でもある男性に向かって、女性の立場を擁護したのでした。
 
「離縁状を書いて」(4節)去らせる、という離縁の手続きは、ユダヤ社会において男性の横暴を制限するためのものだったのですが、しかし、男性優位の社会においてはさまざまの抜け道が考え出されました。
ひとつは「その女に恥ずべきことのあるのを見て」(申命記24章1節)という言葉の解釈でした。
 
当時、ユダヤ教には二つの学派があったようで、紀元前の終わりから紀元後のはじめにかけて活動したシャンマイというラビの学派は「恥ずべきこと」を妻の不倫と解釈し、一方、シャンマイより少し前のヒレルの学派はこれを、料理下手や隣家までも声が聞こえる騒々しい妻もその対象であるといい、特にアキバというラビは、「好まなくなった」(同)を妻の容色が衰えたことまでも含めたということから、当時、女性は大した理由もなく離縁状だけで一方的に離縁されていた状況にあったようでした。
 
 そしてそのような社会状況を憂えて、弱い立場の女性の側に立ちつつ、女性を擁護するために発言したのがイエスだったのです。
 
 
2.イエスは社会的弱者の本物の弁護者であった
 
 先週、十二年前に山口県光市で起きた母子殺人事件の最高裁判決が下り、事件当時十八歳であった被疑者の死刑が確定しましたが、世間を憤慨させたのが元少年の弁護人たちの法廷闘争戦術でした。
彼らの多くは死刑制度反対という主義に立っている弁護士たちで、彼らの主義主張を実現するために当該の事件を利用したともいえます。しかも挙句に支援者の一人で、女性の人権拡大を主張する女性牧師が被疑者と養子縁組を結んで改姓をするという小手先の細工を弄したりもしました。
 
 これに比べてイエスの場合、どこの弁護士会に所属するわけでもなく、まさに一匹狼のようでありながら、真の社会的弱者のための擁護者としてパリサイ人だけでなく、男性優位の男社会とも対峙し、そもそもの初めから聖書(律法)を解き起こして、弱者のための弁論活動を行われたのでした。
 
「しかし、天地創造の初めから、『神は人を男と女とに造られた。それゆえに、人はその父母を離れ、ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である」(10章6~8節 創世記2章24節)。
 
 これは創世記からの引用です。
 
「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」(創世記2章24節)。
 
 本来、男女の結びつきにおいては男性の優位性も無ければ、女性の劣位性もない、彼らは父母を離れて、すなわちそれぞれが自立した男性、女性となって一体となるのだとし、結婚生活の同等性と協力性を確認した上で、神が合わせたものを人は離してはならないと、その不可分性を強調したのでした。
 
「だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」(10章9節)。
 
 この九節のイエスの言明をもって、離婚が禁止されていると取る人や教会もありますが、決してそうことではありません。
このイエスの言葉は、「神が合わせられた」二人の関係を、「人は」すなわち夫(男)は自分の都合や恣意、好みなどの根拠のない理由でみだりに「離してはならない」という意味なのです。
つまり、イエスの言葉は男性優位の男社会において、弱い立場の女性の権利と将来とを守る強力な弁論でもあったのでした。
 
 それは弟子たちの質問に対する答えにおいても明らかでした。
 
「家にはいってから、弟子たちはまたこのことについて尋ねた。そこで、イエスは言われた、『だれでも、自分の妻を出して他の女をめとる者は、その妻に対して姦淫を行うのである。また妻が、その夫と別れて他の男にとつぐならば、姦淫を行うのである』」(10章11、12節)。
 
 イエスの言葉の意味はこうです。だれでも、妻の不倫という事実以外の理由で妻を離縁することは、たとい離縁状が正規に発行されていたとしても、事実上、その婚姻関係は継続していることになる、そのため、別に他の女性と婚姻関係を結ぶことは重婚となり、それは元々の妻に対する背信行為とさえなるうえ、さらに離縁した妻が他の男と婚姻関係に入った場合、夫は別れた妻に姦淫を行わせることになるのだ、ということでした。
 
 もちろん、今日の日本国の民法においては、婚姻が継続し難いことが明らかになり、かつ両者が合意しさえすれば、離婚は成立します。
しかし、当時、あまりにも男性が有利で女性が不利であった古代ユダヤの法の解釈と適用に関しては、これくらいの極端とも言える、「神が合わせたものを、人は離してはならない」という宣言は、弱者である女性を守るためには必要だったのでした。
 
イエスこそ、時代を超えて、社会的弱者を守る本物の弁護者であったのでした。
 
 
3.イエスの武器は弱者を思う感性と想像力であった
 
 聖書を読むにあたっては、単に表面の文字面を解釈するのではなく、前後の文脈から全体を判断することが求められ、また場面、場面に登場する人物の気持ちを推論することが何よりも重要なことでした。
そしてこの聖書箇所の解釈のためには、古代ユダヤにおける男性と女性の位置や権利の関係を理解することが必要であり、同時に、発言者であるイエスの気持ちを推し量ることが大事でした。
 
 イエスについて驚くのは、イエスが当時、せいぜい三十五歳か三十六歳の年齢であって、しかも独身の男性であったということです。
女性が男性に持つ不満は女性の立場や心理に対して男性があまりにも鈍感であるということです。しかしイエスは女性特有の感情、悩み、不満、不安をあたかも女性自身であるかのように理解していたのでした。
 
 その細やかな理解はどこから来たのか、イエスの人間理解の武器は何だったのかという問いに対しては、イエスの生育環境に答えがあると言っても言い過ぎではないでしょう。
 
イエスは故郷のナザレではヨセフの子というよりも、「マリヤの息子」と呼ばれておりました。
 
「この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか」(6章3節)。
 
それは養父のヨセフが早くに亡くなったからという理由だけではなく、イエスが不義の子として生まれたという噂が故郷のナザレには常にあったことを意味しました。
そのような環境や立場が、イエスの中に弱者の痛みを共感する感性を育て、また人が自分自身でもうまく理解できないような心の内奥の叫びを聞き分ける想像力というものを、イエスの中に生み出したのだと思われます。
 
「この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなおかたではない。罪を犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試練に会われたのである」(ヘブル人への手紙4章15節 347p)。
 
 イエスは時代を貫いて、昔も今も、そして将来も、社会的弱者の味方である本物の弁護者なのです。
このお方に守られながら強くもされて、私たちもまた、弱さの中にある人々の真の理解者、サポーターになりたいと思うのです。