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2012年1月22日日曜礼拝「みんなに仕える者が一番偉い」マルコによる福音書9章30~37節

12年1月22日 日曜礼拝説教

「みんなに仕える者が一番偉い」

マルコによる福音書9章30~37節(新約聖書口語訳66p)

 
 
はじめに
 
 先週は地中海でイタリアの豪華客船が起こした海難事故のニュースがテレビの報道番組で取り上げられました。
中でも船の事故の場合には、最後まで船に残って乗客の救出にあたる筈の船長が、船からさっさと逃げ出していたことが判明し、船長に非難が殺到しました。
 
ある日の夕方の報道番組の中で、いち早く逃げだした船長についてキャスターが、「驚きましたねえ」と慨嘆したのに対して、世界各地での豊富な取材経験を持つコメンテーターが、「わたしは特に驚きません。外国ではこれがけっこう普通のことであって、きちんと義務を果たすのは日本人だけなんです」とコメントしていたことが印象的でした。
 
ところで後楽園の名称の元ともなった「先憂後楽(せんゆうこうらく)」は、今から三千年くらい前の中国の、范仲淹(はんちゅうえん)という政治家で詩人でもあった人が書いた漢詩の「岳陽楼記(がくようろうき)」の最後にある言葉で、これは「民の憂(うれ)いに先んじて憂い、民の楽しみに遅れて楽しむ」と読むのですが、政治を司る者や指導的立場に立つ者の心得として有名です。
 
この「先憂後楽」は本家の中国ではとっくの昔に死語になってしまいましたし、北朝鮮には初めからありませんでしたが、自戒をこめてこれからの日本が現在の中国の後を追わないようにと願うものです。
 
今週のマルコによる福音書からは、「先憂後楽」に通ずるイエスの教えを学びたいと思います。
 
 
1.心を低くしてみんなに仕える者が一番偉い
 
 北パレスチナへの長い旅を終えてイエスと弟子たちがガリラヤ湖畔にあるカペナウムの町に帰ってきました。
 
「それから彼らはカペナウムにきた」(マルコによる福音書9章33節前半 新約聖書口語訳66p)。
 
 その帰り道、弟子たちは何やら論じ合っていたようです。昔は、師匠が前を歩き、弟子たちは三々五々、その後ろに付いていくということが一般的でした。
弟子たちの話は段々と声高になって、イエスに聞こえたようでした。そこで、家に
入って落ち付いた時にイエスは、「あなたがたが道々、何をあんなに熱心に論じ合っていたのか」と尋ねられました。
 
でも弟子たちはバツの悪そうな雰囲気で、互いに顔を見合わせるばかりでした。それは彼らが、キリストであるイエスによってこの地上に神の国が建国された時、最も高い位に就くのは誰だろうかと、口角泡を飛ばして論じ合っていたからでした。
 
「そして家に入られるとき、イエスは弟子たちに尋ねられた、『あなたがたは何を途中で論じていたのか』。彼らは黙っていた。それは途中で、だれが一ばん偉いかと、互いに論じ合っていたからである」(9章33節後半、34節)。
 
 「黙っていた」(34節)のは、イエスには知られたくはない議論を自分たちがしているという自覚が彼らにあったからでした。
 
作者は不詳ですが、良く知られている言葉があります。キリストは黙って聞いておられるのです。
 
「キリストはこの家の主(あるじ)にして、食卓ごとの見えざる客、あらゆる会話の黙せる聴き手なり」
 
 イエスは十二弟子たち全員を呼び寄せて、上に立つ者、あるいは上に立つことを志す者の持つべき心得というものを、この機会に諄々と説き聞かせました。
それは心を低くしてみんなに仕える者が、一番偉いのだ、ということでした。
 
「そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、『だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない』」(9章35節)。
 
 明治時代の中頃から後半にかけて板垣退助らと共に自由民権運動に関わった政治家、片岡健吉についてのエピソードが残っています。
 
ある人が高知県に出張し、日曜日に高知のある教会に出席したところ、玄関で一人の年配の男性が沢山の草履(ぞうり)を点検し、切れた鼻緒(はなお)を取り替えるなどして、それらを出席者のために次々と並べる奉仕をしていたそうです。昔はスリッパではなく、草履でした。
「この人、どこかで見たような」と思いつつ、帰京して新聞を見てびっくりした、というのは、そこに載っていた帝国議会衆議院議長の顔写真が何と、高知の教会でニコニコと来会者を迎えていたおじさんだったからでした。
片岡健吉は洗礼を四十一歳で受けたのち、五十九歳で亡くなるまで、国会が閉会すると故郷に戻り、教会で受付の奉仕をすることを喜びとしていたとのことです。
 
 人物が大きい人ほど頭が低く、また人の好まない雑用なども喜んで引き受けもしますが、中身のないつまらない人ほど、頭を下げるのを嫌い、そんな雑用を何でしなければいけないのかと仕事や用事を選り好みし、世間的な肩書きにこだわります。
それはなぜかと言いますと、本当に偉い人は、人の評価を気にしないため、バカにされても平気ですが、中身のない人は中身がないため自信が持てず、人の目や世間の評価がやたらと気になるからです。
 
 ある教会で、「役員会」という呼称を「奉仕者会」に変更したそうです。教会役員になると何か自分が偉い者になったように錯覚して、態度が大きくなるという人が出てきたからだそうです。
 
イエスは言われたのは、心を低くして、しもべのようにみんなに仕える人が、実は一番偉いのだということでした。
 
 
2.手のかかる者の世話をする者が誰よりも偉い
 
 いま、日本では韓国がブームだそうですが、その韓国で栄えているのはサムスンだけで、「サムスン栄えて、国滅ぶ」とも言われているようです。
以前読んだ小室直樹(この人こそ博覧強記、あらゆる学問分野に秀でた一種の天才でしたが)の著作に、日本と韓国の文化を比較して、日本にプロテスタント的な資本主義が定着、発達したのは、日本が古来、上から下まで勤労を尊んだからである、これに対して隣国では支配階級の両班(やんぱん)が、労働は卑しい者がするとした、そしてこの国の人たちの夢は、稼いで富んだ暁には、自分は働かないで人を働かせることだった、という分析があったことを思い起こしますが、イエスの弟子たちの場合にも、人に仕えることは卑しいことであるという価値観があったようです。
 
 そこでイエスは弟子たちに、仕えるということはどういうことかを教えるために、幼な子を用い、実物レッスンという手法で彼らの理解を助けようとされました。
 
「そして、ひとりの幼な子をとりあげて、彼らのまん中に立たせ、それを抱いて言われた、『だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのである』」(9章36、37節)。
 
 この場合の「幼な子(36節)」とは、手のかかる者、という意味です。「幼な子」は人の助けを必要とします。でも「幼な子」は人を助けることはできず、ただ世話をしてもらうばかりです。
妻の話によりますと、娘の二歳半になる子供、つまり孫は毎晩、娘の肩に湿布薬を貼るのだそうです。湿布薬は私も時々ば妻の腰や肩に貼るのですが、これがなかなか難しい、それを上手にしているというのは感心しますが、しかし、「幼な子」に手がかかることは事実です。
 
「幼な子」は親に対しても、誰に対しても通常、何も還元することはできません。一方的に助けを求め、世話を焼かせます。手がかかります。時間をとらせます。
そのような、つまり「幼な子」のような手のかかる者を拒まずに、キリストの「名のゆえに」(37節)、つまり、あたかもキリストご自身であるかのように受け入れることが、「みんなに仕える」(35節)ことであるとイエスは言われたのでした。
 
 「ナルニヤ国物語」で知られる英国の作家、C・S・ルイスの書いた「悪魔の手紙」は、地獄の副長官スクルーティプが見習い修業中の悪魔の甥ワームウッドに送った書簡集のかたちをとったキリスト教文学ですが、叔父の悪魔が甥に対し、人間を苛立たせることによって神との間に溝をつくらせる方法を伝授するさまが風刺的に書かれています。
 
ベテランの叔父は教えます、「甥よ、いいか、よく聞け、人間にとって時間というものは本来、神から与えられたものだが、お前はお前のターゲットに、二十四時間全部が自分のものだと錯覚させよ、そうすればそのターゲットはお前のものになる、なぜならば、本来は神のものであるにも関わらず、自分のものだと思い込んでいる時間というものが、仮に少しでも他人に使われることになったならば、ターゲットはたちどころに平静さを失い、苛々して人をうらみ、神をのろうに違いないからである」と。
 
 特に手のかかる幼な子の世話は、エネルギーや神経だけでなく、貴重な時間を費やします。だからこそ、手のかかる者の世話をする者が、誰よりも偉いのです。
 
 
3.手のかかる者たちのために命を捧げたイエスが最も偉い
 
 弟子たちが高い地位に上ることを求めた動機は、やはり人の上に君臨したいという、アダム以来の原罪の影響を受けていたからであると思われますが、もしも高い地位に上ることが、その地位について良い仕事をして、それによって社会に貢献したい、弱者を助けたいという純粋な動機によるものであるならば、イエスはその人を評価すると思います。
 
今野 敏という作家が吉川英治文学章を受賞した「隠蔽捜査」という警察小説には、日本の警察小説としては異例の主人公が登場します。警察小説の主人公は通常、刑事なのですがこの小説の主人公はキャリア官僚です。「相棒」の杉下右京もキャリアですが、「隠蔽捜査」の主人公は東大法学部を出て、国家公務員上級甲種(今は?種)試験に合格して警察庁に入り、順調に出世の階段を上るのですが、より高い地位に就きたいというその動機について彼は、自分の一命を投げ打って国家の治安を守るためであると公言し、実際にその通りに打算抜きで行動するのです。
もしもこのような人が高級官僚の中に実際にいるのであれば、出世という手段がいつの間にか目的に変質してしまわないようにと神の祝福を祈りたいと思います。
 
弟子たちの問題は、イエスがこの世に来られた目的を正しく理解していなかったことでした。イエスはガリラヤに戻る途中、またもご自分の死と、死からの復活を予告されます。
 
「それから彼らはそこを立ち去り、ガリラヤをとおって行ったが、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。それは、イエスが弟子たちに教えて、『人の子は人人の手にわたされ、彼らに殺され、殺されてから三日目によみがえるであろう』と言っておられたからである」(9章30、31節)。
 
でも、弟子たちはイエスの言葉の意味を確かめることを意識的に避けていました。
 
「しかし、彼らはイエスの言われたことを悟らず、また尋ねるのを恐れた」(9章32節)。
 
 イエスの予告の真意を確かめることを弟子たちが「恐れた」(32節)のは、もしもイエスが殺されたならば、彼らが願い、描いていた、イエスがキリストとして、ローマ軍を駆逐してユダヤをローマ帝国の桎梏から解放し、この地上に神の国をつくって、弟子たちを高い地位に任じるという夢が崩れてしまうからであり、そうなれば彼らの野望も水泡に帰してしまうからでした。
 
 しかし、有り難いことに、そんな自己中心的な「幼な子」同然の無力な弟子たちや私たちのために、イエスはご自分を犠牲にしてくださったのでした。
「幼な子」はいつまでも「幼な子」のままではありません。弟子たちもこの時点ではまだ、それこそ手のかかる「幼な子」のようなものでしたが、このあと、イエスの御言葉の真の意味を悟り、聖霊の満たしを受けて、この世の霊的、信仰的な「幼な子」たちに仕え続けて行くことになります。
 
そして私たち一人一人は、彼ら弟子たちの後継者なのです。