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2011年12月25日クリスマスファミリー礼拝メッセージ「光あるうちに光の中を歩め」マタイによる福音書2章1~8節

2012年も12月に入りました。今年は衆議院選挙もあって、騒がしい毎日です。

キリストの生誕を記念するクリスマスも近づいてきました。今年も教会では23日の日曜日にはクリスマス礼拝をし、24日のイブにはイブ礼拝を行います。

そこで、昨年のクリスマス礼拝メッセージをここに掲載したいと思います。聖書の言葉をぜひ味わってください。 (2012年12月7日)

 <2012年クリスマス礼拝案内ページはこちら>

11年12月25日(日) クリスマス・ファミリー礼拝説教

「光あるうちに光の中を歩め」

マタイによる福音書2章1~8節(新約聖書口語訳2p)
 
 
はじめに
 
 二〇一一年ともあと一週間でお別れです。節電の冬とはいえ、宇宙から見れば日本の夜はそれでも明るく輝いている筈ですが、半島の北の場合、首都ではあっても毎日数時間は停電で、夜などは真っ暗なのだそうです。
しかし、ほんとうに真っ暗なのは一部の特権階級を除いた一般民衆の心であり、今の暮らしであり、そして未来でしょう。
 
この十七日に北の「将軍様」が急死したそうですが、「二十一世紀の太陽」、「人類の太陽」と呼称されたお方の死を受けての北の住民の反応は、南からの報道によりますと、
大した問題ではないと受け止めている住民が五割、よくぞ死んでくれたという反応が二割、その死を悲しんでいるのは三割、とのことです。
 
多数の国民を餓死寸前にまで至らせながら自分は贅沢三昧の生活をし、自らが首謀者となって無辜の日本人を多数誘拐して、被害者はもとよりその家族にも塗炭の苦しみを味わせながら、しかもその責任を部下に転嫁して、恬(てん)として恥じない首領様に支配されてきた北の住民の、そして孤絶した異国の地で絶望感に苛まれながらも、それでも希望を失わずに帰国を夢見て頑張っているであろう拉致被害者たちの未来を、人類の真の太陽であるイエス・キリストが明るく照らしてくださるようにと祈りつつ、二〇一一年のクリスマス礼拝をここに捧げたいと思います。
 
そのイエス・キリストは生前、ユダヤ人群衆に向かい、ご自分を神から遣わされた光であるとした上で、「やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかっていない。(だから)光のある間に、光の子となるために、光(であるこの私)を信じなさい」とお勧めになりました(ヨハネによる福音書12章32節後半、33節)。
 
その意味でも、「光のある間に」「光を信じ」て「光の子とな」った幸運を、私たちは改めて感謝したいと思います。
 
 
1.以前は闇、そして今もこれからも闇
 
 以前は闇、そして今も、これからも闇であったという人物がいました。ヘロデ大王です。
 
「ヘロデ」はユダヤとは敵対関係にあるイドマヤの出身でしたが、ユダヤを支配していたローマ帝国の支配者の寵愛を受けて、紀元前四十七年にユダヤの領主に、そして四十年に王の称号を受けてヘロデ大王と呼ばれるようになった人物です。
その治世の初期にはエルサレム第二神殿の改築に尽力し、善政を施しはしましたが、その性(さが)はまことに残忍で猜疑心が強く、晩年には自分の権力の座を脅かすと考えた妻と義母とを殺し、更に三人の息子までも殺害するに至ります。
 
結局、紀元前四年に死去するのですが、その死去する二年ほど前、「誕生したユダヤ人の王に謁見したい」と申し出た東方からの賢者を王宮に迎えます。
 
「イエスがヘロデの代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、『ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました』」(マタイによる福音書2章3節 新約聖書口語訳2p)。
 
 
「東から来た博士たち」(1節)とは現代のイラク、イランで活動していた占星術の学者たちで、今でいう天文学者です。彼らは聖書の伝承と星の観測から、救世主が誕生したことを確信してはるばる旅をして来たのでした。
王が誕生したのだから王宮にいるに違いないと単純に思ったからこそ、ヘロデ王の王宮にやってきたのでしょう。
 
 博士たちの話を聞いたヘロデは、かたちだけでも一応はユダヤ教徒でもありますから本来は喜ぶべきなのですが、彼が感じたものは「不安」でした。
 
「ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた」(2章3節前半)。
 
 
ヘロデが真っ先に感じたのは自分の地位と権力の喪失という不安でした。
地位や立場というものは、神の御心を行うために与えられているものなのですが、いつの間にか、その地位にいること自体が目的化してしまう危険性があります。
況してやヘロデのように権謀術数を駆使し、ライバルと思われる者を次々と謀殺したり陥れたりしておのが地位を保ってきた者にとっては、新しい「ユダヤの王」の出現の知らせは、それこそ天地がひっくりかえるような危機の到来に思えたのでした。
 
彼はその後、メシヤ・キリストがエルサレムから南に十キロほどのベツレヘムに誕生するという聖書学者の聖書解釈に基づいて、博士たちをベツレヘムに先に行かせます。
 
「そこで」、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現われた時について詳しく聞き、彼らをベツレヘムにつかわして言った、『行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから』(2章7、8節)。
 
 
しかし、「拝みに行くから」(8節)というのは真っ赤な嘘であって、ライバルである幼な子を抹殺することによって、おのれの地位の安泰を図ろうとしたのです。
ヘロデ王の陰謀を知った博士たちは、別のルートから東へと戻っていきますが、ヘロデはその後、ベツレヘム周辺の二歳以下の幼児を残酷にも全員殺戮してしまいます
 
「さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基づいて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子、ことごとく殺した」(2章16節)。
 
 
まさにヘロデの人生は、以前は闇であり、救世主の誕生を聞いた今も、そしてこれからも闇であったのでした。
ヘロデ大王こそ、「神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくな」(ローマ人への手紙1章21節)った、意識的無神論者の典型でした。
ヘロデは結局、博士たち来訪の二年後の紀元前四年に、エリコにおいて六十九歳で死去しますが、彼の死を悼む者は、国民はもとより、近親者にもいなかったと言われています。
 
ヘロデは知りませんでしたし、また知ろうともしませんでしたが、彼が殺そうとした幼な子こそ、闇の中にいる彼を救うために世に来られた救い主だったのです。
 
 
2.以前はグレー、そして今もこれからもグレー
 
当時の、神に仕える宗教家たちはどうだったのでしょうか。東からの博士たちの来訪を受けたヘロデはその王宮に祭司長や律法学者たちを緊急招集して、キリストの生誕場所を聞き糺しました。
 
招集された宗教家たちは即座に、小預言書のミカ書を紐解いて、「それはダビデ王の故郷のベツレヘムです」と答えました。
 
彼らは王に言った、『それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」(2章5、6節)。
 
 彼らの答えは正確でした。彼らは聖書の専門家であって、その聖書研究の結果、メシヤ・キリストがベツレヘムに生まれるということはとっくに承知をしておりました。
では、彼らは信仰的に飢え渇いてメシヤ・キリストの到来を待望していたかというと、そうではなく、神殿儀式を行い、聖書と伝承の研究を行うことで満足をしていたのでした。
彼らは確かに、ヘロデのような敵愾心をキリストに持つわけではありませんが、しかし、日々の務めに忙しくしていて、神が遣わす救世主に対し、関心を払おうとはしなかったのです。
 
彼らは博士たちからの情報と、自分たちの聖書研究の結果を照合して、メシヤに会うため、ベツレヘムに行くべきでした。
しかし、聖書には彼らがキリストを求めて十キロ先のベツレヘムに赴いたという記録はありません。彼らは机上の聖書研究だけで満足していたのでした。
ここには書斎に閉じこもりがちな、現代の牧師たちへの警告があると思います。
 
自らの務めに熱心であることはよいことです。しかし、神の約束に対して無関心であることは、ある意味では愛には最も遠い生き方であると言えます。
だからこそ復活のイエスはヨハネの黙示録において、熱心さを失ったラオデキヤの教会に対して、愛と信仰に燃えるべきことを求めたのでした。
 
「アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう」(ヨハネの黙示録三章14~16節 390p)。
 
聖書について精通していること、神学を論じるだけの専門知識を持っていることはすばらしいことです。しかし、聖書について精通していることと、神の心を知っていることとは別のことなのです。
 
ユダヤの宗教家たちは、知識はあっても、神の心を窺おうとはしませんでした。彼らは色に譬えるならばこれまでもグレーであり、今もグレーです。
そして、彼らの多くはグレーのまま生き続けました。しかも彼らの後継者の中には三〇数年後、罪なきイエスに有罪を宣告してグレーから闇となった者もいました。
 
しかしまた、その中にはグレーから明るい光となった者も、少数ですがいたことはいました。それがアリマタヤのヨセフであり、ニコデモでした。
 
「そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという人が、イエスの死体を取りおろしたいと、ピラトに願い出た。…また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬(もつやく)と沈香(ぢんこう)とをまぜたものを百斤ほど持ってきた」(ヨハネによる福音書19章38、39節)。
 
しかし、それはほんの一握りの人であって、大部分はグレーのままでした。
 
 
3.以前は薄明かり、しかし今は光、そしてこれからも光
 
 東方から来た博士たちは、信仰的には異教徒でした。恐らくはペルシャの宗教であるゾロアスター教の信仰を持っていたかも知れませんし、あるいはその祭司であったかも知れません。
ゾロアスター教とは光の軍団を率いる善神アフラ・マズダと悪の軍団を率いる闇の神アンリ・マンユ(アーリマン)とが永遠に闘争を続けるという善悪二元論的宗教です。
 
その博士たちは星の観測とユダヤの伝承とを結びつけ、世界を救済する救い主の誕生を祝うべく、キャラバンを組んでパレスチナへと向かったのでした。彼らはあたかも星に導かれるようにしてベツレヘムで幼な子に会い、心からなる礼拝を捧げて、故国へと戻っていきます。
 
「そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へと帰って行った」(2章11、12節)。
 
 英国の聖書学者バークレーによりますと、彼らが捧げた「黄金」は金属の王ともいうべきものであって、それは人間の王に相応しい贈り物であった、また「乳香」は神と人間との架け橋の務めを担う祭司への贈り物であって、大祭司となって神に通う道を造られたイエスにこそ相応しく、さらに「没薬」は死者への贈り物であって、それはイエスの死を暗示しているのだそうです。
 
もしそうであるならば、博士たちのイエスに対する理解は、律法学者のレベルを超えて、しかも弟子たち以上の理解であったということにもなります。
 
 博士たちは心からなる礼拝を捧げてから、故国へと戻っていきましたが、イエスを拝んだとき、神の御子の持つ輝く光が彼らの心の隅々までも照らしたのでした。
彼らはかつて、宗教的にも信仰的にも薄明かりの中におりましたが、イエスと出会ってからは光の中へと導かれ、真の光の中を歩む者とされたのでした。
 
この時以来、博士たちの礼拝と祈りの対象はゾロアスター教のアフラ・マズダではなく、世の光としてこの世に来られたイエス・キリストとなったと、わたしたちは確信するのです。
 
この日本には、聖書を読んだことがないためにイエス・キリストを知らず、しかし、博士たちのように真実を求めて敬虔に生きている人々が大勢います。
私たちは篤い宗教心を持ち、真面目に暮らしている同胞が、東から来た博士たちのように、その探求の果てにキリストに出会うことにより、ついには薄明かりのような状態から真昼のような光に導かれますようにと、切に祈りたいと思います。