2011年12月24日 クリスマス・イブ礼拝説教
「ベツレヘムの星は今宵も」
マタイによる福音書2章1、2、9~12節(新約聖書口語訳2p)
はじめに
関西では毎週日曜日の午後に、「たかじんのそこまで言って委員会」という番組がテレビで放映されておりますが、今週の番組では「今年のポンスケ大賞」の選考という企画がありました。
「ポンスケ」というのは関西弁で言うと、どうしようもないアホウという意味だと思いますが、三宅久之という政治記者出身の政治評論家があちこちの番組で使い始めたことから、広がったようです。
そして、当該の番組でノミネートされたポンスケ候補のうちの三人が、政権党の元、前、現の総理大臣で、結局、ポンスケ大賞に輝いたのは何もしないで居座りを続けたとされる前総理でした。
巷の声も前総理を厳しく批判していましたが、しかし、もしも批判をするのであれば、この政権を選んだ有権者たちも、この党に投票した自らの不明を先ず恥じなければなりません。
日本人がいつの間にか、自らを省みて恥じる、という美徳を失って、自己中心的になりつつあるというこの傾向は、特に正月の初詣にも見られるようです。
一週間後の正月三が日には、各地の神社は参拝客で賑わうことと思いますが、参拝目的が「家内安全」「商売繁盛」「無病息災」という、自らのこれからの幸せを祈願するだけではなく、神あるいは神々のこれまでの守護に対する御礼を表明する参拝であって欲しいものだと思うのです。
少なくとも江戸時代、明治時代までの日本人の神社参拝の主たる目的は「お礼参り」という言葉が示すように、神あるいは天から受けている日々の恩恵を感謝するためのものであったようです。
もちろん、願いごとを叶えてもらうことを目的とした「お百度参り」もありましたが、通常の参拝は、拝むこと自体が目的だったのです。
1.拝むことを何よりも優先させた東方の賢者たちに学ぶ
ところで今は数少なくなってしまった純粋な原日本人とでもいうべき人種が、実はキリスト降誕の話に必ず登場する東方の賢者たちでした。
彼らはただただ救世主を拝むという目的のためだけで、メソポタミア流域から遠路はるばる、パレスチナへと旅をしてきたのでした。
「イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、『ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました』」(マタイによる福音書2章1、2節 新約聖書口語訳2p)。
賢者たちの旅の目的は実に明快です。「わたしたちは…そのかたを拝みにきました」(2節)。「拝みに」来たのです。
しかも、ベツレヘムにおいて嬰児の救世主を見いだすや否や、ひれ伏して拝んだ上、大事に持参してきた貴重な宝物を献上したのでした。
「そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬(もつやく)などの贈り物をささげた」(2章11節)。
彼らは「東からきた博士たち」(1節)とありますが、口語訳が「博士たち」と訳した原語の「マギ」を新共同訳が「占星術の学者たち」と訳したように、古代においては、星占いは国家の命運や未来を示す一つの科学として位置付けられていました。
また彼らは「東からきた」とありますように、パレスチナの東、おそらくは現在のイラク、イランあたりで星の運行を観測していたのでしょう。
彼らは「東の方で」(2節)ユダヤの王の出現を示す「その星を見た」(同)からと言っていますが、パレスチナから見た「東の方で」ある現在のイラク、イラン地域には、紀元前八世紀から六世紀にかけて、イスラエル民族が相当数、虜囚となっておりました。当然、その地域には彼らを通して聖書の言い伝え、伝承というものが伝えられていたと考えられます。
実は「トーラー」と呼ばれるモーセ五書には後の世に、ユダヤから世界を救う救世主が生まれると書かれていたのでした。
「わたしは彼を見る、しかし今ではない。わたしは彼を望み見る、しかし近くではない。ヤコブから一つの星が出、イスラエルから一本のつえが起こり、モアブのこめかみとセツのすべての子らの脳天を撃つであろう」(民数記24章17節 旧約聖書口語訳224p)。
「ヤコブから一つの星が出」る、という記述は、将来、ユダヤから救世主が誕生するという預言として、古代の中近東の宗教者、知識人に広く浸透していたと考えられています。だからこそ博士たちは、人類を救済する約束の救世主を拝むべく、苦難の旅を続けてきたのでした。
彼らは人として、栄耀栄華を極めることを目的とせず、また権力を行使する地位を得ることを目的とはせず、ただただ、人類の救済者として自分たちの世に現われたお方を拝むことに、その生きる意味と価値とを置いていた人たちであったのです。
そのような生き方は、自己の利害を優先する利己主義者にとっては昔も今も、愚の骨頂の生き方であり、見方によっては「ポンスケ」と見えるかも知れません。
しかし彼らは何よりも、人類のために誕生した救世主を拝むことを人生の優先順序の筆頭に置いて行動した人々でした。そして昔も今も、神はこのような人を尊び、愛し給うのです。
2.救世主を拝むために、自然と聖書を手掛かりとした賢者たちに学ぶ
クリスマスと言えば星です。通常、クリスマスツリーのてっぺんには星が飾られますが、それは博士たちが東方で、そしてベツレヘムへの途上で星を見たからでした。
「わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」(2章2節後半)。
彼らが東方で見た星については、さまざまの見解があり、現在まで確定したものはありませんが、「ケプラーの法則」で有名なドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーが十七世紀のはじめに、「紀元前七年に土星と木星が三度接近するという現象が起こり、翌年にはこれに火星が加わった、これが、博士たちが東方で見た星であろう」と、自身の観測と計算に基づいた説を唱えたということです。
では星が博士たちを導いたのかと言いますと、確かにそのようには読めるようです。
「彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった」(2章9節)。
しかし実は彼らにはそのように見えただけであって、星は彼らを救世主のもとに導く手掛かりの一つでしかありませんでした。
では、別の手掛かりは何かと言いますと、虜囚のイスラエル人から教えられた、「ヤコブから一つの星が出」(民数記24章17節)るという聖書の伝承でした。
これらの手掛かりはおぼろげであったからこそ、彼らは最初、王宮のあるエルサレムに向かったのでした。
「イエスがヘロデの代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東から来た博士たちがエルサレムに着いて言った、『ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか』」(2章1、2節前半)。
そして彼らがそのエルサレムにおいて救世主の誕生地がベツレヘムであることを知ったのは、律法学者の聖書解説を聞いたからでした。
「彼らは王に言った、『それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています。ユダの地、ベツレヘムよ、…おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」(2章5、6節)。
星は自然を代表するものであって、わたしたちは星の向こうに自然を創造した神を見るのです。ですから、先ほど、宇田川智加姉妹にも歌ってもらったアメリカ人が愛してやまない、一九四〇年に公開されたディズニーのアニメ映画「ピノキオ」の主題歌である「星に願いを」という歌を聞き、また歌うとき、実は彼らは星を創造したキリストの神を想うのです。
自然は創造者なる神を啓示します。しかし、それはあくまでも間接啓示であって、先祖からの伝承もまた同様です。そしてより明確に神を示す直接啓示こそが神の言葉、聖書なのです。
博士たちは確かに伝承と星を手掛かりとして救世主に会いに来ました。しかし、彼らを救世主の許に導いたのは聖書の正しい解き明かしでした。
3.拝み終わって、満ち足りた思いで帰途についた賢者たちに学ぶ
メソポタミア地方からパレスチナまでは、現代であるならば飛行機で一飛びの距離です。しかし、当時は数カ月という日数、莫大な旅費と人手と荷物、そして盗賊の難という命の危険が伴う旅であって、それは一生に一度の大事業だったのですが、そのような数多(あまた)の犠牲と危険が伴う旅に彼らを駆り立てた動機は、ただただ救世主をこの目で見、実際に拝みたいという一心でした。
ですから彼らが東方で見た星がベツレヘムでも輝いているのを見た時、救世主を拝むことができるという期待にその胸を躍らせたのでした。
「彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた」(2章10節)。
そしてついに願いが実現したのでした。
「そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、…また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた」(2章11節)。
東方の賢者たちが来訪した時期は、幼な子の誕生からは既に数カ月が経過していたと思われます。イエスが誕生した所は宿屋に付属している馬小屋でしたが(ルカによる福音書2章6、7節)、賢者たちが「はいって」(11節)いったのは宿屋ではなく「家」(同)だったからです。
拝むという目的を達した博士たちはどうしたかと言いますと、来た道とは別のルートを通って、故郷へと帰って行きました。
「そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った」(2章12節)。
冠婚葬祭への列席には通常、引き出物が付き物ですし、それに加えてお返しという習慣もあります。では東方の賢者たちは何を持って帰郷したのかと言いますと、それは満ち足りた気持ち、すなわち、充足感につきました。
往路を期待に胸躍らせつつ困難な旅路を辿った彼らは、深い感謝と突き上げてくるような讃美に溢れて帰路についたと思われます。
真の礼拝と奉仕に対する神からのお返しは何かと言いますと、何物にも代えがたい充足感でした。
二〇一一年の日本は、政治は貧困、経済は行き詰まっているとはいえ、まだまだ恵まれています。
アジアの国々から羨望の眼差しで見られているのが日本です。不満を言えばキリがありませんし、誰かをポンスケと批判したくもなる現実は確かにあります。
しかし、救世主は二千年前の今宵、わたしたち人類のために、そして西洋から見れば極東に暮らす日本人のためにも生まれてきてくださったのです。
よくよく見れば、「ベツレヘムの星」は今宵もわたしたちの頭上に輝いているのです。
神はおられます。天地創造の神は確かに実在するのです。その神を虚心坦懐になって拝むというところから、物事を始める人は幸いです。そのような人には何物にも代えがたい、充足感、充実感に満ちた人生が待っています。