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聖書信仰に立つ正統的
キリスト教会です

寝屋川福音キリスト教会
(ファミリーチャーチねや川)
日本アッセンブリーズ
・オブ・ゴッド教団
関西教区
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キリスト教入門〜なぜキリスト教?(4
それは永遠不滅の体を与えることが出来るのは、イエス・キリストだけだから

2017.10.1

http://family-neyagawa.com/uploads/fckeditor/uid000001_20170924232909244062c3.jpg 長寿

 旧の敬老の日である9月15日、厚生労働省の調査で、「9月現在で全国の100歳以上の高齢者が前年比2132人増の6万7824人で、47年連続で過去最多を更新した」ことがわかりました。「医療の高度化や健康意識の高まりなどが要因と考えられる」ということです。
長寿はとにかく、大変喜ばしいことではあります。
 

死後

長寿はめでたいことですが、しかし、どんなに長生きをしても永遠に生きられるわけではありません。いつか、誰もが死を迎えることとなります。人は必ず死ぬのです。
人は死んだらどうなるのか、死後も意識はあるのだろうか、意識があるのであれば、死後の世界はどんな世界なのかなどと、心配になります。
死は、お若い方にはピンと来ない命題かも知れませんが、どんなに若い人もいつかは老いますし、その老いの延長線上に死が待っているのです。また親や祖父祖などは今確実に、残り時間の少ない人生を生きていて、いつかあの世へと送り出さなければなりません。
 

 

 

永久不滅の復活の体

 人が死んだらどうなるのかはだれもわかりませんが、死の世界から還ってきた人がいます。イエス・キリストです。そのキリストは死の世界からよみがえっただけでなく、神から永遠不滅の体を与えられて40日後に昇天しました。西暦30年の5月のことでした。
そして聖書は約束します。イエス・キリストを信じる者には死後、キリストと同じような不滅の体が与えられて、永遠を喜ばしく生きることができると。
 
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネの福音書)。
 
永久不滅の復活の体

六月の日曜特別礼拝では、なぜキリスト教なのか、「それは、神が世界の創造主で、人はその神に造られたものだから」のテーマで、唯一無二の神が実在していること、また八月は、「無力さと弱さに泣く私たちと、聖なる唯一の神との間を仲保、媒介するのが、人としてこの世に生まれた神の御子のイエス・キリストであるということ」を、そして九月の特別礼拝では、永遠の命の質的な面である、「現世における神との平和に入る道」をご紹介致しましたが、最終回の十月では、「永遠の命の量的、時間的面としての、不老不死でもある永遠の命を得る道」をご紹介致します。
 
教会では、初めての方にも理解し易い聖書の講話をご提供致します。
爽やかな秋風の吹く十月の最初の日曜日、ぜひお気軽に街角の教会にお越しになり、講話とゴスペルを楽しんでください。

ご来会をお待ちしております。

 

 


キリスト教入門〜なぜキリスト教?(3)
それはキリストだけが永遠の命を保証するから

2017.9.3

人間は有限

 人間と他の生き物とには多くの違いがあります。違いの一つは、人間だけが進歩し進化をすることができるということです。例えば、人間以外の生き物は環境を変えることはできませんが、人間のみ、道具を工夫して衣服や住まいを発展させてきました。それは人間のみが高い知性を持っているからでした。でも、他の生き物同様、人間もまた有限な存在であって、どんなに長生きをしても、いつかは人生の終焉を迎えます。

宗教

人間と他の生き物との決定的な違いは、人間だけが神を拝むという宗教心を持っているということです。テロ集団のISのように、宗教心は時には過激になって暴走したりすることがありますが、人間が人間を超越した存在を崇めるということは、人間であることの証です。文化、文明が進むほど、人間が神を求めるのは、人間が有限であるのに対して、神が無限の存在であるからです。

百五十年ほど前、フォイエルバッハというドイツの哲学者が、「神が人間を造ったのではなく、人間が自分に似せて神を造ったのだ」と主張しました。一面では当たっています。しかし、聖書の神さまは人間が造ったものではなく、永遠から存在していたのでした。人類はこの神に依存して生きているのです。ですから宗教心があることは人間であることのしるしと言えます。

永遠の命

無限の存在である神が有限な人間に無代価で贈ってくれるもの、それが、人間誰もが切に求めてやまない永遠の命です。

イエス・キリストの言葉です。 

「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたが使わされたイエス・キリストとを知ることであります」(ヨハネの福音書)。

 実は聖書が信じる者に保証する永遠の命には二つの面があります。

一つは質的なもの、そしてもう一つが量的なものであって、量的なものが時間的な意味での「永遠不滅の命」のことで、質的なものが「神との平和」です。

そして、量的な意味での不滅の命は来世つまり、人の死後に与えられますが、質的な意味での永遠の命はキリストを信じた瞬間から始まります。 

「神との平和」という永遠の命

六月の日曜特別礼拝では、なぜキリスト教なのか、「それは、神が世界の創造主で、人はその神に造られたものだから」のテーマで、唯一無二の神が実在していること、また八月は、「無力さと弱さに泣く私たちと、聖なる唯一の神との間を仲保、媒介するのが、人としてこの世に生まれた神の御子のイエス・キリストであるということ」をご紹介しましたが、九月の特別礼拝では、有限な人間が質的な意味での永遠の命を持つ方法、すなわち、「現世における神との平和に入る道」をご紹介致します。

聖書の分かり易い講話と麗しいゴスペル

教会では、初めての方にも理解し易い聖書の講話をご提供致します。

次回は九月三日(午前10時半〜11時50分)です。ぜひお気軽に街角の小さな教会にお越しになり、講話とゴスペルを楽しんでください。

 

ご来会をお待ちしております。

 


キリスト教入門〜なぜキリスト教?(2仲保者キリスト
2017.8.6

仲を取り持つ仲保者(ちゅうほしゃ)

 もう死語になってしまったかも知れませんが、昔は優しい母親を「慈母」と表現したのに対し、父親のイメージは「厳父」でした。

子供の頃、その父親を怒らせてしまい、「頭を冷やして反省しろ」と家の外に追い出され、心細く思っていると家から母親が出てきて、「一緒に謝ってあげるから家にお入り」と言ってくれた、というような経験は、年配の男性の多くが持っているようです。

そしてこの場合の母親のような存在を、少し難しい言葉で「仲保者(ちゅうほしゃ)」または「媒介者(ばいかいしゃ)」と言います。

 キリストこそが神と人との仲保者

そして、聖なる神と罪深い人間との間に立って執り成してくれる仲保者こそ、神がこの世に送ってくれたイエス・キリストであると、聖書は言います。

 「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである」(新約聖書テモテへの第一の手紙2章5節)。

  六月の日曜特別礼拝では、なぜキリスト教なのか、「それは、神が世界の創造主で、人はその神に造られたものだから」と、創造主なる唯一無二の神が実在していることをご紹介しましたが、八月は、無力さと弱さに泣く私たち人間と、生ける唯一の神との間を仲保、媒介するために、この世に人として生まれ、何一つ罪を犯さなかったにも関わらず、十字架に架けられた本物の仲保者がイエス・キリストであるということを、分かり易くご紹介致します。

 聖書の講話とゴスペルで

教会では、今年も六月から十一月までの六ヶ月間、第一日曜日の礼拝において、初めての方にも理解し易い聖書の講話を提供させていただきます。

次回は八月六日(午前10時半〜11時50分)です。ぜひお気軽に、お越しください。なお、この特別礼拝では、心に沁みるゴスペルの歌声も楽しんでいただけます。

 暑さの厳しい時期ですが、日曜日のひととき、街角の教会で講話を聴き、麗しいゴスペルで心を癒してください。ご来会をお待ちしております。

 


キリスト教入門〜なぜキリスト教?(1) 神は実在する
2017.6.4

神は沈黙している?

 遠藤周作の小説「沈黙」が映画化されて話題となりましたが、四十数年前の正教師試験の論文において、小説における転びバテレンのフェレイラの告白を引用したことを思い出しました。フェレイラは告白します、「この国は沼地だ。…どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめ、葉が黄ばみ枯れていく」と。でも、少なくとも当時の日本人信者はみな、日本という精神土壌に植えられてもその根は腐らなかったので、バテレンたちの教えをそのまま信じ受け入れ、踏み絵を踏まずに殉教を遂げたのでした。少なくとも彼ら殉教者たちにとって、神は沈黙の神ではなく、共に寄り添ってくれる存在であったのです。

神は実在している?

小説も映画も神の沈黙が主題の話題作でしたが、でも問題は「神の沈黙」ではなく、果たして神は、天地万物を創造した至高の神は実在をしているのか否かということです。

 永遠のベストセラーと言われる聖書は明瞭に神の実在を主張しており、しかもその神は天地万物を創造した唯一の創造主であるとします。

「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1章1節)。

人は神の被造物

 もしも神が実在しており、しかもその神が世界の創造者、天地万物の創造主であるとするならば、人がその神を無視して生きるということは道義に反することとなります。なぜならば、神が創造者であるならば人は神に造られた被造物であるということになり、しかも神が創造したものによって生かされているからです。

聖書の講話とゴスペルで

私どもの教会では、今年も六月から十一月までの六ヶ月間、毎月の第一日曜日の礼拝において、初めての方にも理解し易い聖書の講話を提供させていただくことになりました。

そして本年第一回目の講話は、六月四日です。この講話では創造者である神は決して沈黙することなく、人の叫びや呻きに対してその耳を傾ける神であることをご紹介致します。

またこの集いでは、心に沁みるゴスペルの歌声も楽しんでいただけます。

緑の眩しい六月の日曜日、街角の教会で講話を聴き、麗しいゴスペルで心を癒してください。

ご来会をお待ちしております。

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