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投稿者 : famillia 投稿日時: 2012-12-24 23:13:48 (1574 ヒット)
2012年礼拝説教

12年12月24日 クリスマスイブ礼拝説教

「クリスマス、それは希望の門が開かれた日」

マタイよる福音書7章13、14節(新約聖書口語訳10p)
 
 
はじめに
 
 今夜はクリスマスイブです。イブ礼拝にようこそお越し下さいました。「イブ」は夜を意味するイブニングの省略形ですが、一般にクリスマスイブはクリスマス前夜というように理解されています。
 
しかし、十二月二十五日がキリストの生誕日とされた古代のヨーロッパでは、一日は日没から始まって次の日の日没で終わりました。ですから現代の十二月二十四日の夜は、すでに二十五日だったのです。
つまり、クリスマスイブの今夜はクリスマス前夜などではなく、クリスマス本番の日なのだということを、最初に確認したいと思います。
 
 沖縄と大阪を舞台としたNHKの朝の連続テレビドラマの評判は今ひとつですが、主人公が就職した大阪のホテルのロビーの柱に、ラテン語の銘板が掲げられているという場面が出て来ました。
そのラテン語の訳は「歩み入る者には安らぎを、去りゆく者には幸せを」というものであって、先代の社長のお気に入りの言葉であるということでした。
 
そこで思い出したのが、もう二十年くらい前になるでしょうか、梅田のデパートで、画家の東山魁夷(ひがしやまかいい)の絵画展があって、たまたま通りがかりに入った時に見た、ドイツのローテンブルクという古い町の城門の絵の解説にあったのが、確か、この言葉でした。
正直に言いますと、絵の方はあまり印象がないのですが、絵に添えられていたこの言葉の方には強く心を惹かれたことを覚えています。
 
 ドラマでは、この言葉は町を囲む門の一つであるジュピタール門の上辺に刻まれている原文の通り、ラテン語大文字で
 PAX INTRANTIBVS   SALVS EXEVNTIBVS
と表示されていました。
 これらはそれぞれ、「パークス イントランティブス」「サルース エクセウンティブス」と発音するのですが、「BVS」を「ブス」、「LVS」を「ルス」、「EXEVN」をエクセウンと読むのかと言いますと、ラテン語で「U」が母音として使われるようになったのは中世になってからであって、古代では「V」でウーと読ませたからだそうです。
 
 ということは、西洋史に出てくるローマ帝国の実質初代の皇帝、アウグストゥス・オクタヴィアヌスは、オクタウィアヌスと読むのが正しい読み方ということになるのでしょう。
 
 ラテン語の発音談義はともかくとして、この言葉が刻まれている門の名称の「ジュピタール」は英語では「ホスピタル」だそうですが、このような言葉が刻まれている門であるならば、誰もが気分良く出入りがすることができると思います。実際、日本でもこの言葉をモットーとしている空港やホテル、テニスクラブなどがあちこちにあるとのことです。
  
ところで、人には人生を生きていくにあたって、どうしてもくぐらなければならない門というものがあります。
問題は、人が入るべき門とは何か、また避けるべき門とは何のかを識別することであり、その結果、どのような門をくぐるべきかを選択することが重要であるということです。
 
フランスの小説家、アンドレ・ジッドは今から百年前ほど前、イエスが語った言葉、「力を蓋(つく)して狭き門より入れ」(ルカによる福音書13章24節 文語訳)に基づいて、「狭き門」という小説を発表しましたが、門には入るかどうかを人が決めることのできる門と、選ぶことができない門とがあり、さらに、選ぶことができる門にも二つの門があることを教えています。
 
今晩のクリスマスイブにおいては、イエスが入ってはならないとした滅びに至る門と、イエスが入るようにと勧めた命に至る門について考え、さらに不可抗的に入らざるを得なかった門の中にも、希望の門があるということを教えられたいと思います。
 
 
1.大きく開かれた、滅びに至る絶望の門を選ぶな
 
 門には狭い門と大きな門があるようです。そこで今晩は最初に、広い、大きい門について考えたいと思います。
 
 皆様はダンテ・アリギエールという名前を聞いたことがあるでしょうか。ダンテという人物は中世のイタリア・フィレンツェに生まれた詩人であり、哲学者です。彼は「神曲(しんきょく)」という壮大な叙事詩を遺しました。
 
その作品はダンテが死後の世界を旅するという構成になっていて、彼が最初に行く場所が地獄で、そのあと煉獄、天国と旅することになるのですが、因みに煉獄というのはキリスト信者が天国に行く前に刑期を務める刑務所、あるいは更生施設のようなところであって、ローマ・カトリック教会独特の教義です。
 
ダンテが「神曲」で描く地獄についての描写は実にリアルであって、そこには身の毛もよだつような情景が描かれます。
 
特にその書き出しは、
人の世の旅路のなかば、ふと気がつくと、わたしはますぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた」(寿岳文章訳 集英社)で、
やがてダンテは森の奥で地獄の門に行きあたるのですが、その門に掲げられている言葉が、
われをくぐりて、汝らは入る なげきの町に 
われをくぐりて 汝らは入る 永劫の苦患(くげん)に 
われをくぐりて 汝らは入る ほろびの民に
であって、その最後に来る言葉が、有名な
一切の望みを捨てよ 汝ら われをくぐる者
でした。
 
つまり、ダンテによれば、ひとかけらの望みさえも持つことが出来ないところ、それが地獄なのでした。そして地獄は神話や伝説の世界ではなく、現に存在しております。
なぜ、地獄が一切の望みを持つことができないところなのかと言いますと、そこは神がいない所であり、神と断絶をしたところであるからです。
 
 イエスの言葉を読みましょう。
 
「滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い」(7章13節)。
 
 いま、中国が沖縄の尖閣諸島の領有権を主張して、公船つまり公の船を毎日のように日本の領海に乗り入れています。しかし、中国の指導者たちは尖閣諸島が歴史的にも国際法的にも中国のものではないことくらい、百も承知なのです。
 
地図を九十度、左に傾けてみればわかるのですが、中国から見れば沖縄を含む日本列島は、ちょうど、鍋の蓋のようなもので、太平洋に出て行くには目障りでしようがないのです。
もちろん、一九六〇代末に、国連の調査によって尖閣の海底に石油資源が眠っていることがわかってから、急に領有権を主張したことからも分かる通り、中国の尖閣「領有」は海底に眠っている厖大な資源欲しさからはじまった主張なのですが、最近はもっと大きな意味で、海洋覇権を得ることを目的としていることが明白になってきました。
 
彼らが、倫理的にも法的にもそれが明らかに間違いであるわかっていながらでも、人の物を自分の物と主張するのはなぜかと言いますと、それは、神を恐れるという信仰がないからなのです。これを「無神論」といいます。また、人は死んだら終わりであって、死後の命などはないという死生観で生きているからです。これを「唯物論」と言います。
 
 たとえば「南京大虐殺」にしましても、それが捏造であるということは知識人ならばわかっているのです。でも、この見解は、日本という国を倫理的に屈服させるためには極めて都合のよい事なので、捨てようとしないだけです。
 
日本軍が南京に侵攻した時の南京の人口は二十万人とされています。どうやって三十万人も四十万人もの市民を殺害することができるでしょうか。しかも日本軍が南京を支配してニ、三週間後には、町の人口は元に戻っていき、間もなく元の人口以上に増えているのです。本当に虐殺なるものがあったならば、逃げた住民は決して帰ってはこなかったでしょう。子供にでもわかる理屈です。
 
 もちろん、中国人全部が全部というわけではありません。中国には良心的な人も沢山います。九月の反日暴動に眉を顰(ひそ)た国民も大勢います。しかし、戦後の共産主義体制における学校教育は、徹底的に神を排除し、宗教を否定しました。まさにそれ自体が「滅び」なのです。
 
 イエスは言います、「滅び」に至る門は大きく開かれている、それは一切の希望を捨てなければならない絶望の門である、昔も今も「そこからはいって行く者が多い」(13節)、だからこそ、その門を選んではならない、と。
 
無神論、そして唯物論の国家にそして人民には、未来はないのです。そしてそれは万人共通の真理です。イエスは言われました、「滅びに至る門は大きく、その道は広い」(13節)と。
自分が入ろうとしている門が何のかということを、人は問わなければなりません。
 
 
2.小さく開かれた、命に至る希望の門を選ぼう
 
 神なき滅びに至る門が大きいのに対し、命に至る門は狭い、とイエスは言います。
 
「狭い門からはいれ。…命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」(7章13、14節)。
 
命に至る門は狭く、小さくしか開かれていません。でも、その門は確実に命の希望に至る門なのです。それは神を恐れる道であって、神を恐れるからこそ、神が愛してやまない他者をも敬う生き方が、人には可能となります。
そしてこの門は小さく、狭いがゆえに昔も今も「見出す」ことが困難なのですが、しかし、発見が困難ではあっても、命に至る希望の門です。
 
「命」とは何かと言いますと、「命」は「滅び」の反対のことであって、「滅び」が神を否定する神なき人生の終焉であるのに対し、神を恐れ、神との交わりをこよなく愛する人生を意味します。
 
実はこの希望の門とは、イエス・キリストとの交わりのことであり、実存的に言えばイエス自身が門なのです。
 
「わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう」(ヨハネによる福音書10章9節 156p)。
 
我が国でクリスチャンが少ないのは当然なのかも知れません。なぜかならば命に至る門という「それを」(14節)しっかりと「見いだす者が少ない」(同)からです。しかし、望みがないわけではありません。
 
東日本巨大地震で見せた日本人の倫理、道徳は、日本人には命に至る狭い門を見いだす可能性が豊かにあることを示唆しているように思えます。
また、キリスト教のイベントであるクリスマスに対して極めて好意的であることも、日本人が、キリストが示す「命」の門に近づいていることを示しているように思われます。
 
この日本でもキリスト教に対する関心が高まってきているようです。今年、二人の大学教授のキリスト教をめぐる対談を記録した「ふしぎなキリスト教」(現代新書)という新書が、「新書大賞2012」という賞を受賞しました。
 
何がきっかけであってもよい、昔も今も、命に至る門は狭く、見いだしにくいのですが、私たちは、私たちの愛する同胞が「力を蓋(つく)して狭き門より入(い)れ」(ルカによる福音書13章24節 文語訳)というイエスの言葉に耳を傾け、いつの日にか「狭い門」であるイエス・キリストを「見いだす者」となるように、心をつくして祈りたいと思います。
 
教会のホームページを覗いてくださる方々には、ぜひ日曜の礼拝に気軽に来ていただきたいと願っております。
 
 
3.希望の門を選んだ者に、希望は失望を来らせない
 
 絶望の門にしても希望の門にしても、共通点は自分でそれを選ぶということでしょう。ですから選択の結果は自らに還ってきます。
 しかし、中には人生の途上において、自分では決して選ばないであろう門から不可抗的に入る、あるいは入れられる場合があります。
そんな理不尽な状況下にあっても、神に望みを抱く者には命の門が開かれていることを知りたいと思います。
理不尽な門、絶望的な門の典型的な例がナチスによる強制収容でしょう。
 
 強制と言いますと、「強制連行」という言葉が浮かんできます。とりわけ、日本の統治下において半島の住民をその意志に反して、日本が多数強制連行したという主張がありますが、現在の研究と調査ではそれはまさに神話であって、日本にいる在日の方々の祖父母、曽祖父母のほとんどが自らの意志で戦前あるいは戦中、中には戦争が終わってから日本に渡ってきて、そのまま日本に残ったという事実が、聞き取り調査からでも明らかとなっています。
 
 私の場合は長い間、「強制連行説」を信じ込んでいましたが、鄭大均(ていたいきん)東京都立大学(現首都大学東京)教授が著した「在日韓国人の終焉」(文春新書)および、「在日・強制連行の神話」(文春新書)を読んで、強制連行説が作られた神話でしかないことを確信することができました。
 なお、鄭教授は在日韓国人で、二〇〇四年に日本に帰化した学者です。
 
 またいわゆる「従軍慰安婦」なるものにしても、慰安所があったことは事実ですが、日本の軍や官憲が民間の女性を強制的に連行したという事実はなかった、ということがわかってきました。
これもでっち上げであって、何しろ、証拠は慰安婦だったという人たちの証言しか見当たらず、しかもその証言も最初は「親に売られた」がいつしか「日本軍に連行された」に変わっていて、信憑性がないことも明らかになってきているからです。
 
しかし、ドイツ・ナチスによる強制連行が歴史的事実であることは論を俟ちません。ナチスが設けた強制収容所の門はまさに絶望の門でしかありませんでした。
 
ヴィクトル・E・フランクルの書いた「夜と霧」でも有名な、第二次世界大戦時にナチス占領下のポーランド南部に設置されたアウシュビッツ第一強制収容所の正門には、「ARBEIT MACHT FLEI(アルバイト マッハト フライ」という文字が大きく掲げられていました。
これを直訳すれば「労働が自由をつくる」ということですが、阿漕(あこぎ)な強制労働が収容者に生みだしたものは耐え難い苦しみと無残な死でしかありませんでした。
 
アウシュビッツをはじめとする各地の強制収容所には多くの無辜の人々がユダヤ人であるというだけで、あるいはユダヤ人を匿った、また連合国に属していたという理由で、送り込まれていきました。そこには選択の自由も余地もありませんでした。
しかし、その地獄と形容するしかない環境も、イエスという希望の門を知る者には、絶望の門ではなかったのです。
 
私にとっては、かつて見た映画の中でこれに勝るものがないと言ってよい映画があります。「隠れ家」という映画でした。
 
戦時中、時計店を営んでいるオランダ人のテン・ブーム一家が、ユダヤ人を匿ったという嫌疑でナチスに目をつけられ、ゲシュタポに逮捕されます。老いた父親は逮捕後間もなく死亡しますが、娘二人はドイツ東部のラーフェンスブリュック収容所に送られてしまいます。
この収容所は中央収容所と付属収容所から構成されていて、中央収容所は女性だけを収容し、主に連合国の女性が収容されていたそうです。
 
しかし、ある時、姉妹は二人が共にその地獄とも言うべきラーフェンスブリュック収容所から外に出ることができるという強い導きを体験するようになります。
 
どうなったかと言いますと、病弱であった姉のベッツィはやがて収容所の中で亡くなり、一方、妹のコーリーの方は事務的な手続きを経て釈放されることとなります。
そして釈放された妹は戦後、米国やヨーロッパで、姉妹二人が収容所の中で経験したキリストの恵みについての証しをするようになるのですが、ある日、妹は気付くのです。二人が収容所から出られるという示しは確かに成就したのだと。
 
それは、姉が衰弱して亡くなったということは、もともと病弱であった彼女の魂は、収容所から救出されて直接、生ける神のもとで安らいでいるということであり、それもまた、収容所から出られるという導きの成就であって、そして比較的丈夫であった自分の場合は、収容所における神の恵みの数々を全世界に証しをするために、神が生きたままで収容所から出してくれたのだということに思いつくことになるのです。
 
実際、妹、コーリーの釈放は考えられないような事務的ミスの結果であったことが後に判明することになります。二人は収容所から、姉は直接、神の御許へと釈放され、妹は神の不思議な働きによって合法的に自由の身とされたというわけです。
 
ベッツィとコーリーの姉妹がラーフェンスブリュック収容所で学んだことの一つは、人を赦すことができるように神が助けてくださる、ということでした。
戦後、コーリーは自分たち姉妹の体験から、このことを人々に伝えようと決心します。
 
ドイツにおけるある講演会のあと、一人の男性がコーリーに近づいてきました。何と、それは収容所で彼女たちを苦しめた看守の中でも特に無慈悲な看守の一人でした。
彼は言いました、「私はラーフェンスブリュック収容所で看守をしていました。でも、その後、クリスチャンになりました。私は自分が行った残酷な行為について神に赦しを求めてきました。私はあなたに赦してもらうことができるでしょうか」
 
この時コーリーは心の中で祈ったそうです、「お助けください、彼に手を差し出すことができますように、大きな一歩を踏み出せますように、赦す気持ちを与えてください」と。そのとき、不思議なことが起こりました。 
元看守が差し出した手に彼女が自分の手をぎごちなく、機械的にふれたその瞬間、肩から電気が走り、腕を伝って、つないだ二人の手にそれが流れ込んできて、癒し主なる主のぬくもりが彼女の体全体に満ち、そして彼女は泣きながら「あなたを心から赦します、兄弟」と言ったというのです。
 
「かつての看守と囚人がそこで長い間、手を握り合っていたときほど、神の愛を深く知ったことはなかった」と、コーリーは述懐したそうです。
 
クリスマスとは、二千年も前に、絶望の門を選んでしまったため、地獄のような人生を彷徨(さまよ)い歩かざるを得ない人類を神が憐れんで、ご自分の御子をこの世界に送ってくださったという出来ごとが起こった日なのです。
 
そして人はたとい自分が選んだわけではない不可抗的な力による絶望的状況の中であっても、目の前に開かれている希望の門から確かな希望へと、ベッツィやコーリーのように入っていくことができるのです。それはイエスこそが希望の門だからです。
 
イエス・キリストがゴルゴタの丘で刑死してから十年後、教会の迫害者であったサウロという男が回心をして、パウロというキリスト教の伝道者になりました。
そしてそれからさらに十数年後、彼はローマ帝国の首都であるローマにあるキリスト集会に手紙を送り、「希望は失望に終わることはない」と書いて、彼らを励ましました。
 
「そして、希望は失望に終わることはない。なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって、神の愛がわたしたちに注がれているからである」(ローマ人への手紙5章5節 238p)。
 
 「希望は失望に終わることはない」は直訳しますと、「希望は恥を来(きた)らせない」です。イエス・キリストという門を希望の門として選んだ者には、希望は恥を来らせることはない、のです。
 
 ローテンブルクの門に刻まれている言葉の「pax(パークス)」は平和を意味し、「salus(サル−ス)」は幸せだけでなく、安全や健康を意味することばだそうです。
まさにイエス・キリストという希望の門を出入りする者は、今も生きているイエスにより、和らぎと平和、幸せと安全を行き来することができるのです。
 
クリスマス、それは希望の門が開かれた日」です。
 
 クリスマスイブの今夜、神が愛してやまないお一人一人の上に、より一層の希望と祝福が豊かにとどまりますように。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2012-12-23 16:12:46 (1318 ヒット)
2012年礼拝説教

12年12月23日 クリスマスファミリー礼拝説教

「『神われらと共にいます』と信じ告白できる理由(わけ)

マルコによる福音書15章23〜32節(新約聖書口語訳79p)

  
はじめに
 
 十二月の十六日、総選挙が終わりました。マスコミの予測通り、数においては野党の圧勝という結果になりましたが、野党が大勝したというよりも、実情は政権与党が大敗をした、と言う方が当たっているかも知れません。
 
 三年三カ月前に、新聞、テレビ等のマスコミによる露骨な支援を受けて、三百を超える議席を得た党が、今回はその二割の六十にも届かないという惨状を呈した選挙となりましたが、その原因は一口に言えば、信頼を失ったからということに尽きるかと思います。
 
つまり、もともと政権を担うだけの見識も能力も、そして経験もなかった人々が、ただ「政権交代」という掛け声だけで集まった烏合の衆であって、幹部が失政を重ねているうちに、「利、我にあらず」と見た人々から次々と離れていって、残った人々が城を枕に討ち死をした、という構図かも知れません。
そしてそのような集団を、マスコミの口車に乗って支持した有権者にも責任の一端はあることを認めないわけにはいきません。つまり、「信じた私がバカだった」のです。
 
しかし、大勝した党も獲得した議席の数ほどには信じられているわけではないようです。一票でも多ければ総取りになるという現行の選挙制度が多数を得させたに過ぎない、それが比例における得票が僅かの二十七パーセントであったという数字に表れているという分析もあります。
 
しかも、選挙公約に掲げた「竹島の日」の政府主催による式典の実施は、その三日後の二月二十五日に隣国の大統領就任式があるからという理由でどうも先延ばしをするようですし、明言していた靖国神社の参拝も言葉を濁していることから、支持者からは「信じたのに」という失望の声があがっています。
 
マヤ暦の、今年の十二月二十一日に世界の終末が来る、というデマを信じた人々は、流石に日本にはほとんどいませんでしたが、世界には結構いたみたいだったようです。それこそが信じられません。
多分そのうち、「あれは計算ミスであって、実は…」という説が出てくるに違いありませんが。
 
信じるということは美しいことですが、信じるに価するものをこそ、信じることが必要です。
 
十二月二十五日はイエス・キリストの生誕を祝うクリスマスです。世界の宗教人口統計によりますと、イスラム教が全体の二十パーセントで、キリスト教は三十三パーセントだそうです。
つまり、世界人口を七十億人としますと、二十三億人の人々がキリストの生誕を記念するクリスマスを祝うことになるのですが、二十三億人もの人々がなぜイエス・キリストを崇拝するのかと言いますと、それはイエス・キリストが信頼できる存在、信じるに値する存在であるからなのです。
 
そこで今年のクリスマスファミリー礼拝では、キリスト教徒はなぜイエス・キリストを信じることができるのか、いったい、キリストの何を見て信じるのかという、信じることの根源的な理由を三つ、あげてみることにしたいと思います。
 
 
1.信じることができるのは、イエスが十字架から降りなかったから
 
 イエスは自分が架かることになる十字架を背負って、具体的には十字架の横棒を担いで刑場に向かいました。縦棒の方は刑場に用意されていました。刑場で十字架が組み合わされて、そこに死刑囚が固定されたのでした。
死刑場はエルサレムの中心から一キロ半ほどの小高い丘の、「ゴルゴタ」と呼ばれる場所にありました。
 
「そしてイエスをゴルゴタ、その意味は、されこうべ、という所に連れて行った」(マルコによる福音書15章22節 新約聖書口語訳79p)。
 
 「ゴルゴタ」はヘブル語でして、その意味は頭蓋骨、髑髏(どくろ)、英語では「スカル」です。マルコによる福音書では「されこうべ」となっています。ちなみにこれはラテン語聖書では「カルバリア」と訳されました。「カルバリー」という英語はこれから来ています。ですから、「カルバリー教会」とか「カルバリーチャペル」というと、語感からちょっとお洒落な感じがしますが、それは「されこうべ教会」、「髑髏(どくろ)チャペル」という意味になるのです。
 
 イエスが十字架につけられたのはユダヤ暦のニサンの月、つまり正月の十四日の金曜日で、太陽暦では紀元三十年四月七日の午前九時ごろのことでした。
 
「イエスを十字架につけたのは、朝の九時ごろであった」(15章25節)。
 
 場所や時間が明記されているということは、イエスの十字架の物語が後代の作り話などではなく、はっきりとした歴史的事実であったことを示しています。
 
 そのゴルゴタで見物人は磔になったイエスに侮辱の言葉を投げつけ、十字架から降りて来い、と罵りました。
 
「そこを通りかかった者たちは、頭をふりながら、イエスをののしって言った、『ああ、神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。十字架からおりてきて自分を救え』」(15章29節)。
 
また、罪のないイエスをユダヤ法廷において強引に有罪に持ち込み、ローマの法廷では総督ピラトを脅迫して十字架刑の判決に追い込んだユダヤ宗教界のリーダー、祭司長カヤパも他の議員たちと共に、目的を遂げた勢いで意気揚々と、十字架につけられたイエスを嘲弄したのでした。
 
「祭司長たちも同じように、律法学者と一緒になって、かわるがわる嘲弄して言った、『…イスラエルの王キリスト、今十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう』(15章31、32節)。
 
 祭司長をはじめとする人々がイエスに対し、異口同音に嘲ったことは、「お前はイスラエルの王、神から送られたメシヤ・キリストの筈ではなかったのか、そのメシヤが十字架に架けられっ放しであるのはどうしたことか、本物のキリストであるならば、そんな無様な姿を晒し続けるわけがない、お前は偽物だ、偽物のメシヤだ、もしも本物のメシヤであるというのなら、今すぐにでも十字架から降りて来い、もしも十字架から降りて来ることができるならば、我々はお前が本物のメシヤ・キリストであると信じようではないか」というものだったのです。
 
「いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」(22節)、こういう考えは、イエスの敵対者や祭司長だけでなく、多くの人が持つ考えです。しかしそのような考えは救い主であるキリストの役割や使命に関する基本的な誤解と無知から生まれたものでした。
 
 逆に考えればわかるのですが、私たちは思うのです。「イエスが十字架から降りたら信じよう」ではなく、「イエスが十字架から降りなかったから信じることができる」のです。
 
 イエスが十字架にかかったのは、そして最後の最後まで十字架に止まり続けてくれたのは、私たち人類の、神に対する不従順の罪を身代わりになって引っ被るためでした。もしも十字架から降りてしまったならば(イエスには十字架から降りる力があり、何よりも十字架にかかる理由もなかったのですが)、私たち人類は聖なる神の前に、罪びとのままで過ごすしかなかったのです。
 
 私たちを愛し、ありのままの私たちを愛して、その愛のゆえに十字架にとどまり続けてくれたからこそ、私たちはイエスを我が主として信じ、我が神として崇めることができるのです。つまり、イエスは十字架から降りなかった、だからイエスを信じることができるのです。
 
 
2.信じることができるのは、イエスが自分を救おうとはしなかったから
 
 十字架に架けられたイエスを私たちが信じることのできる第二の理由は、イエスが自分を救おうとしなかったこと、つまり助かろうとしなかったからです。
人々はイエスに向かって罵りましたが、その一つが、「お前は他人を救いながら、自分自身を救うことができていないではないか」という非難でした。
 
「そこを通りかかった者たちは、…イエスをののしって言った、『…十字架から降りてきて自分を救え』。…祭司長たちも同じように…言った。『他人を救ったが、自分自身を救うことができない』」(29〜31節)。
 
 どんなに罵られバカにされようとも、イエスが自分を救おうとしなかったのはなぜか、それは私たちを永遠の刑罰から救うためであったのです。
神が存在することを知りながら、神が存在しないかのように生きる者、神の戒めがどのようなものであるかということを知っていながら自分の欲望を優先させて一生を過ごす者に待つ最終的な報いが、永遠の滅びであるということは、聖書が教えるところです。
だからこそ、憐れみに富む神の御子は、そのような不信者に代わって罪の結果である刑罰をその身に引き受けるため、十字架にかかってくれたのです。
 
 イエスは自分自身を救おうと思えば救うことができました。人の目には見えませんが、もしもイエスからの合図があればイエスを十字架の苦しみから救い出そうとする天使の軍勢が、このとき、ゴルゴタの丘に結集しており、しかもイエスの十字架を取り囲んでいたのです。
 
でも、最後の最後まで、自分を救出せよ、との合図がイエスから送られることはなかったのでした。
 
 イエスが人類を救う目的完遂のために、自分自身を救おうとしなかった、だから私たちはイエスを救い主として信じ、仰ぐことができるのです。
 
 
3.信じることができるのは、イエスが麻酔を使おうとしなかったから
  
 そしてもう一つ、私たちがイエスを信じることができるわけは、十字架に架けられる前に提供された、没薬を混ぜた葡萄酒をイエスが飲もうとはしなかったからです。
 
「そしてイエスに、没薬(もつやく)をまぜたぶどう酒をさし出したが、お受けにならなかった。それから、イエスを十字架につけた」(15章23、24節前半)。
 
 
 「没薬をまぜたぶどう酒」(23節)は、いつの頃からか、エルサレムの上流階級の婦人たちが行うようになった死刑囚のためのボランティア活動で、「没薬」には一種の麻酔効果があり、これによって十字架の苦痛を麻痺させると共に、ぶどう酒の酔いが迫りくる死の恐怖を多少なりとも軽減させるという効果があるとされたものでした。
 
 ですから十字架に架けられる死刑囚はまず例外なくこの麻酔入りのぶどう酒を、それこそがぶ飲みするのが常でしたが、イエスのみ、この麻酔入りのぶどう酒を飲もうとしなかったのです。
 
 イエスはなぜ、このぶどう酒を飲もうとしなかったのか、それは、イエスが意識の醒めた状態で死の恐怖というものを人類に代わって経験しようとしたからであり、十字架の恐るべき苦痛を私たちに代わって全身で受けようとしたからだったのです。
 
 私たちがイエスを主として信じ受け入れることができるのは、本来、私たち人類がそれぞれの罪のために経験し、嘗める筈の恐怖と苦痛をイエスが代わりに受けてくれたという事実があるからなのです。それが、私たちがイエスを主と信じる三つ目の理由です。
 
 イエスは中途半端な状態で人の身代わりになったのではないのです。その身代わりはまさに徹底的な身代わりでした。
 
 イエスは最後まで十字架から降りようとはしなかった、また自分を救おうとはしなかった、そして醒めた意識で苦痛を耐えた、だからこそ私たちはイエスを信じるのです。それが私たちの信仰告白の揺るぎない根拠です。
 
そしてその十字架のイエスの姿にこそ、「神我らと共にいます」という、神の溢れるばかりの慈しみを私たちは見るのです。神の御子の誕生と十字架の苦しみは分かちがたく結びついています。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2012-12-20 20:50:16 (1421 ヒット)
2012年礼拝説教

11年12月24日 クリスマス・イブ礼拝説教

「ベツレヘムの星は今宵も」

マタイによる福音書2章1、2、9〜12節(新約聖書口語訳2p)

  
はじめに
 
関西では毎週日曜日の午後に、「たかじんのそこまで言って委員会」という番組がテレビで放映されておりますが、今週の番組では「今年のポンスケ大賞」の選考という企画がありました。
 
「ポンスケ」というのは関西弁で言うと、どうしようもないアホウという意味だと思いますが、三宅久之という政治記者出身の政治評論家があちこちの番組で使い始めたことから、広がったようです。
そして、当該の番組でノミネートされたポンスケ候補のうちの三人が、政権党の元、前、現の総理大臣で、結局、ポンスケ大賞に輝いたのは何もしないで居座りを続けたとされる前総理でした。
 
巷の声も前総理を厳しく批判していましたが、しかし、もしも批判をするのであれば、この政権を選んだ有権者たちも、この党に投票した自らの不明を先ず恥じなければなりません。
 
日本人がいつの間にか、自らを省みて恥じる、という美徳を失って、自己中心的になりつつあるというこの傾向は、特に正月の初詣にも見られるようです。
 
一週間後の正月三が日には、各地の神社は参拝客で賑わうことと思いますが、参拝目的が「家内安全」「商売繁盛」「無病息災」という、自らのこれからの幸せを祈願するだけではなく、神あるいは神々のこれまでの守護に対する御礼を表明する参拝であって欲しいものだと思うのです。
 
少なくとも江戸時代、明治時代までの日本人の神社参拝の主たる目的は「お礼参り」という言葉が示すように、神あるいは天から受けている日々の恩恵を感謝するためのものであったようです。
もちろん、願いごとを叶えてもらうことを目的とした「お百度参り」もありましたが、通常の参拝は、拝むこと自体が目的だったのです。
 
 
1.拝むことを何よりも優先させた東方の賢者たちに学ぶ
 
ところで今は数少なくなってしまった純粋な原日本人とでもいうべき人種が、実はキリスト降誕の話に必ず登場する東方の賢者たちでした。
彼らはただただ救世主を拝むという目的のためだけで、メソポタミア流域から遠路はるばる、パレスチナへと旅をしてきたのでした。
 
「イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、『ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました』」(マタイによる福音書2章1、2節 新約聖書口語訳2p)。
 
 
賢者たちの旅の目的は実に明快です。「わたしたちは…そのかたを拝みにきました」(2節)。「拝みに」来たのです。
 しかも、ベツレヘムにおいて嬰児の救世主を見いだすや否や、ひれ伏して拝んだ上、大事に持参してきた貴重な宝物を献上したのでした。
 
「そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬(もつやく)などの贈り物をささげた」(2章11節)。
 
 彼らは「東からきた博士たち」(1節)とありますが、口語訳が「博士たち」と訳した原語の「マギ」を新共同訳が「占星術の学者たち」と訳したように、古代においては、星占いは国家の命運や未来を示す一つの科学として位置付けられていました。
 
 また彼らは「東からきた」とありますように、パレスチナの東、おそらくは現在のイラク、イランあたりで星の運行を観測していたのでしょう。
彼らは「東の方で」(2節)ユダヤの王の出現を示す「その星を見た」(同)からと言っていますが、パレスチナから見た「東の方で」ある現在のイラク、イラン地域には、紀元前八世紀から六世紀にかけて、イスラエル民族が相当数、虜囚となっておりました。当然、その地域には彼らを通して聖書の言い伝え、伝承というものが伝えられていたと考えられます。
 
実は「トーラー」と呼ばれるモーセ五書には後の世に、ユダヤから世界を救う救世主が生まれると書かれていたのでした。
 
「わたしは彼を見る、しかし今ではない。わたしは彼を望み見る、しかし近くではない。ヤコブから一つの星が出、イスラエルから一本のつえが起こり、モアブのこめかみとセツのすべての子らの脳天を撃つであろう」(民数記24章17節 旧約聖書口語訳224p)。
 
 「ヤコブから一つの星が出」る、という記述は、将来、ユダヤから救世主が誕生するという預言として、古代の中近東の宗教者、知識人に広く浸透していたと考えられています。だからこそ博士たちは、人類を救済する約束の救世主を拝むべく、苦難の旅を続けてきたのでした。
 
彼らは人として、栄耀栄華を極めることを目的とせず、また権力を行使する地位を得ることを目的とはせず、ただただ、人類の救済者として自分たちの世に現われたお方を拝むことに、その生きる意味と価値とを置いていた人たちであったのです。
 
そのような生き方は、自己の利害を優先する利己主義者にとっては昔も今も、愚の骨頂の生き方であり、見方によっては「ポンスケ」と見えるかも知れません。
しかし彼らは何よりも、人類のために誕生した救世主を拝むことを人生の優先順序の筆頭に置いて行動した人々でした。そして昔も今も、神はこのような人を尊び、愛し給うのです。
 
 
2.救世主を拝むために、自然と聖書を手掛かりとした賢者たちに学ぶ
 
クリスマスと言えば星です。通常、クリスマスツリーのてっぺんには星が飾られますが、それは博士たちが東方で、そしてベツレヘムへの途上で星を見たからでした。
 
「わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」(2章2節後半)。
 
 彼らが東方で見た星については、さまざまの見解があり、現在まで確定したものはありませんが、「ケプラーの法則」で有名なドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーが十七世紀のはじめに、「紀元前七年に土星と木星が三度接近するという現象が起こり、翌年にはこれに火星が加わった、これが、博士たちが東方で見た星であろう」と、自身の観測と計算に基づいた説を唱えたということです。
 
 では星が博士たちを導いたのかと言いますと、確かにそのようには読めるようです。
 
「彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった」(2章9節)。
 
 しかし実は彼らにはそのように見えただけであって、星は彼らを救世主のもとに導く手掛かりの一つでしかありませんでした。
 
 では、別の手掛かりは何かと言いますと、虜囚のイスラエル人から教えられた、「ヤコブから一つの星が出」(民数記24章17節)るという聖書の伝承でした。
これらの手掛かりはおぼろげであったからこそ、彼らは最初、王宮のあるエルサレムに向かったのでした。
 
「イエスがヘロデの代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東から来た博士たちがエルサレムに着いて言った、『ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか』」(2章1、2節前半)。
 
 そして彼らがそのエルサレムにおいて救世主の誕生地がベツレヘムであることを知ったのは、律法学者の聖書解説を聞いたからでした。
 
「彼らは王に言った、『それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています。ユダの地、ベツレヘムよ、…おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」(2章5、6節)。
 
星は自然を代表するものであって、わたしたちは星の向こうに自然を創造した神を見るのです。ですから、先ほど、宇田川智加姉妹にも歌ってもらったアメリカ人が愛してやまない、一九四〇年に公開されたディズニーのアニメ映画「ピノキオ」の主題歌である「星に願いを」という歌を聞き、また歌うとき、実は彼らは星を創造したキリストの神を想うのです。
 
自然は創造者なる神を啓示します。しかし、それはあくまでも間接啓示であって、先祖からの伝承もまた同様です。そしてより明確に神を示す直接啓示こそが神の言葉、聖書なのです。
博士たちは確かに伝承と星を手掛かりとして救世主に会いに来ました。しかし、彼らを救世主の許に導いたのは聖書の正しい解き明かしでした。
 
 
3.拝み終わって、満ち足りた思いで帰途についた賢者たちに学ぶ
 
 メソポタミア地方からパレスチナまでは、現代であるならば飛行機で一飛びの距離です。しかし、当時は数カ月という日数、莫大な旅費と人手と荷物、そして盗賊の難という命の危険が伴う旅であって、それは一生に一度の大事業だったのですが、そのような数多(あまた)の犠牲と危険が伴う旅に彼らを駆り立てた動機は、ただただ救世主をこの目で見、実際に拝みたいという一心でした。
 
ですから彼らが東方で見た星がベツレヘムでも輝いているのを見た時、救世主を拝むことができるという期待にその胸を躍らせたのでした。
 
「彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた」(2章10節)。
 
 そしてついに願いが実現したのでした。
 
「そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、…また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた」(2章11節)
 
 東方の賢者たちが来訪した時期は、幼な子の誕生からは既に数カ月が経過していたと思われます。イエスが誕生した所は宿屋に付属している馬小屋でしたが(ルカによる福音書2章6、7節)、賢者たちが「はいって」(11節)いったのは宿屋ではなく「家」(同)だったからです。
 
 拝むという目的を達した博士たちはどうしたかと言いますと、来た道とは別のルートを通って、故郷へと帰って行きました。
 
「そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った」(2章12節)。
 
 冠婚葬祭への列席には通常、引き出物が付き物ですし、それに加えてお返しという習慣もあります。では東方の賢者たちは何を持って帰郷したのかと言いますと、それは満ち足りた気持ち、すなわち、充足感につきました。
 
往路を期待に胸躍らせつつ困難な旅路を辿った彼らは、深い感謝と突き上げてくるような讃美に溢れて帰路についたと思われます。
真の礼拝と奉仕に対する神からのお返しは何かと言いますと、何物にも代えがたい充足感でした。
 
二〇一一年の日本は、政治は貧困、経済は行き詰まっているとはいえ、まだまだ恵まれています。
アジアの国々から羨望の眼差しで見られているのが日本です。不満を言えばキリがありませんし、誰かをポンスケと批判したくもなる現実は確かにあります。
 
しかし、救世主は二千年前の今宵、わたしたち人類のために、そして西洋から見れば極東に暮らす日本人のためにも生まれてきてくださったのです。
よくよく見れば、「ベツレヘムの星」は今宵もわたしたちの頭上に輝いているのです。
 
神はおられます。天地創造の神は確かに実在するのです。その神を虚心坦懐になって拝むというところから、物事を始める人は幸いです。そのような人には何物にも代えがたい、充足感、充実感に満ちた人生が待っています。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2012-12-20 10:56:42 (2164 ヒット)

2012年も12月に入りました。今年は衆議院選挙もあって、騒がしい毎日です。

キリストの生誕を記念するクリスマスも近づいてきました。今年も教会では23日の日曜日にはクリスマス礼拝をし、24日のイブにはイブ礼拝を行います。

そこで、昨年のクリスマス礼拝メッセージをここに掲載したいと思います。聖書の言葉をぜひ味わってください。 (2012年12月7日)

 <2012年クリスマス礼拝案内ページはこちら>

11年12月25日(日) クリスマス・ファミリー礼拝説教

「光あるうちに光の中を歩め」

マタイによる福音書2章1〜8節(新約聖書口語訳2p)
 
 
はじめに
 
 二〇一一年ともあと一週間でお別れです。節電の冬とはいえ、宇宙から見れば日本の夜はそれでも明るく輝いている筈ですが、半島の北の場合、首都ではあっても毎日数時間は停電で、夜などは真っ暗なのだそうです。
しかし、ほんとうに真っ暗なのは一部の特権階級を除いた一般民衆の心であり、今の暮らしであり、そして未来でしょう。
 
この十七日に北の「将軍様」が急死したそうですが、「二十一世紀の太陽」、「人類の太陽」と呼称されたお方の死を受けての北の住民の反応は、南からの報道によりますと、
大した問題ではないと受け止めている住民が五割、よくぞ死んでくれたという反応が二割、その死を悲しんでいるのは三割、とのことです。
 
多数の国民を餓死寸前にまで至らせながら自分は贅沢三昧の生活をし、自らが首謀者となって無辜の日本人を多数誘拐して、被害者はもとよりその家族にも塗炭の苦しみを味わせながら、しかもその責任を部下に転嫁して、恬(てん)として恥じない首領様に支配されてきた北の住民の、そして孤絶した異国の地で絶望感に苛まれながらも、それでも希望を失わずに帰国を夢見て頑張っているであろう拉致被害者たちの未来を、人類の真の太陽であるイエス・キリストが明るく照らしてくださるようにと祈りつつ、二〇一一年のクリスマス礼拝をここに捧げたいと思います。
 
そのイエス・キリストは生前、ユダヤ人群衆に向かい、ご自分を神から遣わされた光であるとした上で、「やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかっていない。(だから)光のある間に、光の子となるために、光(であるこの私)を信じなさい」とお勧めになりました(ヨハネによる福音書12章32節後半、33節)。
 
その意味でも、「光のある間に」「光を信じ」て「光の子とな」った幸運を、私たちは改めて感謝したいと思います。
 
 
1.以前は闇、そして今もこれからも闇
 
 以前は闇、そして今も、これからも闇であったという人物がいました。ヘロデ大王です。
 
「ヘロデ」はユダヤとは敵対関係にあるイドマヤの出身でしたが、ユダヤを支配していたローマ帝国の支配者の寵愛を受けて、紀元前四十七年にユダヤの領主に、そして四十年に王の称号を受けてヘロデ大王と呼ばれるようになった人物です。
その治世の初期にはエルサレム第二神殿の改築に尽力し、善政を施しはしましたが、その性(さが)はまことに残忍で猜疑心が強く、晩年には自分の権力の座を脅かすと考えた妻と義母とを殺し、更に三人の息子までも殺害するに至ります。
 
結局、紀元前四年に死去するのですが、その死去する二年ほど前、「誕生したユダヤ人の王に謁見したい」と申し出た東方からの賢者を王宮に迎えます。
 
「イエスがヘロデの代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、『ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました』」(マタイによる福音書2章3節 新約聖書口語訳2p)。
 
 
「東から来た博士たち」(1節)とは現代のイラク、イランで活動していた占星術の学者たちで、今でいう天文学者です。彼らは聖書の伝承と星の観測から、救世主が誕生したことを確信してはるばる旅をして来たのでした。
王が誕生したのだから王宮にいるに違いないと単純に思ったからこそ、ヘロデ王の王宮にやってきたのでしょう。
 
 博士たちの話を聞いたヘロデは、かたちだけでも一応はユダヤ教徒でもありますから本来は喜ぶべきなのですが、彼が感じたものは「不安」でした。
 
「ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた」(2章3節前半)。
 
 
ヘロデが真っ先に感じたのは自分の地位と権力の喪失という不安でした。
地位や立場というものは、神の御心を行うために与えられているものなのですが、いつの間にか、その地位にいること自体が目的化してしまう危険性があります。
況してやヘロデのように権謀術数を駆使し、ライバルと思われる者を次々と謀殺したり陥れたりしておのが地位を保ってきた者にとっては、新しい「ユダヤの王」の出現の知らせは、それこそ天地がひっくりかえるような危機の到来に思えたのでした。
 
彼はその後、メシヤ・キリストがエルサレムから南に十キロほどのベツレヘムに誕生するという聖書学者の聖書解釈に基づいて、博士たちをベツレヘムに先に行かせます。
 
「そこで」、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現われた時について詳しく聞き、彼らをベツレヘムにつかわして言った、『行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから』(2章7、8節)。
 
 
しかし、「拝みに行くから」(8節)というのは真っ赤な嘘であって、ライバルである幼な子を抹殺することによって、おのれの地位の安泰を図ろうとしたのです。
ヘロデ王の陰謀を知った博士たちは、別のルートから東へと戻っていきますが、ヘロデはその後、ベツレヘム周辺の二歳以下の幼児を残酷にも全員殺戮してしまいます
 
「さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基づいて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子、ことごとく殺した」(2章16節)。
 
 
まさにヘロデの人生は、以前は闇であり、救世主の誕生を聞いた今も、そしてこれからも闇であったのでした。
ヘロデ大王こそ、「神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくな」(ローマ人への手紙1章21節)った、意識的無神論者の典型でした。
ヘロデは結局、博士たち来訪の二年後の紀元前四年に、エリコにおいて六十九歳で死去しますが、彼の死を悼む者は、国民はもとより、近親者にもいなかったと言われています。
 
ヘロデは知りませんでしたし、また知ろうともしませんでしたが、彼が殺そうとした幼な子こそ、闇の中にいる彼を救うために世に来られた救い主だったのです。
 
 
2.以前はグレー、そして今もこれからもグレー
 
当時の、神に仕える宗教家たちはどうだったのでしょうか。東からの博士たちの来訪を受けたヘロデはその王宮に祭司長や律法学者たちを緊急招集して、キリストの生誕場所を聞き糺しました。
 
招集された宗教家たちは即座に、小預言書のミカ書を紐解いて、「それはダビデ王の故郷のベツレヘムです」と答えました。
 
彼らは王に言った、『それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」(2章5、6節)。
 
 彼らの答えは正確でした。彼らは聖書の専門家であって、その聖書研究の結果、メシヤ・キリストがベツレヘムに生まれるということはとっくに承知をしておりました。
では、彼らは信仰的に飢え渇いてメシヤ・キリストの到来を待望していたかというと、そうではなく、神殿儀式を行い、聖書と伝承の研究を行うことで満足をしていたのでした。
彼らは確かに、ヘロデのような敵愾心をキリストに持つわけではありませんが、しかし、日々の務めに忙しくしていて、神が遣わす救世主に対し、関心を払おうとはしなかったのです。
 
彼らは博士たちからの情報と、自分たちの聖書研究の結果を照合して、メシヤに会うため、ベツレヘムに行くべきでした。
しかし、聖書には彼らがキリストを求めて十キロ先のベツレヘムに赴いたという記録はありません。彼らは机上の聖書研究だけで満足していたのでした。
ここには書斎に閉じこもりがちな、現代の牧師たちへの警告があると思います。
 
自らの務めに熱心であることはよいことです。しかし、神の約束に対して無関心であることは、ある意味では愛には最も遠い生き方であると言えます。
だからこそ復活のイエスはヨハネの黙示録において、熱心さを失ったラオデキヤの教会に対して、愛と信仰に燃えるべきことを求めたのでした。
 
「アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう」(ヨハネの黙示録三章14〜16節 390p)。
 
聖書について精通していること、神学を論じるだけの専門知識を持っていることはすばらしいことです。しかし、聖書について精通していることと、神の心を知っていることとは別のことなのです。
 
ユダヤの宗教家たちは、知識はあっても、神の心を窺おうとはしませんでした。彼らは色に譬えるならばこれまでもグレーであり、今もグレーです。
そして、彼らの多くはグレーのまま生き続けました。しかも彼らの後継者の中には三〇数年後、罪なきイエスに有罪を宣告してグレーから闇となった者もいました。
 
しかしまた、その中にはグレーから明るい光となった者も、少数ですがいたことはいました。それがアリマタヤのヨセフであり、ニコデモでした。
 
「そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという人が、イエスの死体を取りおろしたいと、ピラトに願い出た。…また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬(もつやく)と沈香(ぢんこう)とをまぜたものを百斤ほど持ってきた」(ヨハネによる福音書19章38、39節)。
 
しかし、それはほんの一握りの人であって、大部分はグレーのままでした。
 
 
3.以前は薄明かり、しかし今は光、そしてこれからも光
 
 東方から来た博士たちは、信仰的には異教徒でした。恐らくはペルシャの宗教であるゾロアスター教の信仰を持っていたかも知れませんし、あるいはその祭司であったかも知れません。
ゾロアスター教とは光の軍団を率いる善神アフラ・マズダと悪の軍団を率いる闇の神アンリ・マンユ(アーリマン)とが永遠に闘争を続けるという善悪二元論的宗教です。
 
その博士たちは星の観測とユダヤの伝承とを結びつけ、世界を救済する救い主の誕生を祝うべく、キャラバンを組んでパレスチナへと向かったのでした。彼らはあたかも星に導かれるようにしてベツレヘムで幼な子に会い、心からなる礼拝を捧げて、故国へと戻っていきます。
 
「そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へと帰って行った」(2章11、12節)。
 
 英国の聖書学者バークレーによりますと、彼らが捧げた「黄金」は金属の王ともいうべきものであって、それは人間の王に相応しい贈り物であった、また「乳香」は神と人間との架け橋の務めを担う祭司への贈り物であって、大祭司となって神に通う道を造られたイエスにこそ相応しく、さらに「没薬」は死者への贈り物であって、それはイエスの死を暗示しているのだそうです。
 
もしそうであるならば、博士たちのイエスに対する理解は、律法学者のレベルを超えて、しかも弟子たち以上の理解であったということにもなります。
 
 博士たちは心からなる礼拝を捧げてから、故国へと戻っていきましたが、イエスを拝んだとき、神の御子の持つ輝く光が彼らの心の隅々までも照らしたのでした。
彼らはかつて、宗教的にも信仰的にも薄明かりの中におりましたが、イエスと出会ってからは光の中へと導かれ、真の光の中を歩む者とされたのでした。
 
この時以来、博士たちの礼拝と祈りの対象はゾロアスター教のアフラ・マズダではなく、世の光としてこの世に来られたイエス・キリストとなったと、わたしたちは確信するのです。
 
この日本には、聖書を読んだことがないためにイエス・キリストを知らず、しかし、博士たちのように真実を求めて敬虔に生きている人々が大勢います。
私たちは篤い宗教心を持ち、真面目に暮らしている同胞が、東から来た博士たちのように、その探求の果てにキリストに出会うことにより、ついには薄明かりのような状態から真昼のような光に導かれますようにと、切に祈りたいと思います。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2012-12-19 16:29:33 (2707 ヒット)
2012年礼拝説教

二年前の2010年のクリスマスイブにおけるイブ礼拝説教を掲載しました。教会では今年も24日のクリスマスイブにはイブ礼拝をいたします。よろしければぜひ、お出かけください。

201012月24日 クリスマス・イブ礼拝説教

「クリスマスは天からの有難いギフト」 

ヨハネによる福音書3章16節(新約聖書口語訳139p)

 
はじめに
 
 日本語の「贈り物」を表わす英語には二つあるようです。一つはプレゼント、そしてもう一つはギフトです。プレゼントとギフトはどう違うのでしょうか。
 
違いは関係や立場によるようです。どちらかというと親しい者同士で贈るものがプレゼントで、目上の者から目下の者に贈る物がギフトのようです。
そうすると、お世話になった人に対して年末などに贈る物をギフトというのは、ちょっと使い方が違うのかも知れません。なぜならば、プレゼントは贈り物ですが、ギフトは賜物という意味だからです。
 
プレゼントとギフトのもう一つの違いは、プレゼントが贈り物をされるだけの理由がもらう側にあるのに対し、ギフトつまり賜物は、もらう側にそれをもらう理由がまったくないのにも関わらず、ただただ贈る側の一方的な愛情や善意によって贈られる物を意味するからです。
そしてクリスマスから始まったキリストに関する一連の出来ごとが、天からの有難い「ギフト」だったのです。
 
 
1.天からのギフト それは天の神がその独り子を賜ったという事実に見ることができる
 
 子供にとってクリスマスと言いますと、サンタクロース、そしてサンタが持ってきてくれるクリスマスプレゼントです。
クリスマスプレゼントは12月24日の夜、煙突からサンタクロースが入ってきて、子供たちの枕元に置いておいてくれる、という構図です。
 
サンタクロースのモデルは三世紀、現在のトルコにいたニコライという名のキリスト教の主教であったとされています。
大金持ちだったニコライはクリスマスの夜、沢山の贈り物を病人や貧民に届けたという故事が発達してセント・ニコライ、サンタクロースとなったようです。
ニコライが届けたものそれは、プレゼントというよりもギフト、賜物でした。
 
 ニコライにそうさせたものは何かと言いますと、クリスマスこそが、自分に対する、そして人類に対する天の神さまからのギフトであったという理解があったからです。
では、天の神は何をギフトとしたのかと言いますと、その独り子なる神でした。西暦一世紀の終わりに書かれたヨハネによる福音書によりますと、神はその独り子を賜物、ギフトとして私たちに賜ったということなのです。
 
 「神はその独り子を賜(たまわ)った」(ヨハネによる福音書3章16節 新約聖書口語訳139p)。
 
 クリスマスは伝説や神話などではなく、事実です。想像力の豊かな作家が書いたフィクションではなく、歴史的な事実として伝えられてきたノンフィクションなのです。
イエス・キリストは実在しましたし、その母親とされるマリヤも、そして子供を身籠った婚約者を妻として受け入れ、養父として幼子を養い育てたヨセフという人物も実在しておりました。
 
 私たちは今晩、クリスマスに始まるイエス・キリストの人生が丸ごと、天の神からの自分への賜物であるということを、先ず最初に確認をしたいと思います。 
 
 
 2.人類を滅びから救うためという理由から、天の神はその独り子を「ギフト」とされた
 
では、何のために天の神は大事な独り子を賜物として与えたのか、それは神を見失って彷徨っている人類を滅びの中から永遠の命へと救いあげるためだったのです。
 
 「それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(3章16節後半)。 
 
 
 今年、戦場カメラマンという人が人気者になりましたが、「戦場から女優へ」という本を上梓したサヘル・ローズという25歳になるイラン人の女優が最近評判のようです。今週、新聞のインタヴュー記事でその生い立ちを知り、本当に感動いたしました。
 
彼女は4歳の時、1989年のイラン・イラク戦争の際の空爆によって両親と10人の兄弟を失い、彼女一人が瓦礫の下から奇跡的に救出されたそうなのです。
 
その瓦礫の下から出ている小さな腕を見つけてくれたのがボランティアで救助に加わっていた20歳のフローラという女子学生でした。
 
病院で治療を受けた後、孤児院に入れられたサヘルを訪問してくるフローラにサヘルが、「お母さんになって」と頼んだそうです。
一ヶ月後、フローラは「本当に私の子供になりたいの? 私でいいの」と聞いてくれてフローラの養子になりました。しかし家柄の良いフローラの実家は怒ってフローラを勘当します。そこでフローラは婚約者がいた日本にサヘルと共に来ることになりました。
 
ところが問題が起きました。フローラと婚約者とはサヘルのことで不和となり、母子でアパートを出て、ホームレスになり、雨が降ると公衆便所で雨宿りをするような生活が始まりました。
 
小学校でサヘルはひどいいじめにも遭ったといいます。「自分は給食があるけれど、養母は食べるものがなにもない」という極貧の中で高校に行き、大学に進み、専門学校で演技の勉強をして 今、タレント、女優として活躍するようになったサヘルの夢は、アカデミー賞を受賞して、オスカー像を母親に捧げること、それが自分にできる恩返しなのだとのことです。
 
 驚くのはこの20歳の女子学生にしか過ぎなかったフローラという女性の行動です。幼い子供を救いたいというその一心で、自分の大事な人生を一人の女の子に捧げ、家を、そして祖国を後にして、言葉も通じない、習慣も違う異国の地で、本来、縁もなければゆかりもない、育てる義務など何一つないような子供を育て上げたのでした。
 
 フローラという養母はペルシャ絨毯を織る技術を持っていたため、それで何とか家計を維持したようですが、日本における生活の苦労は筆舌に尽くしがたいものがあったようです。
 サヘルにとって、養母のフローラはまさに天からの賜物であったのでしょう。
 
 
 天の神さまの場合は、その独り子を、私たちを滅びから救いあげるために天から賜物として遣わしてくださったのでした。
今晩の話しのタイトルは「クリスマスは天からの有難いギフト」としましたが、神の御子が誕生したクリスマスだけがギフトなのではありません。神の御子の生涯が、そしてその生涯の終りまでもが特別な賜物なのです。
 
 神の御子のイエスの母マリヤは、ヨセフとは法的には夫婦でしたが同居する前に妊娠しました。聖書によれば天使のお告げで、聖霊によってのものだとされていますが、周囲は誰も信じようとはしなかったでしょう。
 マリヤは世間的には姦通をして妊娠したと見做され、イエスもまた、姦通の結果生まれた不義の子と見られ、差別されながら生育したのです。
 
しかし、イエスは苛めにあっても苛め返さず、罵しられても罵り返すことをせず、寛容と忍耐の日々を生きたのでした。それは罪深い人類の身代わりとなる資格を得るためでした。
 
まさに青年聖歌103番で歌われているように、「イェスの嘗めた人生 人が思う以上の貧と汗と涙の続きで」(2節)あり、そしてその生涯の終りが十字架の死でしたが、その死こそまさに、人類の身代わりの死であったのです。
 
こうして天の神は、イエス・キリストを自分のために死んでくださった救い主であると「信じる者」(16節)が「ひとりも滅びないで、永遠の命を得る」(同)ことができるようにしてくださったのでした。
 「この気高い救い主が 今も生きて我らを救うのです(青年聖歌103番折り返し)。
  
 
3.天の神が独り子を賜った動機、それは滅び行く人類への真実の愛にあった
 
 世の中はすべて利害勘定、得失計算で動いていると思う者には、サヘルという孤児を引き取った女子学生のフローラの行動は何ともバカげた行為としか思えないと思います。
彼女は一カ月、悩みに悩んだ末に、未婚の身でありながら、天涯孤独のこの孤児の母親になる決断をしたのでした。その動機はただ一つ、この子を見捨てるわけにはいかないという「愛」であったと思います。
 
そして天の神が最愛の独り子を賜った動機、そして神からの賜物として、苦労するために世に下って来て、善を行っては憎まれて、ついに無実の罪で処刑されたイエス・キリストの行動もまた、滅び行く人類への「真実の愛」にありました。
 
 「神はその独り子を賜ったほどに、この世を愛してくださった」(3章16節前半)。
 
 神は「この世を愛して下さった」(16節)。「この世」(同)とは神なき世界に住み、神を無視して勝手に生きている人類全体を意味します
忠告しても助言しても、忠告を無視して自分勝手なことをしている家族がいたら、ついには勝手にしろ、と言って見放すのが普通です。ましてや家族でもなんでもない、赤の他人ならなおさらです。
 
人類は確かに神によって創造されました。しかし、繰り返し、繰り返し、神との約束を反故にし、神を裏切り、神に迷惑をかけ続けてきました。ですから神にはもう、人類を救わなければならない義理もなければ義務もありません。 
しかし神は放っておくことができなかったのです。神の耳には神に背きつつも、「私たちを救ってください」という人類の叫びが聞こえていたのでした。
 
 昔、私を導いてくれた牧師が、ヨハネによる福音書三章十六節の「この世」というところに、自分の名前を当てはめて読むことを教えてくれました。
「神はそのひとり子を賜った程に、○○○○を愛して下さった」のです。
 
 クリスマスは神のギフトというイエス・キリストの存在を通して、自分が愛されていることを知る機会です。深い闇の中にあって失望し、生きる力を失っている者もわたしたちの国には大勢いると思われます。
 
しかし、この自分一人を滅びから救うために、かつて神が人となり、差別され、労苦し、囚人となり、死刑囚となってくれたという事実があったこと、そしてその事実の背後には、なぜかはわからないけれど自分への絶大なる愛があったことを、一人でも多くの人に知ってもらいたい、それは天の神の願いです。
 
 サヘルが中学時代に苛めにあって死のうと思った時、死ぬことを思いとどまったわけは、自分のために苦労してボロボロになった養母の指を見た時であった、ボロボロの指を見て、私はこの人に何の恩返しもしていないと思い、その時に目標が見つかったと言っていました。
サヘルの夢はアカデミー賞の他にもう一つ、孤児のための孤児院をつくることだとのことです。
 
 クリスマスは、無償の愛で私たちを愛し、独り子という賜物をギフトとして下さった神への恩返しのため、自分には何ができるかを考える機会でもあります。
 
この夜、クリスマスの祝福がこの国の、神を知らない多くの方々に豊かにあるようにと祈りましょう。
神は日本人を救うためにも、その独り子を賜ったのです。 


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