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わたしたちの教会は…

聖書信仰に立つ正統的
キリスト教会です

寝屋川福音キリスト教会
(ファミリーチャーチねや川)
日本アッセンブリーズ
・オブ・ゴッド教団
関西教区
http://ag-kansai.com/

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投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2015-03-01 15:45:51 (741 ヒット)

  クリスマスとイースター

クリスマスは固定日、イースターは変動日

蕾が花となって一斉に咲き乱れ、緑が匂い立つ春が到来しました。桜前線も列島を南から北上しています。心が浮き立つ季節になりました。
 
 欧米ではこの時期、何と言いましてもイースターです。
 イースターはイエス・キリストの墓からの復活を祝う行事で、西暦三二五年の教会会議で「春分の日以後、最初に来る満月の次の日曜日」と定められました。
 
 一方、キリストの生誕を祝うクリスマスが十二月二十五日に定められたのは、その二十年後の西暦三四五年頃のことでした。
 
 日本では戦後、十二月二十五日のクリスマスが国民的行事となったのに対し、イースターが一向に定着しないのは、死人の復活という信じ難い内容に加えて、その日が毎年変動するからだと思われます。
実際、昨年のイースターは四月二十日でしたが、今年の場合、「三月二十一日の春分の後に来る四月四日の満月の次の日曜日」ということで、四月五日がイースター・復活祭となります。
 
キリストの復活
ただ聖書によればキリストの復活は十字架刑の死後、三日目に起こったとされています。ユダヤの墓は横穴式で、中に遺体を安置したあと、入り口は蓋で密閉されました。
ところが三日目の日曜日に墓を訪れた女性の弟子たちに対して天使が何と、「彼(イエス)はいない、ここには。彼はよみがえられたのだ」と告げたのでした(ルカによる福音書24章6節 直訳)。
 
その後イエスは復活の体をもって、ご自身の姿を弟子たちに現わします。幻ではありません。その結果、怯えていた弟子たちは変えられて、全世界に復活のキリストを宣べ伝えるようになったのでした。
イエス・キリストが葬られた墓は今も空っぽのままです。私たち日本人にはまことに信じ難いことなのですが、墓が空っぽなのは、キリストがよみがえって今も生きているからです。
 
このキリストの復活を祝うお祭りがイースター、復活祭なのです。
 
永遠の生命
我が国は世界一の長寿大国です。しかし死は万人に公平に訪れます。でも、もしも本当にキリストが復活して今も生きているのであれば、死後の世界も希望のある世界となりますし、死は必ずしも恐怖ではないということになります。なぜならばキリストを信じる者にはキリストと同じ、復活の体、永遠の生命が約束されているからです。
 
もしも死後に希望を持つことができるならば、現実がどんなに苦しくても、張り合いを持って毎日を生きていくことが出来ることでしょう。
 
 春が来ました。キリストの復活をお祝いする今年のイースター・復活祭は、四月五日の日曜日です。
 
春は年度も変わり、それに伴って暮らしのスタイルも変わる季節です。
何かと忙しい日々をお過ごしのことと思いますが、今年、街角の小さな教会で行われるイースター・復活祭礼拝にぜひ、お越しになられ、希望を明日へとつなぐイースターメッセージと、疲れた心を癒すゴスペルの歌声を心と人生に聴いてください。きっと力になることと思います。
 
ご来会を心よりお待ち申し上げております。


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2014-12-01 15:58:59 (669 ヒット)

 メリークリスマス !

 
 日本人とクリスマス
 
二〇一四年 平成二十六年もいつの間にか師走となり、そしてイエス・キリストの生誕を記念するクリスマスの季節を迎えます。
教会のホームページを訪れてくださる方々の上に、クリスマスの祝福が豊かにありますように。
 
 ところで今年は紀年法では西暦二〇一四年ですが、何を起点として二〇一四年なのかと言いますと、イエス・キリストの誕生の年から数えて二〇一四年目ということなのです。
 そこで「西(洋)暦」ではキリストの誕生以前を紀元前、あるいはBC何年、誕生以後を西暦あるいはAD何年、と表記します。
 
この紀元前を意味する「BC」は何の略かと言いますと、英語の「BEFORE CHRIST(ビフォー・クライスト)」、つまり「キリスト(誕生)以前」のことです。
 
では紀元後の「AD」とは何と言いますと、これはラテン語の「ANNO DOMINI(アンノ・ドミニ)」の略であって、「ドミニ」は「主の」、「アンノ」は「年」ですので、「主イエス・キリストが統治する時代」という意味となります。
 
この西暦という数え方は、六世紀に、「ディオニシウス・エクシグウス」という、何やら舌を噛みそうな名前の、ローマ教会の神学者で教会法の学者でもあった人が考案したのですが、後に計算の根拠に間違いがあって、実はキリストは紀元前七年から五年の間に誕生したことがわかったのです。
ややこしいのですが、キリストは実際には、「キリスト誕生」の五年から七年前に誕生したというわけです。
 
西暦という暦が導入された背景を知ってしまいますと、これを何気なく使っているキリスト教徒でもない日本人にとっては、何とも面白くない気持ちになるかも知れませんが、先進国でもあった欧米のキリスト教国に合わさざるを得なかった東洋の日本にとっては仕方のないことであったのでしょう。
 
でも、考えて見れば、イエス・キリストは西洋人のためだけに生まれたのではありません。キリストは私たち日本人のためにも生まれてきてくれたのです。
 
「御使いが言いました、『こわがることはありません。…すべての人への、うれしい知らせです。今夜ダビデの町(ベツレヘム)で救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです』」(ルカの福音書2章10、11節)。
 
 つまり、クリスマスというキリストの誕生を祝うイベントは、無関係のような私たち日本人のためのものでもあるのです。
キリスト誕生の知らせは今から2020年ほど前、日本人を含む「すべての人へのうれしい知らせ」としてベツレヘム郊外で働いていた羊飼いたちにもたらされたのでした。
 

京阪寝屋川市駅西側のバス通りに面した私たちの教会では、今年も「すべての人へのうれしい知らせ」であるイエス・キリストの誕生を祝うため、十二月二十一日日曜日クリスマス・ファミリー礼拝そして二十四日(水)のクリスマスイブにはイブ礼拝を行います。

 
教会というところは初めて、という方にも分かり易い聖書の講話をご用意しております。
突然の総選挙もあって、何やら心騒ぐこの十二月ですが、クリスマスの講話を通して神の語りかけを心にお聞きください。
 
なお、クリスマス礼拝ではどなたも良く知っているクリスマスソングの独唱もあります。どうぞ美しい歌声によるクリスマスの讃美歌をご堪能ください。また、ご一緒に歌いたいとも思います。
 
ご来会はどなたも自由ですので、教会とはこれまで縁のなかった方々も、この機会にぜひ一度、街角の小さな教会にお気軽に足をお運びください。
 

ご来会を心よりお待ち申し上げております。

 

★昨年、一昨年のクリスマスのメッセージもご覧くださいClick!
 

 


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2014-10-04 23:42:39 (736 ヒット)

 欧米のキリスト教と日本人のキリスト教

キリスト教は外国の宗教?

 教会に行くまでは、キリスト教は外国の宗教だと思っていました。ですから、「日本人が何で外国の宗教を信じる必要があるんだ。日本人ならば仏教のように、日本に元からある宗教を信じたらどうだ」と思っていました。
 確かにスペイン人の伴天連であるフランシスコ・ザビエルによるローマ・カソリック教の伝来は、西暦一五四九年のことでした。
 
 一方、仏教の伝来はそれよりも千年ほど早く、六世紀半ばの欽明天皇のころであったと言われていますが、ということは、仏教も外国から伝えられた宗教であったことには変わりないわけです。
 おまけに、カトリックの日本伝来は十六世紀ですが、仏教の伝来から遅れること僅か百年の七世紀半ばには、景教というキリスト教が中国経由で日本に伝わってきたことは歴史的事実のようです。
 
つまり、キリスト教が外国の宗教であるならば、仏教も外国の宗教であったというわけです。

西欧文化で色づけられたキリスト教

「欧米か」という台詞で人気を博した漫才コンビがいましたが、通常、日本人が思い浮かべる外国は、アジアやアフリカではなく欧米であって、そしてキリスト教といえば白人の宗教というイメージが強いかと思います。

キリスト教、特にキリスト教国から伝えられてきたキリスト教は、実は聖書の教えにその国々の文化的、民族的特色がブレンドされて形成されたものなのです。キリスト教に「バタ臭い」というイメージを持つ人が多いのは、幕末から明治にかけて、そして戦後の日本に来た宣教師が、圧倒的に米国やヨーロッパから派遣されて来たからでした。
 
ですから、西欧文化で色づけられたキリスト教が即、聖書の教え、というわけではありません。
そういうわけで、日本人は一度、いわゆるキリスト教に対する先入観を捨てて、聖書そのものから神の言葉、キリストの教えを聞きとることが必要な時期にきているのではないかと思われます。

おすすめ

「日本人とキリスト教」という主題で始まった今年の日曜特別礼拝は、六回目の今回が最終回です。
そこでその最終回では、キリスト教から余計な要素を取り除いて、それこそ「ありのままの」キリスト教を、できれば日本人による、日本人のための宗教としてのキリスト教をご紹介したいと思います。
 
キリスト教や聖書、あるいはイエス・キリストに興味のある方、また、生きる意味を探し求めている方はぜひ、十一月の第一日曜日に、街角の小さな教会で開かれる日曜礼拝にご来会くださって、聖書の講話と心に沁みるゴスペルをお聞きください。
 
ご来会をお待ちしております。


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2014-09-06 22:43:58 (662 ヒット)


日本仏教における救いと
キリスト教の救い

治安と地獄

 外国から日本を訪れる観光客が異口同音に言うことは、自国に比べてこの国の治安がびっくりするほどよい、ということだそうです。
確かに先進国の中でも日本の犯罪率は飛び抜けて低いという統計がそのことを証明しています。
 その日本の治安の良さ、犯罪率の低さの一つの理由として、仏教の、とりわけお寺の存在と働きが挙げられます。
 
 戦前の多くのお寺の屏風絵などには、地獄に関する絵が実に多く描かれていて、子供たちはそれらの絵を見て、「悪いことをしたら地獄に落ちて、「嘘をついたものは閻魔(えんま)さまに舌を抜かれる」、あるいは「それぞれの悪行に応じて火の池、針の山で苦しむ」ということを教えられ、それが、「たとい人が見ていなくても人に迷惑をかけるようなことはしない」「良心に従って正直に生きる」という生き方を育てることに貢献したというわけです。
我が国における仏教の功績はまことに大であるといえます。
 

罪障(ざいしょう)の消滅

仏教は日本人の中に罪意識の豊かな、つまり良心の敏感な国民性をつくることに大きく貢献しました。それが外国人を驚かせるような治安の良さにつながったと考えられています。
しかし、罪意識を生み出す根本原因である「罪障(ざいしょう)」というものをどうしたら消すことができるか、ということが課題がとして残りました。
そこである高僧は、「衆生(しゅじょう)を救済したいと願う御仏(みほとけ)の本願(ほんがん)に徹底的にすがることによって、人は救われる」と教えました。
いわゆる「他力本願」という教えです。実に魅力的な教えです。
 
でも、西暦一世紀の末に著わされた新約聖書には、この高僧が教えを説いた千数百年も前に、「他力本願」という有り難い救済の道が既に設けられていたと書かれています。
すなわち、「罪なきイエス・キリストが人類の罪の身代わりとなって十字架に架けられた、だから誰であっても自らの罪を認めてキリストを信じ受け入れれば、一切の罪障が消滅し、地獄に落ちるべき者も神の国で永遠に生きることができるようになる」と説かれていたのでした。
 
まことに都合のよい話に聞こえますので、にわかには信じられない話であるとは思いますが、しかし、罪深い私どもには、「自力救済」は絵に描いた餅のようなものなのです。
そこで、私どもの教会では、聖書が語る真理を分かり易くご紹介する機会をご用意致しました。
 
聖書の話は聞いたことがない、教会などは初めて、というお方も、この秋の日曜日、街中の小さな教会にぜひお気軽にお越しくださって、講話とゴスペルに耳を傾けていただけましたら幸いです。

 

ご来会を心よりお待ちしております。


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2014-08-02 21:23:31 (707 ヒット)

 日本人の精神とキリスト教の精神

 

「大和魂」こそ、日本人の精神

七月三〇日、久しくモンゴル人が席巻していた大相撲に日本人大関がもう一人誕生しました。境川部屋の豪栄道豪太郎です。

新大関豪栄道はわが寝屋川市の出身で、寝屋川市立明和小学校、第四中学校を経て相撲の名門、埼玉栄高校に進学しましたが、卒業を待たずに二〇〇五年一月場所で初土俵を踏みました。
そして精進に精進を重ねた結果、ついに大関への昇進を果たすことになったのですが、その大関伝達式での豪栄道の口上が、「これからも大和魂を貫いてまいります」でした。
 

 「大和魂(やまとだましい)」を辞典で引きますと、「日本民族固有の精神。勇敢で潔(いさぎよ)いことが特徴とされる」とあります(デジタル大辞泉)。

 この「勇敢で潔いこと」こそが、古来、日本人の精神の特徴だったのです。私たちはこの伝統を大事にしたいものだと思います。
 

「七たびを七十倍するまでゆるす」、それがキリスト教の精神

恨みは千年忘れない」という国もありますが、その国で先日、ミサに集まった群衆に向かってローマ法王フランシスコが、「七たびを七十倍するまで赦しなさい」と諭したそうです。
この教えは「何回ゆるさなければなりませんか?七回までですか」と質問した弟子たちに対してイエス・キリストが語った言葉であって、この言葉にこそキリストの教えの精髄、キリスト教の精神が込められています。
 
実際、イエス・キリストは知識を教えるだけでなく、自ら、その教えを身をもって実践した稀有なお方でした。

とりわけ、イエスが無実であることを知りつつも、おのれの保身のためにイエスを十字架に追い遣った人々のために、十字架上でその報復を祈るどころか反対に、神に向かって、「父よ、彼らを赦し給え」と心の底から敵の赦しを祈ったのでした(ルカによる福音書23章34節)。

まさにキリストは「七たびを七十倍するまで」も、人を赦したお方でした。
 

講話とゴスペルとで、魂の癒しを

私どもの教会では六月から十一月までの第一日曜日、はじめての方々を対象にして「日本人とキリスト教」という題で日曜特別礼拝を行い、講話で聖書の神さまを分かり易くご紹介しておりますが、四回目の九月は「日本人の精神とキリスト教の精神」をテーマに、それぞれが持つ特徴に焦点をあてることによって、一度しかない人生というものをより良く生きる秘訣を学びたいと願っております。

 
ヒグラシが鳴き、赤とんぼが飛ぶ夏の終わりの月七日の日曜日、街角の小さな教会にぜひお越しくださって、分かり易い講話と心を癒すゴスペルの歌声に耳を傾けてくだされば幸いです。
 
ご来会を心よりお待ちしております。

 


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