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投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-12-28 16:13:58 (993 ヒット)
2014年礼拝説教

14年(平成26年)12月28日最終日曜礼拝説教 

「私たちが滅び失せなかったのは、神の恵みと憐れみが尽きることがなかったから」
 
哀歌3章22、23節(旧約聖書口語訳1145p)
 
 
はじめに
 
十二月二十五日が過ぎるとクリスマス商戦が終り、街はもう歳末商戦です。
ジングルベルに変わってベートーベンの第九のメロディが商店街に流れていますし、クリスマスイベントが終わればすぐに忘年会です。
日本人は宗教的節操がどうのこうのと目くじらを立てる生真面目な人もいますが、いい悪いは別にして、この変幻自在さこそが日本人の特徴でしょう。
 
ところでその忘年会や、「年忘れ何とか」と銘打った番組が目立つ年末ですが、そもそも「忘年会」とは何かと言いますと、どうもそれぞれが「年」つまり年齢という垣根を取っ払って親しく交流をしようという、いわゆる無礼講を意味したようです。
 
そしてまた「年忘れ」には、嫌なことが多くあったその年の記憶をきれいさっぱりと忘れて新しい年を迎える、という意味もあるようです。
 
確かに「忘れる」ということはとても大切なことです。嫌なことを覚えていると、それは心の中で発酵してしまい、ついには体調不良や健康障害にまで発展しかねませんし、また心が折れたりすると、折角訪れてきたチャンスを逃したりして、大事な将来を台無しにしかねません。
心の浄化、再生のためには「忘れる」ことが重要な場合もあります。
 
しかし、決して忘れてはならないものがあります。その一つはそもそも自分という人間は何者であったのかという正しい自己認識であり、そしてもう一つが、その自分に対して天の神が何をしてくれたのかという深い恩寵認識です。
 
そして、この二つの認識が維持されるとき、日々の暮らしの中で感情の浄化というものが体験され、その浄化された感情が良き習慣を生み出すこととなります。
 
そこで二〇一四年の最終日曜礼拝では、五年ぶりに旧約聖書の「哀歌」を取り上げることによって過ぎし一年を総括し、新しく迎える年に備えたいと思います。
 
 
1.自らの実態を知る
 
総選挙の結果を経て、第三次安倍政権が発足しましたが、「戦後レジームからの脱却」を掲げたのが第一次安倍政権でした。
 
「レジーム」とは「体制」のことですが、「戦後レジーム」とはまさに、「悪いのはすべて日本、戦争を仕掛けたのも日本、残虐なことをしたのも日本軍、そしてそんな悪い日本人と日本国をつくったのは日本の伝統と歴史が悪かったからだ」という自虐的認識のもとに形成された戦後の体制のことであって、これから脱却することにより、日本人が正しい歴史認識を持った上で、本来の誇りを取り戻そうとしたのが「戦後レジームからの脱却」という目標でした。
 
「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言います。これは明治維新の際に生まれた言葉です。
戦争は勝った者が正義であり、そのために戦争の評価は勝者側によって、勝者側に都合のよいように書き換えられるという傾向があります。
 
戦争の呼称もそうです。アジアに対する欧米列強の植民地支配打倒を一つの名目として名づけられた「大東亜戦争」という呼称は戦後、占領軍によって「太平洋戦争」に変更させられてしまいました。
 
その大東亜戦争のあともそうで、主権回復までの七年にわたる占領期間中、占領軍は徹底した言論統制と思想教育を日本社会に行い、これによって戦前の日本はすべて悪であって、良い所は少しもないという考えを日本人に植え付けました。
 
その際、占領軍におべっかを使ってその走狗になったのが朝日新聞であったという理解は、識者の間では常識となっています。このような新聞を子供のころから通算すると五十年にもわたって熟読してきたことを思うとまことに慙愧に堪えません。
 
さてイスラエルの歴史ですが、紀元前五八七年、南ユダ王国の首都、エルサレムはバビロン軍の猛攻撃を受けて堅固な城壁は破壊され、町は陥落し、そして壮麗を極めたソロモンの神殿も崩壊、炎上させられてしまった上、当時の支配者階層は遠いメソポタミアのバビロンへと強制連行されていきました。
 
このときの滅亡後のエルサレムの状態、そして住民の苦しむさま、悲しみの心情を詩のかたちで歌ったものが「哀歌」でした。
 
「哀歌」の一章、二章、四章、五章は二十二節から、そして三章のみ、その三倍の六十六節から成っています。
ところで二十二はヘブライ語のアルファベットの数ですので、そこにも文学的技巧がこらされていることがわかります。
 
大事なのは第三章の内容で、そこに記されている、「こうなったのは誰のせいでもなく、自分たちが招いたからだ」という自己認識は、そう思い込まされたのではなく、彼ら自身が分析をした末の結論でした。
 
「わたしは彼の怒りのむちによって、悩みにあった人である」(哀歌3章1節 旧約聖書口語訳1144p)。
 
この「わたし」(1節)は個人ではなく、エルサレム自身を意味します。「彼」(同)は神です。そしてエルサレムは神の「怒りのむち」(同)によって「悩みにあった」(同)、すなわち滅亡したのでした。
 
悩みにも二つの種類があります。
一つは、自分自身には何の落ち度もないのに苦しみに遭ったという場合です。
このようなケースの場合、その理不尽さに心がわなないたとしても、良心の咎めはありませんから、平安はあります。
 
しかし、もう一つのケース、つまり、自分自身が原因で苦しみに遭ったという場合です。このような場合、痛みの中にあっても状況を恨むんのではなく、よって来る原因を探ることができる者は幸いです。
 
滅亡したエルサレムは近隣の異教徒の物笑いの種となりました。
 
「わたしはすべての民の物笑いとなり、ひねもす彼らの歌となった」(3章14節)。
 
 まさに「身から出た錆び」です。しかし、このような絶望的状況の中で、どこかの国のようにひたすら隣国を恨むようなことはせず、自らを悔いつつ、再起、再興の望みを抱いたのがエルサレムでした。
 
「しかし、わたしはこの事を心に思い起こす。それゆえ、わたしは望みを抱く」(3章21節)。
 
この哀歌をよく読みますと、民たちの意識が言論統制や思想教育によってつくり上げられたような人為的洗脳的自虐意識ではなく、心底からの罪意識、認罪意識であることがわかります。
 
エルサレムは神からの懲らしめの鞭を受けたという認識のもとに、正しい自己認識に至ったのでした。
 
 
2.尽きることのない神の恵みを知る
 
再起への二つ目の段階としての認識、それは神が依然として恵みと憐れみに満ちた神であることを知ることでした。
 
傷と痛みの中で、自分たちを攻める敵側についたのでは、と思っていた神が、約束の地に向かう民を、荒野において母親のように抱いた神と変わらない神であったという事実をエルサレムは知ることとなります。
 
それが三章二〇節です。
 
「わが魂は絶えずこれを思って、わがうちにうなだれる」(3章20節)。
 
口語訳はここを「わが魂は絶えずこれを思って、わがうちにうなだれる」と訳しましたが、旧約学者の故左近 淑元東京神学大学学長は別の訳を提示します。
 
   あなたは、必ず顧み、わたしの上に身を沈める(3章20節)  
   左近 淑著「低きにくだる神」98p ヨルダン社)。
 
神は、おのれの罪過の罰を受けてぼろぼろになっている神の民の上に、あたかも子をかばう母親のように「身を沈め」、覆いかぶさって共に嘆いて下さっているというイメージです。
 
それはまさに、福音書に描かれている救い主イエス・キリストの姿そのものです。
この、敵側に回ったと思われていた神がなおもすぐ近くにおられるという思い、そして罪のゆえに鞭打たれはしたけれど、まだ滅び切ってはいない、生かされているという実感が続く二十二節の告白です。
 
「主のいつくしは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない」(3章22節)。
 
 この箇所は個人的には新改訳の方がよいように思えます。
 
「わたしたちが滅び失せなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ」(3章22節 新改訳)。
 
 味わい深いのが文語訳です。
 
「われらの尚(なお)ほろびざるはエホバの仁愛(いつくしみ)によりその憐憫(あわれみ)の尽きざるに因(よ)る」(3章22節 文語訳)。
 
 ヘブライ語聖書の原文には母音記号がついていないために、神の名の正しい発音は時間の経過と共に消失をしてしまい、誤って「エホバ」と読むようになっておりました。
 
でも、その後の研究の結果、「エホバ」という読み方は間違いであって、正しくは「ヤーウェ」あるいは「ヤハウェ」「ヤハウェ」と発音するのが正しいことがわかり、その結果、日本聖書協会が一九五五年に改訳発行した口語訳聖書では、「エホバ」とされていた神名は、「主」と訳されるようになりました。
 
しかし、文語訳に慣れ親しんでいた諸先輩方は、説教や祈りの中でこの聖句が文語訳で引用されて、「われらの尚ほろびざるは…」とくると、もうそれだけで感激して「エホバのいつくしみによりそのあわれみのつきざるによる」と小声で続けるのが常であったことを思い出します。
 
地獄に落とされても文句は言えない、そんな自分たちが不思議にも生きている、それは主の恵みがあるからだ、その尽きることのない憐れみのゆえである、それが二つ目の認識の段階です。
 
そしてこの認識が深まると同時に、一つ目の認識もまた深まるのです。その例がテモテへの手紙の著者の認識でした。
少し長いのですがご一緒に声を揃えてお読みしたいと思います。
 
「わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかった時、無知なためにしたのだから、あわれみをこうむったのである。その上。わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスにある信仰と愛とに伴い、ますます増し加わってきた。『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった』という言葉は、確実で、そのまま受け入れるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである」(テモテへの第一の手紙1章13〜15節 新約口語327p)。
 
 「…主の恵みが、…増し加わって」(14節)くると、認罪意識も高まってきてその結果、自分が単に罪人のひとりなどではなく「わたしは、…罪人のかしら」(15節)であるという認識に至るのです。 
 
このように聖書の知識や神への信仰が深まるにつれて、自らの弱さや罪深さに関する自覚が増してくるという場合がありますが、それは実は健全なことなのです。
 
例えば、池の水をコップに掬い入れておきます。しばらくすると水はきれいになります。汚れが底に沈殿するからです。
そのコップに棒を入れて掻きまわします。水は一気に濁ります。なぜか。沈殿していた汚れが浮き上がるからです。
 
信仰の深まりと共に、それと同じ現象が人の中に起こるのです。でも心配は要りません。認罪感の高まりと共に、神の恵みの大きさを実感するようになるからです。そして、内に住む聖霊なる神は、少しずつ、内側を浄化し、キリストの似姿へと変えてくれるのです。
 
 神の大いなる憐れみによって赦され生かされていることを知った者は、そして神を崇める暮らしに帰ります。エルサレムもそうでした。
 
「われわれは自分の行いを調べ、かつ省みて、主に帰ろう。我々は天にいます神に向かって、手と共に心をもあげよう」(3章42節)。
 
 問題は帰る道ですが、帰り道は西暦三十年四月、神の独り子なるイエス・キリストにより、かつて灰燼に帰した同じエルサレムにおいて、確かに敷設されたのでした。
誰であっても心を低くする者はこの道を往き来して、神の赦しと恵み、いつくしみと憐れみを味わうことができるようになったのです。
 
 
3.朝ごとに新しく知る
 
 では、この二つの認識はいつどこで味わうのかと言いますと、哀歌は続けます、「朝ごとに」と。
 
「これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい」(3章23節 口語訳)。
 
「それは朝ごとに新しい。あなたの真実は力強い」(同 新改訳)。
 
「それは朝ごとに新たになる」(同 新共同訳)。
 
「これは朝ごとに新(あらた)なり、なんじの誠実(まこと)は大いなるかな」(同 文語訳)。
 
 「真実」(23節)な神の赦しと憐れみの認識、体験は「朝ごとに」(同)「新しく」されると「哀歌」の著者は言います。
 
 もちろん、週ごとの礼拝も大切です。今年私どもの教会では五十二回の日曜礼拝が開かれました。礼拝は参列者と奉仕者とで成り立ちます。
奉仕者がいなければ礼拝は成り立ちませんし、参列者がいなければ準備された奉仕も生かされません。
 
 と同時に、日曜礼拝は祈る人によっても支えられています。礼拝には参加できないけれど、日曜ごとの礼拝を想い、祈りで礼拝に参加している人たちもいて、それで礼拝が成り立ってきたのです。
 
一年を振り返り、心を燃やして日曜礼拝に参加した方々、奉仕者として誠実に奉仕された方々、そして祈りで参加もし、協力もしてくださった方々に、神の祝福と労いとがありますように。
 
 しかしまた、日曜礼拝に加えて、日々の礼拝、個人礼拝が大切です。できれば新しい年は個人礼拝により、「朝ごとに新しく」(23節)神の赦しと恵み、慈しみと憐れみとを味わうことに努めてみてください。
 
 朝、目が覚めたら「主の祈り」を祈る、ということから始めてもよいでしょう。
 勿論、就寝前でもかまいません。しかし、一日を始めるにあたって、主なる神に挨拶をする、主を讃美する、聖書からその日のみ言葉を読む、家族、知人、主にあるファミリーのために執り成しの祈りを捧げる、一日のスケジュールを考えながら、主の助けと導きを求める、などの個人礼拝を通して、主の恵み、力、知恵を「朝ごとに新しく」(23節)味わう年であれば、より幸いです。
 
そしてそういう年は「忘年」どころか忘れ得ぬ年として記憶されることと思うのです。
 
 そこで最後に哀歌三章二十二、二十三節を、新改訳で通しで読んで、ご一緒に祈ることにしたいと思います。
 
「わたしたちが滅び失せなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。あなたの真実は力強い」(3章22、23節 新改訳)。
 
来る新しい年もまた、主への「感謝の心」で迎えたいと思います。
 
一年間、拙い説教を聞いて下さり、また読んで下さった皆様方に、神の祝福が豊かにありますように。
 
ありがとうございました!


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-12-24 23:40:47 (847 ヒット)
2014年礼拝説教

14年12月24日(水) クリスマスイブ礼拝説教 

「永遠のロゴスが人の姿をとった理由(わけ)」
 
ヨハネによる福音書1章1、2、12、14節(新約聖書口語訳135p)
 
 
はじめに
 
テレビ離れが伝えられています。
確かにどのチャンネルにも同じ顔ぶれのお笑い芸人たちが出ていて、ウケを狙ったしょうもないしゃべりをし、面白くもないのにゲラゲラと笑うなどの場面を視ると、思わずチャンネルを替えるかスイッチを切るかしてしまいます。
 
ドラマの方も一部を除いて低調そのもののようです。
ただし、四半期ごとに放映される民放のドラマの中には、感動させられるものもあります。
 
私自身、話題になったものなどは録画をしておいて、後で時間が出来た時などに視るのですが、今年の場合、内容に惹かれて最終回まで視てしまったドラマは、二つほどありました。
 
一つは一月から三月にかけて放映された、有名子役の芦田愛菜(まな)主演による、児童養護施設を舞台にした「明日、ママがいない」というドラマでした。この子役は子役の域を超えていて、まさに女優と呼ぶにふさわしい演技者でした。
 
このドラマの最初の放映の段階では、「似たような環境にいる子供たちが虐められる」などという批判が関係団体から寄せられたようですが、ドラマの展開に伴って批判も影をひそめてしまったようでした。
 
個人的には、リアルで本当に感動的なドラマであったと思います。特に主演の子役が演じた、「ロッカー」というニックネームで呼ばれた主人公は小学生の女の子ですが、侠気(おとこぎ)のある実に魅力的な役柄でした。
 
もう一つは森山直太朗の主題歌で話題になった「若者たち2014」という秋のドラマです。
 
このドラマはいつも、長男である主人公が丸い座卓を囲んで弟妹たちと朝食を食べるシーンで言う、「理屈じゃあねえんだよ」という定番の台詞で始まります。
 
確かにドラマ自体は理屈を越えてしまったような突飛な展開が目立ちはしましたが、それはそれで昭和の古き時代にはあったかも知れない、日本人のノスタルジアを掻き立てるような家族愛を内容としたドラマでした。
もっとも「若者たち2014」というタイトルですから、平成二十六年の現代の話しとなってはいるのですが。
 
「理屈じゃあない」。確かに日本人の精神の特性である「義理と人情」は、理屈を超えた感性というものに訴える概念です。しかし、そうは言いましても、理屈もまた大事な要素です。
理屈によって支えられればこそ、人はどうであれ、自身の信念は揺るぐことなく、確信を持って信じる道、我が道を往くことが可能となるからです。
 
そこでクリスマスイブの今晩は、理屈では説明できない出来事と、それでもその出来事が出来(しゅったい)した理由と論理とを、理屈において精一杯説明しようとした聖書記者の思いに迫りたいと思います。
 
ところで「イブ」は夜を意味するイブニングの「イブ」ですが、十二月二十四日の「イブ」は本来、クリスマスの前夜祭などではありませんでした。
古代、ローマ帝国の支配地域では、「一日は日没から翌日の日没まで」でした。つまり、十二月二十四日の夜は、既に二十五日で、クリスマスの日の本番であったわけです。
 
そういう意味では二〇一四年、平成二十六年の十二月二十四日の夜のこの時間、クリスマスの日を既に迎えているのです。
 
「クリスマスイブ」、何やら心浮き立つ響きですが、中学三年までの私にとってクリスマスは苦々しいものでした。「キリスト教徒でもない日本人が何で外国の宗教の行事に浮かれ騒いでいるのか」と思いつつ、何となく心寂しい思いで、クリスマスの時期を過ごしておりました。
 
しかし、高校一年生のクリスマスは違いました。イブの夜は照明を落とした教会の会堂に座り、蝋燭を手に持って聖歌を歌っておりました。
ただ、蝋燭を顔に近づけ過ぎて、当時は豊かであった前髪を焦がしてしまったという思い出がありますが。
 
クリスマスの恵みがお一人一人の上に豊かにありますように。
 
 
1.まだ何もなかった時に、神の御子は既に存在をしていた(超越)
 
教会に行くようになって、新約聖書の始めにある福音書を読み始めた時、一つ読み終わって次に進むとまた、似たような言葉や出来ごと、物語が出てくるので、これは何なんだろうと思った方もおありかと思います。
 
でも、四つ目の福音書、つまり「ヨハネによる福音書」になりますと様相が一変します。おそらくは難解な言葉や哲学的というのか文学的というのか、とにかく「言い回しや使われている用語などが難しい」というのが率直な感想だろうと思います。
 
中でも、冒頭の言葉が私たち日本人には難解です。一章一節、二節です。
 
「初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。言(ことば)は神であった」(ヨハネによる福音書1章1、2節 新約聖書口語訳135p)。
 
 「初めに」(1節)というのは、太陽も月も地球も、つまり太陽系も、それどころか銀河系宇宙全体、そして大宇宙そのものがなかったとき、それが「初め」でした。
 
当然、そのような空間だけでなく、時間も始まっていなかった時、つまり歴史も何も、とにかくまだ何にもなかった時、永遠の昔です。
そんな時から存在していたのが「言(ことば)」(1節)であったと著者は言いますが、「言(ことば)」の原語は「ロゴス」です。
 
 著者は何で「初めにロゴスがあった」という出だしでこの福音書を書き始めたのかと言いますと、この福音書が聖書そのものに精通していたユダヤ人ではなくて、ギリシャ文化の中にいたギリシャ人やローマ人を対象にして書かれたからです。
 
 ギリシャ語の「ロゴス」は英語で「ロジック」などと言いますように、論理、原理、理性などを意味するのですが、ギリシャ文化、つまりヘレニズム社会における「ロゴス」は、単なる知識や知恵ではなく、神的な性格を持った超越的な力であって、永遠の昔から存在していた創造神的な神とされて崇められていました。
 
 ですから、著者は敢えて「ロゴス」という用語を使用することによって、ギリシャ世界の人々に、神の御子であるイエス・キリストを紹介しようとしたのでした。
 
 だからこそ、これを日本語に翻訳しようとした人々は、本当に苦労をしたのでした。なぜならば、日本文化や日本宗教には、神性を持った超越的な絶対的存在というものはなかったからです。
 
でも、日本語の翻訳聖書がないと宣教は始まりません。そこでカール・ギュツラフというドイツ宣教師はマカオにおいて日本人漂流魚民であった音吉、岩吉、久吉の三人の協力を得て、ヨハネの福音書とヨハネの手紙第一、第二、第三をカタカナ文で翻訳をして、シンガポールで出版します。
それが一八三七年、明治維新の三十一年も前のことでした。
 
 どのように訳したのか、とても興味がありますが、「ロゴス」は知的概念でもあることから、ギュツラフさんはこれを「カシコイモノ」と訳したのです。まさに名訳です。
 
ハジマリニカシコイモノゴザル、コノカシコイモノゴクラクトモニゴザル、コノカシコイモノワゴクラク。ハジマリニ コノカシコイモノゴクラクトモニゴザル(ギュツラフ訳 約翰福音之伝一章一、二節)。
 
そして、ギュツラフ訳の出版から四十三年後の一八八〇年(明治十三年)に本格的な新約聖書の日本語訳が完成、出版されます。これが「明治元訳(もとやく)」です。では、ヨハネの福音書の冒頭はどう訳されたのでしょうか。
 
太初(はじめに)道(ことば)あり道(ことば)は神(かみ)と偕(とも)にあり道(ことば)は即(すなは)ち神(かみ)なりこの道(ことば)は太初(はじめ)に神と偕に在(あり)き(明治元訳 約翰傳福音書一章一、二節)
 
ここで「ロゴス」は「ことば」として紹介されるのですが、それに充てられた漢字は「道」であって、これを「ことば」と読ませたわけです。これもよく考えられていると思います。
 
そしてこのあと「文語訳」を経て私たちの教会が使っている「口語訳」となるのですが、そこでは「ロゴス」は「言(ことば)」となります。
 
面白いのは明治五年に宣教師のブラウンとヘボンによって訳されたものです。彼らは一節を「元始(はじめ)に言霊(ことだま)あり」と訳したのです。このヘボンはローマ字のヘボン式で有名です。
因みにヘボンは女優のオードリー・ヘップバーンのヘップバーンです。当時の日本人にはヘップバーンがヘボンに聞こえたのでしょう。
 
彼らは「言霊(ことだま)」という訳語を使うことによって、「ロゴス」を単なる「言」ではなく、背後にある生命や意思、理性を伴なった人格的な存在として伝えようとしたのだと思われます。
確かに、「ロゴス」に最も近いのがこの「言霊(ことだま)」だと私は思います。
 
実はもともと、日本人にとって、言葉は極めて重いものであって、絶対的なものでした。
それを表す言い方が「武士に二言はない」でした。その背後にあるものが偽りや嘘の対極にある「誠」でした。
 
新渡戸稲造は「武士道」の中で、「誠」という表意文字は「『言』と『成』の部分から出来ている」こと、そして武士の社会で証文、つまり契約書がなかったのは、武士の言葉がそれほど重かったからであると説明します。
 
このような語句(註 武士の一言)があるように、武士のことばは重みをもっているとされていたので、約束はおおむね証文なしで決められ、かつ実行された。むしろ証文は武士の体面にかかわるものと考えられていた。「二言」つまり二枚舌のために死をもって罪を償った武士の壮絶な物語が数多く語られた(新渡戸稲造著 奈良本辰也訳「武士道」66p 三笠書房)。
 
まさに「武士の一言」は「誠」に基ずく人格と同一視されたのでした。そしてこの武士道を超える(ことば)、それが「ロゴス」でした。。
 
この「ロゴス」すなわち「言霊(ことだま)」は永遠の昔から神と共に存在したお方であって、「ロゴス」自身、「神であった」(1節後半)、すなわち、神の御子として、「神であった」のです。これを専門用語では、あらゆるものを超える「超越」的存在と言います。
 
信じ難いことであるかも知れません。しかし、何もなかった時、「はじめに」(1節)神の御子は永遠の「ロゴス」として、既に存在をしていたのでした。
 
 
2.何の義理もないのに、神の御子は敢えて人の姿をとられた(内在)
 
ですからクリスマスとは、この超越的な存在である神の永遠の「ロゴス」が、人の姿をとって、人間世界に住まわれた日でもあるのです。それを専門用語では「受肉(じゅにく)」と言います。
 
「そして言(ことば)は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。私たちは その栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、恵みとまこととに満ちていた」(1章14節)。
 
 永遠の「ロゴス」、言霊(ことだま)である神の御子は、空間的には無限であり、時間的には永遠の存在でした。
しかし、人となることによって、つまり人間の肉体を纏うことによって物質的存在となり、限界を持つ者、病み、痛み、衰え、老い、死ぬべき存在となりました。
中でも最も大きな特徴は、罪を犯す可能性を持つものであるということでした。
 
このようにして神の「ひとり子」(14節)が「わたしたちのうちに宿った」(同)のでした。つまり、神であったお方が、人間世界に来られて、人間の仲間となり、罪びとの一人となったのです。
 
世間には降格人事というものがあります。しかし、この場合、降格どころではありません。すべてを超えた「超越」的存在である神が有限な存在である人となったのです。これを専門用語では「内在」と言います。
 
ところで日本にも、神が人の世界に降りて来た、という神話があります。いわゆる「天孫降臨(てんそんこうりん)」です。
 
日本の宗教は基本的には沢山の神様がいる多神教なのですが、それらの神々の中で一番偉い神様が「天照大神(あまてらすおおみかみ)」でした。
そしてこの神様が大黒主(おおくにぬし)と交渉をして国を献上させます。いわゆる「国譲り」です。
 
そこで天照大神は自身の孫にあたる「邇邇藝命(ににぎのみこと)」に対し、地上にある葦原(あしはら)の国を治めるよう命じます。
そこで「邇邇藝命」は高天(たかま)の原から天下って葦原の国に降りてきます。これが天孫降臨です。
わからないのは大黒主が譲った国は出雲の国の筈なのですが、邇邇藝命が降り立ったのはなぜか九州なのです。尤もそんな些細なことにはこだわらないのが日本神話のよいところかも知れません。
 
日本最古の歴史書とされる古事記や日本書紀では、日本の歴史は二七〇〇年近いことになっているのですが、実際はもっと短いものと思われます。
なぜかと言いますと、古事記や日本書紀の成立は八世紀の初めであって、それは福音書が書かれてから七〇〇年以上あとの時代だからです。
 
つまり神の「ロゴス」が地上に下って人間となったという話が日本列島に伝わって、それが日本神話におけるエピソードの基となるには、十分な時間です。勿論、断定はできませんが。
 
理性や常識では信じ難いことかも知れません。しかし、神のひとり子の人としての誕生は単なる神話ではなく、歴史的事実です。
それは紀元前七年から五年に起こりました。
 
一般的に西暦と言われている暦はキリストの誕生を起点として数えられています。つまり、この世界はキリストを中心として、その誕生前のいついつ、誕生後のいついついつ、という数え方をしているわけです。
 
西暦は今から一五〇〇年ほど前の六世紀に、「ディオニシグス・エクシグウス」という舌を噛みそうな名前の、ローマ教会の偉い学者さんが考案した暦なのですが、後に計算間違いがあったことがわかりました。
 
その結果、イエス・キリストは「キリスト誕生」の年とされる西暦一年より、七年から五年前に誕生したことが明らかとなりました。
なお、西暦零年はありません。西暦一年の前年は紀元前一年です。
 
 神の御子は人類に対しては何の「義理」もありません。では、御子は何でまた、物好きにも敢えて人間なんかになったのか、ということですが、それこそ、理屈ではありません。
そうしたかったのです。それを一口で言うなれば、人類を「放っておけなかったから」ということでしょう。それ以外に理由はありません。
 
 
3.何の功績もないのに、神の御子は罪びとを神の子供にしてくれた(恩寵)
 
でも、物好きにも限度というものがあります。行動には理由(わけ)がある筈です。そしてその理由とは何かと言いますと、被造物に対する神の憐憫の情でした。
 
日本神話における「天孫降臨」の目的は地上を神の国にすることですが、神の御子が人となった目的は、神に背いている罪びとを聖なる神と和解させ、それによって罪びとに神の子という立場、身分を与えることでした。
それが一章十二節です。
 
「しかし、彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」(1章12節)。
 
「彼」(12節)とは地上に降臨した神の「言(ことば)」、永遠のロゴスのことです。
 
具体的には、神の御子を罪から救う救い主として「信じ」(同)「受け入れ」(同)ることによって、人は誰であっても「神の子」(同)という立場を与えられるのです。
それも、「何の功績もないのに」、です。
 
つまり、神の御子の降誕、神学的に言えばその尊い「受肉」は、私たちを一人残らず、「神の子」(12節)とするためのものであったのでした。これを論理化して理屈で説明したものが神学です。
 
神の御子が、しかも「超越」的な存在であった神の独り子が、この地上に天下って人間となり、人間世界に「内在」したのは、そして罪の誘惑こそ退けたとはいえ、数々の試練を通り抜けて、、罪びととして十字架に架けられたのは、私たちの神に対する罪を身代わりとなって、ことごとく処分をするためでした。
 
つまり、神の御子が人となったことにより、人の子である私たちはただ一つの条件である信仰という条件によって「神の子となる力」(同)を与えられたのでした。この「力」とは権利、特権のことです
神が人となることによって、人が神の子とされる道が開かれたのでした。これこそが「福音」です。
 
今晩、このクリスマスの夜に、神でありながら私たちに「神の子」(同)という身分を与えるために人となられたお方、「めぐみとまこととに満ちていた」(14節)恩寵溢るるお方を、感謝して仰ぎ望みたいと思います。
 


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-12-21 16:34:12 (679 ヒット)
2014年礼拝説教

14年12月21日(日) クリスマスファミリー礼拝説教 

「キリストとの運命的な出会い 『世の罪を取り除く神の小羊』なるキリストを客とすることにより、人生の門出を祝われた若き男女ー水がぶどう酒に」
 
ヨハネによる福音書2章1〜11節(新約聖書口語訳137p)
 
 
はじめに
 
「ゲスト」といったら「お客さん」のことですが、そのお客さんには、是非来てもらいたいと思って招く客と、招いてもいないのに来てしまう迷惑な客とがあって、招いていないのに来る客のことを一般的には「招かざる客」と言います。
 
日本は今、観光に力を入れていて、今年中の外国人観光客の数は千三百万人になるそうです。中でも正規のルートを経て来日する中国からの観光客は、日本各地で沢山の買い物をすることから、多少のマナー違反には目をつぶってでも歓迎の意向を示すべき客ということになります。
 
一方、来て欲しくないにも関わらず何千という数の中国の密漁船が小笠原諸島附近に押し寄せて来て、赤珊瑚という日本の貴重な海洋資源を違法操業で根こそぎに持っていってしまうという不法ぶりが、日本国民の怒りを買ったことはまだ記憶に新しい出来ごとしたが、これなどはまさに「招かざる客」です。
 
しかし、実は「招かざる客」と言いますのは本来、よい意味での「客」のことであって、招いていないにも関わらず、人が困った時に来て、援助の手を差し伸べてくれる者のことを言いました。
古代中国の占いの書物で五経の一つである「易経(えききょう)」にそれがあります。
 
穴に入る。速(まね)かざるの客三人来(きた)るあり。これを敬すればついには吉なり(丸山松幸訳「易経 水天需」中国の思想察。僑械陝‘全崕馘后法
 
 穴に入ってしまい、出るに出られず困惑していたところ、そこに呼んだわけでもないのに三人の人が来てくれた。これが招かざる客というわけです。そこで感謝して彼らを受け入れれば、幸せになる、という意味です。
 因みに「需」とは「待つ」という意味です。
 
今日、十二月二十一日、私どもの教会ではクリスマスファミリー礼拝を捧げていますが、キリストは失望したり行き詰まったりして、「神も仏もあるものか」と嘆いていた私たちの人生に「招かざる客」として来てくれて、最も必要とする救済のわざを行ってくださったお方です。
 
そこで本日は人生の門出において、末代までも面目を失う破目に陥りかかったひと組の若きカップルが、臨席していたイエス・キリストの知恵と信仰によって危機を回避し、大勢の人々の前で面目を施すことになったという事件を通して、キリストを見えざる客とすることの幸いについて教えられたいと思います。
 
 
1.人生の要所に、キリストをゲストとして迎える者は幸いである
 
人生においてはその前途を左右するようなここ一番、というべき要所があります。そのような要所の一つが、親の庇護から巣立って、社会へと出てゆく結婚の式典でしょう。
 
イエス自身は独身を貫いて生涯を終えますが、そのような人生の要所ともいうべき婚礼の席に弟子たちと共に出席をしていたという珍しい記事が、「ヨハネによる福音書」の二章にあります。
 
「三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも弟子たちも、その婚礼の席に招かれた」(ヨハネによる福音書2章1、2節 新約聖書口語訳137p)。
 
「ガリラヤのカナ」(1節)、そこはユダヤの荒野にいたイエスが「行こうとされた」(1章43節)「ガリラヤ」(同)の目的地でした。
その「カナ」では前日に、ピリポの伝道によってナタナエルが信仰告白をしたばかりでしたが、イエスが「カナ」に来たのは「婚礼」(1節)に出席するためだったのです。
 
この「婚礼」(2節)には「イエスも弟子たちも」(同)正式の客として「招かれた」(同)ようですが、「イエスの母」(1節)であるマリヤの場合は、「そこにいた」(同)という記述、そしてその後の言動から、客としてではなく、婚礼の主催者側の人として「そこにいた」と思われます。
 
イエスもまた、母の関係からだけでなく、婚礼の当事者や主催者と近しい関係にあったからこそ、列席していたのでしょう。
 
婚礼、それは当事者だけでなく、家族、親族、友人、知人にとっても幸せをもたらすイベントでした。そして基本的に、キリストは人が幸せになることを心から寿(ことほ)ぎ願う救い主でもありました。
だからこそ、若いカップルの門出を弟子たちと共に祝うべく、ユダヤの地からサマリヤを越えてはるばるとガリラヤの地へと帰ってきたのだと思います。
 
キリストの基本姿勢は「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣」(ローマ人への手紙12章15節)く、というところにありました。
ですから、キリストは時には「招かざる客」となってでも、私たちの人生に、とりわけ大事な要所に臨席をして、時には祝福をし、あるいは慰め、励ます言葉をかけてくださるお方なのです。
 
そして、もしもそういうお方であるならば、もう一歩進んで、イエス・キリストを人生のあらゆる局面に、重要な欠かすことのできない賓客(ひんきゃく)として積極的にお迎えをしてはどうでしょうか。
少なくとも、人生の要所、要所にキリストを大事な客として迎える者は、幸いな人と呼ばれることでしょう。
 
 
2.人生の緊急事態において、キリスト自身を頼る者は幸いである
 
その「婚礼」に想定外の緊急事態が発生しました。ユダヤの祝宴には決して欠かすことのできない「ぶどう酒」が切れてしまったのです。
そのことはイエスの母マリヤから密かにイエスに伝えられました。どうも、イエスの母はこの「婚礼」では配膳の手伝いなどをしていたようでした。
 
「ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、『ぶどう酒がなくなってしまいました』。」(3節)
 
 当時、「婚礼」(2節)で「ぶどう酒」(3節)が無くなってしまうということほど、主催者側にとって恥ずかしいことはありませんでした。それは末代までの恥として知られることとなってしまいます。
「ぶどう酒」はふんだんに準備するのが招待者側の常識だったからです。ですから、これを知ったマリヤは青くなってイエスに告げたと思われます。
 
 実はユダヤ人社会では、婚礼は一週間は続いたようでした。聖書正典に入っていない文書の中で、特に重要とされる文書を外典といいます。
 その外典の一つ、紀元前三世紀から二世紀にかけて書かれたとされる「トビト書」という文書の中の、捕囚の民としてメソポタミアのニネベに住んでいたユダヤ人トビトの息子、トビアスの婚礼についての記述は、ユダヤ人の慣例を知る手掛かりとなります。
 
「こうして、ニネベに住むトビトの親族すべての間に大きな喜びがあふれた。アヒカルも甥のナダブもやって来て、トビアスの結婚の祝は七日の間盛大に行われたのである」(新見 宏訳「旧約聖書外典(上)トビト書11章19節」186p 講談社文芸文庫)。
 
 ここには「トビアスの結婚の祝は七日の間盛大に行われた」とあります。大勢の客が来て、七日の間飲み続ければ、いい加減、ぶどう酒も尽きてしまうと思うのですが、それがユダヤ社会の習慣でした。
 
ところでイエスの母がこの事実をなぜイエスに告げたのかということに関しては、理由は不明なのですが、イエスならば何とかしてくれるのではないかと期待したからかも知れません。
 
ネットが発達している現代ならばまだしも、古代において急に大量のぶどう酒を調達することなどは誰が考えても不可能です。まさに「万事窮す」という状況陥ったにわけです。
 しかしこれを聞いたイエスは特に慌てることもなく、その家の使用人たちに対して、「そこに置かれていた大きな水甕それぞれに水を満たすように」と指示をします。
 
「そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。イエスは彼らに『かめに水をいっぱい入れなさい』と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた」(2章6、7節)。
 
 でも、不足しているのは「ぶどう酒」であって、「水」などではありません。この場合、「水」は何の役にも立たない筈です。ところがイエスは水を入れたばかりの甕(かめ)から水を汲んで、それを料理がしらのところに持っていくようにと命じたのです。
 
そして、不思議なことが起こりました。何とただの「水」が「ぶどう酒」に、しかも極上の「ぶどう酒」に変わっていたのです。
 
何も知らされていない「料理がしら」は花婿に言います、「私の経験から言いいますと、誰でも最初は上等のぶどう酒を出して、酔いが回ったころ、質の劣っているものを出すものです、しかし、あなたは上等のぶどう酒を今までとっておかれました。あなたにはほとほと感服しました」と。
 
「料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、…花婿を呼んで、言った、『どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころに悪いのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました』。」(2章9、10節)。
 
 この結果、「花婿」(9節)は人生の門出において、恥をかくどころか、招待客に対し、面目を施すことになるわけですが、後に事情を知ったならば、マリヤの機転に感謝すると共に、何よりも、「ぶどう酒も惜しんだケチンボ」という汚名を着せられて、人生の門出を台無しにするその寸前、「水」を「ぶどう酒」に変えることによって、晴れの舞台である自分たちの門出の婚礼を支えてくれたイエスに対し、「足を向けて寝ることは出来ない」と、尽きることのない感謝、満腔の謝意を表明したことと思います。
 
 「ぶどう酒になった水」(9節)など、俄かには信じられない、と普通は思いますが、古典落語にはその反対に、酒が水になったという噺があります。
 
若い衆が集まって酒盛りをすることになった。それぞれが酒を持ち寄るということで、各自、持ってきた酒を大鍋に入れた。そして酒盛り、の筈が汲んだ酒はただの水だった。
 
タイトルは覚えていませんが、「自分一人くらい、水を入れてもばれないだろう」と思って全員が水を持ってきたから」という落ちでした。勿論、笑いのための落語ですが、小学生ながら、腹を抱えて笑った記憶があります。
 
なぜ、水がぶどう酒になったのか。それはキリストが神の御子だからというのが伝統的解釈です。
しかし、人であった時のイエスは、神の属性としての全能性を制限されていた筈です。
ということは、この「奇跡」はあくまでも聖霊がなしたわざであって、それを引き出したものがイエスの信仰だったということになります。
 
私たちと人であった時のイエスとの違い、それは信仰の強さ、大きさにあると言えます。「ちいろば牧師」として知られた牧師さんがある信仰雑誌に書いていた話を思い出します。
 
ある寒い冬、牧師たちが集まって隙間風が入る、古い日本家屋で会議をしていた、暖をとるための器具は小さな電熱器しかなかった。その電熱器にみなで手をかざしていたところ、ある宣教師が言った、「これはまるで私たちの信仰みたいです。電気は壁まで来ているのに、電熱器が小さいために部屋は少しも温まりません」。
 
イエスがなした奇跡的みわざは、すぐそこにまで来ている聖霊の圧倒的な力を、御自身の信仰で引き出した結果なのです。
そしてイエスはその尊い信仰を、世の中へと出て行く名もなき若いカップルのために惜しみなく用いられたのでした。
イエスは今も私たちの人生における緊急事態の際には、愛と思いやりの「しるし」を現わしてくださいます。
 
「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現わされた」(2章11節前半)。
 
 神の「栄光」(11節)とは、人が幸いな人生を生きることです。そして「鬼面人を驚かす」というようなセンセーショナルな出来ごとよりも、平凡な人間を無事、幸せへと送りだすことこそがキリストが示す「しるし」(同)なのです。
 
 今も「水がぶどう酒に変わる」ような奇跡は、人生にキリストをゲストして迎えている人の暮らしの中に、何気ないかたちで現われているのですが、気付いていないだけなのです。
 
寝込むほどの病気にもならず、健康で仕事を続けることができていること、トラブルもあるけれど、それでもどうにかこうにか仕事が回っていること、贅沢は出来ないけれど、何とか暮らしが立っていること、人と折り合いをつけながら日常が送れていることなど、考えて見ればそれは奇跡そのものです。
 
見方を少し変えれば、たとい小さくても奇跡は私たちの日常に、常に起こされているともいえるのです。
 
平穏無事である日々であっても、朝ごとに賓客として主なるキリストをお迎えしましょう。
それは「晴れたる朝もわれ主に縋らん 嵐の夜は縋り祈りせん 絶えず主イェスの手に寄り縋らん 静けき昼も 風吹く寄るも」(聖歌490番「われはおさなご」3節)という聖歌の歌詞を実感することでもあります。
 
 
3.信頼と素直な心で、キリストの指示に常に従う者は幸いである
 
最後に、信頼と素直な心でキリストの指示に従う者たちが感じる幸いというものについて教えられましょう。
 
ただの「水」が「ぶどう酒」に変わったことを知っていたのは誰か、ということですが、それはイエスの的外れとも思える不思議な指示に唯々諾々と従って、大きな石甕に水を汲むという、徒労とも思える作業に従事した「僕たち」でした。
 
「母は僕たちに言った、『このかたがあなたがたに言いつけることは、なんでもしてください』。」(1章5節)。
 
 水道などが無い時代、水は町はずれの井戸から汲んだものだったのでしょう。招待客が「ぶどう酒」を飲みながら歓談し、歌い、踊っている間、彼らは汗みずくになりながら、文句も言わずに黙々と水を汲んできて、「六つ」(6節)の大きな「石がめ」(同)にそれを満たす作業を続けたのでした。
 
「料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)」(1章10節)。
 
 水道のない時代の水汲みは重労働です。しかし、「水をくんだ僕たちは知っていた」(10節)のです、水がぶどう酒に変わるという出来ごとの全過程を。
 
特別手当もなかったでしょうし、彼らに対する賛辞もなかったことと思います。しかし、彼らにとっては花婿の門出が神の祝福に満ちたものとされたという事実、そして、自分たちのささやかな行動がメシヤ・キリストなるイエスという人物によって用いられたという喜びの感動に満たされたことと思います。
それが彼らの労苦に対する上からの報酬だったのでした。
 
そういう意味では、賛辞や名誉を目的とはせず、また損得抜きで、客に対して良い物を提供したいと考えて自らの職務に勤しむ日本人の民族性は、この「水をくんだ僕たち」(同)の遺伝子を受け継いでいるとも言えます。
 
時々覗く、「レコードチャイナ」というネットサイトに掲載されていた中国人旅行者の投稿は、このような日本人の資質を称賛するものでした。
十二月八日付けの中国版ツイッター微博(ウエイボー)の記事です。
 
新宿のある店でカメラを入れるためのウエストポーチを買おうとした、女性店員さんに「もっと大きなものがありますか」と聞くと、彼女は首を振る。彼女は私に後についてくるように身振りで示して歩き出した。すると彼女はそのまま店の外に出て、反対側のまったく別の店へと案内してくれた。そこでわたしは気に入ったポーチを買うことができた。
 
投稿者は、自分の店には何の儲けにもならないどころか、ライバル店を益するだけでしかない行動を、一見(いちげん)の客のために取ってくれたこの女性店員のサービス精神を、何としても自国の人々に伝えずにはいられなかったのだと思います。
 
「水をくんだ僕たち」(10節)の場合、何よりも、イエスというお方の指示に従っていれば道は必ず開かれる、という教訓を得たこともまた、その後の人生にとって大きな力となったことでしょう。
 
 考えてみれば、家事や育児は単調な繰り返しの連続です。老親の介護なども然りでしょうし、職場においてもその多くは昨日の地味な業務の続きかも知れません。しかし、主なるキリストが汲めと言われたならば、汲んだ「水」は必ずや人に役立つ「ぶどう酒」に変わるのです。
 
教会における奉仕もそうです。それは無意味なことどころか、その都度、そこに見えないかたちで臨席されている主なるキリストにより、馥郁(ふくいく)たる香りを放つ「よいぶどう酒」(10節)に変えられて、その場にいる人を生かし、幸せにし、生ける神の「栄光を現わ」(11節)す尊い奉仕となるのです。
 
この「ガリラヤのカナ」での出来ごとからおよそ三十年後、使徒パウロはコリントの教会に四通の書簡を書き送りましたが、「第一の手紙」として新約正典に加えられた二通目の手紙の結びを今日、ご一緒に味わい、その後、神の独り子でありながら、人としてこの世に生まれてくださり、そして私たちの人生に「招かざる客」として来てくれたお方に対し、感謝の祈りをお捧げしたいと思います。
 
「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである」(コリント人への第一の手紙15章58節 276p)。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-12-14 16:15:37 (951 ヒット)
2014年礼拝説教

2014年12月14日 待降節第三主日礼拝説教 

「キリストとの運命的な出会い 『世の罪を取り除く神の小羊』なるキリストとの出会いにより、祈りが通じていたことを知ったナタナエルーいちじくの木の下で」
 
ヨハネによる福音書1章43〜51節(新約聖書口語訳137p)
 
 
はじめに
 
本日十二月十四日は多くのメディアや野党が声を揃えて、「大義なき解散」などと非難をした総選挙の投票日です。選挙権のある方は是非、投票所に足を運んで票を投じてください。
 
尤も当選者が一人しか出ない小選挙区制は、政党間の駆け引きによって、立候補者が絞られてしまう場合があり、その結果、選択のしようのない選挙区も出てきます。とりわけ、宗教政党と革命政党の一騎打ちなどという選挙区の場合、足以前に気持ちが向かないのは確かです。
 
これが複数の当選者が見込まれる中選挙区であるならばまだ、投票のしようがあるのですが。私自身、個人的な考えとしては、選挙民が選択をし易く、また少数者の民意が反映され易い中選挙区に戻すことが、ベターだと思っています。
 
その「個人的」ついでで、個人的感想を言えば、五年三カ月前の総選挙結果は悪夢そのものでした。
まさに、つい先日亡くなった俳優、高倉健が主演して、名作として評価された「幸福の黄色いハンカチ」と併せて映画賞を獲得した「八甲田山」における神田大尉の、「天は我々を見放した」という有名な台詞を当時、思い出しもしたものでした。
 
なお、この映画の元となった新田次郎原作の「八甲田山死の彷徨(ほうこう)」(新潮文庫)では、「天はわれ等(ら)を見放した」(同書193p)とあるのですが、小説の中での神田大尉のモデルとなった神成(かんなり)という大尉が現場で実際に言ったのは、生存者の証言によれば「天はわれわれを見捨てたらしいッ!」だそうですが。
 
二〇一一年三月の東日本大震災への対処にしましても、後手後手に回る悲惨な対応ぶりで、それを含めて、とにかく日本という国がボロボロになってしまったというのが、その悪夢としか思えない三年三カ月に対する個人的な感想でした。
 
しかし、ちょうど二年前、天すなわち神は我々の国、日本を、そして日本人をまだまだ見放してはいなかった、という思いを新たにすることができました。
 
もちろん、この国が受けた傷はまだ癒えてはいませんが、本日、「神は日本国を見捨ててはいない」「日本人は捨てたものではない」という確かな希望と確信を日本国民一人一人が持ち、自らの信念に基づいて、しっかりとした投票行動をとることができますようにと念じるものです。
 
ところで、今から二千年前、ガリラヤのカナに、「天は我々を見放した」のではないか、という疑念と不信に抗いながら、それでもなお、希望を持って神から遣わされる救世主の現われを待ち望んでいたひとりの「イスラエル人」がおりました。
 
待降節第三主日を迎えた今週は、その「イスラエル人」に対するキリストの取り扱いを通して、疑惑と不信感を突き破って永遠の神と繋がる道を開いてくれた救世主を仰ぎたいと思います。
 
 
1.友人に対してキリスト自身を、論より証拠として紹介したピリポ
 
人がキリスト教に触れるきっかけとなるのは何か、ということですが、案外多いのが家族や友人に誘われてというものでしょう。 
初期の弟子の一人であった「ピリポ」はどうだったのでしょうか。
 
「その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、『わたしに従ってきなさい。ピリポは、アンデレとペテロとの町ベッサイダの人であった』。」(ヨハネによる福音書1章43、44節 新約聖書口語訳136p)。
 
何がきっかけであったのかについての言及は何もありませんが、「ピリポは、アンデレとパテロとの町ベッサイダの人であった」(44節)とありますように、彼はアンデレやペテロと同郷の人であって、アンデレと同じく、バプテスマのヨハネの指導を受けようと、ガリラヤのベッサイダからユダヤへとやってきたのかも知れません。
 
更に想像なのですが、アンデレが兄弟シモンをイエスに紹介した「その翌日」(43節)に、そのアンデレが「ガリラヤに行こうとされた」(同)イエスにピリポを紹介したのかも知れません。
そうであるならば個人伝道の達人、アンデレの面目躍如というところです。
 
 聖書は登場人物の言葉や行為など、必要最小限の事実しか書かれていないことが多いものですから、想像力を働かせることが大事です。
連続テレビドラマの「花子とアン」で、主人公の花子が「想像の翼を広げ」る場面が何度も出てきますが、聖書を深く味わう際にも、「想像の翼を広げて」読むとよいと思います。
 
なお、クリスチャン新聞福音版十二月号には、ドラマ「花子とアン」の原作となった「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」(新潮社)の著者で、村岡花子の孫にあたる村岡理恵というクリスチャンの証しが掲載されております。
是非お読みください。
 
 ところでバプテスマのヨハネが活動した地域は、死海の西側のユダヤの荒野です。一方「ガリラヤ」はサマリヤを挟んでパレスチナの北に位置します。
 
イエスに同行してそのガリラヤの北方にある「カナ」に着いたピリポは早速、カナに住む友人のナタナエルを訪問してイエスの話をし、このイエスこそ、我々が待ち望んでいたキリストである、と告げます。
 
「このピリポがナタナエルに出会って言った、『わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った』。」(1章45節)。
 
 私たちが旧約聖書と呼ぶヘブライ語の聖書は当時、「モーセ」あるいは「モーセと預言者」と呼ばれていました。
ですからピリポが言う、「モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人」(45節)とは、ヘブライ語聖書がその出現を予告しているところの救世主、終わりの日に神がイスラエルに遣わすメシヤ・キリストを意味します。
 
 しかし、ナタナエルはピリポの言葉を言下に否定します。「ガリラヤから出た者たちはみな偽物だった、そのイエスとやらもそうに違いない」と。
 
「ナタナエルは彼に言った、『ナザレから、なんのよいものが出ようか。』」(1章46節前半)。
 
 ガリラヤ人の熱狂的気質は、自薦他薦を問わず多くの自称メシヤ・キリストを輩出し、その都度、その試みは挫折しました。ナタナエルは幾度も期待し、その期待を裏切られてきたのでしょう。
この「ナザレから云々」はナザレを蔑視したものではなく、カナやナザレも含めた熱し易いガリラヤの気質や風土を指摘したものだと思われます。
 
ところでもしもピリポがなまじ弁舌に自信がある人であったならば、イエスがキリストであるということを論証しようとしたことでしょう。しかし彼はそうせずにナタナエルに向かってひと言、「来て、自分で確かめてはどうか」と言ったのです。
 
「ピリポは彼に言った、『きて見なさい』。」(1章46節後半)。
 
 実は聖書学校に在学中、私が最も力を入れて学んだ教科は「キリスト教弁証論」でした。「弁証」とはたとえば法廷において検事が被告が有罪であることを立証しようとする弁論、あるいは弁護士が被告の無罪を証明しようとして行う論証行為をいいます。
若かったころ、反対者を理論で屈服させる武器として「弁証論」が効果的であると思ったからです。
 
しかし、議論に負けた場合、人は却って心を頑なにするということにやがて気づくようになりました。人にはプライドがあるからです。
ピリポが採った伝道方法とは、相手を論破することではなく、「論より証拠」で、対象者を「証拠」としてのキリストの許に連れていくことでした。
 
今日では、(相手の人の了解を得た上でですが)自分自身が体験した事実(これを「証し」と言います)を淡々と語ることもまた、一つの方法といえます。
自分自身の信仰体験を簡潔に整理しておき、機会があればその場で証しすることもまた、「きて見なさい」(46節)というピリポの方法でもあります。
そのために一度、信仰体験を文章化してみるのもよいと思います。
 
 
2.不信の中に潜む誠実な「イスラエル人」を、ナタナエルに見出だしたキリスト
 
 真面目であるがゆえに融通が利かない、というタイプの人がいます。ナタナエルがそういうタイプであったようです。
 
しかし、彼は真面目であるがゆえに、折角ピリポが誘っているのだからと思って、イエスに会うべく、ピリポに同行致します。その初めて見るナタナエルをイエスが、「彼こそ真のイスラエル人である、なぜならば誠実な人間だからだ」と評価します。
 
「イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、『見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人(びと)である。その心には偽りがない』。」(1章47節)。
 
 イエスは初対面の筈の彼に、「その心に偽りがない」(47節)人、彼こそ「ほんとうのイスラエル人である」(同)という評価を下しました。
イエスのこの評価は、聖書に、そしてイスラエルの伝統的人間観に基ずいたものでした。代表的な章句が詩篇にあります。
 
「主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである」(詩篇32篇2節 旧約聖書口語訳773p)。
 
 その「霊」つまり「心に」「偽りのない人」とは、たとい失敗することがあったとしてもしっかりと自らの過ちを認めて神の前を正しく生きようとする人、つまり誠実であることを心掛けている人のことを意味しました。
 
それは言動が首尾一貫しているということでもあります。政治家の言動はメディアによって細かく報道されますが、九月の段階ではさかんに解散を迫っていた野党のある幹部が、まさか解散などはないだろうと高を括っていたのでしょうが、十一月に至って、いざ解散という状況になったら大慌てで、「解散に大義がない」などと言って、解散を批判していました。
 
この時期に解散されて一番困るのは選挙準備が整っていない自分であり、自分の政党だからです。一体、どの口が、と思いましたが、こういう人とは正反対の人が「その心には偽りがない」人なのです。
そしてヨハネの福音書では偽りの多い偽善的な人を「ユダヤ人」、心に偽りのない人を「ほんとうのイスラエル人」として区別しているようです。
 
ナタナエルは聞きます、「初対面なのになぜそう言えるのですか、あなたはどこまで私のことを知っているのですか」と。
これに対してイエスは答えます、「私はあなたがいちじくの木の下で瞑想しているのをこの目で見ていた」と。
 
「ナタナエルは言った、『どうしてわたしをご存じなのですか』。イエスは答えて言われた、『ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た』。」(1章48節)。
 
 これについては、イエスがあたかも千里眼のような超能力を用いて「いちじくの木の下にいる」(48節)ナタナエルを見た、というように解釈をする必要はありません。人であったイエスは、神の属性である全知全能という能力を制限されていたからです。
 
当時、普通のユダヤ人の家には塀や垣根はありません。しかし、少し余裕のある家にはいちじくの木が植えられていたのかも知れません。 
つまり、イエスはたまたまナタナエルが家の前の「いちじくの木の下」(48節)で神に祈り、また瞑想に耽っている姿を通りがかりに目撃していたのでしょう。
 
日を遮る葉を茂らせる「いちじくの木の下」(同)は、ユダヤ人にとっては瞑想や黙想に耽る絶好の場所でした。
そして、ナタナエルは自宅の「いちじくの木の下」で、ローマの支配下にある祖国と同胞の現状を嘆く一方、湧き上がってくる疑念と不信感に抗いながら、聖書が約束しているメシヤ・キリストの到来を祈っていたのでしょう。
 
そのナタナエルが瞑想し、祈っている姿を見ただけで、その全身から漂う誠実な人間性、神への真摯なる思いを、イエスは把握したのだろうと思われます。
私たちは事あるごとに祈りますし、常に祈ってはいます。しかし、心に忍び寄ってくる、「この祈りは神に届いているのだろうか」という疑念と戦うことがしばしばかも知れません。
 
しかし、祈りは聞かれているのです。祈っている姿は確かに見られているのだということを、ナタナエルとイエスのやりとりから窺うことができる者は幸いです。
そして、況してや主として神の御座の右に着座している今、イエス・キリストは何でも出来る、何でもわかっている全知全能の神でもあります。
 
「いちじくの木の下」と言いますと、思い出すのが古代キリスト教会における最大の教父と称されたアウグスティヌスの回心の場面です。彼は自らの罪深さに悩み、煩悶しつつ、ミラノの「いちじくの木の下」に身を投げ出して祈っていた時、隣家から聞こえてきたわらべの声に従ってローマ人への手紙を読み、そこで回心に導かれるのです。
 
わたしはどのようであったかは覚えていませんが、いちじくの木の下に身を投げ出し、涙の堰(せき)をはずしました。わたしの目から涙がどっと溢れ出ました。
涙があなたに受け入れられる犠牲です。…わたしは哀れな声を張りあげました。「いつまで、いつまでなのでしょうか。…どうして、今、この時に、わたしの醜さに終わりがこないのでしょうか」。
わたしはこのように(神に)話しながら、心からの痛恨の思いに打ち砕かれ、苦渋に満ちた涙を流し、泣いていました。するとその時、となりの家から、少年か少女か分かりませんが、歌のような調子で繰り返し話している声が幾度か聞こえて来ました。
「トレ、ヨメ、トレ、ヨメ」
 (中略)そこでわたしはかりたてられたように、…使徒の書(のローマ人への手紙)…を取り、開き、最初にわたしの目に止まった章句を無言で読みました。
  「宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いと妬みを捨てて、主イエス・キリストを着るがよい。肉の欲望を満たすことに心を向けてはならない」。
この節を読み終えるやいなや、平和の確かな光のようなものが、わたしの心に注ぎ込まれ、すべての疑いの闇は消え去ってしまった…(アウグスティヌス著 宮谷宣史訳「告白録 上」437、8p アウグスティヌス著作集5/1教文館)。
 
因みに「トレ、ヨメ」はラテン語では「トッレ、レゲ」です。
私たちの「いちじくの木の下」、そこは起床時や就寝前の床の上かも知れません。居間や勉強部屋、あるいは台所かも知れません。また、仕事のために駅に急ぐ道の上かも知れません。しかし、イエスはそういうあなたを「見」(48節)ているのです。
 
況してや、あなたが「イエスは主なり」と告白し、心の戸を開いてイエスを主、救い主として迎え入れている今、皆様の内に聖霊によって住まわれている主は、あなたが抱えている問題や悶え、疑問や課題に関して、あなた自身よりもようく理解をしてくださっている筈なのです。
 
最後に勝つのはバカ正直な人です。目先の利害得失で右往左往するのではなく、泰然自若として、すべてを見抜く主に従っていきたいと思います。
 
 
3.密かなる思いを見通すキリストに対して、全面降伏をしたナタナエル
 
ことここに至っては、全面降伏するしかありません。ナタナエルはイエスをメシヤ・キリストと認めてひれ伏します。
 
「ナタナエルは答えた、『先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です』。」(1章49節)。
 
 これがナタナエルの精一杯の信仰告白でした。しかし、彼のキリスト理解は当然、まだまだ不十分です。
 
そこでイエスはご自身がなそうとされているキリストとしての救済のみ業について語り出されます。
それはキリスト御自身の働きが、単なるイスラエルの民族的復興などではなく、神が住まう天と、人が住む地とを直接的に繋ぐ架け橋を、自らの身で築く、ということについてでした。
 
「イエスは答えて言われた、『あなたがいちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう』。また言われた、『よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上に、上り下りするのを、あなたがたは見るであろう』。」(1章50、51節)。
 
 ひとりの人の疑念や不信感を解決することは大切なことです。しかし、原罪という難問を解決することにより、神から遠い罪びとと聖なる神との関係を築くこと程、重要なことは他にありません。
「いちじくの木の下」(48節)でナタナエルが祈った祈りは、本人も理解していなかった内容と奥行きを伴なって、天にいます神に通じていたのでした。
   まさに「至誠 天に通ず」(孟子)です。
 
イエスがナタナエルに語った事柄とは、キリストなるイエスが「天を開」(51節)いて神と自由に行き来もでき、交わりを可能とする梯子(はしご)を創る、という救済のみわざでした。
 
 ここではまだ、十字架の出来ごとは隠されていて、「神の御使いが」(同)イエスという「人の子の上に上り下りするのを見る」(同)というぼやけた言い回しでしか語られていませんが、この三年後の西暦三十年四月、イエスは私たち日本人を含む全人類の罪を一身に背負って、十字架上で身代わりの死を遂げられました。
 
それこそがまさに「世の罪を取り除く神の小羊」(29、36節)としての死でした。その時、救済のみ業が事実上、完成したのでした。
 
「すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、『すべてが終わった』と言われ、首をたれて息をひきとられた」(19章30節)。
 
 「すべてが終わった」(30節)と訳された原語は、「完了した」という意味の言葉です。
それは原理的には罪の支配が終了し、救済のみわざが完了したことを意味する宣言でした。この結果、すべての人類が神の選民である「イスラエル人」という聖なる民とされる道が開かれたのでした。
 
有り難いことに、神に背いていた「ユダヤ人」も救世主キリストを信じる信仰によって「ほんとうのイスラエル人」(47節)とされ、神から遠く離れていた異邦人もまた、神の家族の一員とされる道が、十字架によって万人に開かれています。
 
いつの日にか、私たちは神を父とし、主なるイエスを長兄、バプテスマのヨハネやアンデレ、ペテロ、ナタナエルを兄弟と呼ぶ神の家族としての交わりに入れられるのです。より多くの人がこの恩恵に与かることができますよう、この時期、心を合わせて祈りたいと思います。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-12-07 16:18:01 (656 ヒット)
2014年礼拝説教

 14年12月7日 待降節第二主日礼拝説教

「キリストとの運命的な出会い 『世の罪を取り除く神の小羊』なるキリストとの出会いにより、その人生が一変したアンデレとペテロー『来たりて見よ』」
 
ヨハネによる福音書1章35〜42節(新約聖書口語訳136p)
 
 
はじめに
 
一昨日の金曜日、日本テレビ系列で「日本一の頭脳決定戦」という番組が放送されました。
 
テレビ番組欄の宣伝文句には「最強の『頭脳王』は?東大・医学部の首席VS京大医学部の天才VS数学オリンピック金VS東大法の最高偏差値VS京大経済学部の首席VS最年少18歳・奇跡の頭脳を持つ男…など8人の超天才による究極の知力バトルを今夜開催」とありました。
 
この八人の出場者のうちの六人が東京大学、二人が京都大学の在学生、卒業生で、数学オリンピックの金メダリストは東大医学部に在籍する女子学生でした。
 
この企画は過去に二度ほど行われていて、今回で三回目だそうなのですが、とにかく、超絶としか言いようのない頭脳の勝負の結果は、人間離れした記憶力と圧倒的な計算能力に加え、天才的閃きを駆使した十八歳の東大医学部一年生が、超難問をいとも軽々と答えて優勝を果たしました。
まさに知的超人、知的非凡の見本とでもいうべき圧巻の「頭脳王」でした。
 
日本にこのような頭脳の優れた人材が存在するということは、何とも頼もしく誇らしくも思いましたが、一方、聖書に登場する人物はといいますと、パウロのような、傑出した知力と能力の持ち主は例外的であって、その多くは取り立てて特色のない、むしろ平凡ともいえる人々でした。
 
しかし、彼らはキリストと出会うことにより、ある者は目立たない平凡という特色をそのまま生かされてキリストに用いられ、ある者は何の変哲もない素材でありながら、名工が振るう鑿(のみ)に彫り刻まれるかのようにして、最高の作品へと仕上げられていったのでした。
 
「初心、忘るべからず」は世阿弥(ぜあみ)が能について論じた花鑑(かきょう)に出てくる言葉として有名ですが、待降節の第二週と第三週では、最初の弟子たちのイエスとの邂逅、出会いの場面を通して、私たちもまた、いつ、どこで、どのような時にキリストに出会ったのかを思い出し、初心に戻らせてもらいたいと思うのです。
 
 
1.「世の罪を取り除く神の小羊」なるキリストに魅かれて、後について行ったアンデレとヨハネ
 
バプテスマのヨハネがガリラヤのナザレから出てきたイエスを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言ったその翌日のことでした。二人の弟子と共にいたヨハネは、またまたイエスを目撃して思わず、「見なさい、あそこを『神の小羊』が歩いておられる」と言いました。
 
「その翌日、ヨハネはまたふたりの弟子たちと一緒に立っていたが、イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、『見よ、神の小羊』。」(ヨハネによる福音書1章35、36節 新約聖書口語訳136p)。
 
 これを聞いた「ふたりの弟子たち」(35節)はまさに興味津津、師が差し示したイエスの後についていきます。
 
「そのふたりの弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについていった」(1章37節)。
 
勿論、それは、師のヨハネが承認した上での行動です。というよりも、ヨハネ自らが「ついて行くように」と積極的に奨めたということも十分に考えられることです。
 
道を往くうちにイエスは振りむいて彼らに問いました、「あなたがたは私に何を求めているのか」。
 
機会を窺っていた二人はそこで答えます、「あなたがどなたなのかを知りたいのです。あなたは我が師ヨハネが言われるように、本当に『世の罪を取り除く神の小羊』なのでしょうか」と。
 
これに対してイエスは正面から応じます、「私について来なさい、そして自分の目で確かめなさい、そうすれば理解できるでしょう」。
 
「イエスはふり向き、彼らがついてくるのを見て言われた、『何か願いごとがあるのか』。彼らは言った、ラビ(訳して言えば、先生)どこにおとまりなのですか」。イエスは彼らに言われた、『きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう』。」(1章38、39節前半)。
 
「どこにおとまりなのですか」(38節)というのは、イエスの宿泊先を聞いたわけではありません。それは、「私たちは何としてもあなたから教えを乞いたいのです」という求道の気持ちを示す問いでした。
 
そしてこれが運命的な出会いをもたらすものとなりました。夕刻から始まったイエスとの対話はいつ果てるともなく続き、二人はそのまま、夜を徹して、イエスが解き明かす聖書の言葉を聞き続けたのでした。
 
「そこで彼らはついて行ってイエスの泊っておられる所を見た。そして、その日はイエスのところに泊った。時は午後四時ごろであった」(1章39節後半)。
 
 彼ら二人はそこで、師のヨハネの言葉を鵜呑みにするのではなく、自らがイエスに接し、イエスの言葉を聞いて納得をし、そしてイエスが天から遣わされた神のキリストであることを信じたのでした。
 
 人生の分岐点、それは彼らがイエスから声をかけられた時でした。そこから人生が大きく転換をしたのです。
それは恐らくは西暦二十七年の春三月、太陽が西に傾き始めた「午後四時ごろ」(40節)のことでした。
 
「時は午後四時ごろであった」(1章39節後半)。
 
彼らはそれが「午後四時ごろ」(39節)であったことを忘れ得ぬ生涯の出来ごととして、いつまでも鮮明に記憶していたのです。
 
私自身もまた、人生の分岐点となった日をはっきりと覚えております。それは高校に入学直前の、春休みの三月二十九日の土曜日、午後二時ごろのことでした。
 
それは横浜市の南端に位置する私鉄の駅を降りて、キリスト教への敵愾心を詰襟の学生服に隠し、手には兄から渡された聖書と聖歌を包んだ風呂敷包みを持って、未だ行ったことのなかったキリスト教会という敵地に向かって歩いて行った土曜日の昼下がりのことでした。
 
でも、その日から、教会で聞いた「神は実在する」とする牧師の言葉により、「創造主という神がひょっとすると実在するのかも知れない、もしも実在するのであれば当然、造られたものとして、その神を信じなければならない」という考えが頭から離れなくなりました。
 
そこで聖書を購入することにしました。中型の革表紙の旧新約聖書です。当時の価格は確か千八百円だったと思います。今でしたら二万円くらいになるでしょうか。
 
中学生の頃、小遣い銭は専ら、週一回の映画鑑賞に使っておりました。主に東映の時代劇で、大友柳太郎、東千代之介、中村錦之助、大川橋蔵などが主演しておりました。
勧善懲悪の東映時代劇は、その間だけでも憂き世の憂さを晴らす時間にもなりました。先日、高倉健が亡くなりましたが、この俳優さんが新人であったころに、美空ひばりと共演した現代劇を何本か観た記憶が残っています。
 
しかし、足は映画館から自然に遠のきました。興味は聖書、そして教会へと移ってゆき、特に聖書の世界は未知の分野であって、そこに記述されている物語や出来ごとは高校生になったばかりの少年の心を魅了しました。
 
聖書は創世記からむさぼるように読み始めました。いつしか、天地万物を創造した唯一の神の実在を信じるようになりました。イエス・キリストが神の子であって、人類の救済のために人となったという聖書のメッセージも素直に信じることができました。
 
そして七カ月後の秋十一月、教会近くの海岸で、キリストに信じ従う決心を示す洗礼を受けたのでした。すべてはあの春の日から始まったのでした。
 
濃い薄いの違いはあっても、人生の分岐点となるような出会いを覚えている人は幸いです。
たとい、よく覚えてはいない、という場合でも、人生を分ける分岐点は確かにあったのであり、その分岐点をキリストの方は明確に覚えているのです。
 
「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」(39節)というキリストの招きの声をかけられたからこそ、教会に行くようになり、聖書の言葉に耳を傾けるようになり、イエスが主キリストであると信じ、そして心の扉を開いてイエスを主として受け入れたのです。
 
ある人は今は、求道の途上にあるかも知れません。しかし、よみがえって今も生きている主イエスはあのユダヤの地で二人に語りかけたように、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」(39節)と言われている筈なのです。
どうぞ、イエスに「ついて行って、イエスの泊っておられる所を見」(同)てください。
 
「イエスの泊っておられる所」(同)、そこはあなたがくつろいでいる自分の部屋かも知れません。忙しく働く台所であり、仕事場であるかも知れません。
勿論、教会もまた「イエスの泊っている所」の一つでもあります。
イエスとの出会いを求めて、教会で行われている日曜礼拝にぜひお越しになってみてください。
 
 
2.キリストとの出会いという幸福を独り占めしないで、人をキリストの許へと連れていったアンデレ
 
この二人は明示されてはいませんが、一人は漁師のヨハネであろうとされています。そしてもう一人の名前が明らかになっている方のアンデレは、イエスと出会ったその翌日、兄弟のシモンをイエスの許に連れて行きます。
 
「ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、『わたしたちはメシヤ(訳せばキリスト)にいま出会った』。そしてシモンをイエスのもとにつれてきた」(1章40〜42節前半)。
 
 この人は行動的でした。アンデレという人の特徴は、人をキリストへと案内することを躊躇わないところにありました。
 
イエスが待望のキリストであると確信したアンデレは、何としても兄弟をイエスに引き合わせたいと思います。
そこで兄弟シモンを誘って先ほど別れてきたばかりのイエスを訪ねるのです。まさに「善は急げ」です。
 
 福音書ではアンデレはいつも、誰かをキリストの許に案内する人として登場します。
 
ガリラヤ湖の向こう岸において、大群衆が空腹を抱えている時、アンデレは自分の弁当をイエスに提供したいと思いつつも、もじもじしていた一人の少年を、イエスの許へと連れていきます。
 
「弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、『ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます』。」(6章8節前半)。
 
 福音書にはイエスがこの、子供の弁当を祝福して祈った結果、これが増殖をして数千人の群衆の空腹を満たすことになった、という奇跡が記されています。
 
この記述を超自然的奇跡とするか、いやいや、自分の貴重な弁当を差し出すという子供の行為に触発され、あるいは恥じた大人たちが、隠し持っていたそれぞれの弁当を分け合ったので、みなが満腹したのだと合理的に解釈する見解を取るかは自由ですが、それはともかく、自分の弁当をイエスに提供したいという子供の意向を敏感に察して、彼をイエスの許に案内したのはアンデレだったのでした。
 
また、ユダヤ教に帰依している数人のギリシャ人が、過越の祭に出席するため上京した折、名高いイエスへの面会を求めてきた際にも、相弟子のピリポと共に彼らをイエスに仲介したのもアンデレでした(12章20〜22節)。
 
福音書におけるアンデレは地味な存在です。最初の弟子でありながらペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人にはいつも遅れを取っているように見えます。
イエスは極めて重要な場面というところでは、いつもこの三人だけを同行させていました。「変貌の山」然り、「ゲッセマネの園」然りです。
 
しかし、彼はそのようなことを全く気にしません。「人は人、自分は自分」という生き方を、アンデレは何事もなかったかのように貫き通します。
アンデレの最大の喜びは人からの称賛を受けることではなく、自分自身が経験している幸福を他の人と分かち合うことにありました。彼にとって、イエスとの出会いこそ、すべてのすべてだったのでしょう。
 
そしてそれは最初の師であったバプテスマのヨハネから受け継いだ遺伝子のなせるわざであったのかも知れません。
ヨハネはその後、非業の最期を遂げましたが、アンデレはイエスの役に立つようにと、バプテスマのヨハネからイエスに贈られた贈り物であったとも考えられます。
そして今もキリストが必要としている人材は、アンデレのようなタイプなのかも知れません。
 
 
3.真の造り主であるキリストによって、平凡な素材から最高の作品へと彫り出されたシモン・ペテロ
 
さて、アンデレがイエスの許に連れてきた兄弟シモンに、イエスは「岩」という名前をつけました。
 
「イエスは彼に目をとめて言われた、『あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする』。」(1章42節)。
 
 「ケパ」(42節)はヘブライ語で岩を意味し、これをギリシャ語に訳すと「ペテロ」(同)となります。
 
シモンは古代のキリスト教会において、パウロと並び称されるような指導者となりますが、福音書を読む限り、そのイメージは熱血漢ではあるが軽率で、行動的ではあるが後先を考えない無思慮の代名詞のような人物でした。
 
その典型的な姿と発想が、「あなたのためならば死をも厭いません」という過越の食事における言葉です。
 
「ペテロはイエスに言った、『主よ、なぜ、今あなたについて行くことができないのですか。あなたのためには命も捨てます』。」(13章37節)。
 
 しかしその日の夜半、イエスの逮捕を目の当りにして怖気づいたペテロは、大祭司の庭で裁判にかけられているイエスを三度も否定してしまいます
 
「シモン・ペテロは、立って火にあたっていた。すると人々が言った、『あなたも、あの人の弟子のひとりではないか』。彼はそれをうち消して、『いや、そうではない』と言った」(18章25節)。
 
本来のシモンはそんな人間でした。けれどもイエスはシモンという名の、情熱的であるがゆえに軽挙妄動しがちなこの男の中に、「岩」ともいえる重厚な使徒を見ていたのでした。
そして後年、「シモン」は見事に岩なる「ペテロ」へと変貌します。
 
説教において時々名をあげるウィリアム・バークレーという英国の聖書註解者は、その註解書の中でイタリア・ルネッサン期に活躍したした画家であり彫刻家でもあったミケランジェロについて書いています。
 
こういう話がある。昔ある人が、ミケランジェロが、巨大でぶかっこうな一つの岩を、のみで削っているのにあった。彼はその彫刻家に、何をしているのかとたずねた。「私は、この大理石の中にとじ込められている天使を解放しようとしているのだ」と彼は答えた。
イエスこそ、すべての人の中にある、隠れた英雄を見、それを解放することのできる唯一のかたである(ウィリアム・バークレー著 柳生 望訳「バークレー聖書註解シリーズ5 ヨハネ福音書 上」124p ヨルダン社)。
 
 これとよく似た言葉を最近、テレビのCMで聞きました。
ユニクロという衣料メーカーのCMに出ている「はしもと みお」という、若い女性の彫刻家の独白です。
 
彼女は木彫りの彫刻家で羊、駱駝、牛、馬、犬、鹿などの動物を見事に作り出すのですが、CMの中での言葉です。
 
私の仕事は作品づくりっていうより、発掘作業に近いんです。木の中に既に埋まっている動物の姿を自分で三次元の形が思い浮かぶまで記憶して、そこから彫り進めていきます。
 
 キリストこそ、私たち、何の変哲もない平凡な素材から最高の作品を彫り起こすことのできる彫刻家であり名工です。
 
このお方の脳裏には、完成されたかたちが既に思い浮かんでいるのです。そして言われたのでした。「あなたは未完成の、欠けだらけの『シモン』である、しかし、私はあなたを逞しい、頼りがいのある『ペテロ』にする、だから私に従って来なさい」と。
主は今日も私たちに対してそのように語りかけてくださっているのです。
 
キリストという名工は、ご自分の内なるイメージに従って、今日も鑿(のみ)をふるって、私たちを彫り続けてくださっています。
たとい素材は平凡であったとしても、キリストの手にかかれば最高の作品に仕上げられるという希望のもとに、喜びのクリスマスを迎えたいと思います。


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