2012年1月15日日曜礼拝説教「愛の祈りが不可能を可能にする」マルコによる蹙韻書9章14〜29節

投稿日時 2012-01-15 16:16:24 | カテゴリ: 2012年礼拝説教

12年1月15日 日曜礼拝説教

「愛の祈りが不可能を可能にする」

マルコによる福音書9章14〜29節(新約聖書口語訳65p)

  
はじめに
 
 今、全国で増設が求められているものが保育所と老人ホームです。しかし、高齢者の割合が今ほど高くはなかった三十数年前、老人ホームの必要性がまだどこか他人事であった頃、当市在住の高齢の御夫婦が、自分たちが住んでいる宅地の一部を提供して、身寄りのない、あるいは介護が必要なお年寄りのために特別養護老人ホームを建てたいという願いを持ちました。
 
でもこの老人ホームの建設の話が持ち上がった時、近隣の住民は猛反対をしたそうです。反対理由は、年寄りが大勢住むようになると地域の空気が臭くなる、土地の値段が下がるから、などというもので、反対住民は推進母体であったキリスト教会にまで反対デモをかけ、その様子がテレビでも放映されたため、何という意識の低さかと、土地の値段ではなく、当市の評判そのものが下落してしまいかねない騒ぎにもなりました。
 
その後どうなったかと言いますと、特別養護老人ホームは無事に建設されました。それは地域の民生委員をしていたNさんという人が、反対者の家を一軒一軒回って、「人は皆だれもが老いていくのだから、ホームの建設に協力をして、入所してくるお年寄りと仲良くしていってはどうか」と説得をしたため、地域の人たちもそれはそうだと納得をし、その結果、その地域に無事、特別養護老人ホームが建設されるに至り、ホームには地域からの協力がなされるようになりました。
 
余談ですがこの民生委員さんはその後、夫の死去に伴い、遠方の長男と暮らすことになって、民生委員を退任することになりました。しかし、後任がなかなか決まりません。「Nさんのあとはしんどい、比べられたらかなわない」という声があがったためです。それほど親身になって、人の面倒をよく見た人だったのです。
 
でも、老人ホーム建設の反対をした住民を、意識が低いと、冷やかに批判することの出来る人は多くはないと思います。愛の不足ということに関しては誰もが五十歩百歩だからです。
 
今週のマルコによる福音書による説教の主題は、「愛」です。
 
 
1.イエスは愛の不足を我慢することができない
 
 人には我慢できるものと我慢できないものとがあります。イエスが我慢できなかったこと、それは自己中心から来る愛の不足と自己弁護でした。
 
イエスがペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人の弟子と共に「山」を下ってくると、「山」の下は大きな騒ぎになっていました。麓(ふもと)に残してきた弟子たちと律法学者たちとの間で激しい論争が起こっていたからでした。
 
「さて、彼らがほかの弟子たちの所にきて見ると、大ぜいの群衆が弟子たちを取り囲み、そして律法学者たちが彼らと論じ合っていた」(マルコによる福音書9章14節 新約聖書口語訳66p)。
 
 何があったのかと言いますと、一人の父親が、霊が取りついだため、その霊に引き倒されたり、泡を吹いたりする自分の息子から、その霊を追い出してもらおうと思って、その息子を弟子たちのところに連れてきたけれど、弟子たちは霊を追い出すことができなかった、そうしたら、そこにいた聖書学者たちが、霊を追い出せない弟子たちを非難した、それで弟子たちが、自分たちが霊を追い出せなかった言い訳をし始めて、それが論争に発展した、ということだったようです。
 
「群衆はみな、すぐにイエスを見つけて、非常に驚き、駆け寄ってきて、あいさつをした。イエスが彼らに、『あなたがたは彼らと何を論じているのか』と尋ねられると、群衆のひとりが答えた、『先生、口をきけなくする霊につかれているわたしのむすこを、こちらに連れてまいりました。霊がこのむすこにとりつきますと、どこででも彼を引き倒し、それから彼はあわを吹き、歯をくいしばり、からだをこわばらせてしまいます。それでお弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした』」(9章15〜18節)。
 
 このむすこの「あわを吹き、歯をくしばり、からだをこわばらせてしま(18節)うという症状は、癲癇(てんかん)という脳の病気の典型的な発作の症状です。
医学的な知識がなかった時代ではその症状から、「霊」(同)が取り付いだことが原因だとだれもが思い込んでいたのでした。
 
この病気は発作が起きると意識をなくすことがあり、昨年の四月にも栃木県で自走式のクレーン車を運転していた二十六歳の男性に発作が起きて、クレーン車が集団登校中の児童の列に突っ込み、六名の児童が全身強打で死亡するという、何とも痛ましい事故が起きています。
 
騒ぎの経緯(いきさつ)を聞いたイエスは嘆きます。
 
「イエスは答えて言われた、『ああ、なんという不信仰な時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまで、あなたがたに我慢ができようか。その子をわたしのところに連れてきなさい』」(9章19節)。
 
 イエスはここで「我慢ができ」(19節)ないと言いました。イエスが「我慢できな」いこととは何かということですが、その前の「何という不信仰な時代であろう」(同)という嘆きから、それは表面的には「不信仰な時代」を指すように思えます。 
しかし、イエスが嘆かれたのは弟子たちが癲癇(てんかん)を治せなかったことではありませんでした。
 
また、イエスが「あなたがたに我慢でき」(同)ないと言った「あなたがた」とは誰のことを指したのでしょうか。「あなたがた」とはおそらくはそこにいた人々全員、すなわち、聖書の専門家を自任しながら苦しみ悩む親子の苦悩をそっちのけにして、傍観者のようにイエスの弟子たちをただ非難するばかりの律法学者たちであり、自分たちの信仰の不足を棚にあげて、結果を出せない言い訳を必死にしている弟子たちであり、そして彼らの周りを囲む野次馬のような群衆のことだったと思われるのです。
 
 イエスが嘆かれたのは彼らの不信仰というよりは、人の苦しみを見ながら心を痛めるわけでもなく、自らの関心ごとの論争に夢中になっている人々の、人の痛みに対する感性の鈍さであり、愛の不足であったのでした。
 
昨年三月の東日本大震災の際にも、大地震、大津波は世の終わりのしるしだとか、神の審判だとか的外れの論評が隣国のキリスト教会にありましたが、災害を他人事のように論評するその愛のなさこそ、神の審判の対象となることに気づかなければなりません。
 
 
2.愛の祈りが不可能を可能にする信仰を生み出す
 
 山の麓に醸し出されていたこの雰囲気は、子供の父親にも影響を与えてしまっていたようです。癲癇の症状を目(ま)の当たりにしたイエスの、いつごろからか、という問いに対して、「幼い時からです」と答えつつ、父親は、「できればこの子を「霊」の影響力から解放して、私たち親子を助けて欲しい」とイエスに嘆願します。
 
「そこでイエスが父親に『いつごろから、こんなになったのか』と尋ねられると、父親は答えた、『幼い時からです…。』しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」(9章21、22節)。
 
 「できますれば」(22節)という父親の言葉は、私たち日本人の感覚では控えめで適切な言葉遣いのように思えるのですが、イエスは父親が使ったその「できますれば」という言葉を問題にしました。
 
「イエスは彼に言われた、『もしできれば、と言うのか。信じる者には、どんな事でもできる』」(9章23節)。
 
 もしできれば、という願いの言葉には神でもできないかも知れない、という疑いや不信が見受けられるのです。彼は父親としての愛情から、もっと必死になって、何としてもこの子を救ってやってください、と嘆願すべきだったのです。
 
冷えた心や無関心というものは影響力を持っていて、すぐにまわりに感染するものです。そしてこの中でイエスだけが、熱い心で人の痛みに寄り添っていたのでした。
イエスの叱責で目が覚めた父親は、自分の不信仰を悔い改め、必死になって「信じます」と告白します。
 
「その子の父親はすぐ叫んで言った、『信じます。不信仰なわたしをお助けください』」(9章24節)。
 
 必死になった父親に向かってイエスは、「信じる者には、どんな事でもできる」(23節)と言われましたが、「信じる者」とは誰のことかと言いますと、それは第一義的には、イエス自身を指していました。
 
このあと、イエスは息子を癒してあげるのですが、それはイエスが全能の神の御子であったからできたのではありません。
誤解している人が多いのですが、人であった時のイエスは全能でも全知でもありませんでした。イエスは神の御子ではありましたが、人であった時には、私たちと同じように、能力的には限界を持つ人間でした。
 
ですからイエスが行う奇跡のすべてはイエスの神に対する信仰の結果であり、神の霊である聖霊によったわけです。
 
この後、家の中で弟子たちが、なぜ自分たちが息子の癲癇を治すことができなかったのかと、その理由を尋ねた時、イエスは非常に大事なことを言われたのでした、この種のものは祈りによらなければ解決できない、と。
 
「家にはいられたとき、弟子たちはひそかにお尋ねした、『わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか』。するとイエスは言われた、『このたぐいは、祈りによらなければ、どうしても追い出すことはできない』」(9章28節)。
 
 このイエスの言葉は、人々を苦悩から救うには通り一遍の祈りではなく、必死の祈りによる、という意味なのですが、祈りはどこから生まれるかと言いますと、祈りは愛から生まれるのです。
 
隣りに苦しんでいる人がいれば、たといその人が赤の他人であったとしても、人であればじっとしていられなくなって、何かをしようとし、解決と救いを求めて一所懸命になって祈ります。
 
そしてその必死の祈りが全能の神への期待、希望となって信仰というものを生み出すのです。
 
人であった時のイエスの信仰は、この絶えることのない祈りから生まれ、祈りによって強められたのでした。
愛を動機とした祈りこそが、不可能と見えることを可能にする信仰を生み出すのです。
 
もちろん、祈ったことが何もかもその通りに叶えられるわけではありません。
しかし、愛を動機として生み出された信仰は、祈りの結果がどのようなものであれ、それを神の最善の答えとして受け止めることができるようになりますし、神は答えてくださったと、感謝を捧げることができるようにもしてくれるのです。
 
山の下の弟子たちに足りなかったものは、苦悩する者に対する深い愛だったのでした。彼らがこの麓の一件でイエスから教えられたこと、それは愛の祈りが不可能を可能にする、ということでした。
 
 
3.大いなる事に向かう者は小さな歩みを大事にする
 
 今の今まで、「高い山」(9章2節)において偉大な解放者モーセ、そして大預言者のエリヤと、人類の救済という大いなるビジョンについて「語り合っていた」(4節)イエスが、もしも俗物であるならば昂揚感で一杯になって、癲癇の息子とその父親の苦悩などは、「大事の前の小事」で、目になど入らなかったかも知れません。
 
しかし、イエスは違いました。この気の毒な親子の救済のために貴重な力と時間を使うことを惜しまなかったのです。
 
「イエスは群衆が駆け寄ってくるのをごらんになって、けがれた霊をしかって言われた、言うことも聞くこともさせない霊よ、わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度と、はいって来るな」。すると霊は叫び声をあげ、激しくひきつけさせて出て行った。その子は死人のようになった。多くの人は死んだのかと思った。しかし、イエスが手を取って起こされると、その子は立ち上がった」(9章25〜27節)。
 
 大きな事業を達成した人は、人を生かすために必要な目先の小さな務め、ささやかな仕事にも全力を尽くした人たちでした。
将来に大きなビジョンを持つことは素晴らしいことです。しかし日常の生活をいい加減にしてはなりません。大きいことは小さいことの積み重ねの結果です。
 
日本が世界で尊敬されている理由は、日本人は小さな約束を守る、仕事にしても期日には決して遅れないなどという評価が定着しているからでもあります。
 
 外国から来た人々が一様に驚くのは、新幹線や在来線の時間の正確さです。それは日本人特有の几帳面さと、客に迷惑をかけたくないという配慮、心遣いが生み出した文化でもあるのですが、他国はその点、大雑把、あるいは大らかです。
 
世界ジョーク集にあった話ですが、インドは列車の発着が遅れるのは当たりまで、それを知っている利用者たちはホームで飲食をしたり、外に出かけたりして時間をつぶす、あるとき、正午発の列車が何と正午きっかりに出発をした、遅れると思い込んでホームから離れていた客たちが血相変えて駅長に詰めよった、何でこの日に限って時間通りに出発してしまったのか。しかし駅長は悠然として言った、「お客さんたち、心配しないでください、今出た列車はきのうの正午発の列車です」。
 
イエスにとって人類を救うということは、まさに目前で苦しんでいる一人を救うことだったのでした。私たちもまた、人類の幸福、世界の平和を祈る前に、隣りの人の幸せを日夜祈ること、たとえば、身近な家族に対して丁寧に対応することなどが大事なのです。
 
大いなる事に向かう者は、目の前のいと小さき者の痛みへの配慮をおろそかにはしないということを、イエスの振る舞いから教えられます。





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