2012年9月23日日曜礼拝「迫り来る危機への賢明な対応、それは」マルコによる福音書13章14〜27節

投稿日時 2012-09-23 16:50:51 | カテゴリ: 2012年礼拝説教

2012年9月23日  日曜礼拝説教

「迫り来る危機への賢明な対応、それは」     

  マルコによる福音書13章14〜27節(新約聖書口語訳74p)   

はじめに
 
 この九月十一日、日本政府は沖縄県石垣市に属する尖閣諸島のうちの魚釣島、北小島、南小島の三島を、地権者から二十億五千万円で購入し、所有権移転登記を完了しました。いわゆる国有化です。
 
そしてこれを契機に中国本土で反日デモが激化し、暴動、そして破壊行為へとエスカレートしていきます。デモの背後にあって、煽り、コントロールしているのは中国国家であることが透けて見えることが映像などからはっきりしていましたが、デモが反政府運動に向かっていくことを恐れた共産党政府がデモの鎮静化に乗り出したため、デモは瞬く間に終焉してしまいました。
 
気の毒なのは破壊と略奪のターゲットとなった日本の企業、工場、販売店、料理店などですが、彼らは中国で商業活動をする際に発生する、いわゆる「チャイナ・リスク」という危機への意識をどこまで持っていたのでしょうか。また尖閣の国有化に際して、日本政府、外務省はどこまで深く情報収集、情勢分析をしていたのでしょうか。甚だ心許ない気がします。
 
 今年始め、中国共産党の機関紙である人民日報に、看過することのできない記事が載りました。それは、尖閣諸島を含む離島に名前をつけるという日本政府の動きに対し、「大っぴらに中国の核心的利益を損なおうとするふるまいだ」という評論文でした。中国共産党政府が日本の領土である魚釣島を中心とする尖閣諸島を、中国の「核心的利益」と位置付けた初めての言及でした。
 
中国が使用する「核心的利益」という用語は、中国にとっての「安全保障上、譲ることのできない国家利益」という意味であって、今まではそれがチベットであり、台湾であったのですが、そこに新たに尖閣が加えられたわけです。
 
 問題はそれだけではありません。尖閣が沖縄に属するということは中国でもわかっていることですから、次の段階では沖縄の帰属問題を取り上げることによって、尖閣が属する沖縄を獲りに行く、そして最終仕上げとして日本列島を中国に服属させる、それが、中国が尖閣に拘る理由であるとされているのです。
 
 まさに国家の危機です。そして国家の危機は日本政府が正しい危機意識を持ち合わせていないということでもあります。危機意識を持っていませんから危機管理も出来ず、その場しのぎの対応に終始します。
 
 ただ一つだけ希望があります。早くて年内、遅くとも一年後には行われる筈の総選挙の結果では、政権交代が起こる可能性があるということから、現在進行中の野党の総裁選びが事実上の次期総理大臣選びになるということです。
 
そこで私たちとしては、日本国と日本人を愛する神が、国家観が明確で危機意識に富み、諸外国、特に無法な近隣国とも対等に渡り合う見識、交渉力に秀でていて、しかも低落しつつある日本経済を根底から再建することのできる政策を持った人物を選んでくださるようにと、祈るしかありません。
 
投票権のない私たちは、ただただ神の憐れみに縋るしかないのですが、とにかく強い危機意識と卓越した見識、能力を持った人がトップに選ばれるならば、壊れつつあるこの国も、何とかなるのではと思います。
 
 それにつけてもイエスです。マルコによる福音書を、順を追って読み進めながら、イエスの危機察知能力にはほんとうに驚きます。
 
イエスはエルサレムの破滅という危機の前兆として六つの兆しを挙げましたが、さらにユダヤに襲い来る危機が空前絶後の恐るべき規模のものであるということを、その超絶的危機察知能力で感じ取り、弟子たちに危機に直面した際の対応について勧告します。
 
 今週は到来する危機が空前絶後の危機であること、その危機に対してはいかに対応すべきであるかということ、そして到来するであろう恐るべき患難の後に続く、希望に満ちた栄光の到来についてのイエスの予告の意味を考えたいと思います。
 
 
1.空前絶後の危機が到来するとの、イエスの予告
 
 イエスは弟子たちに対し、エルサレムを中心としたユダヤに到来する危機は、空前絶後の規模のものになるという予告をしております。
 
「その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難が起こるからである」(マルコによる福音書13章19節 新約聖書口語訳74p)。
 
 繰り返し言っておりますが、このイエスの予告はあくまでも紀元一世紀という特定の時代への予告であって、予告の対象はあくまでもその時代のユダヤです。
ユダヤ人は多くの惨禍を経験してきました。しかし、これ程の患難は「かつてなく今後もないような患難」(19節)であるというのです。
 
 それは具体的にはローマ軍によるエルサレム攻撃、エルサレム神殿の炎上となって実現しました。ユダヤ人歴史家のヨセフスが著わした「ユダヤ戦記」によれば、ユダヤ戦争勃発の発端は、ユダヤ総督のフロルスがエルサレム神殿の宝庫から聖なる宝物を持ち出したことにあるとされています。それが紀元六十六年のことでした。
 
そしてこれをきっかけにしてユダヤ人による暴動が発生し、フロルスが暴動に参加したユダヤ人を多数、磔にしたことから、これがユダヤ全土に反ローマの機運を飛び火させることとなり、ユダヤ人とローマ軍の間に本格的な戦闘が開始されることとなりました。
六十八年に自殺したネロの跡を襲ってローマ皇帝となったウェスパシアヌスは、息子のティトスをエルサレム攻略に向かわせます。
 
ティトスはエルサレムを包囲して兵糧攻めにし、町が破壊される前に多数の老人、女性、子供たちが町の中で餓死したとヨセフスは書いています。
最終的にはティトスの攻城作戦の結果、エルサレムの町を囲む城壁は破られ、ローマ兵が放った火によってエルサレム神殿も炎上し、ソロモンの神殿が破壊された千年前のちょうどその日に、その秀麗さのゆに人々の耳目を奪ってきた麗しの神殿は倒壊をしてしまったそうです。
 
前にも言いましたが、ヨセフスによればローマ軍の攻撃によって、餓死者も含めて百十万人が死に、九万七千人が捕虜となって奴隷にされたとのことです。
 
 なおこのとき、エルサレムを逃れた約千人ほどが死海西岸のマサダ(要塞という意味)に立て籠もって二年近く抵抗を続けますが、マサダの陥落寸前に男たちは集団自決をし、これによってユダヤ戦争は終結することとなります。
 
 それはまさに、ユダヤ人にとっては「神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難」(19節)でした。イエスの予告通りのことが確かに起こったのでした。
 
 
2.迫りくる危機への賢明な対応、それは
 
 ユダヤ人をローマへの抵抗に駆り立てたものは何かと言いますと、きっかけとしてはローマの官憲による神殿冒、そしてそれに憤激して暴動を起こしたユダヤ人への弾圧という出来ごとでした。しかしユダヤ人、つまりユダヤ教徒がローマへの抵抗という道を選択したのは、この時代にユダヤを覆っていた黙示思想であり、メシヤ信仰であったと考えることができます。
 
つまり、最後の最後にユダヤ人を救う救世主メシヤが天から送られてきて、憎き異教徒を駆逐して、世界に冠たるユダヤ人国家をこの地に建て上げてくれるという終末信仰が原動力となったと考えることができます。
 しかし、彼らが期待するようなメシヤは現われませんでした。メシヤはエルサレムにも現われず、マサダの要塞にも現われませんでした。
 
 メシヤは既に来ていたのです。しかしユダヤ人はエルサレムの破滅の四十年前、神が遣わしたイエスというメシヤ・キリストをローマに引き渡してしまっていました。
 
その十字架に架けられる直前のイエスがユダヤ人である弟子たちに告げたことは、破滅の兆候を見たならば、とにかく直ちに逃げよ、という勧めでした。
 破滅の兆候は、ユダヤ人であるならば誰もが知っている出来ごとを想起させました。
 
「荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ」(13章14節)。
 
 「荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つ」という文言はダニエル書にある言葉です。
 
「彼から軍勢が起こって、神殿と城郭を汚し、常供(じょうく)の燔祭を獲り除き、荒らす憎むべきものを立てるでしょう」(ダニエル書11章31節 旧約聖書口語訳1242p)。
 
 これは実際に起こった歴史的事実を未来預言のかたちで記録したものであるという解釈もありますが、紀元前一六七年、当時ユダヤを含めたシリヤを統治していたアンティオコス・エピファネスが、エルサレム神殿にユダヤ人が忌み嫌う豚の肉を捧げさせ、聖所の前にゼウスの像を据えるという事件を起こし、これがきっかけとなって、マカベア戦争と言われるユダヤ独立戦争が始まります。
 もしも似たような出来事が起こった時にイエスの弟子はどうすべきかと言いますと、「あなたがた弟子たちはそれを破滅の始まる兆候と捉えて、直ちに逃げ出せ、そして命を保て」とイエスは言われたのでした。
 
「そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。屋上にいる者は、下におりるな。畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな」(13章14、15節)。
 
 これが目前に迫りくる危機への賢明な対応の仕方でした。昨春、東北を襲った大津波で明暗を分けたのもこの一瞬の判断でした。
 そしてイエスの忠告に従ったクリスチャンたちは、キリスト教史家のエウセビオスによれば、ヨルダン川の東にあるペラに逃れたということです(山口昇「新聖書注解 マルコの福音書」)。
 
 弟子たちがエルサレムの破滅のあとまでも、その命を存(ながら)えることができたのは彼らがイエスの言葉に従ったからですが、それは彼らが機械的にイエスの言葉に従ったからではなく、イエスの言葉の真意というものを深く理解していたからでした。
 
すなわち、イエスは彼らがいっときの激情や狭い民族主義に駆られて犬死、無駄死にするのではなく、キリストを証しするという本来の使命を果たすことを願っているということを知っていたからでした。
 
 そしてもう一つ、彼らが賢明な選択をしたわけは、彼らが一世紀のユダヤ人社会を覆っていた空気であった極端な黙示思想というものと一線を画すことができていたからでした。
 
では彼らが賢明な選択をすることができたのはなぜか。それは彼らが健全な教会生活を通して、「読み込むな、読み取れ」という聖書解釈学の原則に基づいた、聖書の解き明かしを聞いていたからでした。
 
エルサレムの破滅というイエスの予告は、歴史的には西暦六十六年から七十二年にかけて実現しました。そして、もしもイエスの言葉を、現代を生きる私たちが教訓として聞くとするならば、第一に時代状況を正しく分析して、必要な危機意識を持つことであり、しかし同時に健全な聖書研究を進めることによって、伝統的終末論を見直し、健全な終末論を構築することであると思います。実はそれこそが、迫り来る危機への賢明な対処なのです。
 
 
3.恐るべき患難の後の、栄光の到来の予告
 
 なお、イエスは空前絶後ともいうべき、恐るべき患難の到来を予告するだけではなく、患難の後に続く栄光の到来を予告します。
それはキリストの来臨という予告であり、その際には、世界中に離散している弟子たちを御許に呼び寄せるというものでした。
 
「その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、大いなる力と栄光をもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。そのとき、彼は御使いたちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう」(13章24〜27節)。
 
 実は、このときのイエスは、「人の子が雲に乗って来る」(26節)時がエルサレムの破滅後のそう遠くない時期、つまり弟子たちがまだ生きている時に実現すると考えていたようです。それはピリポ・カイザリヤにおける発言でも明らかです。
 
「また、彼らに言われた、『よく聞いておくがよい。神の国が力をもって来るのを見るまでは、決して死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる』」(9章1節)。
 
 「神の国が力をもって来る」という言葉の意味は、前後の文脈からも「人の子」であるイエスの再来臨であることは明らかです。
 
「邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使いたちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」(8章38節)。
 
 つまり、九章一節の「神の国が力をもって来るのを見るまでは、決して死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」とは、あなたがた弟子たちの中には、終わりの日における栄光の現われの際に、つまり「人の子」が「父の栄光のうちに聖なる御使いたちと共に来るときに」(38節)はまだ存命をしている者もいる、という意味です。
 そしてそれは確かに、一世紀のエルサレム壊滅前の原始キリスト教会に共通する認識であって、使徒パウロもまたそのように信じていたようなのです。
 
「わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠っている人々より先になることは、決してないであろう」(テサロニケ人への第一の手紙4章15節 322p)。
 
 「テサロニケ人への第一の手紙」は五十年代初めに書かれたパウロの書簡ですが、「生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたち」という言い方は、主の来臨が彼を含めたその時代の信徒たちがまだ存命している時に起こると、彼が考えていた証左です。 
 
しかしパウロはともかく、イエスが知らないことがあるわけがない、なぜってイエスは神の子なのだから、と思う人も多いのですが、神学的観点から言いますと、人であった時のイエスの知識には限りがあったと考えることが妥当です。
確かにイエスは人となってからも依然として神の子でした。ですから全知全能という神の属性(これを難しい言葉で言うと「能力的属性」というのですが)を持ってはいるのです。しかし、人間であった時のイエスはその能力を封印していて使用することなく、あくまでもひとりの「人」として生きていたのです。
 
それは私たち人間と同じになることによって人間の代表となり、そして身代わりとなって死ぬためでした。つまりこの時の、人であるイエスには知らないこともあったということになります。ですからご自身の再来臨の時期に関して、神の子である私も知らないと言っているのです。
 
「その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使いたちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる」(13章32節)。
 
 ここでイエスは「人の子が雲に乗って来る」(27節)「その日、その時は、だれも知らない。…子も知らない」(32節)と言い、知っているのは「父だけ」(同)であると言い切っています。
 もちろん、昇天して神の右に座しておられる今は、イエスは全知全能であって、当然、ご自分の再びの来臨の時期をご存じであることは言うまでもありません。
 
 確かにキリストの来臨は、イエスが言ったようにすぐには実現しませんでした。その結果、ヨルダン川の向こうに逃れた弟子たちの中に、再臨の遅延に対する不安が起こってきます。中にはユダヤ教に戻ろうとする動きもあったようです。そこで動揺するユダヤ教出身のユダヤ人キリスト者のために書かれたのが「ヘブル人への手紙」でした。
 
「しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終わりに、一度だけ現われたのである。そして一度だけ死ぬことと、死んだのちさばきを受けることが、人間に定まっているように、キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現われて、救いを与えられるのである」(ヘブル人への手紙9章26〜28節 352p)。
 
 イエスが予想していたようには、そして古代教会の信徒たちが望んでいたようには、それはすぐには実現しませんでした。しかし、いつの日にか「大いなる力と栄光をもって、人の子(であるイエス)が」(26節)この地上に戻ってくることは確かです。
 
 確実なこと、それはイエスが確かに「二度目に現われて、(信じてきた者たちに完全な)救いを与えられる」(28節)ということ、そして患難辛苦という苦労の後には豊かな安息が、そして空前絶後の苦難の後には輝く栄光が待っているということです。
 
その意味において、私たちの教会が週ごとの日曜礼拝の冒頭で、「主は…かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん」と使徒信条を告白することは、イエスの予告に対する信仰の確かなる応答なのです。





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