2012年7月8日日曜礼拝説教「神の国の民として地上の民を生きる」マルコによる福音書12章13〜17節

投稿日時 2012-07-08 16:36:19 | カテゴリ: 2012年礼拝説教

  2012年7月8日  日曜礼拝説教

「神の国の民として地上の民を生きる」     

マルコによる福音書12章13〜17節(新約聖書 口語訳72p)

はじめに
 
なにかと話題の東京都知事が今月のはじめ、「残酷な歴史の原理」という文明批評的論考を新聞に寄稿していました。
 
都知事はその論考において
「歴史を振り返って見ると、世の中を変えたのは絶対的な力、端的にいって軍事力だというのがよくわかる。いかなる聖人がいかに高邁な教えを説こうと、それが物事を大きく動かしたという事例はほとんど見当たらない」
とし、
「ヨーロッパに誕生した近代文明はほぼ一方的に世界を席巻し植民地支配を達成したが、その推進は決定的に勝る軍事力によって遂行された。それは古代から変わらぬ歴史の原理であっていかなる高邁な宗教もそれを否定出来まいし、宗教の普遍の背景にも歴然とその力学が働いているのだ」
と、世界を動かしているものが強力な軍事力という原理であって、高邁な理念や宗教ではないということを強調しておりました。
 
 実際、中国による、かつては独立国でもあった東トルキスタン共和国(現在の新疆ウイグル自治区)とチベット国(現在のチベット自治区)への軍事介入とその後の残酷な支配統制状態を見れば、軍事力こそが過去だけでなくいまも冷徹な「歴史の原理」であるという主張を認めないわけにいきません。
 
 そして、「いかなる聖人が如何に高邁な教えを説こうと、それが物事を大きく動かしたという事例はほとんど見当たらない」という分析もほぼその通りであると思わざるを得ません。
 
しかし「ほとんど見当たらない」ということは、無いことは無いとも言えるわけであって、そして無いことはない事例こそがイエス・キリストの振る舞いと教えであったのです。
 
 今週のマルコ福音書からの説教では、「残酷な歴史の原理」の例外の「原理」ともいえるイエス・キリストの「高邁な教え」を深く味わいたいと思います。
今週の説教題は「神の国の民として地上の民を生きる」です。
 
 
1.地上にあっては良き市民、良き国民であれ
 
 ユダヤ最高法院(サンヒドリン)から派遣された代表たちがイエスに論破されてすごすごと立ち去ったあと、入れ替わりに他のグループがイエスのもとに派遣されてきました。彼らの目的は別のテーマでイエスを罠にかけることでした。
 
「さて、人々はパリサイ人やヘロデ党の者を数人、イエスのもとにつかわして、その言葉じりを捕えようとした」(マルコによる福音書12章14節後半 新約聖書口語訳72p)
 
彼らはまずイエスに対し、歯の浮くようなおべんちゃらを言って、イエスの逃げ道を塞ごうとしつつ、やおら用意をしてきた質問を致しました。それは、ユダヤ人はローマ帝国への税金を納めてもよいのか、それともよくないのか、納めるべきなのか、それとも納めるべきでないのかという質問でした。
 
「彼らはきてイエスに言った、『先生、わたしたちはあなたが真実なかたで、だれをも、はばかられないことを知っています。あなたは人に分け隔てをなさらないで、真理に基づいて神の道を教えてくださいます。ところで、カイザルに税金を納めてよいでしょうか。いけないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないでしょうか」(12章14節)。
 
 ユダヤはヘロデ大王の死後、アケラオという息子に王位が受け継がれましたが、アケラオが悪政を重ねたため、紀元六年、ローマ皇帝は彼から王位を取り上げてしまい、それ以来パレスチナ南部のユダヤと中部のサマリヤは、ローマ帝国が任命した行政長官(ユダヤ総督)を通じて統治される属州となっておりました。
 
 支配には納税が付き物です。
一般的理解としてイスラム帝国の場合、占領した地域の民に対して「コーランか剣か」と言って改宗か死かの二者択一を迫ったとされていますが、実際は「コーランかジズヤか、それとも剣か」であったとのことです。「ジズヤ」とは何かといいますと、人頭税のことです。
つまり、人頭税を納めることによって、事実上、イスラムの支配に服しているということを示すわけです。
 
 イエスの時代、ユダヤ人がローマに納める税は三種類あったとバークレーは言います。
一つ目は、穀物などの収穫の五ないし十パーセントを納める「土地税」、二つ目は収入の一パーセントを納める「所得税」、そして三つ目が、労働者が夜明けから日没まで働いて得る一日分の賃金にあたる一デナリの「人頭税」などで、特に人頭税は男性が十四歳、女性は十二歳になると納めなければならない税金でした。
 
しかし、支配国ローマへの課税という義務は、選民意識が強い上に異教徒を蔑視して暮らしていたユダヤ人にとっては我慢のならない屈辱的なものでした。
 ですから、もしもイエスがローマへの納税を「すべきである」と答えれば、イエスを支持している一般民衆は売国奴と言ってイエスに失望するであろうし、「すべきではない」と答えれば、サンヒドリンがイエスを危険人物としてローマ当局に訴え出ることができる、という計算だったのです。
 
 しかしイエスは彼らの企みを見抜いて、納税に使うデナリ銀貨をその場に持ってこさせ、その銀貨に刻印されている肖像と記号とがだれを指すのかを尋ねたのでした。
 
「これは、だれの肖像、だれの記号か」(12章16節前半)。
 
 彼らは答えました。それはローマ皇帝、「カイザル」のです。
 
「彼らは『カイザルのです』と答えた」(12章16節前半)。
 
 エテルベルト・シュタウファーというドイツ人の原始キリスト教の研究者によりますと、そのデナリ銀貨の表には時の皇帝ティベリウスの胸像と、「崇拝すべき神の崇拝すべき子、皇帝ティベリウス」と記されており、そして貨幣の裏には「最高神官」という文字、そして母后であるユリア・アウグスタの像があったということでした(川島貞雄訳「イエスの使信」192〜3p 日本基督教団出版局)。
 
 イエスの問いに対し(デナリの肖像と記号は)「カイザルのです」と彼らが答えた次の瞬間、イエスも間髪(かん、はつ)を入れずに彼らに答えました。「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」と。
 
「するとイエスは言われた、『カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』」(12章17節)。
 
 「カイザルのものはカイザルに、(返しなさい)」はどういう意味かと言いますと、カイザルの刻印のある貨幣が通用しているということは、ユダヤが政治的にローマ皇帝の支配地域であるということを意味する、つまり現在は好むと好まざるとに関わらず、ユダヤ人であってもローマという国家の下にある以上、ローマがユダヤを支配しているという現状を受けいれること、具体的には定められた義務を果たす必要がある、という意味です。
 
ローマ治下の当時のユダヤでは、政治的にはサンヒドリンによる一定の自治がゆるされているだけでなく、紀元前二世紀のセレウコス王朝から受けたような宗教的迫害もなく、律法に基づく宗教生活、具体的には礼拝の自由、信仰の自由は維持されておりました。
 
それはまたユダヤ人に限らず、ローマ帝政下の諸民族はみな、ローマの恩恵を受けていたのでした。「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」のお蔭で戦争のない、平和の状態を帝国内の諸民族は享受していたことは歴史的事実でした。しかしユダヤ人はイエスの言葉を軽視しました。その結果が四十年後のエルサレム崩壊という悲劇だったのです。
 
ところで「カイザルのものはカイザルに(返しなさい)」というイエスの言葉が、現代を、具体的には二十一世紀初頭を、日本という国で暮らしている私たちに対して呼びかけている意味は何なのでしょうか。
イエスの言葉はそれが語られた時代の中で、誰に向かって、何が、如何なる意味で語られたのかという分析はきわめて重要です。しかし聖書は正しく解釈されてのち、さらに時間、場所を超えて、読む者の人生に適用されなければなりません。
 
国家の独立を失って、心ならずもローマの属州という立場に甘んじて生きなければならなかったイエス時代のユダヤ人と、主権が回復して六十年の、独立国家の一員として生きている私たちとでは、やはり大きな違いがあることも事実ですが、しかし、共通している部分もないこともないのです。それは平和と安全保障の分野においてです。
 
平和と安全保障という面から言うと、我が国が戦後一度も戦争に巻き込まれることなく、また他国からの侵略を受けることもないまま、平和な時代が続いたのはなぜかと言いますと、それは戦争を放棄し、軍隊を持たないと定めた「憲法九条」のお蔭だという人がいます。
 
しかし、日本がこれまで戦争をせずに済んできたのは憲法の制約があったからというよりも、サンフランシスコ平和条約が締結された際に米国との間に結ばれた「日米安全保障条約」があるからだというのが、国際世界の常識です。
 
「今まで一度も泥棒に入られなかったのは、『うちは戸締りをしていません』と表に貼り紙をしているからです」と言ったら、おかしなことを言っていると思われるでしょう。
泥棒に入られなかったわけは、無防備のその家の近所に、棍棒を持った怖い知り合いがいて、昼夜を分かたず家の見張りをしているからだということを、誰もが知っていたからです。
憲法の制約下で軍隊というものを持つことができない我が国の状況では、この「条約」に頼る以外、安全は担保されない、それが現実なのだと識者は言います。
 
永世中立のスイスを理想と考える人はスイスが非武装中立ではなく、武装中立であって、中立を保つために強力な軍隊を持ち、徴兵制度が導入されていて、国民皆兵を国是とした国であること、言うなればハリネズミのように武装している国家であるという事実を無視しています。
隣国の場合も同様です。米国とは軍事同盟を保ちつつも、危機に備えて二十一世紀の今も徴兵制を維持しているのです。
 
九条に代表される日本国憲法は確かにすばらしい理念を謳っているかも知れません。占領下のどさくさにマルクス主義の影響を受けた十数人のアメリカ人によって、しかもたったの一〇日間で作られたものにしては良く出来ていると言われています。
 
戦後六十七年、そして条約が締結されてから六十年、我が国が日米安保条約によって平和が保たれていることは否定できない事実なのです。いつの日にか日本が完全な独立を果たして、自分の国は自分で守ることができるようになれば、この片務的条約も廃棄されることでしょう。
それまでは、ローマの桎梏を甘受せざるを得なかったユダヤのように、「カイザルのものはカイザルに」返す、すなわち、理想は理想として、今、置かれている制約の中で良き市民、良き国民として生きよと、イエスは言っているのではないでしょうか。
 
 
2.神の民としては神を第一とせよ 
 
では、神のものは神に返せ、とはどのような意味なのでしょうか。
 
「神のものは神に返しなさい」(12章17節後半)。
 
 「神のもの」とは何か、それは神の栄光です。神が神として崇められることです。すなわち、神のものを神に返せとは、一切の栄光を神に返せ、ということであって、一口で言えば生活の全領域で神の主権を認めよ、という意味です。
  
 イエス時代のパリサイ人の多くは、勤勉な生活を営む真面目な市民でした。しかし、真面目な人が陥りがちな生き方は、神が第一と言いつつも、関心は自らの敬虔さが人の目に映じること、つまり自らの栄光にあったということも否めない事実でした。
 
ネームレス運動で知られる「心と心の伝道」を自ら開発推奨し、その普及に生涯を傾けた故豊留真澄博士の、研修会における言葉を思い起こします。
  
豊留師は言いました、クリスチャンとキリスト教徒は決して同じではない、クリスチャンとはキリストを信じる者、キリスト教徒とはキリスト教を信じる者、英語にすればわかりやすい、クリスチャンはChristian、つまりキリストを信じる者であるが、キリスト教徒はChristianity(クリスチャニティ キリスト教)を信じる者、つまり「クリスチャニティアン」ということになる、クリスチャンとクリスチャニティアンは似て非なるものである、私たちはキリスト教という宗教を信じるクリスチャニティアンではなく、私たちのために命を捨てたキリストを愛し、キリストを信じ、そしてキリストを伝えるキリストクレイジーになろう、と。
 
「神のものは神に返しなさい」という言葉は、私たちに対し、自己を中心としたキリスト教徒ではなく、キリストへの愛のゆえに、生活の全領域において神の主権を尊重するクリスチャンであれという語りかけとして聞きたいと思います。
 
私たちが礼拝ごとに祈る主の祈りの末尾の条(くだり)の、「国と栄えと力とは、限りなく汝のものなればなり」は、主の祈りの本文にはありませんが、実はこれこそ、神に一切の栄光をお返しします、という告白にほかならないのです。この末尾を口にするたびに、神のものは神に返しなさい、栄光を神に帰しなさいというイエスの教えを思い出す人は幸いです。
 
 ではもしも万が一、神の僕である筈の国家権力が、国民や教会に対しておのが立場を踏み超えて牙を剥くような事態が起きた場合にはどうするか、そのような場合には、神の民は神を第一とする意味からも権力に向かって果敢に抵抗する権利はあるのだということになります。
 
私たちは地上の民としては出来うる限り、良き国民であるべきですが、優先されるべきは神を第一とした神の民であるということです。求められているのは、神の国の民として神を第一としつつ、地上の民をよく生きるということなのです。
 
 
3.危機においては神の知恵で対処せよ
 
 イエスを罠にかけようとした人々は、イエスに驚嘆しました。
 
「彼らはイエスに驚嘆した」(12章17節後半)。
 
 彼らはイエスの答えに驚くと共に、イエスという人物に驚嘆したのでし
た。その彼らはパリサイ派とヘロデ党の中から選りすぐられたものたち
でした。
 
「さて、人々はパリサイ人やヘロデ党の者を数人、イエスのもとにつかわして、その言葉じりを捕えようとした」(12章13節)。
          
 「パリサイ人」とはトーラー(モーセ律法)を最高の規範とする宗教的な人々で、宗教的情熱からローマへの納税を快く思わない反ローマ派、あるいは嫌ローマ派の人々でした。
一方「ヘロデ党」はガリラヤの領主であるヘロデ・アンティパスを支持する政治集団であって、ヘロデをガリラヤの領主に任じたローマに対して親近感を抱く親ローマ派です。ですからローマへの納税に抵抗感のないグループでした。
因みにシュタウファーは、「納めてもよいでしょうか、納めてはならないのでしょうか」(14節)はパリサイ派の神学的な問いであり、「納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか」(同)はヘロデ党の政治的な問いであるとしています。
 
この二者択一を迫る問いは巧妙にも、イエスがどのように答えたとしても、どちらかの反発を招くことになる筈で、そこに両派を組ませた意図があったのですが、しかし、イエスの答えはこの相反する思想を持った両派の代表を共に驚嘆させたのでした。
イエスはこの危機もまた、神の知恵で見事に対処したのでした。
 
特にイエスが直截(ちょくせつ)的に、ローマに対して人頭税を支払うべきであると言わずに、「カイザルのものはカイザルに(返しなさい)」と婉曲に、しかし事の本質を明確に衝いた答えをしたところに、その類まれなる思慮深さを見る思いがします。
しかも時期はまさにユダヤの熱狂がピークに達する過越(すぎこし)の祭りの直前、場所はエルサレム神殿の回廊です。そして数多の熱心な参拝者たち、巡礼たちがこのやり取りを見守っているという、そういう緊迫した状況の中で発せられた言葉だったからです。
 
イエス・キリストが生まれたのが紀元前六年頃、そして亡くなったのが紀元後つまり西暦三〇年としますと、三十五歳で亡くなったことになります。
六足す三〇なら三十六だろうと思ってしまいますが、実は紀元前一年の翌年は西暦〇年ではなく西暦一年ですので、六足す三〇は三十六、そして三十六から一を引いて三十五、つまりイエスは三十五歳で亡くなったというわけです。どちらにしましてもイエスはこのとき、まだ三十代半ばの青年であったことには間違いありません。
 
私たちもまた、危機に直面したときには、神からの知恵で対処することが可能であることを、この出来事は教えてくれます。イエスを信じ、イエスのみ足の跡を辿る者のうちには、イエスの知恵の源であるイエスの御霊が常に宿っているのです。このことを覚えて、勇気をもって前進したいと思います。





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