2013年4月14日日曜礼拝説教「信仰の祖アブラハムは、勇ましくもまた、高尚なる生涯へと踏み出した」創世記14章1〜24節

投稿日時 2013-04-14 16:07:57 | カテゴリ: 2013年礼拝説教

20134月14日 日曜礼拝説教 

「信仰の祖アブラハムは、勇ましくもまた高尚なる生涯へと踏み出した」 
 
   ヨハネによる福音書10章16節(新約聖書口語訳156p
 
 
はじめに
 
 先週の、教育問題を集中審議する衆議院予算委員会審議の中で、「財団法人青少年研究所」による調査結果が取り上げられました。
 
それは昨年の夏に発表された、日米中韓四カ国の高校生約八千人を対象にして実施された二〇一一年における意識調査であって、「自分はダメな人間だと思うことがある」という質問に対し、「よくあてはまる」「まあ、あてはまる」と答えた高校生が日本は83、7%で、52、8%の米国など三カ国を大きく上回ったというのです。
 
また、「自分は価値ある人間だ」という問いに対して「あてはまる」とした割合は、日本が最低の39、7%で、米国は79、6%、中国と韓国が共に86、8%という結果で、中韓などが自らを根拠もなく自分たちを偉大だと自惚れる、夜郎自大的な国民性の持ち主であるということを割り引いても、日本の高校生の自己肯定率の低さは際立っています。これも戦後の自虐教育の「成果」なのでしょうか。
 
 飢饉のために緊急避難したエジプトでの失敗により、信仰の祖アブラハムも一時は「自分はダメな人間だと思う」という自虐的意識に苛まれたかも知れませんが、憐れみ深い神の取り扱いを受けて立ち直り、やがて「勇ましくもまた、高尚なる生涯へ」と踏み出していくこととなります。
 
棕櫚の日曜日の受難週礼拝、イースター復活祭礼拝、そして公園墓地での野外礼拝を経て、今週からまたアブラハムの信仰の足跡を辿る「信仰の高嶺シリーズ」に戻ります。
そこで本日の説教題は、「信仰の祖アブラハムは、勇ましくもまた、高尚なる生涯へと踏み出した」です。
 
 
1.信仰の祖アブラハムは、勇ましい生涯へと踏み出して行った
 
 甥のロトと別れてカナンの山地にとどまったアブラハムのもとに、ヨルダンの低地に移り住んだロトとその家族が、財産もろともに拉致されたという知らせが飛び込んできました。
 
「そこで彼らはソドムとゴモラの財産と食料とをことごとく奪って去り、またソドムに住んでいたアブラムの弟の子ロトとその財産を奪っていった。時に、ひとりの人がのがれてきて、ヘブル人アブラムに告げた。この時アブラムはエシコルの兄弟、またアネルの兄弟であるアモリびとマムレのテレビンの木のかたわらに住んでいた」(創世記14章11〜13節前半 旧約聖書口語訳15p)。
 
 これには、この時代(恐らくは紀元前十八世紀?)の国際情勢が絡んでいたようです。ロトが住み着いたヨルダンの低地のソドム、ゴモラなどの五つの町の支配者たちは、当時、東方にあった四つの大国の支配に服していたのですが、十三年目になって反旗を翻したのです。
 
「シナルの王アムラペル、エラサルの王アリオク、エラムの王ケダラオメルおよびゴイムの王テダルの世に、これらの王はソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アデマの王シナブ、ゼポイムの王セメベル、およびベラすなわちゾアルの王と戦った。これら五人の王はみな同盟してシデムの谷、すなわち塩の海に向かって行った。すなわち彼らは十二年の間ケダラオメルに仕えたが、十三年目にそむいたので、十四年目にケダラオメルは彼と連合した王たちと共にきて…(14章1〜5節)。
 
この四つの大国は、現在のイランやイラクのあたりを支配していて、その支配権は東方とエジプトをつなぐ橋のようなヨルダン地方にも及んでいたようでした。
 
四つの大国の筆頭に挙げられている「シナルの王アムラペル」(14章1節)は、一説によればハムラビ法典を編纂したと言われている、古代バビロニア王朝第六代目の王であったハムラビではないかと推測する学者もいますが、定かではありません。
 
結局、抵抗軍側は東方から派遣された四大国連合軍により、「シデムの谷」の決戦で敗北を喫します。
因みに「シデムの谷」とは死海あるいは死海の南側を指しますが、当時そこはまだ水のない谷であったと思われます。
 
 この敗北の結果、敗けた側の財産はことごとく略奪され、人間は奴隷として売られるために連行され、その中にアブラハムの甥のロトとその家族、財産が含まれていたというわけです。
 
「シデムの谷にはアスファルトの穴が多かったので、ソドムの王とゴモラの王は逃げてそこに落ちたが、残りの者は山に逃れた。そこで彼らはソドムとゴモラの財産と食料とをことごとく奪って去り、またソドムに住んでいたアブラムの弟のロトとその財産を奪って去った」(14章10、11節)。
 
 身内の者が捕虜となったという連絡を受けたアブラハムはどうしたかといいますと、普段から訓練をしていた家の子郎党三一八人を自ら引き連れてロトの奪回に向かい、綿密な作戦のもと、疾風迅雷の如き勢いで連合軍を追跡し、ついにこの大連合軍を撃破してロトをはじめとする捕虜たちと、奪われた財産すべてを見事奪還するのです。
 
「アブラムは身内の者が捕虜になったのを聞き、訓練した家の子三百十八人を引き連れてダンまで追って行き、そのしもべを分けて、夜かれらを攻め、これを撃ってダマスコの北、ホバまで彼らを追った。そして彼はすべての財産を取り返し、また身内の者ロトとその財産および女たちと民とを取り返した」(14章14〜16節)。
 
 アブラハムから千数百年後、孔子は「義を見て為ざるは勇なきなり」と教えました(論語 為政第二の二十四)が、この時のアブラハムこそ、孔子の教えの実践者でした。
 
 そしてさらに下って明治二十七年の七月、明治、大正を代表する知識人であった内村鑑三が、箱根で開催された基督教徒第六夏期学校において、「後世への最大遺物」と題する有名な講話をいたします。
 
最初に内村は言います、「後世へ我々が遺すものの中に先ず第一番に大切なものがある。何であるかと云うと金です」と。
つまり金は遺産を子にばかりでなく、社会に遺して逝くことができるかも知れない、また事業も一つの遺物であるし、思想も然り、である。 
しかし、これらの三つは最大といえるかというと、そうではない、また誰もが遺すことのできるものでもない、というわけです。
 
 そこで内村は言います、
 
  「それならば最大遺物とは何であるか。私が考えてみますに人間が後世にのこす事の出来る、サウして是は誰にでも遺す事の出来るところの遺物で利益ばかりあって害のない遺物がある。夫(それ)は何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います」(明治文学全集 内村鑑三集「後世への最大遺物」209p 筑摩書房)。
 
 アブラハムはこの時、知恵と勇気を総動員して、「勇ましい…生涯」へと踏み出したのでした。
 
パウロはガラテヤの教会に宛てた手紙において、勇気をふるって善を行うことを勧めました。
 
「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。…だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善をおこなおうではないか」(ガラテヤ人への手紙6章9、10節 新約聖書口語訳300p)
 
 善を行うように勧められているのは「信仰の仲間に対して」だけではありません。「だれに対しても」行うように、そして「善を行うことに、うみ疲れてはならない」のです。そしてアブラハムもまた、人助けにおいて「うみ疲れ」ることなく、何と現在のシリヤの首都のダマスカスの北まで敵を追撃して、奪われたものを奪還するという目標を達成したのでした。
 
 汚名を返上し、名誉を回復したアブラハムの信仰の現代における子孫、それが私たちです。ですから私たちもまた、「勇ましい」生涯へと召されているのです。
 
 
2.信仰の祖アブラハムは、高尚なる生涯へと踏み出して行った
 
 この時のアブラハムの特徴は、「勇ましい」だけではなく、「高尚」なる姿勢にありました。
 
 奪われた捕虜や財産を奪還して凱旋してきたアブラハムを、敗軍の将たちが出迎えて、人間は私たちに、しかし財産は分捕りものとしてあなたがとるように、と提案しました。
 
「時にソドムの王はアブラムに言った、『わたしには人をください。財産は(功労者である)あなたが取りなさい』」(14章21節)。
 
 しかし、アブラハムはソドムの王の提案を拒否します。
 
「アブラムはソドムの王に言った、『天地の主なるいと高き神、主に手をあげて、わたしは誓います。わたしは糸一本でも、くつひも一本でも、あなたのものは何も受けません。アブラムを富ませたのはわたしだと、あなたが言わないように』」(22、23節)。
 
 それは、一切の栄光を神に帰すためでした。古代に限らず、いつの時代にも戦利品は勝者に帰属することが常でしたが、この場合、もしもアブラハムがソドムの王の言葉に従って戦利品を受け取るならば、その瞬間から彼はソドムの王たちの傭兵として戦ったことになってしまいます。
 
しかしアブラハムは、自分の行動の動機が金や名誉や名声を獲得するためではなく、ただただ、理不尽なかたちで拉致されたロトをはじめとする弱い人々を救出するためであったのだということ、そしてそれは天地の神の御心に従った迄であるということ、さらには、神の御旨を実行し成功したこと自体が、労苦に対する報いであるということを、表明したのでした。
 
ここに、アブラハムの「高尚」な生き方が示されています。「高尚」とは品格がある、品性の程度が高いという意味であって、その反対が低俗です。
 
アブラハムは神の取り扱いの中でいつの間にか、内村鑑三が後世への最大遺物として推奨する「勇ましい生涯」だけでなく、「高尚なる生涯」へと踏み出していたのでした。
 
少し前、「 武士の家計簿」という映画が評判となりました。原作者は磯田道史(いそだみちふみ)という歴史学者ですが、この人が昨年の秋、「無私の日本人」という本を文芸春秋から発行しました。
 
「『無私の日本人』の中には文字通り、「無私」の気持ちで世の中に尽くした三人の人が紹介されているのですが、ネットで著者が「無私の日本人」を書いた動機を読んで心を打たれました。
 
「武士の家計簿」は「原作も映画も作品としては、これ以上ないほどに、幸運な道をたどった。申し分ないはずであった。ところが、わたしは、どうも落ち着かな」かったというのです。
 
「武士の家計簿」は、「倹約して猪山という1個の家族が豊かになっただけで、本当は何の解決にもなっていないのではないか」
 
「(猪山の関心は)ひたすら勉強して子供をよい学校に入れ、就職させ、ともかく自分の家族がしっかり食えるようにすることに関心を持っていた。結局、『武士の家計簿』は、自分の家族が食べていけるか、であって、日本全体がどうなるか、という広い視点はなかった。」「(それは)どこか間違っている。どこか足りない。そう思うようになった」
 
「そんなとき、見ず知らずの人から便りがきた。『自分は東北に住む老人である。…実は、自分たちの町吉岡宿にはこんな話が伝わっている。涙なくしては語れない。ほんとうに立派な人たちである。この人たちの無私の志のおかげで、わたしたちの町は江戸時代を通じて、人口も減らず、今に至っている。磯田先生に頼みたい。どうか、この話を本に書いて後世に伝えてくれないだろうか』。そういう内容であった」(本の話WEB 自著を語る「ある老人の執念がこの本を書かせた」より)
 
 磯田先生はそのあと東京大学の図書館で、手紙をくれたその東北の老人、本田勝吉さん紹介による「穀田屋十三郎」という人物について書かれた「国恩記」という古文書を読んで、感動のあまり、涙を流したそうです。
 
  「これまで、古文書を読みながら、はらはらと両眼から涙を流すなどということはなかった」
  「『無私の日本人』は…いまのままではいけないと憂うる人の心が、わたしに自然に書かせた本である」
 
 昔の日本人には無私に徹した「高尚なる生涯」を、無名のままで生きた人が少なくなかったのです。
私たちは信仰の祖アブラハムの信仰の子孫として、そして同時に高潔にして品格のある日本人の子孫として、神の恵みにより、「高尚なる生涯」へと踏み出させていただきたいと思います。
 
 
3.信仰の祖アブラハムの勇ましくもまた高尚なる生涯の秘密は、     神への畏敬にあった
 
 では、あの一度は汚辱の中に埋没してしまっていたアブラハムをして、かくも勇ましく、また高尚なる生涯へと歩み入らせた秘密はどこにあったのかと言いますと、それはただ一つ、彼が神の前にへりくだって、礼拝に回帰したことでした。
 
「アブラハムは天幕を移してヘブロンにあるマムレのテレビンの木のかたわらに住み、その所で主に祭壇を築いた」(13章18節)。
 
 礼拝は、神への畏敬の思いから始まります。神によって生かされているという感謝と畏敬の念が消えてしまえば、折角の休日に教会まで出かけていくという行動が後回しになってしまいます。
 
 しかし、日曜日は週の初めの日なのです。確かに日本のビジネス手帳は左側に月曜日があって、日曜日は右側の端になってしまいました。
でも、日曜日は決して週末ではありません。週の初めの日なのです。その初めの日を神への讃美と礼拝を持って週の活動の初日とすることが、勇ましくもまた、高尚なる生涯を生きる秘密です。
 
もちろん、種々の事情によって、礼拝に行きたくても行けないという場合もあります。そのような場合、神はその事情を忖度してくださって、その人なりの礼拝を受け入れてくださっていますから、礼拝に出席することのできない自分を責める必要はありません。大事なことは礼拝の心です。
 
 創世記には、捕虜を奪還して凱旋したアブラハムを、大祭司でもあったサレム(後のエルサレム)の王のメルキゼデクが、パンとぶどう酒を用意して出迎えてくれ、彼のために神の祝福を祈ったという記事があります。
 
「その時、サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒とを持ってきた。彼はいと高き神の祭司である。彼はアブラムを祝福して言った、『願わくは天地の主なるいと高き神が、アブラムを祝福されるように。願わくはあなたの敵をあなたに渡されたいと高き神があがめられるように』」(14章18〜20節前半)。 
 
 「メルキゼデク」の「メルキ」は王を、そして「ゼデク」は義あるいは正義を表わしますので、義の王ということになりますが、彼は神を代表する大祭司でもありました。ですからアブラハムはこの戦闘における勝利は神の守りと助けの賜物との自覚のもとに、神への感謝を具体的に示すべく、持ち物の十分の一を捧げたのでした。
 
「アバラムは彼にすべての物の十分の一を贈った」(14章20節後半)
 
 すべての物の十分の一は神に帰属するという考えは既にこの時代からあったようですが、このアブラハムの行為は強いられたものではなく、あくまでも自発的なものであって、それは神への感謝を示す独自の行為だったのです。
 
 私たちの教会が所属する団体は、静岡県の浜名湖近くの蜜柑山に、浜名福音荘というキャンプ場を持っていますが、まだ建物のかたちも無かったある夏、米国のアラスカから、青少年によって編成された聖歌隊が伝道と奉仕のために来日しました。 
彼らは夜間や日曜日には各地の教会を回って讃美や証しなどの奉仕をし、日中はこのキャンプ場の建築のために汗水流して働いてくれました。
 
 そして最後の日、彼らは持ち金のほとんどを建築費のために捧げて帰国していったのですが、その時の言葉が忘れられません。彼らは言いました、「奉仕することができたことを感謝して捧げます」と。
彼らのほとんどは高校生か大学生であって、日本に来るための旅費はアルバイトなどで得たものであったようですが、日本における活動の対価を求めるどころか、奉仕をすることが出来た恵みを感謝して献金をしていった彼ら青少年たちの姿を懐かしく思い出します。
 
 勇ましく善を行い、しかも報酬などを求めることをしなかった高尚なるアブラハムの生涯は、この後も決して平坦ではなく、また道に迷うこともありましたが、それでも迷い道から正道(まさみち)へと戻ることができたのは、神への畏敬の思いが彼の心を占めていたからでした。
 
神は、たとい不器用であったとしても、真面目な人を見放すことはありません。
 後世への最大遺物、それは勇ましい、高尚なる生涯です。そして私たちはこの遺物をアブラハムから受け継ぎ、そして後世へと遺すべく、ここに召されていることを、改めて感謝したいと思います。
 
 内村鑑三の夏期学校における講話の最後の言葉は、今も私たちの礼拝と信仰の根拠です。
 
   「すなわち此の世の中は是は決して悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であると云うことを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである」(前掲書209p)。
 
 神などいない、希望などないと思われるような時代かも知れませ
ん。しかし、この世は神が支配する世の中であり、そして希望の世
の中であることを信じること、それが神に対して畏敬の念を持つ
であり、その思いこそが礼拝することの原点です。
 
 今朝は祈る前に、先ほど歌っていただいた「求めて」をご一緒に
歌いたいと思います。
 
                  求 め て
   
       あなたの声を 求めて  あなたの顔を 求めて
      あなたの心 求めて み前に出る
        すべてをゆだねて  すべてを捧げて
        あなたを求めて  礼拝します





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