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2013年礼拝説教
2013年礼拝説教 : 2013年3月10日日曜礼拝「信仰の祖アブラハムは、致命的なミスを乗り越えて前進した」創世記12章9節〜13章1節
投稿者 : famillia 投稿日時: 2013-03-10 16:14:06 (1025 ヒット)
2013年礼拝説教

20133月10日 日曜拝説教

「信仰の祖アブラハムは、致命的なミスを乗り越えて前進した」
 
創世記12章9〜13章1節(旧約聖書口語訳13p)
 
 
はじめに
 
 一時期、パトリシア・コーンウェルという米国の女性ミステリー作家の作品を読みふけったことがあるのですが、ある作品の訳者あとがきに、「どんな家にも、クローゼット(タンス)の中にはスケルトン(骸骨)があるものだ」という英語の諺が紹介されていたのを記憶しています。
 
確かに身内の恥を外部の人に知られたくないと思うのは、人情として当然です。ましてや、有名人やセレブと言われる家庭ならばなおのことです。
しかし聖書は、普通ならば隠しておきたいと思うような偉人の過誤や失敗も、包み隠さずに記録をしています。
 
そしてそれはヘブル民族にとって崇敬の的であった信仰の祖であるアブラハムの場合も例外ではありませんでした。創世記にはアブラハムが行った恥ずべき過ちもまた、しっかりと記述されており、だからこそ、聖書は真実を語り伝える文書として信じられる、と言えるのです。
 
今週はアブラハムのとった無様な判断が招いた混乱を通して、信仰と祈りの重要性について教えられたいと思います。
 
 
1.信仰の不足が判断を狂わす―だから信仰の向上を
 
 
 アブラハムは神の言葉に導かれて、地中海とヨルダン川に挟まれたカナンの地、後にパレスチナと呼ばれた地に移住してきました。そして彼がカナンの中部から南部のネゲブに移動したとき、この地方一帯を飢饉が襲ったのでした。
 
飢饉は旱魃(かんばつ)といって、雨がまったく降らなくなるために起こることもあれば、蝗害(こうがい)といって、飛蝗(ばった)の大群が襲来して、作物や牧草を根こそぎに食いつくしてしまうことによって起こる場合もありました。
因みに旱魃の「旱」は雨が降らない日照りのことで、「魃」は日照りをもたらす神を意味するとのことです。
一方、幾億千ものバッタの群が雲霞のように押し寄せて、草木を食い荒らす蝗害は、人々の暮らしに壊滅的な被害をもたらしたものでした。
 
 ただ、小規模の旱魃ならば、アフリカ大陸の北に位置するエジプトだけは安泰でした。なぜかと言いますと、古来、「エジプトはナイルの賜物」といわれてきましたように、アフリカ北東部を南北に流れるナイル川のおかげで、通常規模の飢饉には十分に対応するだけの作物の収穫が可能だったからで、そのため、飢饉になるとエジプトに身を避けるのが、周辺住民の常識だったのです。
 
そしてネゲブにいたアブラハムもまた、人々にならってエジプトに緊急避難をしたのでした。
「アブラムはなお進んでネゲブに移った。さて、その地にききんがあったので、アブラムはエジプトに寄留しようと、そこに下った」(創世記12章9、10節 旧約聖書口語訳13p)。
 
 この場合のアブラハムの判断は誰もがするような常識的なものでした。しかし、寄留するエジプトに難問が待ち受けていることをアブラハムは危惧することとなります。それはアブラハムの妻のサラが絶世の美女であったからでした。
つまり、アブラハムが身を寄せようとしたエジプトの王朝の支配者である「パロ」にザラが目を付けられる危険性が予想されます。そしてもしもそうなると、サラの夫であるアブラハムが邪魔者として排除されるというリスクが出てきます。
 
そこでアブラハムが取ったいわゆる危機管理対策は、信仰の祖とは到底思えないようなものでした。アブラハムは自らが考え出した対策を妻のサラに要請というかたちで伝えました。
アブラハムは妻のサラに訴えます。「私があなたの夫であることがエジプト人に知られれば、私はきっと殺されるに違いない、そこであなたは私があなたの兄であって、自分は私の妹であると言うようにしてくれないか、そうすれば、私は殺されずに済む筈だから」というものだったのです。
 
「エジプトにはいろうとして、そこに近づいたとき、彼は妻サライに言った、『わたしはあなたが美しい女であるのを知っています。それでエジプト人があなたを見る時、これは彼の妻であると言ってわたしを殺し、あなたを生かしておくでしょう。どうかあなたは、わたしの妹だと言ってください。そうすればわたしはあなたのおかげで無事であり、わたしの命はあなたによって助かるでしょう』。」(12章11〜13節)。
 
 そしてアブラハムの予測は的中します。エジプトの人々はサラを見てその美しさを褒めそやし、その結果サラはパロの後宮に召し入れられてしまいます。 
美人に生まれたら生まれたで、それなりの苦労があるものです。因みに「パロ(ファラオ)」は古代エジプトの君主の呼称です。
 
「アブラムがエジプトにはいった時エジプト人はこの女を見て、たいそう美しい人であるとし、またパロの高官たちも彼女を見てパロの前でほめたので、女はパロの家に召し入れられた」(12章14、15節)。
 
 この結果アブラハムはサラの「兄」としてパロの厚遇を受け、大量の贈り物を得ることとなります。
 
「パロは彼女のゆえにアブラムを厚くもてなしたので、アブラムは多くの羊、牛、雌雄(メスオス)のろば、男女の奴隷および、らくだを得た」(12章16節)
 
 アブラハムの胸中はいかに、またサラの思いはいかばかりか、というまさに二人にとっては絶体絶命のピンチが発生したのでした。そしてここで主なる神が登場します。何と、神はパロ自身とパロの全家に疫病を下します。
 
「ところで主はアブラムの妻サライのゆえに、激しい疫病をパロとその家に下された」(12章17節)。
 
 疫病は罪に対する罰を意味するようですが、何とも理不尽ではないでしょうか。パロにいったい、どのような落ち度があるというのでしょうか。
 
パロとアブラハムとの関係は、一方は寄留先である大国の絶対君主、他方は何の後ろ盾もない一介の寄留者という、まさに強者と弱者の関係を絵にかいたような関係です。
しかし、アブラハムもサラもパロの意向を拒否することが出来ない弱い立場にあったとはいえ、表向き、サラはアブラハムの妹という触れ込みですから、この時代、パロが所定の手続きを経てサラを後宮に召し入れたことは不法なことではありませんし、しかもパロはサラの「兄」であるアブラハムに対して、礼を十分に尽くしているのです。
 
 客観的に見れば、問題の原因はアブラハムにあります。もしも咎められるのであるならば、それはパロではなくアブラハムの方ではないのかと、誰もが思います。
 
前後を考えますとパロはむしろ騙された被害者の側であって、罰せられる謂れもありません。だからこそ、パロはアブラハムに対して、「なぜサラが妹であると言って私を謀(たばか)ったのか、なぜ、妻であるという事実を隠していたのか」と、憤懣やるかたないと言う感じで抗議をしているのです。
 
「パロはアブラハムを召し寄せて言った、『あなたはわたしになんという事をしたのですか。なぜ彼女が妻であるのをわたしに告げなかったのですか。あなたはなぜ、彼女はわたしの妹ですと言ったのですか。わたしは彼女を妻にしようとしていました』」(12章18、19節前半)。
 
 ここでパロは二度も「なぜ?」と問うているのですが、どう見ても、そして誰が考えても理はパロの方にあり、非はアブラハムにあります。
 
 しかも、このあと、パロはアブラハムを処罰するどころか、彼に与えた莫大な贈り物の返還を求めることもなく、彼とサラとを安全に出国させます。つまり、強制退去、国外追放処分が適当であるにも関わらず、きわめて丁重な扱いです。 
神への恐れがあるとはいえ、また禍の元である疫病神のようなアブラハムとは一刻も早く無関係になりたいと思ったとはいえ、寛大で紳士的な措置にも見えます。
 
「さあ、あなたの妻はここにいます。連れて行ってください。パロは彼の事について人々に命じ、彼とその妻およびそのすべての持ち物を送り去らせた」(12章19節後半、20節)。
 
 不思議なのは、この物語の中では、アブラハムが神から責められている記述が何もないだけでなく、サラもまた承知の上でのことであったとはいえ、夫のことを詰ってなどいません。
伝承が、困難に直面した信仰者には神の救助の手が伸ばされるのだというメッセージを込めたのでしょうか、あるいは、当時は、妻は主人の所有物であったのだから、アブラハムがとった行為に問題はない、とアブラハムを正当化しようとしているのでしょうか。
 
しかし、仮にそうであったとしても、ここで叙述されている出来ごと、とりわけ、苦楽を共にしてきた妻を人身御供にしてまでも我が身を守ろうとするアブラハムの行動は、どんな有能な弁護士でも弁護するのは困難でしょう。それはいつの時代であっても、そして状況や価値観の変化に関わりなく、人として恥ずべき振る舞いにしか見えないからです。
 
理由の一つは、アブラハムが我が身を守るために、糟糠の妻ともいうべきサラを人身御供としてパロに供したということでした。これを現代の女性人権家が聞いたならば、怒髪天を衝いて怒り狂うところです。
 
そして二つ目は、たとい恐怖からとはいえ、世話になっている寄留先の王を、妻という事実を隠蔽して、妹といって騙したということです。サラはアブラハムの義母妹であったようです(20章12節)が、しかし、サラはアブラハムにとっていま現在は、れっきとした妻なのです。
アブラハムの「妹」云々はまさに詭弁であって、訪問販売の詐欺師が「消防署の方から来ました」と言って消火器を売りつけるのに、よく似ています。
 
 アブラハムがなぜ、このようなみっともないことを行ったのか、それは彼が信仰を働かせるという基本を忘れたからとしか言いようがありません。
カナンに来るまで、彼は神のみを仰いできました。しかし、飢饉という一族の存亡の危機に直面して、気が動したのかも知れません。
 
常識から言えば、飢饉の際にエジプトに難を逃れるという判断自体は間違ったことではありませんでした。しかし、エジプトに行けば行ったで次に直面するであろう困難を想像した時に、彼はこれまでも自分を守ってきてくれた神に先ず相談をし、その導きを求めるべきであったのです。しかし、彼は神を信頼するのではなく、人間的小細工を弄することによって待ち受けている危機から逃れようとしたのでた。
 
彼の判断を狂わせたものは何か、それは信仰の不足でした。私たちもまたこの世において危機に瀕した時に、アブラハムと同じように、神を信頼するよりも小手先の策を弄するという誘惑に陥ることによって、アブラハムの轍を踏む危険性がないとは言い切れません。
 
如何なる状況にあっても、正常な判断を下す者でありたいと思いますし、正常な判断を下すために必要なものは、信仰の不断の向上であることを、ここに改めて確信したいものです。
 
 
2.祈りの不足が信仰を薄める―だから祈りの充実を
 
では信仰を欠乏させ、信仰を薄れさせるものは何かといいますと、それこそが祈りの不足です。
カナンに来た当初、アブラハムは往く先々において、祭壇を築いては神を呼び求めるのが常でした。
 
「彼はそこからベテルの東の山に移って天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。そこに彼は主のために祭壇を築いて、主の名を呼んだ」(12章8節)。
 
 しかし、ネゲブにおいて飢饉という禍が襲来した際、アブラハムが「主の名を呼んだ」という記事はありません。
記事がないから「主の名を呼」ばなかったとは言えません。しかし、ネゲブだけでなく寄留先のエジプトにおいても、アブラハムが「主の名を呼んだ」という記述は見当たらないということは、アブラハムはそれまでのように神に祈ることによって神からの知恵、助けを求めるのではなく、いつの間にか自分の知恵、自分の経験に頼って事を処理し始めていたのでしょう。
 
 昔、ある先輩牧師が言っていたことを思い出します。その牧師はこう言いました、「祈らない罪に対する罰は祈れなくなることです」と。
 祈らないことが即、罪であるのか、また祈れなくなることが罰なのかという神学的問題はさておき、祈ることを常にしていないと、いざ、と言う時に素直な気持ちになって祈ることが出来なくなるということは本当のことです。
 
 知恵文学の一つである箴言は、「神に頼れ、自分の知識に頼るな」と勧告します。
 
「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。自分を見て賢いと思ってはならない。主を恐れて、悪を離れよ」(箴言3章5〜7節)。
 
 祈らなくなるのはなぜかと言いますと、「自分の知識にたよ」(5節)るからです。「自分を見て賢いと思って」(7節)しまうときには、祈ることをついつい後回しにしてしまうのです。
そして祈りの不足が信仰を薄め、それが判断ミスという結果を招くのです。
 
 祈らなくなってしまうもう一つの理由、それは、祈ってもこの状況は変わらないだろうというような、ネガティブな思いに頭を支配されるからです。
アブラハムの場合も、流れに身を任せる以外に道はないという諦めが先行して、祈ることをしなかったのでしょう。しかし、アブラハムの思いが自分自身からパロの後宮に連れていかれたサラに向かうなら、必死の祈りが湧いてきた筈でした。
でも、アブラハムはこの時、予想したことであったといえ、実際の事態の推移に茫然自失の状態で、ただただ自分の無力さを嘆くだけであったのかも知れません。
 
 人はなぜ祈るのでしょうか、祈りは人への配慮、あるいは愛から湧き上がります。
自宅に毎月、注文したわけでもないのに信仰誌が送られてきます。内容に共感することも多いため、いつも興味深く目を通すのですが、最新号に、八十六歳の老齢ながら今も現役で、ブラジルの南リオグランデ・カトリック大学医学部で教鞭をとっている森口幸雄教授のインタビューが載っていました。
 
森口教授がイタリアのミラノに留学していた、今から五十七年前の一九五六年、友人からルルドへの巡礼列車に医者として同行するよう頼まれたそうです。
ルルドとはスペインに近いフランスの小さな村で、十九世紀の半ばに、ここで村の娘の前に聖母マリヤが現われて、娘が指定された場所を掘ったところ、泉が湧いたという伝説の「ルルドの泉」で有名です。
 
因みにイエスの生母にしか過ぎないマリヤが、ローマン・カソリック教会で神格化されて祈りの対象となったのは、古代から中世にかけての西欧キリスト教国においては、キリストのイメージが最後の審判に代表されるような恐ろしい審判者であったため、厳しいキリストであっても母親の言うことは聞くであろうという期待から、キリストへの執り成し手としてのマリア崇敬が形成されてきたと言われています。
 
実際、急に退位したベネディクト十六世の後継法皇を選ぶコンクラ−ヴェは今月の十二日からバティカン宮殿の中にあるシスティーナ礼拝堂で行われますが、この礼拝堂の祭壇にミケランジェロが描いた最後の審判におけるキリストは、確かに厳しい審判者の顔をしていますが。
 
森口さんが担当した患者の一人は十八歳になる少女で、一歳の時に痙攣性小児麻痺にかかって以来、ずうっと横になったままで一度も起きることができず、食事も寝たままで、下の世話からすべてを、お母さんにしてもらってきたそうです。
そして、一週間の巡礼が終わって帰りの列車が動き出したときに、森口さんの同僚が、「あの少女に奇跡が起こった」と呼びに来たので、行ってみたら何とその少女が腰かけているのです。発病以来十七年間、一度たりとも起き上がることのできなかった少女が、です。
そして、「立てる?」と聞いたら「立てます」と言って立ち、「歩けるか?」と聞いたら「歩けます」と言って歩きはじめる、そこで「いつ治ったの? どういうお祈りをしたの?」と聞いたところ、彼女は、
 「『神様、私の病気が治らないことはよく知っています。私のようなものをかかえて、世界中で一番かわいそうなのはお母さんです。私はどうなってもいいですから、お母さんを幸福にしてあげてください』と祈りました。すると私の体が急に柔らかくなって、動けるようになったんです。膝が曲がるんです」
と答えたというのです。
 森口教授は信仰誌のインタビュー中で、「私はその女の子から、人は、どういうお祈りが大切かということを教わりました」と話していました。
 
 何とも含蓄に富んだ感動的な証しです。ルルドの泉での癒しが奇跡として認証される条件の一つは、病者が泉で沐浴をした直後に著しい治癒が現われることだそうですが、彼女の場合、変化は帰りの列車の中で現われましたから、明らかに泉の水が要因ではありません。
 それは彼女の祈りへの生ける神による答えであったと思います。少女は祈りにおいて、自分の病気を治して欲しいとは少しも願ってはいません、では何が望みかといえば、これまで十七年間もの間、自分の世話に明け暮れてきてくれた母親を楽にしてあげて欲しい、母親が幸せになって欲しいという思いを祈ったのでした。これぞ、ほんとうの祈りであると思わせられました。
 
驚くのはこの少女が「わたしはどうなってもいいですから」と言い、そして「わたしのような者をかかえて」苦労してきたお母さんをと、ひたすら母親のことを祈ったということでした。
 
この少女と真反対なのがアブラハムでした。彼はサラの幸せなどを考える余裕もなく、関心事は自分が生き残ることだけです。「わたしはどうなってもいいですから、お母さんを幸福に」という少女に対し、あなたが犠牲になってくれれば「わたしはあなたのおかげで無事であり、わたしの命はあなたによって助かるでしょう」(13節)と懇願したのがアブラハムでした。
 
そして、アブラハム自身、おろおろするだけで祈ってもいないのに、危機一髪のところを、どんでん返しが起こりました。神が見かねて一方的に介入をするという事態が起こったのでした。
 
そしてこのあとアブラハムは、この出来事を教訓として再出発をしていくことになります。
 
 
3.思わぬ判断ミスが混乱を引き起こす、だから失敗を教訓に
 
 エジプトにおける破滅的ともいえる危機を、神の恵みの介入と、異教徒であるパロの寛容な取り扱いによって脱したアブラハムは、妻のサラと甥のロトを伴ってエジプトを出国し、カナン南部のネゲブに戻ります。
 
「アブラムは妻とすべての持ち物を携え、エジプトを出て、ネゲブに上(のぼ)った。ロトも彼と共に上った」(13章1節)。
 
 アブラハムは信仰の不足、そして祈りの不足という悔恨を胸に秘めて、約束の地へと戻っていきました。それはまた信仰の谷底から信仰の高嶺へと登る道でもありました。
確かにこれまでのアブラハムの歩みは順調であったかも知れません。しかし、この大きな挫折の経験が、信仰の祖としてのアブラハムの人格を陶冶し、信仰を練磨することとなっていきます。
 
 ペテロの場合もそうですが、挫折の経験は人を磨きます。就任三カ月で、その経済政策が順調に推移し、高い支持率をキープしている我が国の総理大臣は、かつて、潰瘍性大腸炎という難病に襲われ、陰湿極まりない大手マスコミのバッシングを受けて心ならずもその立場を自ら放擲するという挫折を味わった人ですが、この一月二十八日に行われた衆議院における所信表明演説では、その冒頭で、自らがなめた挫折経験をもとにした、味わい深いフレーズを聴くことができました。
 
昨年末の総選挙による国民の審判を経て、…第九十六代内閣総理大臣を拝命いたしました。私は、かつて病のために職を辞し、大きな政治的挫折を経験した人間です。国家の舵取りをつかさどる重責を改めてお引き受けするからには、過去の反省を教訓として心に刻み、丁寧な対話を心掛けながら、真摯に国政運営に当たることを誓います。
 
聞くところによりますと、この六年、「もしも再度の登板の機会が廻ってきたならば、あれをしよう、これをしようと、考えるところをノートにメモしていた」そうです。
今になってみれば、六年前のこの人には確かに気負いのようなものが見え、そして事を急ぎ過ぎた感もありました。しかし、手痛い挫折の経験がこの人を変えたのかも知れません。
 
再チャレンジをしたこの国のリーダーのために、一国民として神の助けを祈りたいと思います。テモテの手紙の著者が勧めるように、一国のリーダの上に神の加護と祝福があるようにと祈ることは、個々が持つ思想や政治信条を超えたキリスト者の義務でもあるからです(テモテへの第二の手紙2章1節)。
 
 アブラハムもまた、「挫折を経験した人間」として、エジプトにおける「過去の反省を教訓として心に刻」みながら、「ネゲブに上った」(1節)筈でした。
 
そしてこのエジプトでの経験が教訓となって、彼の人格を、そして信仰を一回りもふた回りも大きくするきっかけとなったことを、このあと読者は知ることとなるのです。


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