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2013年礼拝説教
2013年礼拝説教 : 2013年3月3日日曜礼拝「信仰の祖アブラハムは、その往く所を知らずして出で立った」創世記12章4〜8節
投稿者 : famillia 投稿日時: 2013-03-03 16:26:10 (905 ヒット)
2013年礼拝説教

20133月3日 日曜拝説教

「信仰の祖アブラハムは、その往く所を知らずして出で立った」 

創世記12章4〜8節(旧約聖書 口語訳13p)
 
 
はじめに
 
 聖書を正確に、そして深く読むために、とりわけ聖書に登場する人物をよりよく理解するためには、三つの武器あるいは道具が必要です。
 
一つは専門知識であって、特に重要なものは、その人物が生きていた時代の背景についての知識を得ることです。ただ、こればかりはいくらお祈りしても急に持つことができるというものではありません。やはり学ぶ必要があり、そのことに詳しい人から教えてもらう必要があります。
 
 二つ目は一般常識、コモンセンスといわれるものです。特に聖書の神様はバランスのとれた常識豊かなお方ですので、読む人の方に社会常識が豊かであると、理解もし、納得もし易いのです。
 
 そして三つ目が想像力です。聖書の登場人物の発言や行動の背後にある気持ち、感情というものを想像することによって、聖書を正しく理解することができるようになります。
 
特に三つ目の重要性を教えてくれたのは、ネームレス運動の提唱者であった豊留真澄先生でした。
先生はこう言われました、
「聖書研究においては登場人物がどんな気持ちで発言し、あるいはどんな気持ちで行動をしたかを想像してみること、そうすれば、時間と空間と言う制限を超えて、登場人物の世界に入っていくことができるようになる」
 
そしてもう一つ言われたのが、「自分だったらどういう気持ちになるかを想像すること、そうすれば、過去の聖書の出来ごとを現在の自分のこととして感じることができるようになる」でした。
 
そして、わたしたちに今すぐにでも出来ることが、この三つ目の武器である想像力を使う、ということです。
 
先月から信仰の祖であるアブラハムの生涯を追うことになりました。アブラハムは今から三千六百年以上も昔の、しかも日本から遠く隔たったパレスチナで生きた人ですが、想像力という道具を使用して、アブラハムの生涯に近づきたいと思います。 
 
 
1.信仰の祖は、行く所を知らずして住みなれた地を出で立った
                               (忠誠ということ)
 
「アブハムは主が言われたようにいで立った」(創世記12章4節前半 旧約聖書口語訳13p)。
 
想像力を少し働かせれば、まるで、出張を命じられたサラリーマンが何事もなく出かけるかのようなこの記述に、心が震える思いがします。
 
「アブラム」つまり後のアブラハムは、住みなれた土地である「ウル」あるいは「ハラン」を後にし、「いで立った」のでした。
まさにそれは「国を出」(1節)ることであり、親しい「親族に別れ」(同)ることであり、年老いた「父の」(同)「家を離れ」(同)ことであったのでした。
 
ちょうど一〇年前、思いがけず、妻と共に、というよりも妻のおかげで北欧旅行に参加する機会を与えられました。そこで、すでに期限切れとなっていたパスポートを更新しました。そのパスポートも間もなく期限切れとなりますが、外務省が発行したパスポートを改めて開きますと、最初に、
 
日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する 
 
日本国外務大臣
とあります。
 
 パスポートとは国籍外の外国を旅行する場合に、所持者の身分を保証すると共に、旅行先における安全と保護とを要請する、国家発行の身分証明書です。
日本政府が発行するパスポートは信用度が世界最高レベルにあるため、これをビジネスに利用するためだけに日本国籍を取得しようとする外国人が後を絶ちません。
 
日本に帰化したという中国人女性が、「日本国籍を取得した以上、あなたは中国系日本人ということになりますよね」と訊ねられて、「いえ、私はいまでも中国人です。日本国籍をとったのはビジネスに便利ですから。何と言ったって、日本のパスポートは世界中で信用がありますからね」というようなことを臆面もなくしゃあしゃあと答えている姿を以前、テレビで見て、呆れ果てたことがありますが。
 
米国の市民権を取得する際には、米国の歴史や政治についての試験があり、帰化が承認された場合には、「帰化宣誓セレモニー」という宣誓式に出席して、アメリカ合衆国に対して忠誠を誓う宣誓を行うそうで、その宣誓の中には、合衆国憲法への忠誠の誓いがあり、特に注目すべきことは、それまで国籍を保持していた国への忠誠の放棄を誓う、とのことです。
 
自分自身の希望で国籍を変更するのですから、当然と言えば当然ですが、では日本はどうなのかと言いますと、在日年数が五年以上であること、安定した収入があること、そして前科がないという三つの条件をクリアしていれば簡単に帰化申請ができるとのことで、あまりにも簡単すぎます。せめて講習会による教育と、面接試験による確認があれば、くだんの中国人女性などは失格者として不承認とすることもできるのではないかと思うのですが。
 
少し脱線しました。紀元前十八世紀、メソポタミア北部に位置する「ウル」あるいは「ハラン」を出て、地中海とヨルダン川に挟まれた「カナン」、つまりその後のパレスチナに向かったアブラハムには、日本政府が発行するような信用度の高いパスポートは発給されていませんでした。
つまり、アブラハムは身分を保証するものもなければ、安全を保障するものを持たずに、その故郷を「いで立った」(4節)のでした。
 
「アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった」(12章4節)
 
アブラハムが故郷を出たとき、彼の父親はまだ存命であったと思われます。なお、あの「七人」のひとりのステパノは議会での弁明において、「彼の父が死んだのち、神はそこから、今あなたがたが住んでいる地に移住させた」と言っていますが(使徒行伝7章4節)、その根拠は定かではありません。
また彼の親族の多くがハランに定住したところを見ると、ハランでの暮らしは安定し、快適でもあったと思われます。
 
アブラハムには後ろ髪を引かれる思いはなかったのでしょうか。また、未知の世界に対する恐れや不安はなかったのでしょうか。
おそらく、それらの感情は当然あったであろうと思います。しかし、にも関わらず、アブラハムは身分を保証し、保護を保障するパスポートも持たずに、未知の土地である「カナンに行こうとしていで立」(5節)ったのでした。
 
 何が彼を行かせることとなったのか、それはただただ、彼の神が「行きなさい」(1節)と言われたからでした。それを日本では忠誠心という言葉で表現します。
 
明治時代、キリスト教は武士階級の出身者に浸透したようです。その理由の一つが武士道にあったと考えることができるのではと、個人的に思います。
 
百十三年前、渡米中の新渡戸稲造が英文で著した「武士道」に、興味深い記述があります。
 
 「信仰の道から遠ざかっていくキリスト教徒がいた。そのとき牧師の説教は彼の堕落を救うことができなかった。しかしかつて彼が主に対して誓った忠誠、すなわち忠義に訴えられると、彼は信仰の道に復帰せざるをえなかったのである。『忠義』という一語が、なまぬるく、あいまいな状態に置かれていたすべての品性ある感情を復活させたのだ」(奈良本辰也訳「武士道 武士道はよみがえるか(177p)」三笠書房)。
 
 奈良本辰也訳の「忠義に訴えられると、彼は信仰の道に復帰せざるを得なかったのである」は、戦前の矢内原忠雄訳では「翻然(ほんぜん)として信仰に復帰した」と訳されています。
どちらがよりよく原文の意図を伝えているかはわからないのですが、「翻然として」、つまり心を翻(ひるがえ)して信仰に立ち返ったという矢内原の訳には、心を惹かれます。
 
振り返って見れば私の場合も、あれほど毛嫌いしていたキリスト教をなぜすんなりと受け入れることができたのかと思いますと、中学生時代によく見ていた東映の時代劇の影響があったのかも知れません。
忠臣蔵などに見られる「主君に忠」という思いが、「主」=創造者なる神、という図式を抵抗なく受け入れことになったのかとも思うのです。
 
 見方によればアブラハムこそ、「武士道」の体現者であったということが出来るかも知れません。あるいは「武士道」の起源はアブラハムにあるということも可能かと思います。
少なくとも、主である者への忠誠心という観点から言えば、アブラハムと「武士道」には共通点があるといえるからです。  
 
アブラハムにとって、自らに対する主権者、主人は主なる神でした。だから「アブラハムは主が言われたようにいで立った」(4節)のでした。
行く先にたとい、危険と困難が待ち構えていようと、彼自身の「主が言われた」から彼は「いで立った」のです。
 
後年、ヘブル人への手紙の著者はこの時のアブラハムを以下のように記述します。
 
「信仰によりてアブラハムは召されしとき嗣業(しぎょう)として受くべき地に出(い)で往(ゆ)けとの命に遵(したが)い、その往く所を知らずして出で往けり」(ヘブル人への手紙11章8節 文語訳)
 
 「その往く所を知らずして出で往けり」、そして旅人となったアブラハムには、主なる神ご自身が、日本政府発行のパスポートにはるかに優る保証として同行してくれたのでした。
 
 私たちもまた、この世では天の御国に向かって歩み続ける旅人、また寄留者として、信仰の祖に倣いたいと思うのです。
 
 
2.信仰の祖は、保証がないにも関わらずただ神の言葉を信じた
 (信頼ということ)
 
 こうして、アブラハムは「その往く所を知らずして」妻のサラと、そして甥のロトと共に、カナンへと旅してきました。
 
「アブラムは妻サライと、弟の子ロトと、ハランで得た人々とを携えてカナンに行こうとしていで立ち、カナンの地にきた」(12章5節)。
 
 「ハランで得た人々」とありますが、この「人々」の原語が通常、「魂」と訳されている「ネフェシュ」というヘブライ語であることから、それはハランにおける改宗者であるとする解釈があるのですが、それは穿ち過ぎた見方であって、これはおそらく、しもべとか召使いなどを指していると思われます
 
ただ、あえて「ネフェシュ」という言葉が使用されていることから、彼らをアブラハムが人格を持った存在、一族の一員として考えていたということが想像されます。
そしてもしもそうであるならば、口では「神様、神様」と言いながら、黒人奴隷を人間としてではなく牛馬のように扱った南北戦争までの米国のピューリタン(清教徒)とはえらい違いです。
 
 ここで大事なことは、アブラハムに主なる神が同行をしていたということでした。神がカナンのシケムという所でアブラハムに現われて、「この地をあなたの子孫に嗣業として与える」と語ってくれたのです。
 
「アブラムはその地を通ってシケムの所、モレのテレビンの木のもとに着いた。そのころカナン人がその地にいた。時に主はアブラムに現われて言われた、『わたしはあなたの子孫にこの地を与えます』」(12章5〜7節前半)。
 
 そうは言っても、神から証文を授けられたわけでもありません。ただ、言葉を与えられただけでしたし、アブラハムもまた、念書を神に要求することもありませんでした。ただ、語られた言葉を神の約束として信じたのでした。
 
言葉を信じる、ということが信頼関係の本来の基礎でした。そして言葉の重みを最も知り、かつ信じていたのが昔の日本人であったのです。
 
 前出の「武士道」において新渡戸稲造は、武士の社会では言葉が重要であったことを、「武士の一言」という有名な言葉を用いて説明しています。
 
「『武士の一言』…は、断言したことが真実であることを十分に保証するものであった。このような語句があるように、武士の言葉は重みをもっているとされていたので、約束はおおむね証文なしで決められ、かつ実行された。むしろ証文は武士の体面にかかわるものと考えられていた。『二言』つまり二枚舌のために死をもって罪を償った武士の壮絶な物語が数多く語られた」(前掲書「誠」―なぜ「武士に二言はないのか?」72p)。
 
 神は二枚舌を使うようなお方ではない、という確信がアブラハムにはあったのでしょう。まさに「神に二言は」ない、のです。
 
 現代に続くパレスチナ問題の原因となったのは、英国の二枚舌どころか三枚舌外交であるとされています。これについても、近々、お話ししたいと思います。
 
人は自分を基準にして物事を推し量るという傾向があります。約束は必ず守る、という生き方をモットーとしている人は、自分がそうだから相手もきっと守るに違いないと思うのですが、しかし、約束をしばしば破る、という人は、自分がそうだから人も約束を破るに違いないと思って、人を信じることが出来ない、のだそうです。
 
そしてこの論理を信仰に当てはめれば、「神なんか信じられない」と嘆く人は、実は私自身が信頼できない人間なのだと告白しているようなものだ、ということになるのです。
 
アブラハムは自身が誠実であったがゆえに、況してや神が前言を翻すようなことは想像することができなかったのでしょう。
信仰の祖は、神への信頼のゆえに、何の保証がなくても神の言葉を信じた人であったのです。
 
 なお、神がアブラハムに「あなたの子孫にこの地を与えます」と言ったことを根拠にして、カナンすなわち後のパレスチナの土地はアブラハムの子孫であるユダヤ人に与えられている、だから一九四八年のイスラエルの建国は聖書の預言の成就であるという考えを持つ人々がいるのですが、それははっきり言って間違いです。そのことについては追い追いと説明いたします。
 
 
3.信仰の祖は、行く先々で祭壇を築いては主の御名を呼んだ
 (礼拝ということ)
 
 そしてアブラハムは、その信仰の表明のしるしとして、行く先々で祭壇を築いては、主の名を呼んだのでした。
 
「アブラムは彼に現われた主のために、そこに祭壇を築いた。彼はそこからベテルの東の山に移って天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。そこに彼は主のために祭壇を築いて、主の名を呼んだ」(12章7節後半〜8節)。
 
 「祭壇」(7、9節)と訳されたヘブル語は、新聖書大辞典によれば本来は、「『屠殺(とさつ)する場所』すなわち供犠(くぎ)の獣をほふるために築いた場所を意味し」たとのことです。
 
アブラハムは「祭壇を築いて」(8節)、そこに神への生け贄を捧げて「主の名を呼んだ」(同)、つまり神を礼拝したのでした。
その生け贄が罪のためのものなのか、それとも感謝の表明のしるしなのか、この時点ではまだ判然とはしませんが、アブラハムの子孫として誕生したイエスにより、罪のための生け贄は既に捧げられていますので、私たちが礼拝において捧げる供え物はすべて、感謝のしるしとしての讃美の捧げ物です。
 
「わたしたちには一つの祭壇がある。…だから、イエスもまた、ご自身の血で民をきよめるために、門の外で苦難を受けられたのである。…だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。そして、善を行うことと施しをすることとを、忘れてはいけない。神はこのようないけにえを喜ばれる」(ヘブル人への手紙13章10、12、15、16節)。
 
なお、カナンに到着したアブラハムが「シケム」から「ベテル」、そして「ベテル」から「アイ」へと移動したのは、彼が家畜を飼う遊牧民であったからでした。
遊牧民にとって牧羊はとりわけ重要な働きでした。後年、出エジプト後のイスラエルはカナンに定住してその産業形態も農耕へと移っていきますが、それでも牧畜、とりわけ牧羊はイスラエルの伝統産業であり続けました。
 
そしてアブラハムの子孫であるダビデ王もまた、若きころは羊を養う羊飼いだったのです。そのダビデがつくったとされる詩篇が二十三篇で、神と民との関係を羊飼いと羊に喩えて、神の守りの豊かさと力強さを歌います。
 
「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる」(詩篇23篇1、2節 766p)。
 
最近、この詩篇二十三篇全節をもとにした讃美「主の愛は私を慰め(Surely Goodness and Mercy)」を思い出しました。この讃美は私が神学校に入った年に行われた教団主催の全国聖会において、特別講師の夫人が独唱をしてくれたものですが、特に折り返しは二十三篇六節そのままに曲をつけたもので、聞く者の信仰を励まします。
 
「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追ってくるでしょう」(23篇6節 新改訳)。
 
なお、この讃美はビリー・グラハム国際大会における定番の讃美で、一九六七年に英国で行われた大会において、福音歌手のベバリー・シェーが数百人の聖歌隊をバックにしてこの讃美を朗々と歌い上げている映像をyou tubeで視聴することができます(George Beverly Shea-Surely Goodness And Mercy)。
  
ベヴァリー・シェーについては昨年四月二十九日の日曜礼拝説教、「卑しい上昇志向から聖なる向上心へ」で触れていますので、よろしかったら読み返してみてください。
 
また私たちの教会でも、この三月三十一日に行うイースター礼拝で宇田川智加姉がこの讃美を独唱をしてくれることになっていますので、楽しみです。
 
「その往く所を知らずして出で立った」アブラハムでしたが、カナンの地においてもその行く先々で、祭壇を築いては守り手であり、導き手である主なる神を礼拝し続けました。そして自分の日々を、神の恵みといつくしみが絶えず追いかけてきてくれていることを、アブラハムは実感し続けたのでした。
 
わたしたちもまた、日曜日の礼拝はもとより、家で、職場で、教室で、その行く先々で、朝に夕に、目に見えない「祭壇を築いて」は、信仰の祖であるアブラハムのように、「主の名を呼」(9節)ぶ者でありたいと思います。
そしてその「祭壇」にはかつて、罪なき神の小羊であるイエス・キリストが私たちの罪の償いのために奉げられたということを、片時も忘れないでいたいものです。


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