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2012年礼拝説教
2012年礼拝説教 : 2012年11月25日日曜礼拝「尊い決断は孤独の中でなされた―ゲッセマネの園で」マルコによる福音書14章32〜42節
投稿者 : famillia 投稿日時: 2012-11-25 16:51:14 (1236 ヒット)
2012年礼拝説教

2012年11月25日 日曜礼拝説教

「尊い決断は孤独の中でなされた―ゲッセマネの園で」
   
マルコによる福音書14章32〜42節(新約聖書口語訳77p)
 
 
はじめに
 
 日和見(ひよりみ)を意味する「洞ヶ峠(ほらがとうげ)を決め込む」という慣用句の「洞ヶ峠」は、京都府の八幡市と大阪府の枚方市との間にある峠です。
 
伝えられるところでは、織田信長を討った明智光秀から助勢を要請された大和郡山の城主、筒井順慶が、この峠まで兵を進ませながら、最後の段階で明智光秀と羽柴秀吉のどちらに付くかを見定めるべく日和見をした峠として有名になりました。
 
 しかしこれは俗説であって、実際には筒井順慶は洞ヶ峠には行っていないのですが、洞ヶ峠からは京都、大阪が一望できるところから、この俗説が生まれたようです。筒井順慶こそ、いい迷惑です。筒井順慶は三十六歳という若さで亡くなりますが、教養のある立派な武将であったとのことです。
 
 十一月十六日に衆議院が解散しましたが、その後、計十四もの党が乱立し、戦国時代さながらの合従連衡(がっしょうれんこう)、離合集散が繰り返されております。十四の党名を言える人は相当の政治通だそうです。
新党が出来たと思ったら次の日には勢いのある新勢力と合併したりと、何が何やらわからない状態のところに、政権与党を見限った議員さんたちが、あたかも沈む船から逃げ出すネズミのように次から次へと離党し、ある者は有力と言われる第三極とやらの勢力に加わり、ある者は新党を立ち上げるなど、かつてないような混乱が現出しています。
 
 一方、離党せずにそのまま中に止(とど)まっている議員さんの中にも、「止まっても地獄、出ても地獄」の状況の中で、「ならば止まるしかない」との選択をした人、せざるを得なかった人も多いといわれています。
しかし、問題はその動機と目的です。誰もが国民の幸福、国家の繁栄を強調しますが、本音のところは自らが生き残れるかどうかで出処進退の判断を下しているかのように、有権者に見えてしまう、そこがこの国の今の政治状況です。
 
秀吉が光秀を破って天下統一のきっかけとした「山崎の戦い」から二十年後、英国において、ウィリアム・シェイクスピアが悲劇「ハムレット」を書き上げました。
 
デンマークの王子ハムレットは、父の急死の直後に母親と再婚した父の弟の叔父が、実は王位を纂奪するために父王を毒殺したことを知って、「To be, not to be:that is the question(生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ)」という有名な台詞を発するのですが、これには実に多くの日本語訳が充てられています。
 
有名なのは坪内逍遥の「存(ながら)うか、存(ながら)へぬか、それが疑問ぢゃ」という訳で、以後、ほとんどの訳はこれに従って、生きるか死ぬか、どっちにするかが問題だ、つまり、「自分にとってはどっちの方が楽なのだろうか」という意味で訳しています。
 
これに対して、ハムレットが自分の父を殺し、母を奪った叔父に復讐をするかどうかで悩んでいるということから、「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」と訳したものもあるそうで、その場合、「問題」になっているのは叔父に対してハムレットが復讐という行為に踏み切るべきか否かということになります。
どちらにせよ、ハムレットが二つのものの間で板挟みになって悩んでいるということは確かですが、その「問題」とはあくまでも、自分の気持ちを満足させるにはどちらがよいかという悩みのようです。
 
しかし、今から二千年前、「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と悩み抜いた末に、ついに死ぬことを決断した人がいたのです。それがキリストであるイエスでした。
 
多くの人は、「イエスは誰よりも深く死を恐れた人だった」と言ったら、不思議に思うと思います。
しかし、人であった時のイエスは、死を、とりわけ罪びととしての十字架の死を恐れました。できることなら、十字架の死という道を通らないで人類の救済を実現することができないものかと、自問自答をし、何度も神に祈ったのでした。
 
今週の礼拝では、オリブ山のゲッセマネにおけるイエスの祈りを通して、イエスが孤独の中でくだした尊い決断について考えたいと思います。
 
 
1.人であったイエスは、深い孤独の中で死の恐怖と向き合い続けた
 
 過越(すぎこし)の食事を終えたイエスと弟子たちは、最後に讃美を歌い、それからオリブ山へと出かけて行きました。
 
「彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へと出かけて行った」(マルコによる福音書14章26節 新約聖書口語訳77p)。
 
 彼らが食事の最後に歌った「さんび」(26節)とは、「主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」で始まる詩篇百三十六篇であったと思われます。
 
 イエスと弟子たちが向かった「オリブ山」(同)は、ケデロンという名の谷を挟んで、エルサレムのすぐ東側にある小高い山で、山全体にオリーブの木が植えられていることから名づけられたようです。
 
山を少し上った所には、油搾りを意味する「ゲッセマネ」という名の庭園がありました。そこはイエスのお気に入りの祈りの場であったようです。
 
 ユダの裏切りにより、イエスの逮捕は時間の問題となっていました。それでもイエスがしたことは逃亡することでもなく、抵抗のための作戦立案でもありませんでした。
到来するであろう危機を目前にしてイエスがしたことは何かと言いますと、祈りの場に身を置くことであったのです。
 
「さて、一同はゲッセマネというところにきた。そして弟子たちに言われた、『わたしが祈っている間、ここにすわっていなさい』。そしてペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて行かれたが、恐れおののき、また悩みはじめて、彼らに言われた、『わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい』」(14章32〜34節)。
 
 この「ゲッセマネ」(32節)の園でイエスは「恐れおののき、また悩むはじめ」(33節)、弟子たちに対し、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである」と胸中に生じている恐怖と苦悩の思いを告げております。
あのイエスが、です。イエスは何を「恐れ」(32節)、何に「おのの」(同)いていたのでしょうか。
 
 イエスが恐怖を感じていたもの、それは死ぬことに、でした。「そんなことは信じられない、あのイエスさまが死を恐れるなんて」と思う人がいるかも知れません。しかし、そのように思う人は、実は死というものが何かということがまだよくわかっていない人なのです。
 
 オスカー・クルマンというスイス出身の新約学者がいました。この人の書いた「霊魂の不滅か死者の復活か」(岸千年・間垣洋助訳 聖文舎刊)という短い論文を読んで、イエスが死を恐れたということの深い意味を初めて知りました。
 
 クルマンはこの論文の中で、「霊魂不滅」の思想はギリシャ思想であって、キリスト教の教えではない、キリスト教はあくまでも「死者の復活」をもって救済としている、ということを解説し、そこから死というものをめぐって、イエスと紀元前五世紀後半に活躍した、古代ギリシャの偉大な思想家、哲学者であるソクラテスとを対比します。
 
ソクラテスは裁判にかけられました。彼の告発者は、スパルタとの戦い(ペロポネソス戦争)においてアテネが敗北したのはソクラテスが間違った教育を施したことによって若い指導者たちが惑わされたからであるとし、死刑を求刑します。
 
結果、裁判はソクラテスの死刑で終結するのですが、ソクラテスの対応によっては死刑ではなく、死一等を減じられる追放処分になる可能性もありました。しかし、ソクラテスは信念を曲げず、また死を恐れることもなく、自ら毒杯を呑んで従容(しょうよう)として死を受け入れたというのです。
これに対し、イエスは死に対して「おそれおのの」(33節)いています。
 
クルマンは言います、この違いはなぜかと言うならば、それは死に対する両者の理解の違いにあったのだ、と。
 
ソクラテスにとって死とは、たましいにとって引っ越しをするようなものだったようです。ソクラテスの死後、弟子のプラトンがまとめた裁判の記録(これは「ソクラテスの弁明」として知られています)によれば、ソクラテスはこう言っています。
 
「死ぬということは、次の二つのうちの一つなのです。あるいは、全くない無(む)といったようなもので、死者は少しも感じないのか、あるいは、言い伝えにあるように、それはたましいにとって、ここの場所から他の場所へと、ちょうど場所をとりかえて、住居を移すようなことになるかなのです。
 
そしてもしそれが、何の感覚もなくなることであって、人が寝て、夢ひとつ見ないような場合の、眠りのごときものであるとしたら、死とは、びっくりするほどの儲けものであるということになるでしょう」(「ソクラテスの弁明」田中美知太郎訳 河出書房新社)
 
 「ソクラテスの弁明」によれば、ソクラテスにとって死とは、「びっくりするほどの儲けもの」であったというのです。
 実は、古代のギリシャ人は、地上の肉体は魂にとっては牢獄のようなものであって、だから死とは魂を自由へと解き放つ救済の道であると考えていたようでした。
それが「(死とは)たましいにとって、ここの場所(地上)から他の場所(天上)へと、ちょうど場所をとりかえて、住居を移すようなこと」というソクラテスの述懐に表れているのです。
 
 しかし、イエスの理解は違います。イエスにとって人の死とは神の住む天に移ることではなく、命の神との交わりからの切断であって、死は救済どころか永遠の滅びを意味しました。
 
しかもこの時のイエスは、特に意識においては永遠の命を持つ神の御子という身分を捨てた、まさに人そのものであったのです。しかも、しかも、イエスの場合、理性、意志、感性において完全な人でしたので、人として余計、死は恐るべきもの、避けたい道であったということになります。
 
 そしてそれが父なる神に向かって、「もしも出来ることであるならば、このような場面を回避させてください」という願いとなり、人類の救済にあたって「十字架の死という道とは別の道はないものでしょうか」という祈りとなったのでした。
 
「そして少し進んで行き、地にひれ伏し、もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、そして言われた、『アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください』」(14章35、36節前半)。
 
 しかもこの時、イエスを支えるべき弟子たちは何と眠り込んでいたのでした。
 
「それから、きてごらんになると、弟子たちが眠っていたので」(14章37節前半)。
 
 イエスは孤独の中で、死の恐怖と向き合い続けていたのです。そして、それはご自分のためではなく、人類のため、そしてこの私のためであったのでした。
 
 今日、深い孤独の中で死と向き合い続けたゲッセマネのイエスを思う者でありたいと思います。
 
 
2.人であったイエスは、神の意志が我が身に実現するようにと苦悶の中で祈った
 
 覚悟してきたとはいえ、イエスにとって死は耐え難いことでした。しかしイエスは孤独の祈りの中で、意志的に告白します。それは、「もしも十字架の死という方法以外で人類を救済することができないのであれば、父よ、わたしはあなたのご意志に従います」という決断でした。
 
「しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」(14章36節後半)。
 
 でも、この時のイエスは「みこころのままになさってください」(36節)と祈りつつも、それはまだ理性と意志から生み出された祈りであったため、神に自らを完全に委ね切ったものとなるには、更なる祈りが必要であったのでした。
 
マルコが残した記事によればこの決断のあとも、イエスは何度も同じ言葉で祈り続けたのでした。
 
「また離れて行って同じ言葉で祈られた」(14章39節)。
 
 「イエスでさえ、そうなのか」と、凡人はついつい思ってしまうのですが、そうではなく、むしろイエスだからこそ、人として完全なイエスであったからこそ、死というものの恐ろしさを知っており、だからこそ、罪びととして死にたくはない、人として立派な人生を生きていきたいという思いと、人類の救いのため、救い主となって身代わりに死ぬということの使命の狭間で、苦しみ悶え、そして時間をかけて徐々にその尊い決心を堅固なものにしていく必要があったのでした。
 
 イエスは十字架の死という苦い「杯」(36節)を飲む義務を人に対して負っているわけではありません。また、神に対して負っているわけでもありません。
これを断ることもまたイエスの自由であり、仮に断ったとしても神がイエスに怒りを向けるというわけでもありませんし、況してや、人がイエスを責めるような筋合いのものではありませんでした。 
十字架における身代わりは、まったくのイエスの自由意志による行為であったのです。
 
 そしてイエスはただただ、神を見失っている私たちを生ける神と結びつけるために、救い主としての道を進み行こうと、自分で決めてこの場にまで来てくださったのでした。
 
このイエスの選択に、ただひれ伏して感謝を捧げるのみです。
 
 
3.人であったイエスは、尊くも人の身代わりとして死ぬことを決断した
 
 そして、苦悶の祈りの格闘の末に、理性、意志のみか深い感情を含めた心の底までの一切の思いを、ついにイエスは神に委ね切ったのでした。
 
 イエスは祈りの座から立ち上がり、そして、自分たちのために苦しんで祈っている師をほったらかしにして眠り込んでいる弟子たちを起こしながら、決然として言います、「起(た)て、われら往(ゆ)くべし」と。
 
「三度目にきて言われた、『まだ眠っているのか。休んでいるのか。もう、それでよかろう。時がきた。見よ、人の子は罪人らの手に渡されるのだ。立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた』」(14章41、42節)。
 
 
イエスの決断はある種の気分の昂揚や、過度の興奮状態によるいっときの決心などではありませんでした。またソクラテスのように、死を救済と考えるような楽天的死生観によるものでありませんでした。
それは人の死の、とりわけ神から切り離された状態における死の底知れぬ恐怖を十分に認識した上での決断だったのです。
 
しかもその苦しみは自分のためではありませんでした。愛されるに値しない者への想像を超える愛、それがイエスの決断の動機であったのです。まことに尊い、他に比肩するもののない有り難い決断でした。
 
その犠性は、損得で考えれば到底割に合わない行為でもありました。でもイエスは神に対する信仰と従順、人類に対する愛と憐れみのゆえに、この恐るべき葛藤に勝利して、十字架の死、屈辱の死という「杯」(36節)を一滴残らず飲み干すために、祈りの座から立ち上がり、十字架へと踏み出してくださったのでした。
 
先週のはじめ、説教準備のためにゲッセマネの園のイエスについて思いめぐらしていたとき、「主とします」という讃美の断片が心に浮かびました。讃美であることはわかったのですが、タイトルどころか前後の歌詞も思い出せません。そして一日経って、それが「この世の光となられ」という讃美であることがわかりました。
 
この世の光となられ 心の目開け 
あなたを慕う心と希望与えた 
 
み前に伏し 礼拝して主とします あなたを
愛おしい方 相応しい主 奇しい私の主 
 
量り知れぬその十字架の代価を 
私の代わりに 罪を負われた
 
 「わたしの代わりに罪を負」う決断、尊くも有難い決断ををしてくれたイエスを生涯にわたって、そしていつでもどこででも「み前に伏し、礼拝して主とします あなたを」と告白をして、その一日を始める者は幸いです。


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