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2012年礼拝説教
2012年礼拝説教 : 2012年4月22日日曜礼拝「イエスの愛、勇気、そしてその大いなる犠牲」マルコによる福音書10章32〜34節
投稿者 : famillia 投稿日時: 2012-04-22 16:04:57 (856 ヒット)
2012年礼拝説教

  2012年4月22日  日曜礼拝説教

「イエスの愛、勇気、そしてその大いなる犠牲」 

 マルコによる福音書10章32〜34節(新約聖書口語訳69p) 
 
  
はじめに
 
 今週土曜日の四月二十八日は日本国にとって特別な日です。この日は日本という国が被占領国であった立場から脱却して主権を回復した記念日だからです。
 
一九四五(昭和二〇)年八月十五日、ポツダム宣言を受諾して降伏することを天皇が国民に向かって表明し、翌月の九月二日、東京湾に浮かぶ米戦艦ミズーリ号の上で行われた降伏文書への署名により、日本の敗戦が決定しました。
 
そして六年後の一九五一(昭和二十六)年九月八日、連合国と日本国との戦争状態を終結するための平和条約(正式名称「日本国との平和条約」)が米国サンフランシスコで締結され、その半年後の、ちょうど六〇年前の一九五二(昭和二七)年四月二十八日、平和条約の発効により、日本国の主権が回復されたのでした。
言うなれば、四月二十八日は我が国の再独立記念日であるわけですから、国民が挙(こぞ)って祝う祝日にしてはどうかという意見も上がっております。
 
 ところで七年近い占領中、GHQ(連合国軍総司令部)が占領政策において狙ったことは、いわゆる「自虐史観」という歴史観を植え付けることによって、日本に生まれたことを恥ずかしいと思うような気持ちを日本人に持たせることであり、それによって日本人としての誇りを失わせて、今後二度と日本が米国に刃向かうことがないようにすることでした。
 
その結果、GHQの指令によって戦前とは較べものにはならないくらいの検閲が行われました。自由を標榜する国によって行われたこの言論封殺はGHQの汚点として後世に論(あげつら)われることとなりますが、この「自虐史観」の浸透に協力したのが、マルクス主義者が多く入りこんでいたとされる当時の大手の新聞と全国組織の教職員組合であったと言われています。
 
ところが占領末期に至り、朝鮮戦争において共産主義の脅威に直面した最高司令官ダグラス・マッカーサーは己の判断の過ちに気付きます。
そしてGHQ司令官などの公職をトルーマンによって解任された直後の一九五一年五月三日、米国上院軍事外交合同委員会の聴聞会において彼は、
「(連合国による日本に対する経済封鎖により)もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万人から一千二百万人の失業者が日本で発生するであろうことを彼ら(日本政府)は恐れた。したがって、彼らが戦争に駆り立てられた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった
と発言したのでした。
 
「安全保障上(セキュリティ)の必要に迫られてのこと」というのはどういう意味かと言いますと、それが自衛のための戦争であったということであって、つまり、あの大東亜戦争(太平洋戦争)は侵略を目的とした侵略戦争などではなかった、という意味になるのです。
 
マッカーサーはこの聴聞会で、共産主義の脅威について述べると共に、米国が中国について取った政策の過ちについても述べています。
過去百年間に太平洋地域で我々(米国)が犯した最大の政治的過ちとは、共産勢力を中国で増大させたことであるというのが私の個人的意見である。これは根本的な問題であり、次の百年間に(米国はその)代償を払わなければならないだろう
 
つまりマッカーサーは中国とりわけ満州における日本の活動が、共産主義勢力の浸透を防ぐためのものでもあった、しかし、にも関わらず、その日本を戦争に巻き込んだことは、米国が犯した「過ち」であったのではないかと指摘しているのです。
実は当時、長期間にわたって、米国の政治的中枢には共産主義者が入りこんでいて、政治的決定に影響を与えていたことが最近の研究でわかってきたそうです。
 
話しを元に戻しますと、東京都が毎年、都立高校の新一年生に配付している日本史の教材の平成二十四年度の改訂版に、この「マッカーサー証言」が掲載されたという報道がありました。
公教育の教材にこのような事実が掲載されることはこれまでなかったことでもあり、これは、日本は悪いことばかりをしてきたのだという「自虐史観」を長きにわたって植え付けられてきた日本人にとっては、自国に誇りを持つきっかけとなる画期的な出来事であるといえます。
もちろん、過日の戦争は多くの悲劇を生みましたし、日本にも過ちや反省すべきことが多くあることは事実です。しかし、日本人は自国の歴史や文化、業績に対して、もっともっと誇りを持ってよいのです。
 
誇りと言えば、救い主イエス・キリストです。パウロはコリント教会に対して「誇る者は主を誇れ」と書きました(第一の手紙1章31節)。 
 
内村鑑三が、「自分は二つのJを愛する」と言ったということはあまりにも有名ですが、内村は一九〇一年の第二回夏期講談会においてマルコ福音書を講義し、その中で
「われにうるわしき名二つあり。二者ともにJをもって始まる。イエス(Jesus)なり、日本(Japan)」なり。われはこれを称して二つのJという。われの宗教はこの二者を離れて存在せず。イエスのためなり、日本のためなり。イエスの栄光をあらわさんため、日本の名誉を傷つけざらんためなり。わが夏期講談会もこれら二つの美しき名のために開かれしなり」
と語ったといいます。
内村の中では、イエスと日本という二つのJは愛と誇りの対象であったのです。
 
私たちは日本人として、あるいは日本という国に深く関わってきた者として、内村鑑三のように日本を誇ると共に、もっともっとイエスを誇るべきであることを、今週の礼拝で確認をしたいと思うのです。
イエスこそ、わたしたち人類への愛において、そして犠牲を厭わなかった勇気ある行動において、私たちがもっともっと自慢をしてよいお方だからです。
 
なぜイエスを誇るのか、イエスははじめの愛を人のために最後まで貫いたからであり、またその愛を基として、私たちのため、最後まで勇敢に振る舞ったから、それが、イエスを誇る理由です。
 
 
1.イエスは初めの愛を貫いた
 
 神への愛にせよ、人への愛にせよ、愛を始めることはそれ程困難なことではありません。難しいのはその愛を貫くこと、愛の気持ちと姿勢とを最後まで持続することです。
 
 イスラエルの民もエジプトでの惨めな奴隷状態から救われて、約束の地、父祖の地であるカナンの地(その後のパレスチナ)に導かれた頃の心理は、まさに「感謝、感激、雨、霰(あられ)」という状態であり、自分たち民族に対する神の選びの愛に対して、信仰による愛で応えようとしていたものでした。
 
でも時が経ち、恵みに慣れるにつれてその愛も薄れ、神への背信を深めていくようになりました。これを憂えた神は預言者を遣わして神に帰るようにと呼びかけました。
 
「背信の子どもたちよ、帰れ。わたしはあなたがたの背信をいやす」(エレミヤ書3章22節 旧約聖書口語訳1049p)。
 
しかし、神の呼びかけは無視され、その結果、麗しの都エルサレムは大国バビロニアによって侵略されて、あの壮麗を極めたソロモンの神殿もバビロニア軍の攻撃によって崩壊、炎上し、指導者たちは捕虜としてバビロニアに連行されていくという(これをバビロン捕囚と言います)悲惨な状態に陥り、紀元前五八七年、国家は滅亡してしまいました。
せっかく神の民に選ばれながら、初めの愛を持続することに失敗したのがユダヤ人の先祖のイスラエルの民だったのです。
 
 「言行一致」という言葉があります。言うこととやることが一致しているという意味です。イエスは文字通り、言行一致のお方でした。
イエスは最後の晩餐の席で、弟子たちに対して愛について説きました。
 
「わたしのいましめはこれである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。人がその友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネの福音書15章12、13節 167p)。
 
 そしてわたしたち神に背いてきた人類を愛のゆえに「友」と考え、そして「その友のために」その教えの通り、自分の大事な命を捨てられたのがイエスでした。イエスこそ人として、初めの愛を最後まで変えることなく貫き通したお方だったのです。
そしてその現われが、過ぎ越しの祭りが近づいていた紀元三十年の初春の行動でした。マルコは、イエスがエルサレムに向かって弟子たちの前を先頭に立って進み行かれる姿を簡潔に描写します。
 
「さて、一同はエルサレムへ上る途上にあったが、イエスが先頭に立って行かれたので、彼らは驚き怪しみ、従う者たちは恐れた」(マルコによる福音書10章32節前半 新約聖書口語訳69p)。
 
 イエスは愛を貫くため、また愛のゆえに、辱めと悲惨な死とが待つエルサレムに向かって、ただ真一文字に進み行かれたのです。
 
 
2.イエスの勇気は愛が生み出した
 
 エルサレムはユダヤ人にとっては憧れの都ですが、イエスにとっては侮辱と背教者としての宣告と、そして非業の死とが待つ場所でした。
 
「するとイエスはまた十二弟子を呼び寄せて、自分の身に起ころうとすることについて語りはじめられた、『見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に引きわたされる。そして彼らは死刑を宣告した上、彼を異邦人に引きわたすであろう。また彼をあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺してしまう。そして彼は三日目によみがえるであろう』」(10章32節後半〜34節)。
 
惨(むご)い結果が待つエルサレムにイエスを向かわせたものは、何とかして人類を救済したいと願う父なる神の心情への共感と、滅びゆく人間への愛でしたが、その愛こそが死を遂げることさえも恐れさせない勇気となりました。
 
もともとイエスは神の御子ですが、この時は私たちと同じ人間です。死にたくはなかったでしょうし、できれば人として普通の人生を生きたかった筈です。でも、イエスが普通の人生を生きることになったならば、神の律法を守り切った人として自分は永遠の滅びを免れたとしても、私たち罪人(つみびと)は永遠の命に与ることができず、滅びの道を辿るしかありません。
そこでイエスは愛が生み出した勇気を振って、汚辱の十字架が待つエルサレムに向かって進んで行かれたのでした。
 
勇気には二種類あります。
一つは蛮勇と言われるものです。侮辱されたと思った時、後先を考えず、感情に任せて自分の力を見せようとするものです。
 
そしてもう一つが真の勇気であって、後先や全体を考えておのれを殺し、大局的な観点から行動させるものです。
その代表がマリヤの夫のヨセフでした。彼は救い主の母となるマリヤと、救い主となる幼子の保護者として選ばれたことを自らの使命として自覚し、人々の蔭口や嘲笑をものともせずに、神への忠誠とマリヤへの愛情から、マリヤの夫という立場、イエスの養父であるという役割を貫き通したのでした。
 
このヨセフについては、山口百恵と三浦友和の結婚式を司式したことで一躍有名になった霊南坂教会の飯(いい)清牧師が、その著書「飼葉おけと十字架」の中の「勇者ヨセフ」と題した小説教において言及しています。
 
神はその独り子を世に遣わすにあたって、母となるべき女性を選ぶよりも、いわば養父として保護者の役目を果たす男性を探すことのほうにはるかに骨を折られたのではないかと思うのです。もしこのヨセフのような思慮深い協力者与えられなかったら、マリアはとうてい『救い主の母』という大任に耐えられなかったのではないでしょうか
 
まさにヨセフこそ真の勇者、男の中の男でした。そしてイエスもまた、この養父ヨセフの生き方を尊び、人類への愛のゆえに神から課せられた使命を、勇気をもって実行しようとしたのでした。
 
 
3.イエスの勇気は犠牲を厭わないものであった
 
  純粋な愛から生み出された勇気は、犠牲を払うことを厭(いと)いません。
このあとエルサレムに向かったイエスはご自分の言葉通りに、エルサレムの最高法院(サンヒドリン)においては神を(けが)したという罪状で有罪判決を受け、ローマの法廷では国家反逆罪の廉により死刑の判決を受け、十字架に架けられて処刑されてしまいます
 
しかしその犠牲こそが、四月一日の棕櫚の日礼拝と八日の復活祭礼拝においてお語りしたように、人類の罪と罰の身代わりとしての犠牲として神に受け容れられて、これを我がためとして信じる者を永遠の滅びから救うこととなったのでした。
 
 このイエスの犠牲について使徒のペテロは、イエスの十字架の死から三十数年が経った紀元六十四年頃に、迫害を逃れて各地に離散しながらなおも信仰にとどまっていた信徒たちに書き送った手紙の中で、言及をしております
 
「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。さらにわたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたはいやされたのである」(ペテロの第一の手紙2章21節〜24節 368p)。
 
 愛は真の勇気を生み出します。そしてまことの愛が生み出した勇気は愛する者のために犠牲を払うことを厭(いと)いません。それでいて犠牲を払った本人は払った犠牲を犠牲とは決して思わないものなのです。イエスは十字架に架かることを父なる神から強要されたわけではなく、自らの意志で自発的に架かったのでした。
 
ある人は怒って言います、「オレはキリストに、十字架にかかってくれなどと頼みもしていない。キリストは勝手に死んだのだろうが。オレには何の関係ない」と。
しかし、「頼みもしていない」のに、この私のために自分から死んでくれたからこそ、イエスの犠牲はより尊いのです。
 
私たちが誇るべきお方はこのイエスをおいて他にはありません。
 十字架に向かって先頭切って進んで行かれるイエスの跡に従うも、それを眺めて見送るもそれぞれの自由です。しかし、その自由の権利をイエスの胸中、心情を想像しながら、賢く行使する者こそ、最も幸いな者なのです。


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