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投稿者 : famillia 投稿日時: 2016-07-24 16:35:59 (848 ヒット)
2016年礼拝説教

16年7月24日 日曜礼拝説教 

 

詩篇を読む 「滅びの嵐の過ぎ去るまでは、神よ、私はあなたをわがシェルターとします」

 

詩篇57篇1〜3節(旧約聖書口語訳)

 

はじめに

  先週は詩篇四十六篇から、神こそが弱い立場にある者たちにとっては、永遠に変わらぬ「避け所」つまり避難所であることを確認しましたが、「避け所」を避難所とするよりもむしろ、シェルター、と呼んだ方がより適切な場合もあります。 

例えばDV(ドメスティック・バイオレンス)、つまり配偶者などからの暴力や虐待で苦しんでいる女性を一時的に緊急避難させる、いわゆる隠れ家などを指す場合です。
そこで今週は神をシェルター、隠れ家として呼び求めた詩篇の告白を通して、人生における危急の際の適切な逃れ方について学びたいと思います。タイトルは「滅びの嵐の過ぎ去るまでは、神よ、私はあなたをわがシェルターとします」です。

 

1.滅びの嵐から弱者を匿う堅固なシェルター
 
 テレビの草創期に、「事実は小説よりも奇なり」という決まり文句で始まる番組がありました。番組名は「私の秘密」で、司会者は高橋圭三というNHKの国民的アナウンサーでした。
 
 ところで人は時には「事実は小説より奇なり」を地で行くような出来ごと、まさに想定外ともいうべき災いに遭遇する場合があります。
 とりわけ、人に対して誠実に接し、義務を果たしてきたにも関わらず、その相手から理不尽な仕打ちを受けて二進も三進もいかなくなってしまったなどという場合などは、思わず、神も仏もいないのか、などど叫びたくなることでしょう。
 
 実は統一イスラエルの初代の王となったダビデも、その若き時代にそのような悲哀を経験したものでした。
 ダビデがまだ羊飼いであった時、彼は戦場において単身、自ら進んでガテのゴリアテという巨人に戦いを挑み、そして人々の予想に反してこれを撃破するという武勲を挙げました。(3月16日日曜礼拝説教「信仰を生きた人々 人の目には不可能と見えることを可能にする信仰ーダビデは大能の神への信仰によって、巨人のゴリアテに敢果に立ち向かった」)。
 
このあと、その卓抜した勇気と軍事的能力を見込まれて軍人として働くようになったダビデは、サウル王に対して忠誠を果たし続け、文字通り命がけで戦場に赴き、死地を潜り抜けてサウル王に勝利と栄光をもたらしました。
 
「ダビデはどこでもサウルがつかわす所に出て行って、てがらを立てたので、サウルは彼を兵の隊長とした」(サムエル記上18章5節)。

  ダビデがいなかったならば、彼の貢献がなかったならば、王制に移行したばかりのイスラエル王国は根底から揺らぎ、国家体制も崩壊した筈でした。

 
苛烈な戦場で数々の勲功をあげたダビデは、イスラエルの民衆から圧倒的な支持を受け、サウル王もまた彼を信任して娘の婿とします。ダビデの青年期は順風満帆でした。
しかし徐々に暗雲が立ち込めてきます。
 
民衆によるダビデへの高い人気ぶりに対して、サウルは警戒心を抱き始めます。自分はダビデによって王の地位を奪われてしまうのではないか、と。
疑心暗鬼になり、嫉妬心に駆られるようになったサウル王は、ダビデを亡き者にしようとし、そのためダビデは国中を逃げ回ることになってしまいます。
何とも理不尽な出来事です。詩篇の五十七篇はそのような逃亡中のダビデが、死地の中で読んだものと伝えられています。
 
「これはダビデが洞にはいってサウルの手をのがれたときによんだもの」(詩篇57篇表題後半 796p)。
 
 この「ダビデが洞にはいってサウルの手をのがれた時」(表題)とは、サムエル記上の二十四章に書かれている事件を指したものと考えられます。
 サウルは、自分の前から逃亡したダビデが死海の西のユダの荒野にいることを情報によって突き止め、自ら三千の兵を率いてダビデ捜索に向かいます。
 
 
 
 そして途中、サウルは用を足すために大きな洞穴に入るのですが、何とその穴の奥にはダビデとその従者たちが息を殺して隠れていたのでした。
 ダビデにとっては災いの根を絶つ絶好の機会です。しかし神を恐れるダビデは、サウルは神が立てた王であるとして、従者たちの進言を受け入れず、サウルを見逃したのでした。
 
「ダビデは従者たちに言った、『主が油を注がれたわが君(きみ)に、わたしがこの事をするのを主は禁じられる。彼は主が油を注がれた者であるから、彼に敵して、わたしの手をのべるのは良くない』。ダビデはこれらの言葉をもって従者たちを差し止め、サウルを撃つことを許さなかった」(サムエル記上24章6、7節 420p)。
 
ダビデは神を畏れ敬うがゆえに、すべてを神に委ねていたのでした。そのために苦難は続きます。
 ダビデの寛容な取り扱いに感動して一度はダビデの追撃の放棄したかに見えたサウルでしたが、喉元過ぎれば熱さを忘れるで、また性懲りもなくダビデを追い続けます。
 そのような中で挙げられた神への祈りが詩篇五十七篇であったとされます。
 ダビデは祈ります。
 
「神よ、わたしをあわれんでください。わたしをあわれんでください。わたしの魂はあなたに寄り頼みます。滅びの嵐の過ぎ去るまでは、あなたの翼の陰をわたしの避け所とします」(57篇1節)。
 
 ここで「滅びの嵐」(1節)と訳された言葉は、新共同訳では「災い」、新改訳では「滅び」と訳されていますが、まさにそれはダビデにとって、彼の人生を壊滅させる「滅びの嵐」でした。
 
 人は真面目に生きているのに、謂われのない誤解で苦しむ場合があります。誠実を尽くしているのに嫉妬心や敵意の的になる場合があります。
 ダビデはサウルに対し、敵意には敵意で対抗することも出来ました。しかし彼は煩悶の末に従者の勧めを振り切って、神を、神の「翼の陰を」(同)自らの緊急の避難所、隠れ場、シェルターとすることを選んだのでした。
 
 人生、時には思いもよらないような「滅びの嵐」に襲われる場合があるかも知れません。でもそんな時、この詩篇の作者のように兎にも角にも、「滅びの嵐の過ぎ去るまでは、あなたの翼の陰をわたしの避け所とします」(同)と告白することのできるような隠れ家、シェルターを持っている者は幸いです。

 

2.いと高き天の神こそが真のシェルター
 
では、死地においてダビデがシェルターとして選び、助けを求めた「神」(1節)とは如何なるお方だったのでしょうか。それは寄り縋る者を死地から確かに救い出すことのできる、いと高き所にいます天地の主なる神でした。
 
「わたしはいと高き神に呼ばわります。わたしのためにすべてのことをなし遂げられる神に呼ばわります」(57篇2節)。
 
 どのような権力者もまた、いと高き神を必要とします。
 確かに弱体化しつつありますが、それでも今日、世界でもっとも影響力のある者といえばそれは、米国の大統領です。 
 
 このたび、共和党の大統領候補に指名された人物はかつて、ローマ法王から「彼はクリスチャンではない」と批判された際に、「いや、私は神を信じるクリスチャンである」とあわてて告白したものでした。
 「クリスチャンではない」などという烙印をローマ法王から押されたりしたら、キリスト教国のアメリカで大統領になることはまず不可能だからです。
 
 先週開催された共和党の大会で、大統領候補から副大統領候補にインディアナ州知事が指名されました。
 副大統領とは、現職の大統領に万が一のことがあれば、直ちに大統領に昇格あるいは、臨時に大統領権限を代行するという極めて重要な職務です。
 
 だからこそ指名された人物は指名受諾演説の冒頭で自らを「クリスチャン」、そして「コンサヴァティブ(保守派)」と告白した上で、三番目に「リパブリカン(穏健な共和党員)」であることを表明することによって、自らが副大統領に相応しい者であることを宣言したのでした。
 
この人が自身を「(穏健な)共和党員」であるとしたのは大統領候補に対するアレルギーを緩和するためだと思われますが、「保守派」といいますのは思想的には社会主義を排して建国以来の米国の伝統を保守するということです。
具体的には同性婚などには反対、という立場です。
 
そして彼が真っ先にした「私はクリスチャンである」という自己紹介は、唯一の神こそが世界を創造した創造主であって、その神の御子キリストが人類の救世主であることをシンプルに信じるキリスト教信者である、という意味なのです。
 
四十代大統領のロナルド・レーガンは、日曜礼拝にはそれ程熱心に出席してはいなかったそうですが、それでも三十五年前の暗殺未遂事件による手術の直後、二階に住んでおられる偉大なお方から命をいただいた。この命を改めて国のために捧げる」と語ったと伝えられています。
 
この「二階に住んでおられる偉大なお方」とは勿論、米国民の多くが信じ仰いでいる「いと高き神」(2節)のことでした。
 
重要な決断を迫られる立場にいる者は批判と攻撃に晒されますが、だからこそ、「いと高き神」(同)を仰ぐと共に、確かなシェルターの許に身を避け、あるいはそのシェルターによって守られているという実感を持つことが常であったのでした。
 
翻って考えれば、私たちもまた、たとい平凡で目立たない存在であったとしても、いつ何時、理不尽な目に遭わないとも限りません。そんな時、「いと高き神」(同)の「翼の陰を」(1節)を「わたしの避け所」(同)、堅固なシェルターとして持っているものは幸いです。
 
この「いと高き神」に向かって救いを「呼ばわ」(2節)る時、私たちは混乱と苦しみの中にあっても、「滅びの嵐の過ぎ去るまで」(1節)、安全と平安の中で憩うことができるのです。

 

3.いと高き天の神が、尊い救済を実現した
 
 では、この「いと高き神」ご自身に向かって呼ばわる者への救いを、どのようにして「なしとげられ」(2節)のかと言いますと、天から、すなわち、神の住まいである天から救いとして、「いつくしみとまこととを送られる」ことによって助け給うのです。
 
「神は天から送ってわたしを救い、わたしを踏みつける者をはずかしめられます。すなわち神はそのいつくしみとまこととを送られるのです」(57篇3節)。
 
 神が天から送るものの一つである「いつくしみ」(3節)は、新改訳では「恵み」と訳されていますが、これは不変の愛を表す法律用語でもあります。
 それは相手が裏切らない限り、契約の当事者はその相手に対して変わることのない忠誠を尽くすことを意味します。
 
 天の神は御子イエス・キリストによって、ご自分を信じる者との間に永遠の同盟関係を結んでくれました。
 すなわち、神はご自分に縋る者に対しては「いつくしみ(恵み)」という不変の愛で、全力を尽くして救済の手を伸ばしてくれるのです。
 
 真実を意味する「まこと」(同)も、「いつくしみ」同様、契約の基本です。だからこそ、「いつくしみとまこととを送られる」(3節)という告白が意味するところは、神に寄り縋る者に対して神ご自身が契約の当事者として、あたかも天から下ってくるかの如く、関与してくれるということなのです。
 
 ダビデの場合、サウル王との理不尽な確執の中に神自身が介入し、その神をわがシェルターとして寄り頼むダビデを、サウルに代えて統一イスラエルの初代の王としたことがその証しです。
 
 そして血統から言えばそのダビデの子孫として誕生したのが、神の御子のイエス・キリストこそまさに、神が人間世界に送られた恵みという「いつくしみ」と、真実な神の「まこと」が形となって現われた存在であったのでした。
 ヨハネの福音書の冒頭の言葉です。
 
「律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとりごなる神だけが、神を現わしたのである」(ヨハネによる福音書1章17、18節 新約135p)。
 
 「めぐみとまこと」(17節)すなわち、詩篇の作者が告白した、「神が天から送ってわたしを救い」(57篇3節前半)給う「いつくしみとまこと」(同)は、イエス・キリストという形をとって私たちにもたらされたのでした。
 
 しかもこのキリストは聖霊においてこの地上に留まり、しかも信じる者の内に住みこんでいてくださいます。
 そういう意味においても、神を人生のシェルター、隠れ家とする者ほど幸いなものはないのです。
 
 とりわけ、吹き荒ぶ「滅びの嵐」(1節)に弄ばれていると感じる方々は今こそ、「滅びの嵐の過ぎ去るまでは」(同)キリストの「翼の陰を」(同)隠れ家、シェルターとすることにより、確かな平安を得ていただきたいと思います。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2016-06-05 16:02:28 (754 ヒット)
2016年礼拝説教

16年6月5日 第一回日曜特別礼拝説教

 

人生の四季をこころ豊かに生きる その1
 
青春の日々にこそ、自らの創造主に心を留めよ
 
伝道の書12章1、2、13、14節(旧約聖書口語訳932p)
 
 
はじめに
 
最近でこそ気温の高い夏と、寒さの厳しい冬が長くなって、その分、春と秋とが短くなったような感じがしますが、日本はもともと季節的には、春夏秋冬という四季の特徴がはっきりとした風土の国でした。
 
季といえば人の長い一生も四季で表すことができます。 
私たちの教会では随分前から、初夏の六月から秋本番の十一月にかけて、それぞれの月の第一日曜日の礼拝を初心者を対象とした礼拝として守ってきましたが、本年は「人生の四季をこころ豊かに生きる」という全体タイトルを掲げて開催することになりました。
 
そこで本日の第一回目は「青春の日々にこそ、自らの創造主に心を留めよ」です。
 
 
1.四季折々の人生
 
今でこそ国際法を無視して南シナ海の岩礁や暗礁を勝手に埋め立て、人工島を造成して軍事拠点化を進めるなど、周辺国に脅威を与えている無法国家となってしまいましたが、それでも古代の思想や文学における業績に関しましては、私たちは多大な恩恵を得ているのがかつてお隣りに栄えた古代の支那でした。
 
この支那ではかつて、人の一生つまりライフサイクルを春夏秋冬で表すと共に、それを色を使った四季として表現する、何とも粋な文化表現を発達させておりました。
それが、青春(せいしゅん)、朱夏(しゅか)、白秋(はくしゅう)、玄冬(げんとう)です。
 
古代に比べて寿命が飛躍的に伸びている現代の日本でいうならば、青春は十代の後半から三十代前半、朱夏は三十台後半から五十代前半、白秋は五十代後半から七十代前半、そして玄冬が七十代後半から、ということになるのではないでしょうか。
 
近年の我が国の特徴として挙げられるのが、年齢による仕分けが無くなりつつある、という傾向です。
たとえば一度試してみたいと思いつつ、なかなかその機会がないのが「青春18きっぷ」の利用です。
 
これはその名称が示すようにもともとはJRの前身の国鉄において、お金はないが時間はたっぷりある学生などの帰省や旅行用として始まったようなのですが、今は時間にゆとりのある高齢者がグループ旅行に利用するなどして人気なのだそうです。
 
四季というものを人のライフサイクルとして捉えるとき、何は扨措いても、人生の四季としての人の一生とは何なのかという根源的な問題を考えることが、日常生活を送る上で極めて重要なことです。
 
人の一生とは何か、ということについては古今東西、多くの知者、学者そして識者がその意味を問い、また解説してきましたが、紀元前六世紀にバビロン捕囚という国家的、民族的挫折を経験したユダヤ人の場合、中には懐疑的な人生観を持つ者もありました。その典型的な見方が詩篇にあります。
 
「われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、わららの年の尽きるのは、ひと息のようです。われらのよわいは七十年にすぐません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです」(詩篇90篇9、10節)。
 
一見、虚無的とも見える告白のようですが、やはり信仰者の告白です。肯定的な祈りで締め括られます。
 
「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください」(90篇12節)。
 
 「飛び去る」(10節)日数(ひかず)をただ歎くのではなく、「おのが日を数える」(12節)すなわち、人の一生とは何なのかを考えるという探究心、求道の心を与えてくださいと詩人は祈ります。
 
 実は私たちが教会に出席する意味、聖書に尋ねる意味はここにあるといえます。
 ある人は今、まさに輝くような青春の真っただ中にあり、またある人は充実した朱夏を、そしてある人は円熟した白秋の時期を生き、そしてある人は悟りの玄冬を過ごしているかも知れません。
 
 でも大切なことはいずれの季節であっても、創造主である唯一の神を意識して暮らすことです。
 そしてできることであるならばそれは、早ければ早い程よいのです。
 
 そこで、青春という掛け替えのない日々について聖書はどう言っているかを見てみましょう。

 

2.青春という掛け替えの無い日々
 
聖書は確かに神の言葉です。しかし、聖書は「神はこのように言われる」という上からの言葉と、「神よ、どうしてですか」という下からの問い掛けの言葉から成っております
そしてバビロン捕囚後に発達したのが下からの問い掛けとしての信仰運動であって、その結集が「知恵文学」と呼ばれるものでした。代表的な文献がヨブ記であり、そして伝道の書です。
 
伝道の書は新改訳では「伝道者の書」、新共同訳では「コヘレトの言葉」となっておりますが、「コヘレト(コヘーレス)」とは「会衆の指導者、会衆の中にあって語るもの」(旧約略解)だそうです。
 
そこで今回は伝道の書の十二章を取り上げることにします。
 
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしには何の楽しみもない』と言うようにならない前に、また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ」(伝道の書12章1、2節 932p)。
 
 この箇所は新改訳では口語訳と同じ「あなたの若い日に」と訳しましたが、新共同訳は「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」(コヘレトの言葉12章1節前半)と訳すことによって、その後に続く老いの描写を通して、その違いを際立たせます。
 
 つまり、「青春の日々」という季節を無駄に、無為に消費するのではなく、それを掛け替えのない時代、青春という季節として大切に受け止め、意義深く生きよ、と勧めるのです。
 
少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず」と言ったのが十三世紀の中国宋代の儒学者、朱子だと伝えられていますが、これは至言であるといえます。
 
まことに人間の性(さが)なのですが、人には、いま持っているもの、置かれている境遇が実は掛け替えのないものであることに気付きにくいという傾向があります。
そしてそれは何らかのことがきっかけで手許から失って、そしてそうなった時点ではじめて気がつくという場合があるのです。
 
若いということは一つの特権です。しかしそれは他のものでは代替できないもの、掛け替えのないものであることに気付くことが「知恵の心を得」(詩篇90篇12節)ることだったのです。
 
 
3.青春の日々にこそ、自らの創造主を想う
 
 だからこそ、伝道者は勧告します、「汝の若き日に汝の造り主を覚えよ」(1節前半 文語訳)と。
 
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』という年齢にならないうちに」(コヘレトの言葉12章1節)。
 
 年齢の比較的若い時に、すなわち「青春」(1節)という季節の「日々に」(同)ある者の義務は自らの「創造主に心を留め」(同)ことなのだと、古代のユダヤ人知者は断言しました。
 
 たとえば、親にとっても子供にとっても、初等教育を受けるということは義務です。それは人が人らしく生きるための力を身につけるために欠かすことのできない要件だからです。学齢期になった子供を小学校に行かせようとしない親の所には、地域の教育委員会から勧告が来ます。
 なぜならば子供を就学させることは親の義務だからです。
 
 それと同じように、「青春の日々にこそ」(1節)自らの「創造主に心を留め」(同)こともまた、神に造られた青少年に等しく課せられた義務なのです。
 それは人が幸福に生きるための必要要件であり絶対要件だからです。ですから伝道者は言い切ります、それは人間であるものの本分である、と。。
 
「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を畏れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である」(12章13節)。
 
 新共同訳はここを「これこそ、人間のすべて」と訳しました。ということは「自らの『創造主に心を留め』ない者は人間じゃあない」と言おうとしたのかも知れません。
 
 これをどう解釈するかは個々の自由ですが、願わくはひとりでも多くの日本人の青少年が、その「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」(1節)という古代の知者の勧めの真意を理解することができるようにと、心から念じるものです。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2016-03-27 16:47:53 (773 ヒット)
2016年礼拝説教

16年3月27日 イースター・復活祭礼拝説教

 

事実、キリストは死人の中からよみがえった
 
コリント人への第一の手紙15章20節(新約聖書口語訳274p)

 

はじめに
 
敗戦後の昭和二十五年頃、明治以来元々あった白人崇拝、欧米憧憬という日本社会の土壌に、戦勝国である米国の宗教行事が急速に広まりました。イエス・キリストの生誕を祝う十二月二十五日のクリスマスです。
 
昭和四十年代、五十年代になりますと、バレンタインデーなるものが広まりました。これは西暦二六九年に殉教したとされるセント・ヴァレンティアヌスの死の記念日である二月十四日に、女性から男性に対してチョコレートを贈る、というかたちで定着しました。神戸のモロゾフという洋菓子屋さんの発案によると聞いたことがあります。
 
でも、欧米ではクリスマスと並んで、というよりもクリスマスよりももっと盛大に行われている、キリストの復活を祝うイースターとなりますと、日本ではさっぱりです。
 
イースターが日本社会に定着しない理由は二つ、ではないかと私は考えています。
一つは、「キリストの誕生はいいとしても、そのキリストが死んだあと、墓から復活をしたという話はどうも受け入れ難い」という素朴な感覚が日本人にあること、そしてもう一つが、イースターという日がクリスマスやバレンタインデーのような固定日ではなく、年ごとに移動する移動日だからではないかということです。
 
イースターはそもそも、西暦三二五年、現在はトルコとなっている小アジアのニケアという町で行われた教会会議(ニケア会議)において、「イースターは春分の日の後の満月の次に来る最初の日曜日とする」ということが定められました。
 
今年二〇一六年の場合、春分の日の後の満月が先週二十三日の水曜日ですので、三月二十一日の「春分の日の後の満月の次に来る最初の日曜日」は本日、三月二十七日となります。
ついでに言いますと、三月二十一日を春分の日とするということも、この教会会議で決められたそうです。
 
イースターの日については個人的には、母の日のように例えば四月の最初の日曜日などとしてもらえると、日本社会にも少しは浸透するのではないかと思ったりもするのですが、これは百パーセント無理でしょう。
そこで考えてみました、「どこかの洋菓子屋さんが若者のお洒落なファッションとして、イースターにはイースターケーキを食べて、イースタープレゼントを贈り合う、という習慣を流行らせてくれれば、遅まきながらもイースターがこの日本に定着するのではなかろうか、あの何ともバカバカしい秋のハロウィンなどよりもよっぽど、商機となるのではないか」などと。
 
ところで復活祭をなぜ「イースター」というのかということですが、古代の北ヨーロッパでは「エオストレ」という名の春の女神が崇められておりました。
春の到来が待ち遠しかったからです。高福祉の国として北欧を憧れの目で見る見方が多いようですが、十数年前に訪れたスウェーデンで、この国に長く住んでいる日本人の方が言うには、北欧の長い冬には心を患う人が多く出て、その結果、自死する者も少なくない、ということでした。
 
その北欧にキリスト教が宣教されていくに従い、陰鬱な冬が終わって草木が芽を出す春を象徴するこの春の女神の名が、キリストの死からのよみがえりを祝う復活祭に相応しいものとなり、それで復活祭がドイツ語で「オースタン」、英語で「イースター」と呼称されるようになったのだそうです。
 
そこで二〇一六年の本日のイースター礼拝では、日本人には信じにくいキリストの復活という聖書の主張が、単なる神話や伝説、教会が造り出した根拠のない教説などではなく、歴史的な事実であるということ、それが日本人を含む人類すべてにとって、重要な意義を持っているということについて確認をしたいと思います。
そこで今週のタイトルは、「事実、キリストは死人の中からよみがえった」です。
 
 
1.聖書は言う、「キリストは確かに死人の中からよみがえった」と
 
キリストの復活という原始キリスト教会の教えは、日本人にとってはなかなか信じられないものなのですが、それは西暦一世紀半ばのギリシャ人にとっても同様であったようでした。
キリストの復活という信仰に関する否定的見解は、コリント集会の中では死人の復活の否定というかたちで、ギリシャ人信徒の中に浸透していたようです。
でも、コリント集会の開拓者であり育成者でもあった使徒パウロにとって、死人の復活を否定する考えは看過することのできないものすなわち、福音の破壊に他なりませんでした。
 
実は古代ギリシャ人の来世観は、多くの日本人が持っている考え方と似たところがあります。霊魂不滅の思想がそれです。これは、人の肉体は滅びても内なる霊魂は死なず、永遠に生きる、という考えです。 
それは遺された者にとりましては確かに、慰めではあります。しかし、よく考えますと、肉体を脱した霊魂はどのようなかたちで、何処に安住するのかが疑問です。
 
「さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか」(コリント人への第一の手紙15章12節 新約聖書口語訳274p)。
 
 コリントの集会において、「死人の復活はなどはない」(12節)と主張していた一部の人々とは、ギリシャ的な霊魂不滅の思想の持ち主であったのではないかと思われます。
 パウロはこの、体を伴なう死人の復活を否定する教説に対して三つの点をあげて反論します。
 
 第一の反論は、死人の復活の否定は当然、キリストの復活を否定することになる、というものです。
 
「もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう」(15章13節)。
 
第二の反論は.キリストの復活を否定することは、福音の宣教が空しい行為であるということになり、その福音を信じ受け入れた信仰も、所詮は空しい希望でしかない、ということになるという指摘です。
つまり、死人の復活とキリストの復活の否定は、キリスト教信仰そのものを否定することになる、というわけです。尤もです
 
「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい」(15章14節)。
 
そして三つ目の反論は、キリストの復活の否定は、神がしていないことをしたと主張するのであるから、キリストの復活を主張する者は神にとっては偽証人である、ということになるとの指摘でした。
 
「すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際によみがえらさなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである」(15章15節)
 
 このように三つの反論を展開した上で、パウロは断言します、「キリストは確かに、死者の中からよみがえったのである」と。
 
「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである」(15章20節)。
 
 神を(けが)したという罪状で有罪とされ、国家反逆罪で十字架にかけられた「極悪人」のイエスを聖書が、神が人類を救済するために遣わした救世主・キリストとしたのは、このお方が確かに「死人の中からよみがえった」(20節)からだったのでした。
 
 
2.キリストが死人の中からよみがえったのは、歴史的な事実
 
携帯電話のCMではいっとき、白い犬が父親として出てくるものが人気でした。しかし最近は桃太郎や浦島太郎、金太郎、かぐや姫といった、昔話の主人公が出てくるCMが人気だそうです。
 
昔話は「むかしむかし、あるところに」で始まります。「むかし、むかし」のことですから年代がはっきりしないというだけでなく、「あるところに」と場所も不明です。また「おじいさんとおばあさんがおりました」という場合、一体全体、どういうおじいさんで、どこのおばあさんなのかが明らかでないということは、これが実話ではないことの証しです。
 
でも、イエス・キリストの復活に関する聖書の記述は、単なる昔話しなどではなく、この歴史の中で、そして実在した場所において実際に起きた出来事を、目撃者の証言に基づいてまとめられたものなのです。
 
「すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現われ、次に、十二人に現われたことである。そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現われた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している」(15章3節後半〜6節)。
 
 「ケパ」(5節)はペテロのこと、「十二人」(同)とは十二使徒を指します。
 そしてパウロがこの書簡を書いた時点では、復活のイエスを「同時に」(6節)見た目撃者の「大多数は今なお生存している」(同)と、著者自身が言っています。
 因みにコリント第一の手紙の著作年代は西暦五十五年頃とされています。キリストの刑死、復活が西暦三十年の四月ですから、まだ二十五年くらいしか経っていません。ということは有りもしなかったことを捏造したらすぐに化けの皮がはがれてしまう、という期間です。
 
 一時期、いわゆる従軍慰安婦の日本軍や官憲による「強制連行説」が歴史的事実であるかのように唱えられていましたが、その強制連行説の根拠とされていた、強制連行の実行者を自称していた吉田清治という人物が、実は大うそつきの詐話師であって、その証言もまた嘘八百の出鱈目であったということを、天下の朝日新聞社が認めたのが一昨年の八月でした。
 
 つまり、慰安婦の強制連行なるものが捏造の産物であって、被害を訴える者の多くが、貧しさのゆえに親に売り飛ばされたり、民間業者に騙されたりした女性たちであったことが明白になったのでした。勿論、そのこと自体、何とも惨たらしいことではありますが。
 
  朝日新聞はその際、強制連行されたとされていた女性が「二十万人云々」という数字の方も、戦時徴用と混同した結果であったと発表しましたが、ごまかしもいいところです。
 
  支那事変(日中戦争)におけるいわゆる「南京虐殺」の犠牲者も、いつの間にか二十万人から三十万人に増えてしまっていますが、確かな統計によれば当時の南京市の人口が二十万人です。
 算数ならば「200,000−300,000=−100,000」と、数式は成り立ちますが、実際の人口ではあり得ません。
 
 
 また虐殺があったとされる時期から数週間後には、南京市の人口は二十数万になっていたことがわかっています。大虐殺があった直後に逃げ出した市民が、ひどい殺戮が行われた町に帰ってくるでしょうか。
 またそんな恐ろしい町に他の町から人が流入してくるでしょうか。子供でもわかることです。つまり歴史的事実としての「南京大虐殺」なるものは無かったということなのです。
 
 
 しかし、キリストの復活は事実です。再度、お読みします。
 
「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂といて、死人の中からよみがえったのである」(15章20節)。
 
ここで「事実」と訳された言葉は、「今」という意味の言葉です。ですからこの箇所は「今、現に」、あるいは「実際」と訳してもよいでしょう。  
もしもキリストの復活が事実であって、聖書が言っているように、キリストが「今、現に」生きているのであれば、私たちの取るべき態度は一つです。神に無条件降伏をしてこれを受け入れるか、あるいはなおも否定するかです。
 
そして人間として何が誠実な態度であるか、というならば、キリストの復活という聖書の記述、キリスト教会の主張を事実として認めるということになるわけです。
 
 
3.キリストは眠っている者の初穂として、死者の中からよみがえった
 
NHK朝の連続ドラマ「あさが来た」の放映が今週で終了となりますが、先週金曜日の放送で、近しい者が次々と亡くなってしまうことを嘆く、あさの夫の新次郎に向かって、日の出女子大学校の学長になった成澤が慰めの言葉をかける場面がありました。
成澤学長は言います。
 
慰めになるかどうかわかりませんが、私にとって生と死というものは、あまり違いはないのです。生があるから死があり、死があるから生がある。この二つは常に一つのリズムとして我々の日常に流れています。
そしてこの体はただの衣服であり、本当の体はもっと奥にある。そしてそれは永久に滅びません(2016/3/25 NHKドラマ「あさが来た」)。
 
 確かに日本人の心に沁み、心情に訴える言葉ではあります。ところでこの学長さんのモデルはキリスト教徒で牧師でもあった人のようです。この場面を視たクリスチャンの視聴者は感動したかも知れません。しかし私はこの場面を視聴していて、これこそが、日本のキリスト教に溶け込んだ、ギリシャ的霊魂不滅の思想なのだと思いました。
 
 なお、学長さんのモデルの人物の信仰はユニテリアンだそうです。ユニテリアンも一つのキリスト教ですが、イエス・キリストについてはこれを神の子とは認めず、傑出したひとりの人間として考えるところに、その特徴があります。
 
 ついでに触れておきますと、成澤学長のモデルの人物は、その生涯の終わりにはキリスト教信仰から離れたと伝えられています。それが事実であるならば、何とも残念なことです。
 
 「あさ」のモデルの広岡浅子の方ですが、六十二歳になってからキリスト教の洗礼を受け、亡くなるまでキリスト教の布教と教育活動に邁進したそうです。
 でも、ドラマではそこまでは描かないことでしょう。ただ、視聴者の中でモデルの広岡浅子という女性の生き方に惹かれてその伝記を読み、晩年の広岡浅子を支えたイエス・キリストに興味を持つ人が起こされるならば、幸いなことです。
 
 最後に、キリストがよみがえった目的についての確認を共有したいと思います。しつこいようですがもう一度、メインテキストをお読みします。
 
「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである」(15章20節)。
 
律法によれば「初穂」(20節)の束が、過越の祭の後の最初の安息日(土曜日)の翌日(日曜日)に奉献されたということです。
 
「主はまたモーセに言われた、『イスラエルの人々に言いなさい、わたしが与える地にはいって穀物を刈り入れるとき、あなたがたは穀物の初穂の束を、祭司のところへ携えてこなければならない』」(レビ記23章9、10節 旧約聖書口語訳169p)。
 
「初穂」とは最初に収穫されたものです。当然、収穫はそれで終わるのではなく、その後に続きます。つまり「キリストが眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえった」(同)ということは、死人の復活がキリストひとりだけで終わるのではなく、「眠っている者」つまり、信者たちの復活が後に続く、ということなのです。
 
イエス・「キリストが…死人の中からよみがえった」(20節)のは、私たち信じる者たちの「初穂」(同)となるためでした。
すでに「眠っている者(たち)」(同)も、そして生存している者たちも、キリストという「初穂」(同)に続いて、死の世界からよみがえり、新しい体、朽ちることのない体を着せられて、神と共に永遠を生きることになるのです。
 
私たちがキリストの復活を記念する「イースター」を、とりわけ大事なものとして祝う意味は、そこにあります。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2016-03-20 16:46:31 (724 ヒット)
2016年礼拝説教

16年3月20日 棕櫚の日曜日・受難週礼拝説教


キリストは私たちの罪を償(つぐな)う生け贄(にえ)となられた

ヨハネの第一の手紙2章1、2節(新約聖書口語訳376p)
 
 
はじめに
毎年この時期になりますとついつい口から出てしまうのが、「クリスマスは固定日であるのに、キリストの復活を祝うイースターは毎年変わる」という愚痴?です。
イースターは西暦三二五年の教会会議において、「春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日」と定められました。
 
ですから本年のイースターは来週の三月二十七日です。因みに昨年は四月五日でした。この結果、復活日の一週前の日曜日におけるキリストのエルサレム入城の日も毎年変わり、今年は三月二〇日で、キリストが十字架にかけられた受苦日も今週の三月二十五日ということになります。
 
ところで欧米では十三日の金曜日は不吉な日とされています。十三日が不吉、という理由ははっきりしませんが、金曜日はキリストが処刑された日だからということなのだそうです。
でもこの日は不吉かと言いますとそうではなく、有り難い日なのです。正確には西暦三十年四月七日の金曜日にエルサレム郊外の死刑場で起こったことは、人類にとっても個人にとっても運命を変えるような大きな出来ごとでした。
 
そこで本年の棕櫚の日曜日・受難週礼拝では、キリストの死は私たち全人類の罪を償う生け贄としての死であったということから、キリストの処刑の日が不吉どころか全人類救済の道が開かれた、特別に有り難い日であることを確認したいと思います。
 
 
1.「的外れ」という罪と、その罪の赦し
 
教会に行き始めた頃、大衆伝道者のビリー・グラハムによるキリスト教入門書、「神との平和」を読んで、キリスト教の教えを大まかに理解することができました。中でも罪についての解説は印象深く記憶に残っています。
 
ある人は言う、「罪という言葉は耳触りが悪い。もっと別の言い方がないか」と。でも、毒が入っている瓶には、「ポイズン(毒)」と表示されているからこそ誰もが用心する。
 
成る程、と思いました。確かに罪は罪なのです。罪をきれいな言葉で表現した場合、却って危険です。
 
罪というものをはっきりと、そして正確に認識した上で、罪に対する正しい対応を学ぶこと、そこにこそ、人の幸せがあるといえます。
 
「わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである」(ヨハネの第一の手紙2章1節前半 新約聖書口語訳376p)。
 
 聖書を、そしてキリスト教を正しく理解するためには、「罪」とは何であるのか、ということを正しく理解することが必要です。
  「罪」(1節)の原語は「ハマルティア」で、これは標的を外す、目的から外れることを意味する「的外れ」のことです。人間は原罪の結果、「狂った弓のように」なってしまったのです。
 
「しかし彼らはいと高き神を試み、これにそむいて、そのもろもろのあかしを守らず、そむき去って、先祖たちのように真実を失い、狂った弓のようにねじれた」(詩篇78篇56、57節)。
 
 この詩篇の指摘は、具体的には、エジプトのにおける奴隷状態から解放されて約束の地に導かれながら、恩人である神に背いたイスラエルの民についての言及ですが、それはまた、人類全般に当てはまる指摘でもあります。人はあたかも「狂った弓のようにねじれ」(57節)曲がってしまったのでした。
 
  「狂った弓」から放たれる矢は、どんな的に当てようと試みても、射る矢、射る矢がすべて、的外れになってしまうのです。そのためにたとい、罪を犯すまいと思ったとしても、言うことやることがすべて「的外れ」つまり、「ハマルティア」状態になって、神と人とを傷つけてしまうという結果を生み出します。
 
 そこで重要なことは、自分は「狂った弓のよう」なもの、罪ある者であるという自覚、認識があるかどうかです。それを罪責感あるいは罪意識と言います。人間が上等か下衆(ゲス)であるかを見分けるには、この罪責感というものを持っているかどうかで弁別することができます。
 
 内村鑑三もまた、強い罪責感の持ち主でありました。
 内村鑑三が三十三歳の時に執筆、出版した「基督信徒の慰(なぐさめ)」は、彼がそれまでに経験した、四つの苦難における慰撫の経験を語ったものなのですが、第二章の「國人に捨てられし時」、第三章の「基督覚鬚房里討蕕譴兄」、第四章の「事業に失敗せし時」に先立って記されている苦難が、第一章の「愛するものの失せし時」であって、そこには執筆の二年前に逝去した亡き妻に対する深い悔恨の情と罪意識が溢れています。
 
余は余の失いしものを思う毎に余をして常に断腸後悔(だんちょうこうかい)殆(ほとん)ど堪ゆる能(あた)わざるあり、彼が世に存せし間余は彼の愛に慣れ、時には不興(ふきょう)を以て彼の微笑に報い、彼の真意を解せずして彼の余に対する苦慮を増加し、時には彼を呵責(かせき)し、甚だしきに至りては彼の病中余の援助を乞うに當(あたり)て―假令(たとえ)数月間の看護の為めに余の身も精神も疲れたるにせよ―荒(あら)らかなる言語を以て之に応ぜざりし事ありたり、彼は渾(すべ)て柔和に渾(すべ)て忠実なるに我は幾度(いくたび)か厳酷(げんこく)にして不実なりしや、之を思えば余は地に恥ぢ天に恥ぢ、報ゆべきの彼は失せ、免(ゆるし)を乞うの人はなく、余は悔い能(あた)わざるの後悔に困(くるし)められ、無限地獄の火の中に我身で我身を責め立てたり(内村鑑三著「基督信徒の慰」8p 内村鑑三集 明治文学全集39 筑摩書房)。
 
 特に、「彼」つまり妻の愛の配慮を当然のこととし、妻の微笑みに対しては不機嫌な態度で接したこと、あるいは妻が病の中で手助けを求めた際には、乱暴な言葉でこれに対したことなどを思い出すにつけ、「無限地獄の火の中に」我と我が身を責め立てる思いであった、と述懐しております。
 
 この内村鑑三のように、自らの「罪」の意識に苦しむ私たちのすべてが、「ハマルティア」という「罪を」繰り返し「犯さないようになるため」(1節)の「助け主」として登場してくれたのが、「義なるイエス・キリスト」でした。
 
「もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのための助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる」(2章1節後半)。
 
 「罪を犯す者」(1節後半)とは、罪を犯すまいと思っていても、罪を犯してしまう者、つまり私たちのことです。
 ここで使われている「罪」は複数形です。つまり、犯すまいとしてもついつい犯してしまう様々の種類の「罪」を、明確に自身の「罪」と認めた上で、それらの「罪」をに告白すれば有り難いことに、神による赦しときよめとが即座に与えられるのです。
 
「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめてくださる」(1章9節)。
 
 「罪」を誰に懺悔、告白するのかといいますと、教誨師にではなく、イエス・キリストに対して、です。勿論、
 人を傷つけたような場合には、先ず被害者に対して謝罪することが必要なことは、法的にも倫理的にも必要であることは論を俟ちませんが、最も大事なことは聖なる神さまからの「ゆるし」(9節)です。
 
 
2.キリストは私たちの罪のための贖いの供え物、償いの生け贄となられた
 
罪をキリストに告白すればゆるしてもらえるのはなぜなのか、と言いますと、それはキリストが私たち一人一人の罪のために、完璧な償いをしてくれたからです。
 
「彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である」(2章2節前半)。
 
 キリストと雖も、勝手に人の罪をゆるすことは出来ません。たとえば子供がボール投げをしていて、隣家の窓ガラスを割ってしまったとします。その場合、「ごめんなさい」と謝るだけでは済みません。過失を詫びると共に、割ってしまったガラスの代金を弁償するのが常識です。人の罪も謝るだけでは済みません。償いが必要です。
 
 でも、どんな聖人も人の罪を償うことは出来ません。そこで「的外れ」という人間の罪のために、罪を犯したことのないイエス・キリストが、「償いの生け贄」となってくれたのです。
 これを口語訳は「あがないの供え物」(2節)と訳しましたが、これは人の罪の身代わりとなって、罪の罰としての死を引き受けて犠牲となった生け贄を意味しました。
 
 具体的にいえば、ゴルゴタ(されこうべ)という名称の刑場で、十字架刑で死んだイエスこそが、「わたしたちの罪のための、あがないの供え物(償いの生け贄)」(2節前半)なのです。
 
 どこで誰から聞いたのか記憶が定かでないのですが、ここで以前お話しました例話をもう一度、ご紹介したいと思います。米国の話です。
 
未成年の少年が刑法に触れる罪を犯し、裁判にかけられました。裁判の席で少年が顔を上げてみたら、担当判事は彼の父親でした。「しめた」と彼は思いました。ところがその裁判官は素知らぬ顔で少年に訊ねます、「被告、あなたの名前を言いなさい」少年は言いました、「お父さん、ボクだよ、ボク」しかし裁判官は言いました、「被告、今は裁判官と被告である、早く名前を」そこで少年はやむなく「○○○○です」と答えました。「父親の名前は?」「お父さん、わかってるでしょ?」「今は裁判官と被告だ」審問が終わったあと、裁判官は判決を言い渡しました。「被告は拘留日か、罰金○○ドルのどちらかを選びなさい」少年は「払う罰金は無いし、お父さんは他人みたいだった、拘留されるしかない」と失望していると、そこに私服に着替えた父親が現われ、少年を連れて罰金を支払う窓口に行き、ポケットから小切手帳を出して罰金を払ってくれて、「さあ、家に帰ろう、もう罪を犯すのではないよ」と言ったというのです。
 
 どこかの独裁国家ならばいざ知らず、法治国家の場合、被告が我が子だからといって、犯された罪の事実を判事が無かったことにするわけにはいきません。
 神の国も同様です。いくら神が愛だからといって、人類の罪を有耶無耶にするわけにはいかないのです。正義という観点から言えば、罪は裁かれ、処分されなければなりません。
 
 この例話に出てくる被告の少年は私たち人類、被告を裁く裁判官は父なる神、そして少年の罪のために支払われた罰金がイエス・キリスト、というわけです。
 
 まさに神の義と、そして私たちへの神の愛とが折り合ったところ、それがゴルゴタの十字架だったのでした。キリストが、「わたしたち」(2節)、イエスを主と告白している者たちの「助け主」(1節)であるということは、クリスチャンになってからでも「罪を犯す」(同)ことがある私たちのための「助け主」でもあるということを意味します。
 
 心ならずも「罪を犯し」たと思った時、キリストがクリスチャンである「わたしたちの罪のための、あがないの供え物」(2節)となって下さったという事実を思い出して、「父のみもと」(1節)に「おられる」「助け主」に祈るようにと、ヨハネは勧めます。
 
 
3.キリストは全世界の罪のための贖いの供え物、償いの生け贄でもある
 
 しかもイエス・キリストは、「わたしたち」(2節前半)クリスチャンだけの「助け主」(1節)ではありません。ノンクリスチャン、あるいは他宗教の信者さんたち、さらには神を否定する無神論者のためにも、罪をあがなう「あがないの供え物」(2節前半)として死なれたお方なのです。
 
「ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである」(2章2節後半)。
 
 人間として、この「全世界」(2節後半)に含まれていない者は誰ひとりおりません。イエス・キリストは「全世界の罪のため」(同)にも、「あがないの供え物」(2節前半)となってくださったのでした。
 
 
 
 この日本という国において今は、「わたしたち」キリスト者は絶対的少数者です。しかし、失望することなく、力を合わせ心を尽くし、教会を通じて福音を宣べ伝え続けていきたいと思います。
 
 
 
 今は真の神を知らずに、しかし真面目に生きている同胞たちが、「天地万物を創造した神が、このわたしの罪のためにご自分の御子をおつかわしになった」と告白する日が来ることを信じましょう。
 
 
 
 今は、信仰を告白する「わたしたち」は絶対的少数者かも知れません。しかし、ひとりでも多くの日本人が「わたしたち」の中に導かれて、神の愛を高らかに讃美し、告白する日が来ることを信じて、倦まず弛まず、この信仰に励みたいと思います。
 最後に、珠玉のような聖句をご一緒に読んで、生け贄となられた主、我が子を敢えて世界の救いのために遣わした父なる神を誉め称えましょう。
 
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある」(4章10節)。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2016-02-14 16:33:51 (676 ヒット)
2016年礼拝説教

16年2月14日 日曜礼拝説教

信仰を生きた人々
 
挫折の経験者だけが、神と人の役に立つ者となる
ーモーセは「私はあなたと共にいる」との神の言葉に促されて、解放者への道を進み始めた
 
出エジプト記2章14節〜4章20節 
ヘブル人への手紙11章27節

 

はじめに
 
二月十二日金曜日の四大紙朝刊の一面は、いずれも「重力波 初観測」という大見出しになっておりました。重力波と聞くとアニメフアンの場合、「宇宙戦艦ヤマト」の波動砲や、ドラゴンボールの「かめはめ波」が頭に浮かんだのではないかと思います。
 
新聞報道によりますと、重力波は今からちょうど百年前に、アインシュタインが「相対性理論」の中でその存在を示したもので、このたびの米国チームによる検出は、世界初だとのことです。
今回検出された重力波とは、太陽の二十九倍と三十六倍の質量を持つブラックホール同士が、十三億年前に合体した際に生じた空間の歪みが、ちょうどさざ波のように遠くまで伝わる現象のことなのだそうです。
 
検出の意義は何かといいますと、これによって宇宙の成り立ちの解明に近づけるかも知れないとのことだそうです。それにしましても、重力波なるものの存在を、百年も前に預言していたアインシュタインの頭脳にも驚きますが、この宇宙がどうやって出来たのかという疑問を持つ時、「はじめに神は、天と地とを創造された」という創世記の一章一節を知る者であることの幸いを、改めて実感させられました。
 
宇宙物理学などの科学と、キリスト教に代表される宗教は一見、対立しているかのように思えますが、科学の発展は神の存在、とりわけ天地の創造者である神の実在を証ししてくれるように思えてなりません。
 
キリスト教神学では、自然科学が事実を積み重ねて真理に迫ることを「自然啓示」と言います。
 
「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす」(詩篇一九篇一節 旧約聖書口語訳762p)。
 
しかし、神の事柄は「自然啓示」という間接的啓示だけで解明するには不十分です。この「自然啓示」の限界を超えさせるものが、創造者である神自身からの「直接啓示」でした。
 
古代においてはしばしば、神が選んだ者たちに対する神からの自己啓示がありました。そして、神からの啓示を受け、その啓示に促されて躊躇いつつ尻込みをしながら、神の民イスラエルの解放者としてエジプト脱出を実現した人がモーセでした。
今週の「信仰を生きた人々」の六番目はこの解放者モーセです。
 
 
1.挫折や蹉跌を経験した者だけが、神と人の役に立つ者となることができる
 
「挫(くじ)け、折れる」で挫折ですが、企図した事業や計画、試みなどが中途でだめになってしまうことを「挫折」と言います。
この挫折とよく似ている言葉が「蹉跌(さてつ)」です。「蹉」も「跌」も「つまずく」と読みます。
 
そして虐げられている同胞を見るに見かねて救済行動に出たにも関わらず、その同胞からは警戒され、当局からは指名手配されて、国外へ逃亡したのが若き日のモーセでした。
モーセについてのヘブル書の記述です。
 
「信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた」(ヘブル人への手紙11章24〜26節前半 新約聖書口語訳355p)。
 
でもこの記述には少々の美化があるようで、出エジプト記の記述を読む限り、そんな格好のいいものではありませんでした。
 
ヨセフの死後、エジプトに新しい王朝が成立しました。この新しい支配者は、エジプトに定着、繁栄しているイスラエルの民を警戒し、国家的施策として彼らを奴隷として重い労役を課すと共に、助産婦に対してはヘブル人の出産に際し、女児は生かして男児は殺すようにとの命令を下したりもした程でした。
 
モーセの場合も、その誕生を隠しきれなくなった三カ月後、両親によってナイル川の辺に捨てられたところに、水浴びにきたパロの娘が拾って我が子として育てるという経緯があって、モーセは「パロの娘の子」(24節)として成人したのでした。
 
しかしある時、彼は同胞が働く現場で、同胞がエジプト人の監督から虐待されるのを見、民族の血が騒ぐあまりに、そのエジプト人監督を殺害してしまいます。
しかし、助けた筈の同胞からは、感謝されるどころか却って警戒され、結局、逃れ逃れてシナイ半島の東に辿りつき、失意のうちに現地の娘と結婚し、羊を飼う者となります。
 
「彼は言った、『だれがあなたを立てて、われわれのつかさ、また裁判人としたのですか。エジプト人を殺したように、あなたもわたしを殺そうと思うのですか』。モーセは恐れた。そしてあの事がきっと知れたのだと思った。パロはこの事を聞いて、モーセを殺そうとした。しかしモーセはパロの前をのがれて、ミデヤンの地に行き、井戸のかたわらに坐していた」(出エジプト記1章24、25節 旧約聖書口語訳75p)。
 
ある日、彼はホレブという山で、神の呼びかけを聞きます。
 
「モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレブにきた」(2章1節)。
 
この「神の山ホレブ」(1節)は現在のエジプト領シナイ半島にあるシナイ山のことではないかとされています。
この「ホレブ」の山で神がモーセに現われて、ご自身を「アブラハムの神」と紹介します。
 
「『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』」(2章6節前半)。
 
そして重ねて言います、「私は圧制者であるパロのもとにあなたを遣わして、イスラエルの民の解放を求めさせよう」と。
 
「いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプト人が彼らをしえたげる、しえたげを見た。さあ、わたしはあなたをつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導きださせよう」(3章9、10節)。
 
嘗て、差別され、虐待されている同胞のために立ち上がったものの、同胞からは受け入れられず、エジプトの官憲からはお尋ね者として追われる身となっていたのがモーセでした。
神はなぜ、そんな人物に白羽の矢を立てたのでしょうか。答えは一つ、神は高ぶる者を退け、謙る者に恵みを給うお方だからです。
 
若い頃に読んで感動した、十九世紀のスイスにおいて教育者、政治家として活躍したカール・ヒルティの著作「幸福論」の、「人間知について」の中の有名な一節を思い起こします。
ヒルティは言います。
 
若い人が謙譲でなく、ただひどく自信があるばかりで、多少のはにかみさえ持たないという場合は、その人は性格的に何か欠陥があり、ほんとうの価値に乏しい人であるか、また少なくとも非常に早熟で、もはやそれ以上さきに進まない人である。
(中略)ついぞ大きな苦痛を知らず、自分の大敗北を体験せず、失意の底に沈んだことのない者はものの役に立たない。そうした人には何かせせこましさがあり、またその態度振舞には高慢にして独善、しかも不親切なところがある。そのために彼らは、ふつう彼らの大いなる誇りとする公正心にもかかわらず、神にも人間にも嫌われるのである(カール・ヒルティ著 斎藤栄治訳「幸福論供廝隠横院■横陝.劵襯謄C作集第二巻 白水社)。
 
人生の挫折、青春の蹉跌を経験しなかった者は、失敗者の気持ち、人の痛みを理解することが不得手になりがちなため、神と心を合わせることが難しいのです。それで神は、好んで失敗者を用いるのです。
 
ペテロも恐怖に負けて、自己保存本能が促すままに「イエスなど知らない」と言ってしまいましたし、パウロの場合もキリストの教会を激しく迫害した、という負い目がありました。いずれも挫折、蹉跌の経験者でした。
 
「神の山ホレブ」(3章1節)で燃える「しば」(2節)の中から聞こえる神の呼び掛けを聞いたモーセは、同胞救済の使命感に燃えた嘗てのモーセではありませんでした。自らの弱さ、限界を嫌と言うほど知ってしまったモーセは逡巡し、幾度となく神の要求を拒みます。
 
「モーセは神に言った、『わたしは、いったい何者でしょう。わたしがパロのところへ行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか』」(3章11節)。
 
人の考える「時」と、神が認める「時」とは微妙に異なることがあります。でも、人生における失敗、挫折の経験は、決して無駄ではありません。神に見捨てられたかのように思える時も、神は見捨ててはいないのです。
 
モーセがホレブの山で神の声を聞いた時から七百年の後、高慢の鼻をへし折られたイスラエルが失意の底で出会ったのも、自らの愚かさが招いた捕囚という挫折の中にある者たちを見捨ててはいないという神、かつてホレブの山でモーセに現れてくれた神でした。
 
「人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。…主はとこしえにこのような人を捨てられないからである」(哀歌3章28、31節 1145p)。

 

2.解放者として選んだモーセに向かって、神が自身の心情と実体とを明らかにした
 
これまでにも触れてきましたが、ギリシャ人の神観とヘブライのそれとの決定的な違いは、感情の有無にあります。
論理を追求したギリシャ人は、「神は第一原因でなければならない、第一原因の資格は他からの働きかけに動かされないことである」という論理から、同情することもまたその資格を損なうと考え、その結果、神の性格から感情、情感という要素を除去してしまいました。
「神は世界を創造したけれども、その世界がどうなろうと関知しない」という無関心、無感動の神、それがギリシャの神観でした。子供は生んだけれども、あとは知らない、という親のようなものです。
 
しかし、聖書の神はその対極にある神です。アブラハムとの約束を実現するため、イスラエルの「すえを地に残すため」(創世記45章7節)に不条理な目に遭わせてまでも、罪の無いヨセフをエジプトに導きだした神は、エジプトにおけるイスラエルの「すえ」(同)に目を留め続け、その呻き、叫びを聞いているお方でした。
 
「主はまた言われた、『わたしは、エジプトにいる私の民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。…いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た』」(出エジプト記3章7、9節 76p)。
 
 神は苦しむ民の悩みを「見」(7節)、その叫びを「聞」(同)いて共感し、その苦しみを「知」(同)る情感豊かな神なのです。しかも、神は心を動かすだけでなく、民の救済のために行動する神でもあります。
 
「わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている」(3章8節)。
 
 神がご自身の心情と言葉とに責任を持つ神であることは、モーでの質問に対する自己紹介の言葉で明らかとなります。
 
「神はモーセに言われた、『わたしは、有って有る者』。また言われた、『イスラエルの人々にこう言いなさい、わたしは有る、というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」(3章14節)。
 
 神は自らの実体を「わたしは、有ってある者」(14節)、「わたしは有る」(同)というかたちで明示されました。
古来、ユダヤ学でもキリスト教神学でも、この言葉の意味を巡って侃々愕々の論議がなされてきましたが、要は、神がその愛する民から遠く離れた安全地帯に閑居しているのではなく、側近くにいつもいる、という意味だと思われます。
だからこそ、神はたじろくモーセに向かって、「わたしはあなたと共にいる」と励まします。
 
「神は言われた、『わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたがたはこの山で神に仕えるであろう』」(3章12節)。
 
 神は救済される者と共にいるだけでなく、救済のために遣わされる者とも共にいてくださる神です。それが「わたしは有る」(14節)と名乗られた神の本質でした。
 そしてその神は今や、復活のキリストにおいて私たちの守護神となってくださっています。

 

3.自信喪失状態であったモーセは、神の言葉に促されて解放者として立ち上がった
 
それでもまだ、モーセは躊躇し続けます。モーセの自信喪失状態がいかに深刻なものであるかがわかります。エジプトでの出来事はまさにトラウマとなってモーセを縮こまらせていたのでした。
挫折感に囚われていたモーセには、二つの障害を立ち塞がっていました。
 
一つは、「パロの娘の子」としてエジプトで生育したモーセに対する、民らの拒否感でした。
 
「モーセは言った、『しかし、彼らはわたしを信ぜず、またわたしの声に聞き従わないで言うでしょう』」(4章1節前半)。
 
 民は言うに違いありません、「主がお前に現われたなどというのは嘘だ、アブラハムの神が『パロの娘の子』のお前になど現れる筈がない」と。
 
「『主はあなたに現われなかった』と」(4章1節後半)。
 
 モーセの言い訳に対する神の対応を見てみましょう。神はモーセが持っている羊飼いの杖に目を向けさせます。
 
「主は彼に言われた、『あなたの手にあるそれは何か』。彼は言った、『つえです』」(4章2節)。
 
 神が言うまま、モーセが杖を地に投げると杖は蛇に変わり、その尾をモーセが掴むと、蛇は杖に戻ります(3、4節)。
私たちは今日、奇跡を行う杖を持ってはいません。しかし、杖に代わる賜物、能力、技術を与えられています。
例えば、ヨッパの弟子のドルカスは、その手にある針と糸を使い、身につけた縫物の能力を生かすことによって多くの寡婦を助けました(使徒行伝9章36節)。神は今も、「あなたの手にあるそれは何か」(2節)と問うています。
 
 もう一つ、モーセを躊躇わせたものは、弁証能力の欠如というものでした。
 
「モーセは主に言った、『ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口が重く、舌も重いのです』」(4章10節)。
 
 モーセはパロの娘として世界最高クラスの教育を授けられました。当然、弁論技術、雄弁術も身につけている筈です。ですからこの、「わたしは口が重く、舌も重い」(10節)という告白は、彼が受けた精神的、心理的ダメージの大きさを物語っているのかも知れません。 
 
 これに対して神は、「あなたが訥弁であることは十分に承知している、だから、訥弁であるあなたの協力者として弁舌に優れた実兄のアロンを選んでおいた、言葉の働きに関してはアロンが担う、あなたはあの杖をとってしるしを行い、そして民を導きなさい」と励まします。
 
「彼はあなたの口となり、あなたは彼のために神に代わるであろう。あなたはそのつえを手に執り、それをもって、しるしを行いなさい」(4章17節)。
 
 これらのやり取りの結果、ついにモーセは神の選びに応じる決断をし、杖を手に執って、同胞から拒否された地であるエジプト、お尋ね者の手配書がまだ残っているかも知れないエジプトの地へと出立して行くのです。
 
「モーセは手に神の杖を執った」(4章20節)。
 
 あの偉大な指導者モーセでさえも、神を散々手古摺らせたのでした。大事なことは納得が行くまで神に食い下がることです。
 そして納得が行き、また時が満ちたと思った時に、決然として立ち上がればよいのです。
 モーセの神は私たちの神です。そして私たちの神は我慢強いお方なのです。


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